映画

2009/02/11

2009弘前雪燈籠祭り そして

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息子殿が行こうというので。

おととしの今日 やはり雪燈籠祭りに行ったらしい。

写真があるでのう。

今年は(も?)雪が少なくて 土が見えていた。

これでは 遠方から来たお客さんはがっかりだ。

天候は仕方ないのかもしれないが…

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お約束の チューブですべり台。

一回やっただけで 息子殿は早くも退散。

最初からジャンボフランクフルトに目を奪われ 食べる。

昼ご飯を食べてきたばっかりだというのに ご満悦。


すべり台も楽しいんですが

メイン会場入り口ふきんの坂にあった「八甲田丸」なる船

これ 子供たちに大人気だったよ。

雪像を黙って見るより

みんな 登ったり体験できるものが好きなんだ。

ぜひ メイン会場にこれを!


昨日だったか 本屋に行ったら

白洲次郎『プリンシプルのない日本』という本と目が合い

「プリンシプルのない」という言葉に 「あ」

あの 白いTシャツにジーパンで イカした格好

気になる。

さっき NHKで白洲次郎のドラマが入ると宣伝が。

いま私は 白洲次郎の風。

まず1回目は 2月28日(土) 9時から。

NHKのホームページによると 

英国仕込みの紳士道をプリンシプルと呼び、日本で初めてジーンズを履き、近年「日本一カッコいい男」と呼ばれ、注目を浴びている真のリベラリスト白洲次郎。

辞典には principle  信条 主義とあるね。


& ちょっと前に 手塚治虫『ブッダ』を読んだせいか

本屋に行くたび 『アドルフに告ぐ』と目が合う。

「アドルフ」とは ただならぬタイトルだなと

ヒットラーに 何を告げるのか?

3月には トム・クルーズ『ワルキューレ

“Mamma Mia!”の前に予告が入り これもヒットラーつながり

国のためではなく 良心のために戦うとして

ヒットラー暗殺計画「ワルキューレ」を遂行するという話

良心のために戦う これも一つのprincipleじゃなかろうか?


「集団は 月が近づいたとき 世界の飢餓の記憶など 独自の記憶を持っている。集団そのものの歴史の記憶 たとえば 破壊 戦争 移民 憎悪 恐怖の感情 これらは 関係しあっている。P79-80

宗教とは 集団感情であり これは教会の神父たちによってはっきりと理解されている。…群衆とは 単純に集団であるが 人間単位の性質によって群衆の性質を判断しようとすると 人間を細胞単位の研究によって理解しようとするのと同じくらい確実に失敗する。

戦争の間 われわれはおそらく世界の歴史における最大の集団を抱えた。もしわれわれが より大きな単位の研究を捧げることができれば 集団行動の可能性を判断し 集団の変わりやすい性質を予測できるだろう。

フン族によるヨーロッパ侵略について 人間単位には説明をつけられない。フン族は 一夜にして破壊集団と化し 別の世代には再び羊飼いになったが タタール人に侵略された。我々は マヤ族が突然移動したわけを 人間単位の中に見つけられない。アッティラやチンギス・ハーンも同様に移動したというが 彼らは単に運動の代弁者だっただけである。ヒットラーは ドイツにおいて集団を作ったのではなく 単にそれを解釈しただけである

さて 人間単位の無意識には キーとなっているメカニズムがある。ユングはそれを第三者と呼ぶ。それは 集団のてっぺんに挿入された差込みであり その時人間は 集団における個単位のアイデンティティを失う。」P80(Steinbeck A Life in Letters)


Hitler did not create the present phalanx in Germany, he merely interprets it.P80

ヒットラーは ドイツで集団を作ったのではなく  単に集団(感情)を解釈しただけ

それが あの出来事の引金になった と。

つまり 一人ひとりが 自分の中にある「独裁者」を認識することが大事だ

みんながやっているから 命令されたから ではなくて

本当に自分がやりたいことかどうかを考えろと

それが principleか?


4月には 県立美術館で「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展

とても楽しみです。

半径50キロ圏内で 大いに楽しむ…

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2009/02/09

Mamma Mia!

マンマ・ミーア見てきたよー

期せずして1000円だった ラッキーshine

ミュージカルであり コメディだね。

ダンシング・クイーンのシーン

意外と早い段階で出てきました。

家事や日々の労苦などを投げ打って

老いも若きも すべての女性が歌って踊る。

Have your time of your life 心から楽しめと!


しかし ピアース・ブロスナン 

しばらく見ないうちに 老けだな…

(けやぐ?)

ジェームズ・ボンドをやめて はじけた感じ。

彼もコリン・ファースも みんな歌って踊る。

これだけですごいシーンだ。

とにかく笑えて元気が出ます。

日頃がんばってる女性のみなさんも 見てみへ~


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帰りに クロック・ムッシュ めがったよ。

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2009/02/02

あきらめません 勝つまではnote

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また一つ行事が終わって ホッと一息。


月曜日は 自分の日。

今日は美容院へ。

帰りにお茶をして HOME WORKSっと。

そこで靴下を買い 中三でお遣い物を買って お帰り。

靴下にすぐ穴が開く人です。

もう1シーズンで 何足履くのかわからん。


『ナルニア王国物語 カスピアン王子の角笛』

映画館で以来 久しぶりに見てみる。

ピーター役のWilliam Moseleyくん かっこええのう。

映画を見たときは 

敵ミラースとの一騎討ちがかっこいいと思っていた。

自宅鑑賞では それより 

溺れた人を救うために飛び込むところが ツボにヒット。

果敢に!スピーディに!かっこよすぎる~heart01

よだれが…


『マンマ・ミーア』これも 見に行こう。

なんといっても メリル・ストリープだから。

楽しみだなあ。


しかし いろんなことがあるもんです。

最大限の楽しみを実行して 正常な自分を保つ。

負けるか~ッ

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2008/11/18

できれば映画は娯楽として楽しみたい

よ 元気ー

ビデオを2本見たどー。

潜水服は蝶の夢を見る』あんど

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

方やお仏蘭西 方やアメーリカ

毛色の違うこの2作品 面白く鑑賞いたしやした。


『潜水服…』は 実話に基づくもので

ELLEの編集長をしていた主人公は 公私共に充実していたが 

脳梗塞で倒れて全身が麻痺し 片目しか利かなくなってしまう。

瞬きで意思表示することを覚えて 本を出版するまでの経緯が語られる。

妻 3人の子供 父親 友人たち 愛人 といった

それまでの自分の周囲の人間との関係を見直したり

言語療法士とのやりとりで 少しずつお互いに歩み寄り 成長していく姿が

じわじわと良かったね。

昏睡から目覚めたところから始まるんだけど

途中まで 主人公の目線と 心の独白で語られていく。

彼が瞬きをすると 画面も瞬き 泣くと画面もにじむ。

動けないししゃべれない という状況を 

聴衆が追体験するようなやり方が とてもツライ。

しばらくの間 この人がどういう状態なのかを見せず

途中 いきなり客観的な視点から見せられると

ああ こんな状態だったのか… と絶句してしまう。

ただ普通に歩いて しゃべれて 食べられるだけで

本当はかなり幸せなんだよな と 思わざるをえない作品です。


でも さすが愛人がいた業界の人間らしく

いい女が来ると 病院の人間だろうが誰だろうが

胸の谷間や太ももに目線がいくあたりが笑える。

語りのユーモアにも 救われます。


『チャーリー…』はですね これも実話に基づく映画だそうで

下院議員のチャーリーさんが しょっぱなから

由実かおるのお風呂シーンか 

はたまたサスペンス劇場によくある サービスのお風呂シーンか

ジャグジーで ストリップ嬢たちと戯れるところから始まります。

そういう きわどいこともやりながら

80年代におけるアフガニスタンの危機的状況を救おうと立ち上がる。

テンポもよく展開も速いので 娯楽映画として楽しめる。


これまでにアメリカ映画を見る機会が圧倒的に多いので よく思うのだが

旧ソ連軍をやっつけて アメリカが世界をよくしているんだという傲慢な態度

情報が一方的過ぎて 腑に落ちない。

ソ連側から撮るべき『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』があるはずだ。

それと 議員が予算をまわすのもまわさないも 人の気持ちのさじ加減一つ

この映画の中盤に出てくるチェスのシーンのように

アフガニスタンの人々やアメリカ兵 ソ連兵という駒を

誰かが チェス盤の上で自由自在に動かして

勝った負けたと一喜一憂している そんなふうに思われた。

というわけで 納得がいかない映画の一つにランクインです。

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2008/10/28

名もなき日々

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どーもー。


藤原新一『黄泉の犬』の中で

「アメリカがそうだな。あんなに暗く寂しい国はない。だからあんなに明るい。私はこれまでいろいろな民族を見てきたが この地球上で一番明るくて寂しい人類を見たのはカリフォルニアのディズニーランドの野外舞台で踊っていたエアロビクスのインストラクターだね。」P100

とあるが

躁状態と鬱状態は常に隣り合わせ

明るくふるまった後は 過剰に暗くなる。

「明るすぎるのはうつ病の前駆症状」「明るかった分だけ落ち込むんです。」(100)

そうそう どーんとね。

そうやって 心がバランスを取ろうとする。

だから 動いた後は静かに過ごすのがよい。


というわけでもないが 本を読む。

今パラパラとめくっている本は

岩宮恵子『思春期を巡る冒険-心理療法と村上春樹の世界』
村上春樹 河合隼雄『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』
ジェラルド・G・ジャンポルスキー著 大内博訳『ゆるすということ』

どれも去年買った本。

特に『村上春樹…』は 知人が『ノルウェイの森』を読んだ と言っていたので

また気になって 見ているらしい。


目に付いた箇所を拾ってみる。

「殺すことによって癒される人

村上 僕はいまゲイリー・ギルモアという実在のアメリカの連続殺人者の物語(のようなもの)『心臓を貫かれて』を訳したのですが この人はまさにそうだった。作者(ゲイリーの弟)は 彼がどのようにして殺人者になったというプロセスを 百五十年前の先祖にまでさかのぼって 書き起こして検証しているのですが これを読むと『人間の心というのは このような遠い縁にまで追いつめられてしまうものか』と深く考え込んでしまうくらいのはげしい説得力があります。ものすごい本です。」(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』P170-1)

この『心臓を貫かれて』という本 読んでみたいと思う。


その人間を決めるのは血縁ではなく 行為だ

つまり 「資質ではなく選択だ」

というのが

あらゆる宗教の経典や神話 古典文芸が伝えるところ。

ハリー・ポッターも

敵ヴォルデモートと同じ資質を持っていることを案じて

校長先生に相談するよね。

先生は その人間が何たるかを決めるのは資質ではない 選択だ

と言う。


村上春樹が書いてあることを読むかぎり

ゲイリー・ギルモアという人は 血と環境によって殺人者になった

ということだろうか。


これまでそうやって生きてきたからといって

これからもそのままでなくともよい という行為の選択

言うは易いが なかなかできそうでできるものではない…。


ま いーか ←いい加減

たんげも髪伸びだはんで じゃんぼ刈ってくるじゃ。

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2008/09/17

The Lord of the Rings Ⅲ 王の帰還” やるべきは自分のこと

ども お元気ですか?

ここ最近 今日のメッセージだ と思うことが 

本当にたくさんありました。


まず

ロードオブザリング The Lord of the Rings1・2・3を通して見て

今 世界がまさに悪サウロンの手に落ちようとしているにも関わらず

覇権争いをしている者は 必然的に滅びる 

ということ


ゴンドールの執政(実質的な国王)デソネールは 統治に行き詰まり

長男ボロミアに 指輪を持ち帰るよう命じる(原作)。

ボロミアは 指輪に魅了されたが何とか思いとどまったものの

その後の戦いで死に

デソネールは狂気に陥って自滅する。


この二人には 全体的な視野が欠けている。

今 世界が滅びに瀕しているのに 自分のことで頭がいっぱい

同じことが今のこの時代にも起こっていて

半径1・2mで起こった出来事に翻弄され

だれそれさんが こう言った ニクイ ムキーッ

自分の思い通りにならない キーッ

と言っているうちに 地球がとんでもないことになっている

のか…?!


そして 数々の困難をくぐりぬけて 指輪を火山に投げ入れ

世界を悪から救う

そういう最も危険なことを

それまで冒険の一つもしたことのない 平和な一村に住んでいた

ごくふつうの一青年が成し遂げるのを見て

実は そういう世界をも救う行為というのは

自分とかけ離れた存在 英雄が行うのではなくて

一人ひとりの手にかかっているんだよ

「誰かがやる」んじゃなくて 「みんながやる」んだよ

と 言っているように思われた。

体の小さなホビット族に そういう大役を担わせたのは

自分ひとりが頑張ってもムダ 

ではなくて

小さな存在の一人ひとりがやらなくては 絶対に成就しない

ということを示しているように感じる。


あとは

知人で 同年代の方が亡くなったのですが

ほんとに いつどこで何があるかわからないなと

つくづく。

子供を残していかなければならない無念さ というか

今こうして 何にも支障なく生活していることのありがたさ とか

いろんなことを家族で考えさせられた。


自分がもし 明日にでもここからいなくなるとしたら

もう別に 何に腹を立てても 嘆いてもしょうがないじゃないかと。

ささいな諍いに気をとられるより

大切だと思うことに一生懸命没頭したほうが よっぽどいい。

かまっていられない。


周囲に対して腹がたったら

その時は 相手に照準が合っているからであって

やるべきことは 自分のこと

自分がこうだと思ったことをやれば それをもし全員がやれば

物事は為る。


映画の中では ホビット族 エルフ族 ドワーフ族 魔法使い 人間

その他 ゴースト 木 など 種族を超えて 一人ひとりが戦い

敵の圧倒的な数におののきながらも

最後の一瞬まであきらめず その場に踏みとどまろうとする。

その時 同胞を鼓舞しようとする アラゴルン(滅亡した北方王国アルノール王家の子孫)

のセリフが秀逸です。どぞ。

A day may come when the courage of men fails when we forsake our friends and break all bonds of fellowship. But it is not this day. ... This day we fight!

人間の勇気がくじけて 友を見捨てる日がくるかも知れぬ。しかし今日ではない。…今日は戦う日だ!

The Lord of the Rings-The Return of the King

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2008/09/08

『ミルコのひかり』

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レンタル屋に入ったら 

ミルコのひかり』のジャケットに引き寄せられるように

ふらふら~っと。


イタリア映画ですね。

『ニュー・シネマ・パラダイス』も好きですが

この映画も いいな。

『ライフ・イズ・ビューティフル』とか 

心に残るものがイタリア映画にはあるね。

1971年イタリア、トスカーナ。映画をこよなく愛する10歳の少年ミルコは、不慮の事故によって両眼の視力を失ってしまう。当時のイタリアでは盲目の子供が通常の教育を受けることが許されなかったため、ミルコは両親と離れ全寮制の盲学校へ転校させられる。自分の目が見えないことが受け入れられず心を閉ざすミルコは、ある日、古ぼけた一台のテープレコーダーを見つける。そこで知った音との出合いが、彼に新しい世界をもたらしていく。

彼の優れた聴力に気がついた担任の神父やお転婆な少女に助けられながら、古い規律を重んじる学校側の圧力にも屈せずにミルコはある行動を起こす。やがて彼の自由を信じる気持ちが閉ざされた世界に留まっていたクラスメイトたちにも夢と希望を与え、周囲の人々や世論をも突き動かしていく‥‥。

これは実話であり

いまや主人公はミルコは 

イタリア映画界の第一線で活躍する音楽家 サウンド・デザイナー

なのだそうです。


目が見えなくなったことをなかなか受け入れられないミルコは

みんなと同じように 点字を打って作文を書いたせず

反抗的な態度をとる。

ここで 盲学校の先生 ジュリオ神父との出会いがあるんだけど

先生はだめだと言わないで 忍耐強く接する。

やりたいことを見つけて 少しずつはみ出ていくミルコを

先生は陰ながら応援する。


ミルコを応援してくれる人がどんどん増えていく中

最後の壁が校長先生で

自らも盲目の校長は かたくなに心を閉ざしている。

手に職をつけない盲人に未来はない との一点張りで

厳しい規律を重んじる校長先生に

ジュリオ神父は 次第に疑問を感じるようになる。


「誰のための学校なのか?」

と 用務員の女性に思い余って尋ねると

「誰かを怒らせてでも 思ったことは口に出さないと誰も気づかない。」

と 背中を押される。

その後の展開が 見物です ぜひご覧下さい。


「誰かを怒らせてでも 通さねばならないことがある」

いい子で波風立たせず ひっそり生きてちゃあかん と。

いわせていただきやす。

↑十分通してますから~

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2008/08/26

The Lord of the Rings

ふたたび『指輪物語』The Lord of the Ringsを見ています。

イライジャ・ウッド 色白で端正な顔立ちだねえ…うっとりlovely


1作目 “The Fellowship of the Ring”旅の仲間では

世界を支配する指輪を 

その造り主で持ち主であった闇の冥王サウロンの手から守り

火山に投げ込んで壊すため

ホビットのフロドが 前途多難な旅に出かけますrun


程度の差はあっても指輪を見た全ての者が 

その権力への魅力にすぐ誘惑され

「ちょっとでいいから触らせてくれ」

「自分なら いいことに使う」

などと言って

ものすごい形相で凶暴になり 力ずくで奪おうとしたりと 

とんでもない行動にでます。

その一瞬の迷い 誘惑されたときの態度と表情がヒジョーに恐ろしい。

正気に戻ろうと努めたり また周囲の人間の説得によって

目が覚めるのですが

人間なら誰でも そういう一面がある ということ

鏡を見ているようで いや~な気分になる。

でも 原作者のトールキンは

迷うのは普通の人間で

でも 葛藤しながらも手放せることが大事だ

と言っているんじゃないかね…。


フロドは 指輪を持っていながら けっこう「つけっと」している。

魔法使いガンダルフは 初めから指輪を拒否している。

きっとこの人は ユング心理学でいうところの「老賢人」だ。

誘惑に負けることを知っていて 近くに寄らない。

自分が指輪を持ったら はめて世界一周の旅に出ます。せばな~paper

↑わかりやすい


「あらゆる種族のうち 人間が最も権力を欲しがり

安きにつくのもまた人間の常である」

と 物語の冒頭に出てくる。

もともと この指輪をサウロンから奪って 壊すチャンスがあったのに

それができなかったのは 

イシルドゥアという人間が 権力の誘惑に負けて指輪を持ち帰ったから。 

指輪を拒むことができる というのは

とても勇気のいること だね。


サウロンの手先に次々とやられ 仲間を失っていくと

次第にフロドは 旅に出たことを後悔し始めます。

「指輪が自分の元にこなければよかったのに。

こんなことが起こらなければよかったのに。」

I wish the Ring had never come to me.

I wish none of this had happened.


そこで ガンダルフが次のように励ますのですが

闇の冥王 とまではいかなくても

日々奮闘しているあなたへ この言葉を贈りますheart

「つらい目に遭うと皆 そう思うが どうにもならん

それより今 自分が 何をすべきかを考えることだ。」(字幕通り)

So do all who live to see such times but that is not for them to decide.

All you have to do is what to do with the time that is given to you.

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2008/07/21

ポニョってきた

家族で『崖の上のポニョ』を見てきた。

予想外だった。


これまでのジブリの映画から選ぶとすると

今回は トトロ系 とでもいいましょうか

子供の想像力ワールド炸裂です。

登場人物の風貌や 海の底の現実離れした世界が

ハウルと ハウルの部屋の支離滅裂感を彷彿とさせる。

ちっこい車でスピードを出して飛ばすあたりが

ルパンぽくもある。

タッチが 色鉛筆なのも意外。

海も 単なる写実的な海ではなくて

デフォルメといいますか マンガチックで 笑えます。


詳しい内容は 見ていただくことにして

「海に棲むさかなの子ポニョが 人間の宗介と一緒に逝きたいと我儘を貫き通す物語。…アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し キリスト教色を払拭して 幼い子供達の愛と冒険を描く。海辺の小さな町と崖の上の一軒家。少ない登場人物。いきもののような海。魔法が平然と姿を現す世界。誰もが意識下深くに持つ内なる海と 波立つ外なる外洋が通じ合う。…少年と少女 愛と責任 海と生命 これ等初源に属するものをためらわずに描いて 神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」

チラシでは そういう前フリだった。

でも 「内なる海と外なる外洋」という深い意味は

1回見ただけではぜんぜん読み取れなかった。

「神経症と不安の時代に立ち向かおう」というところも

いまひとつ 自分の頭ではわからなかった。

しかし 保育園と養老院が隣り合わせになっているあたりが

宮崎駿が何かを言わんとしているポイントのように感じられた。


海の中の生物が浮遊している映像が 

とても宇宙的なのにびっくりした。

微生物のかたちって ある意味宇宙人ぽいし

動きが緩慢で 宇宙遊泳しているように見える。

水の中では 肉体の制限を越えて

老人も子供も 同じスピードになる というのが面白い。

老人と子供が同等の目線で描かれているし

親と子供も対等で どっちが親かわからないような場面もある。


などと 非常に断片的な感想になってしまった。


子供は 画面の様子に 手を叩いて喜んだり笑ったり

とても楽しんでいた様子だった。

いがったいがった。

会場の子供たちは ウケるところは一斉にウけ

感想を言ったりなんかして 素直に感情を表現していた。

別にうんちくなど どうでもよい。たのしけりゃ それで。


ポニョって かわいいよ。

後ろに座っていた子供がなんどか

「ポニョポニョ」

と 言っていた。

ポニョじゃなくて ポニョポニョ なのね 笑

ポニョのお父さんの声が 所ジョージなのも良い。

ワーナーマイカルシネマズ内2会場に分かれて上映したが

そのわりに 混んでいなかった。

ぴちぴちにならないように 配慮しているのかもしれない。

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2008/06/18

駿な朝めし

むずむずむず

「まり通信」のまりさん 

パズーな朝めし」って!

聞き逃せないメニューです。


ちなみに我が家の息子は

「ハウルな朝めし」にはまっていて ずーっとこればっかり。

(ちなみに ベーコンと目玉焼き)

さしずめ コナンな朝めしは「生魚」

トトロな朝ごはんは「ご飯みそ汁メザシ」

てとこでしょうか…。


マニアな話題で すみません。

↑どうしてもつっこみたかった


でもこの「パズーな朝めし」 子供の頃 母が見ていた雑誌

おそらく『私の部屋』とか『美しい部屋』といった類か

それに外国の一コマとして載っていて

「ステキ!」と感激して 自分で作った覚えがあります。

まあ パンに目玉焼き ありがちではありますが…


あと 何年か前に見た映画で

食パンを丸くくりぬき その中に卵を落として焼いたのが出ていたね。

これも まねしてみたよ。

ハートにしても かわいいかもしれない。


明日の朝はパズーで決まりだね。

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2008/06/09

『スター・ウォーズ エピソード4』フォースと宇宙意識 2

「宇宙意識」とは ラズロー博士によればこうである。

The field of cosmic consciousness they experience is a cosmic emptiness-a void. Yet, paradoxically it is also an essential fullness. Although it does not feature anything in a concretely manifest form, it contains all of existence in potential. The vacuum they experience is a plenum: nothing is missing in it. It is the ultimate source of existence, the cradle of all being. It is pregnant with the possibility of everything there is(ErvinLazlo Science and the Akashic Field --An integral Theory of EverythingP155).

(前述の)彼らが体験した宇宙意識とは 宇宙の空白「真空」である。しかしながら 逆説的にそれは本質的な充満でもある。だが それを具体的にはっきりとした形で特徴付けることはできない。彼らが体験した真空は充満であり すべてのものを生み出す場である。そこにあるすべてのものの発展の可能性を宿している(アーヴィン・ラズロー『叡知の海・宇宙―物質・生命・意識の統合理論をもとめて』P155。


「スター・ウォーズ」で言うところの 

「宇宙に満ちていて 私たちを取り囲み つなげているフォース」と

かなり近いんじゃないかと。


それは身近なところで 「気」という言葉に言い換えられるかもしれない。


この引用部分の直後に 

「Basically, the same kind of experience is recounted by people who practice yoga and other forms of deep meditation. 実は同じような体験が ヨガや他の深い瞑想をする人々によって詳しく語られるP155。」

と述べられている。

「自分が自分が」というエゴの声を聞き分け いまの自分の状態を客観視でき

自己が他と同化する状態を引き起こす「瞑想」だが

それは 呼吸を整えることで 地球の自転と同調するからだ とどっかで読んだっけ。

自他との境があいまいになって 

相手が自分に 自分が相手になる という体験は

ユングが 幼少のころに体験した 

「石に座っているのが自分なのか 座っている石が自分なのか わからなくなった」
 
という状態に近いようにも思う。


「スター・ウォーズ」モードに入った私は

エピソード4・5 と見て 

ずっと見てなかった完結編エピソード3を やっとこさ見た。

この章では 穴禁 (変換がこうなった)

アナキンがいかにしてダース・ベイダーになったのか という経緯が語られるのだけど

かわいそすぎる。哀れんでしもうた。

このままで一日が終われるか!と思い

アナキンの息子 ルークが暗黒面から父親を救うエピソード6を見て ホッとした。

「スター・ウォーズ」って ある意味「アナキン物語」だな。


それにしても アナキン役 ヘイデン・クリステンセン

「森泉」入っちゅう。くりそつです。

ちなみにこの珍しいお名前 

お父さんがデンマーク系カナダ人だから だそーです。


せば!

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2008/06/07

『スター・ウォーズ エピソード4』フォースと宇宙意識

さっそくスター・ウォーズ エピソード4を見た。

11年ぶり。

公開20周年記念のときに作られた特別篇だが

最新鋭の技術でCG処理をした と言ってから11年も経ってしまった。

始まりのところなんか「こんなんだったっけ?!」と思うくらい

まるで初めてだった。


いま インディー・ジョーンズが20年ぶりで続編が公開されようとしているが

劇場予告を見たら さすがに時の流れを感じましてね。

いまハリソン・フォードは 65歳だそうだ。

ということは スター・ウォーズ公開当時 34歳!

いつのまにか とっくに追い越していた…。やっぱり若いよ。

ナルニアの面々も 30年経っても映像はあのままのため

ウィリアムくん ずいぶんわげがったな… ということになりそうだ。

誰でも年はとるわけで

シルベスタ・スタローンもハリソン・フォードも 

あの手この手でアンチエイジングを図っているのが見て取れるが

もう無理することないのに…と思ってしまう。痛々しい。

↑安っぽい同情

いや 本人がやりたきゃやるしかないんだが。

年齢を重ねると 若い時のようには行かないのが普通だから

オードリー・ヘップバーンが 晩年ボランティアに献身したように

過去の栄光にすがるより 違う価値観に目覚める必要がある

と 思わせられる。


さてさて 肝心のスター・ウォーズ

主人公のルーク・スカイウォーカーは 平凡な暮らしに飽き飽きしていた。

帝国軍の反乱分子である あの3POとR2というドロイド(ロボット)が流れ着き

帝国要塞の地図を オビ・ワン・ケノービに渡す任務を遂行しに来る。

これらのドロイドを買ったルークは 彼らに巻き込まれていく。

ルークの父親は 優秀なジェダイの騎士であったが

養育者のおじとおばは その気質が本人にも十分にあることを知っていた。

だが ただ優秀なだけではなかったことが二人の言動から匂わせられ

ルークが危険な道を歩むことになるのを恐れて 父親が騎士であったことを隠し

平凡な暮らしを彼に強制していたのだった。

オビ・ワンに会うことによって ルークの本来の性質が発揮され

「フォース」という力に目覚めていく。

そんなかんじー。


この「フォース」という力の定義 セリフではこうなっています。 

「フォースは ジェダイの力の根源であり 生命体が作り出すエネルギーの場である。われわれを取り囲み 宇宙を結びつけている。」

“The force gives the Jedi power. It's the energy field created by all living things surrounds us. It penetrates and binds the galaxy together. ”

まるで『賢者の石』だよ。以前は完全に流して聞いてた。

そんで 昨日なぜか たまたまめくっていた本に

同じような定義をしているものがあったんだけど

フォースって 「宇宙の意識」なんじゃないか と。


つづく

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2008/06/06

気になるタムナスさん

ここ一週間 ナルニア王国(DVD)に頻繁に出入りしてまして

かなりお熱です(死語)。

1章「魔女とライオン」に出てくる フォーンという半人半獣 タムナスさん

なかなか重要な人物なのですが

裸に赤い毛糸のマフラーを巻いています。

いざ「白い魔女」軍団と戦うという時になり

タムナスさんは なんと果敢にも「丸腰」で敵軍へ突入!

オーッと!何度見ても ハラハラするぜー

タムナスさん 裸マフラーはいいから 

お願いだから 何か鎧の一つでもつけて…

武器も持たずに だいじょうぶかよ~


物語の最後で 彼は 4兄妹に戴冠する役目をするのだけど

戴冠の儀式という正式な場とあって

赤いマフラーを 緑色の上等なベルベットらしきマフラーに替える。

そこは抜かりがないのね。


この戴冠式の場面を見ると

「スターウォーズ エピソード4」の最後に出てくる

メダル授与のシーンを思い出す。

チューバッカという 「フガー」としか言わない人物(動物というべきか)や

色々な宇宙人が出てくるのを見ていると

ナルニアのドワーフ フォーン 野生動物といったキャラクターを彷彿とするしね。

ジョージ・ルーカスが 

神話学者のジョセフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』を参考にして映画を作った

とか

黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』を参考にした

ということが知られているが

今回そんなことを思った。

また スター・ウォーズでも見てみるか…

A long time ago in the galaxy far, far away...

     STAR WARS

チャーン パパパパーン パパパーン

せば!

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2008/06/03

ナルニア王国物語「カスピアン王子の角笛」

見た。

第一章「ライオンと魔女」よりもまたかっこいい戦闘シーンがあり

よだれが…


前作で ナルニア王国を100年間冬に閉じ込めていた白い魔女を破り

ペベンシー兄妹4人は 現代のロンドンに戻った。

1300年後 戦闘民族テルマール人に滅ぼされた王国は廃墟となった。

テルマール人であるカスピアン王子が 王位継承をめぐり命をねらわれ

古より伝わる角笛を吹き 兄妹はまた王国へと呼び寄せられる。


アクションのシーンも見物だが やはりストーリーが面白い。

この次どうなるんだろう?もっと見たい という気にさせられる。

そして 魔女 ドワーフ 森の木 動物も人間のように話すあたりが

『指輪物語』を彷彿とするのだった。


今回 カスピアン王子の役をやるベン・バーンズ

うーん濁点が多い

4兄妹が典型的なイギリス人の顔であるのに対して

イギリス人+精悍な顔つきを求めてオーディションを行ったそうで

これまたいい男です。


が わたしは俄然ウィリアム・モーズリー派です。

そんなこと 私に言われたくないだろうが…

長男ピーター役のモーズリー君 今回も長い一騎打ちの場面があり

ここだけ100回くらい見たい。

いや10回 1回でも…


でも 彼の普段の髪型 9:1くらいの かなり極端な分け方なんだよね。

この髪型が似合うのは 彼ぐらいじゃなかろうか。

もし 薄くなったら9:1はやめて欲しい。

すだれ満月…


あと「ハリー・ポッター」で ロン役をやっている

ルパート・グリントと映っている写真を見つけて

ナルニアVSハリー・ポッターの構図を垣間見た気がした。

(いや 仲睦まじそうだった)


今回の「カスピアン王子」で 長男と長女役がおさらばするそうだ。

ナルニア王国は 大人が入れない場所 という設定らしい。

ネバーランドみたいだな。

残念だ…

DVDが出たら 死ぬほど見よ~っと。

せば!

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2008/05/23

200805171237000
いろいろと日々みなさんと話す中で たくさん発見があります。

気づいたことを つれづれと。


自分がこういう人なんだ とさらけ出すことによって

離れていく人があるかもしれない

そういう恐れは だれにでも 多少なりあると思います。でも

「自分が生き方を変えることによって 今まで親しかった人が離れていく

それは別に悲しむべきことではない 本当に必要な人は 留まる」

と 『人生の転機』(キャロル・アドリエンヌ)で言っているように

全てが悪いことではなさそうです。


本当の自分と向き合うことって 恐ろしいですね。

他人を悪者にして自分が悪くないことにしたい 逃げようとしている自分 

つい先日 そういう自分に改めて気がついて 胃が痛くなりました。

「人生にどんなことが自分に起きるか」

ではなくて

「起こったことに対して 自分がどう反応するか」

それが大事なのだそうです。

直接謝ったほうがもちろんいいのですが そういう勇気も機会もないので

自分を奮い立たせて 謝るために紙にしたためることにしました。

その結果 相手に嫌われたとしても しょうがないな と

いい意味で 開き直りました。


ポストに手紙を入れた瞬間 胸のつかえがとれたように感じました。


いつも 自分の外側に原因があるのではなく 自分の内側に答えがある。

『スター・ウォーズ』の中で 主人公ルークが

敵ダース・ベーダーが父親であることを知り 苦しみます。

そんな苦悶する中 父親を倒すところを想像する場面がある。

戦って倒れたダース・ベーダーのマスクがとれると 

それはなんと 自分なのでした。


「ついに本当の敵がわかった。それは 自分自身だ

(Now I found my real enemy. It is me , myself.」

(ジェラルド・G・ジャンポルスキー『ゆるすということ』Gerald G. Jampolsky “Forgiveness” THE GREATSET HEALER OF ALL P123)

どこまでできるかわかりませんが とりあえず

「あなたが抵抗するものが存在し続ける(It will exist what you resist.)。 」

というユングの言葉通り 自分と向き合うことにしませう。


ダース・ベーダー だすー

せば!

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2008/05/22

『崖の上のポニョ』と毎日の暮らし

「ポニョ」のチラシをもらったら こんなことが書いてあった。

「海に棲むさかなの子ポニョが 人間の宗介と一緒に逝きたいと我儘を貫き通す物語。…アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し キリスト教色を払拭して 幼い子供達の愛と冒険を描く。

海辺の小さな町と崖の上の一軒家。少ない登場人物。いきもののような海。魔法が平然と姿を現す世界。誰もが意識下深くに持つ内なる海と 波立つ外なる外洋が通じ合う。

…少年と少女 愛と責任 海と生命 これ等初源に属するものをためらわずに描いて 神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」

これは 宮崎駿監督が ポニョの舞台背景を表したものだが

宗教色を払拭する 意識下の海 神経症の時代というキーワードが 

自分にヒットする。


先の「ナルニア」 あれは聖書を下地に作られたものだとされていて

見ようによっては原理主義的だととる人もいるらしい。


ゲンリシュギって なんだべ?


宗教上の原典を絶対視する主張・態度を指す用語だそーだ。

「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の監督が言っていたが

魔法省や 現職の校長と取って代わったアンブリッジの動きは

「これ以外の考え方は受け入れない」とする原理主義的な動きであり

自分の考えだけが正しいのだという 

現代にも見え隠れする病理を暗に表している とのこと。


でもね

宗教の経典は 一人の人間が主張したものではなく

何代にも渡る人類の意識下にあるものが総決算されたもの。

宗教に描かれている象徴 主題 は 洋の東西を越えて共通している。

そして 神経症の患者たちが見る幻影には

その宗教の象徴・主題と一致するものが多い。

普段私たちが起きている時の意識とは別の次元にある

「変性意識」「右脳体験」といったものは

人種を超えて一致してるよな と いつも思わされる。

わんだぢの文化はこうだ おらほ一番 といった差別 それが争いを生む 

「いかに違うのか」ではなく 「いかに私たちが同じなのか」

その「つながり」を見たい。


むかし日本がロシアやトルコの難破船を助けて

未だに彼らが親日家であるのを見ると

敵か味方か という違いよりも 同じ人間じゃないか という共通意識が

連帯を育んでいるように思う。

そういう姿を見ると いま必要なのは「これだな」と思うのです。

毎日の暮らしの中で起きる ささいないさかいから 

生死を隔てる天災が起こっている世界を見渡しても。


「私たちのつながり」それをどう描くのか ポニョに期待している。


ポニョポニョポニョ さかなのこ♪


せば!

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2008/05/19

お気に入り 3 筋肉の躍動

昨日 テレビで『ナルニア王国物語』見ましたー。

C.S.ルイス原作の大ベストセラーを本格的に映画化したシリーズ第1作。第二次大戦下のイギリスで、ペベンシーの4兄弟姉妹が、疎開先の屋敷の洋服ダンスから、異世界の「ナルニア」へ入ってしまう。白い魔女によって100年の冬を強いられたナルニアで、彼らが英雄となるまでを、壮大なスケールと、めくるめく映像で展開していく。(Amazonより)

これまで見たことなかったのですが

どれー テレビさ 入るんだば 見でみるが 

と 思って。

やはり『ハリー・ポッター』以来 ファンタジーブームなんすかね。

『指輪物語』 『ゲド戦記』 『ナルニア王国物語』。

映画を見ていて 『指輪物語』みたいだな と思うシーンがあった。

指輪物語 J・R・R・トールキン と

ナルニア王国物語 C・S・ルイスは 親友だった とのことだよ。

フムフム。


『ナルニア』は7章まであり 

昨日の映画は「ライオンと魔女」というものだった。

4人の兄弟姉妹が ワードローブの中から ナルニア王国という異界へ入り

白い魔女に魅了された次兄を取り戻し 王国を救うべく 奔走する。

戦いのシーンがすごく迫力があって

白い魔女と一番上の兄貴の一騎打ちに もーうっとりdog

「かっこいい~!」

人間てさ 黙っている写真を見てかっこいいとかステキというより

ダンスとか スポーツとか動いている姿 だよな。

だから 筋肉番付とか(笑) バレエダンサーとか 田臥くんとかさ。

モデルとかにイマイチピンとこない。

モデルさんたちは 私にそんなこと言われたくないと思うけどさ。

わっはっは


5月21日(水) 第2章「カスピアン王子の角笛」公開だそうです。

行くべし。


せば!

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2008/05/04

映画『HERO』と『マジェスティック』

<HERO>

休みが続いているので

珍しくDVDなんかを借りてみる。

旦那が 映画「HERO」を借りたので一緒に見た。

フジテレビが見られていた時代に

ドラマを見ていた名残というべきか…。

今はいいとも スマスマなど リアルタイムでは見られないが

(そもそもあまり見ないが)

地デジの時代がくれば

青森県にテレビ局が2つしかないということで 

「チャンネル2(※現在は3局)」などと小ばかにされたのも

遠い記憶になるであろう…。


今回この映画の予告も何も見ておらず

イ・ビョンホンが出ていて驚く。

↑訳知り顔に書いていますが 別にファンではない

先日 キムタクが週刊誌の見出しで大いに叩かれていたが

何かしたのかしらん。有名人はツライね。

でも キライじゃないよ。

はっけってるシーンで 

キムタクの走り方が自分の走り方にそっくりで また驚く。

X脚というんでしょうか。

後ろに蹴り上げた足が 外側に着地し

女の子が照れながら走っているような 内股走りになる。

子供の頃 この走り方でどんなにバカにされたことか…。

キムタク よくやってくれた。

我が児玉清と大塚寧々が 時の流れを感じさせた。

お互い老けましたな…

お前もな 

(二人からのつっこみ)


今回 松たか子と 松本幸四郎 親子が

敵対する者同士として描かれているのが見物なんでしたね。

タモリも フジテレビがないと 見る機会が少ないから

たんげも久しぶり

↑けやぐかよ

かつて「HERO」の2時間スペシャルが放映されたそうだが 

青森県人として復活していたため 見ていない。 

この映画の前提となる内容らしく 

タモリと中井貴一の役どころが 今ひとつつかめない。

中井貴一はそのドラマスペシャルで 犯人だったそうだが

今は 病気で死を待つのみとなった。

入院先のベッドに 静かに微笑んで座っているんだけど

なんというかね 

髭をたてて白い病院服を着ている風貌と

凛とした佇まいが

今から切腹する侍みたいなんだよね。

なんだ あの存在感は。

お姉さんは元気かしら。


ちょこっと出てくる端役にも 知っている面々が登場して

単純に面白かった。

こういう分かりやすい娯楽映画も よいものだ。


<マジェスティック>

こないだ見た暗~い映画『ミスティック・リバー』に

ティム・ロビンスが出ていたので

前に見た『ショーシャンクの空に』をもう一度見るべと思い

結局 ジム・キャリー主演『マジェスティック』を借りた。

監督が同じらしいので これはいいかも知れんと。 

やっぱし いがったね。

1950年代のハリウッド、新進脚本家ピーター(ジム・キャリー)は、非米活動委員会から共産主義者の疑いをかけられた直後、交通事故で記憶を失い、ある町へとたどりつく。そこで彼は映画館「マジェスティック」館主ハリー(マーティン・ランドー)の息子であり、戦場で行方不明になっていた第2次世界大戦の英雄ルークと間違えられてしまう…。 Amazon

古き良きアメリカの時代背景が好き。

家や車 ファッションや髪型がすごくいい。

全体にあたたか味があるように思う。

エンディングに Nat King Coleの歌が流れてね。

好きだよ~これも。 

ジーン・ケリー『雨にうたえば』(1952)

『エデンの東』(原作1952 映画化1955)

50年代のアメリカには 実に惹かれるものがあります。


ジム・キャリー演じるピートは

川から車ごと転落し 頭を強打 記憶喪失になる。

流れ着いた浜辺で助けられるが 

その町で戦死したとして今だ帰還していない「ルーク」

彼にそっくりだということで大騒ぎになり

そのまま ルークの父親に迎えられ 生活する。

この父親役 マーティン・ランドー いいよ~。

日本人のような顔立ちというかね 親しみを覚える。

息子が帰ってきた と言って大喜びしてね。

映画館を復活させてこれから というときに

急なお別れがくるのだけど

例によって メガネにティッシュをはさんだまま見た。


いつだったか 旦那が借りてきたマンガ本「ドラえもん」で 笑

のび太が 死んだおばあちゃんに タイムマシーンで会いに行き

信じてもらえないかもしれないけど

僕 大きくなったのび太です と言った。

おばあちゃんは「わかってましたよ」と答える。

これ読んだときも メガネティッシュ。

これ 子どものときにも読んだけど また泣ける。

(そのマンガ本は 感動するヤツだけ集めたものだった)


ドラえもんはさておき

ピートが ルークという英雄を通じて

それまで権威や体制に従順だったのが

自分を貫く勇気を得る。

赤狩りの裁判で 裁判官に物申すシーンが見ものです。

だまって言われたとおりに

「共産主義活動をしない」という誓約書を読むか。

それとも自分を貫いて刑務所に入るか という瀬戸際

「ルークだったらこう言うでしょう」

と言って立ち上がる。


余談ですが

淡谷のり子も 戦中に華美な服装をして歌うなと国に言われたが

歌手たるもの 美しくない格好で人前で歌ったところで

夢や希望を与えられない と つっぱったらしい。

これまでにも 「体制」に反抗して自分を通そうとする人を見るたび

心を揺さぶられる思いがする。

「いい子」じゃ いかん というわけだな。


『マジェスティック』の冒頭で 

ジム・キャリーが出てくる店の名前

彼を一躍有名にした映画で出てきた店と同じだった。

ヒッチ・コックをエキストラから探して見つけたような

ジブリの映画の中に 前作のモチーフを見つけて喜ぶような

そんなささやかな楽しみがあるね。


連休万歳

せば!

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2008/04/21

新川田譲監修『心理カウンセラーをめざす人の本』

新川田譲監修『心理カウンセラーをめざす人の本』 成美堂出版 2008/3/20

この本読んでよかった。

いままでずっと 

「心理学に興味がある」

と自覚してはいたものの

いったい どんな種類があるのか

それに興味がある自分は何なのか

字と図で一目瞭然

「こうですよ」

と 見せてくれるような内容になっている。


前にも書いたことがあったけど

どの仕事もそうであるように

人に何かを教える仕事というのも

ただ技術的なことを習得して伝える

それだけでは できないというのが実感です。

一人の人 その日一日あった出来事

教室に来る直前の出来事

家族 友だち 先生 その他

いろいろな関わりの中で教室にきて

「さあ 英会話をやりましょう」

と マニュアルどおりにやろうとしても

まったく進まないこともある。

教育心理学の分野を 一応研修でやりますが

そんなね 一朝一夕にはうまくいかないものです。

生身の人間ですからね。 

その人が態度に見せない心の状態

うれしいのにうれしくない態度をとってしまう とか

そういう 心理的な洞察ができると

私たちは 相手に対して寛容になれる

と 思います。

多少は。


目次はこうなっています。

1.心をケアするってどんな仕事? 2.社会が求めているカウンセラー 3.カウンセリングの基本を学ぼう 4.心理学がわかる基礎用語 5.カウンセラーの仕事の実態 6.カウンセラーへのインタビュー 7.カウンセラーの資格 初級編 8.カウンセラーの資格 上級編 9.知っておくべき心理学の分野いろいろ 10.学会 大学 一覧


10-5分もあれば すぐ読めます。

とても読みやすい字体と内容です。

そして 専門的なことのほかに

コラムが充実している。

ここが書きたかった。

「必見!映画で心理学」というコーナー

これ見てびっくり

これまでに 自分が好んで見てきた映画が

たくさん載っている。

ははーん 心理学的な映画が好きだったのね

と 腑に落ちた次第です。


「ビューティフルマインド」

「グッド・ウィル・ハンティング」

「恋愛小説家」

「息子の部屋」

「普通の人々」

「パッチアダムス」

見たよ見たよ~

「普通の人々」(The Ordinary People)

なんてのは かなり古い映画だよね。

これ 20年くらい前 学生時代に見た。

監督 ロバート・レッドフォード。

ある家族の兄が事故で亡くなり
 
弟が情緒不安定になる。

セラピーを受けるに従って

両親がそれぞれに抱えていた問題が

浮き彫りになる。

この本には

「個人の病理は その家族全体の病理である」

とありますが 

家族の支障が子供に表れる という点は

教育するものが心得ておくべき重要なポイントだ

と感じています。

その子供ひとりが 好きで登校拒否になったり

ひきこもったりするわけではないよね。

その人一人だけが直ればいい

わんだぢは 関係ない

という ご都合主義に

私は強く反対します。

社会の病理も 弱者に表れる という意味で

今のわげ者 なってねー

とか

とんでもない犯罪が起こっているのを見て

「親 悪いんだ」「しつけなってねんだ」

とか

犯人探しをするのも不毛だ。

これは 私たち一人ひとりの問題だ。


つづく

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2008/03/02

「有頂天ホテル」

三谷幸喜作品 見たいと思っていたので

旦那が会社の人から借りてきて ちょうどよかったです。

あらすじや登場人物の説明は 他に任せるとして

これを見て まず

世の中で成功していると思われている人も

実は 舞台の裏では

「もうできない!」

とか

「もうオシマイだ!」

などと叫んで 実際に発狂しているかもしれないな

愛人や隠し子 金 汚職 といった修羅場を

くぐりぬけているんだろうな

と 思った。

小市民には関係のないお話ですがね。フッsmoking

しかしながら

今の等身大の自分を偽って うそをついたり

虚飾しようとするのではなく

人に何を言われてもいいから

やりたいことやれよ

自分がいいと思ったことを かっこ悪くてもやれよ

というのは感じた。


「かっこ悪くてもいいから やりたいことやれ」


せば!

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2008/01/17

自分で選ぼう

先月の末に 髪を切りに行きました。

担当の美容師さんに「グルメさわだ」に行ったことを話したところ

その方が「本当は写真家になりたかったんですよ」と 教えてくれました。

でも 写真の勉強というのは いかにせんお金がかかる

ということで あきらめたのだとか。

今も出かけた先で 写真を撮ったりもするが

ご主人の作品の方が 味があっていいものが撮れる。

自分にはどうも才能がないように思われるのだそうです。

…オドロキました。

その美容師さんは まず腕がいい。

そして こっちの要望を丁寧に聞いて

どういう風にこれから切るか とか

終わった後には これこれこういう風にしました

という かゆいところに手が届く説明をしてくれます。

とても信頼しているので もうこの人以外からは切ってもらいたくない。

ところが 本当は写真家になりたいという夢を抱いていたとはね。

でも 人が 本当にやりたかったことを話すとき

とてもイキイキして見えます。

それがすごく好きでーす。

なので 自分が本当に好きなことをしている人を見たり

その人の体験談を読んだり聞いたりするのが また好きなのです。

その最たるものが 田臥くんであって

文字通り 彼は私の「ヒーロー」なのです。

英雄は 一生聖杯に手が届かないが

その目指す高みに向かって努力していること自体が

聖杯そのものなのです。

たとえ 認められなくても。 


ジブリの映画に 『耳をすませば』 というのがありますね。

高校受験を控えた主人公の雫(しずく)は

進路を決めるときに 自分の本当にやりたい「作家」か

それとも 普通に高校へ行って大学へ進む道を選ぶかで 揺れ動く。

好きになった男の子が 自分のやりたいバイオリン作りを進路に決め

イタリアに下見に行ってしまいます。

その上 雫の母親は大学院に在学中で修士論文を書いていたり

勝気で家事でも何でもこなす大学生の姉は 自活するといって家を出ます。

どんどんみんなが自分のやりたいことを見つけて 実現している中で 

雫はとても焦り 一つ物語を書こう と心に決める。

受験前のテストで成績を落とした彼女

学校から呼び出され 心配した両親とついに向かい合い 

「自分を試すって決めたんだから 今やらなくちゃ」

と 宣言します。

心配しつつも 大学院生の母親は「身に覚えがある」と言い出し

黙って聞いていたお父さんも こう切り出します。

「雫がやりたいようにやらせてみようか。一つしか生き方がないわけじゃないし。だけどな 人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。誰のせいにもできないからね。」

図書館員のお父さんは ずっと図書館で調べ物をしている娘を見守っていました。

口少ないけど ここぞというときに子どもを信頼して「やってみろ」と言ってくれるお父さん

すばらしい!

物語の完成を見届けてくれる 雫の想い人のおじいさんもまた すばらしい。

いろいろな大人の目が 子どもの成長を見守ってくれているんだよね。

まさにこれを地で行く体験談を 昨日お聞きしました。

そっくりですね。つか このまま ですね!

子どもは 本当にやりたいことがあったら 反対されても何度も説得する。

親は 親心から当然サラリーマンや手堅く稼げる仕事を進めたいが

子どもの「失敗してもいいからやってみようという気持ち」を応援する。

先生も 生徒が自分で決めたことを応援する。

子どもが 自分で行為を選ぶ練習と

不安になったら そばで年長者が応援することと

そして 失敗したら励まして 次へつなげるようにすること。

これをいつも見せられているように思う 今日この頃です。

今気づいたけど 田臥くんのご両親や先生方も

まさにこうして応援してきているね。

せば!

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2007/11/07

他者のために生きる

先日の“Delfonix Fever”から1週間が経とうとしています。

いまだ外国の方々が 続々と訪問されているようです。

オランダ語 ドイツ語 スェーデン語…

やはり英語で書かれたは 世界を身近にする。

ジョン前田氏のブログを読んだ方が

自身のブログで こちらを紹介しているのも見かけました。

あるいは

“Purpose of life”

で検索をかけて こちらに来ている人もいらっしゃいます。

「人生の目的」という言葉には

人をひきつける要素があるんだなと あらためて思いました。

先のクリアファイルには こうありましたね。

“The purpose of human life is to serve,
and to show compassion
and the will to help others. ”
(人生の目的とは 奉仕することであり
そして他者を助ける気持ちと思いやりを見せることである)

“Life is an exciting business,
and most exciting when it is lived for others. ”
(人生とは エキサイティングな出来事である 
そして 他者のために生きる時が最もエキサイティングである)

「他者のために生きる」

「他者を助ける気持ちをもつ」

なんだかこれが キーワードのような気がしてきます。


最近我が家で 『未来少年コナン』を借りてみています。

小学生のときに リアルタイムで見たのですが 

毎週楽しみにしていたし 学校でも話題にした記憶があります。

息子も興味深く見ているようだし

われわれ親側も 懐かしい。

この物語はアレクサンダー・ゲイ『残された人々』が原作なのだとか。

初めの設定は 衝撃的です。

西暦2008年7月
核兵器を上回る威力の超磁力兵器による戦争で、
人類の大半が死滅した後、海面上昇によって多島海化した
世界における少年コナンと少女ラナの冒険を描く。」

来年の7月 ですな…。


内容は こうです。

コナンが活躍する舞台は、戦争でそれまで築かれてきた
高度な文明が破壊され、中世段階まで後退した世界である。
コナンの世界で文明らしさを代表するものとしてインダストリア
の三角塔が登場するが、人間が生んだ愚かなものの象徴と
して、この作品のテーマとかぶってくることになる。
人間はなぜ生きるのか?
人間にとって真の豊かさ、幸せとはどんな形なのか?
という永遠のテーマを観る者にさりげなく投げかけてくる。
Wikipedia

ここでも「人生の目的」がキーワードになってますね。

残され島という小さな島に 

「おじい」とたった二人で住んでいたコナン。

太陽エネルギーの秘密を知っている

重要人物ラオ博士の孫 ラナが 

島に漂着するところから 物語は始まります。

彼女をめぐって 大人たちが醜い争いをしていて

その島にも追っ手がくる。

追い払おうとした「おじい」は負傷し 

死に際にコナンにこう告げます。


「仲間を見つけろ。そして その仲間のために生きろ。」


英雄譚では 自分のためだけに力を使ったとき 

堕落するパターンがあります。

宮崎駿アニメにも常套な主題です。


未来少年コナンとは

未来であり 

現在にも見える状況であり

そして 過去にもあった出来事だよね。

だから いつの時代にも普遍的で

飽きさせない。


別に ジブリ礼賛というわけではないけれど

私は「英雄の資質」ということに興味があるし

英雄譚とは結局 私たち一人ひとりがどう生きるかを示す

先人のヒントだから

そのメッセージは読んだ方がいいと思ってるのでね。

「いや わっきゃ 勝手に生きるんだ」

と 遠回りしても

結局 歴史何千年の目には かなわない。

そんなふうに 文学には 私たちを導く役目があるけど

今はなかなか長い物語を 腰をすえて読むことがされない。

だから 文学をアニメで紹介している宮崎駿は エライ。


この時間は

「お忙し氏」とされる私に 突然降ってわいた自分の時間。

おかげで瞑想できました どうもありがとう。


現在過去未来~♪

せば!

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2007/09/17

数学者の映画

ここ最近で一番の大雨

こないだの台風のときより降ってる気が…

そんな中 休みだというのに も少しで授業でーす いえーい

みんなはりきっていこ~

(私だけ…?)


連休なのにもったいないね。

まあ 天気は選べませんな。

今日は ビデオ鑑賞なんかいいんじゃないでしょか?

「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」 てのも見ましたよ。

グィネス・パルトロー主演

アンソニー・ホプキンスがお父さん役で数学者なの。

アンソニー・ホプキンスが 普通の役やっているの

もしかして初めて見たかもな?

ハンニバルのイメージが強くて

いや 役者やのう~。

すっかりいいお父さんでした。

娘 パルトローが世紀の大発見の数式だかを見出して

それにまつわる 父 姉 研修者で恋人 とのやりとり

なんすけどね。

これまでにも 数学の映画 色々見ましたが

これは その中では ちょっと今ひとつパンチに欠ける気がします。

↑説明がうまくない…

「ビューティフル・マインド」

天才数学者ジョン・ナッシュの半生を描いたもので

これは面白かった おススメです。

数学者や物理学者の話は いつも面白い。

ピーター・フランクル&広中平祐 両氏のお話や著書も好きです。


おおお

大雨だ だいじょうぶか?!


せば!

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2007/09/14

「歓びを歌にのせて」

借りてきました DVD。

むさぼるように 日々過ごしております。

落ち着けー。


スウェーデン映画です。

スウェーデン映画と言えば

前に「エヴァとステファンとすてきな家族」ってのも見ました。

どちらも 何かしらうまくいっていない登場人物が出てきて

周囲の人と 励ましあったり 傷つけたり

仲直りしたりしていく過程が描かれます。

そういう どこにでもいそうな人物と 

何気ない日常生活を映画にしたものが 結構好きです。


歓びを歌にのせて

これは タイトルがいいな と思って すぐ決めたね。

著名なオーケストラ指揮者ダニエルは、 日々の忙しさから体調を崩し、やむなく第一線を退く。 心を癒すために生まれ故郷へ戻ってくるが、 村人へ心を開こうとはしない。

ある日、地元のコーラス隊の指揮を頼まれる。
心から音楽を愛する彼らの気持ちに触れ、
ダニエルは再び音楽の素晴らしさを実感していく。
コーラス隊のメンバーは、それぞれに様々な問題を抱えて、
ダニエルを通じて音楽から勇気をもらい、
人生の"1歩"を踏み出す自信を得る。

夢に見たコーラスコンクールの日、
ダニエルとひとりひとりの気持ちがつながり、
ダニエルは人生で最高の幸福感を得る。

そして・・・

(Avex映画インフォメーション)

最初 単純に

ウーピー・ゴールドバーグのSister Act2みたいなのかな

と 思ったんだけど 全然違ったね。

最後のコンクールのシーンで優勝して終わり

とか

そういう簡単なハッピーエンドじゃない。

デンマーク映画だけど 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」的な

そういう暗さを持った映画だ と思う。

まずしょっぱなから 人が死ぬ。

そういう 残酷なシーンがはっきり描かれる。

あと ラブシーンじゃない 「性」と何か?!という問いかけもする。


チャンチャンバラバラ&どたばた

ユーモアたっぷりに流れ

最後にハッピーエンドという

ハリウッド映画に慣らされていた私は

ニュー・シネマ・パラダイス

八日目

ダンサー・インザ・ダーク

のような 人が生まれてから死ぬまでに出会うだろう

負の感情や辛い体験を全て盛り込んだ映画を見て

しこたま びっくらこいたのだった。

アメリカ映画は 死ぬというテーマを取り上げたものでも

こんなにはっきりと あからさまには描写しないと思う。

最近は 

死と性(単なるエロスでねくて)を描写している方が

普通の人生かも と思うようになる。


「死」といえば

隠れユンギニアンにお借りした 河合隼雄『宗教と科学の接点』には

「死の位置」と題して

私たちがいかに 「死ぬ」ということを避けるようになったかを

アメリカを取り上げて検証している。

「近代医学の発達によって われわれはともかく死を少し遠ざけられるようになった。しかし 死はいずれやってくる。ここで極端に死を拒否しようとする信条が『近代科学』と妙な結合を行うと 第一章に述べたような アメリカにおける死化粧兼防腐処理(エンバーミング)の隆盛のようなことになってくる。死者はまったく『生けるが如き』姿のままでいるし 花束は美しいし 葬儀屋の巧みな演出によって 参列者は出来る限り死に直面しないようにあるいは 死のことを忘れてしまうようにされる。しかし いかに工夫されても死を否定し去ることはできない。」P77-8

スタインベックも ユングの著書をかなり持っていたらしく

生涯を通じた作品全てに 影響を受けたと言われていて

『エデンの東』でもはっきり「墓を花で飾るようになってから 人間が堕落した」

ということを書いている。


だからといって アメリカとアメリカ人を非難しているつもりはなくて

アメリカ という文化に 自分たちの姿が見えるよね。

自分たちが避けたい苦しいこと

死や悲しみ 

自分の中にある ずるさ 妬み そういうこと全部が

自分を作っている要素なんだよ と

ユングは指摘しているわけです。


くどい。


最後に

この映画の盛り上がりは

中間で 夫の家庭内暴力におびえる女性ガブリエラが

ソロのパートをまかされ

多くの聴衆の前ですばらしい歌声を披露するところだ と思う。

スウェーデンにおいてトップアーティストとして活躍する

ヘレン・ヒョホルム という方だそうです。

ちなみに同い年っす。

じょんずだよ~ ぜひ機会があったら見てね。


せば!

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2007/09/01

「幸せのレシピ」

なんと もう9月。

秋の気配 ですね。


さて 2・3日前のお話を いたしましょう…


いやあ~。

「痛い」ということは 理性が働きませんな。

実家の母に 痛かったら「鎮痛剤」か 

さもなくば「精神安定剤」を飲むべきだと諭されました。

痛いのを耐えて 周囲に当り散らしてはいけません。

勉強。

我が家はただならぬ惨状

ちょっとしたことで義父にあたり

一人で えへこんつけでいました。

(訳:すねていました)

& 子どもが「幼稚園に行きたくな~い」


怒涛の朝を なんとかやりすごして接骨院に行き

先生にもんでもらっているうちに

気持ちもほぐれていきました。


私 「体 かでー人 

気持ちも かだいっていうよね その通りなんだけどさ」

(体が堅い人は 気持ちも硬いっていうよね)

先生 「精神的なことが体に影響することはあるよ

体がいつも緊張していると 休まるときがないから

肩こりになる。」

私 「…それだ。」

先生 「(頭をもみながら)ほら あだま かでーんだね!」

一同 笑

帰りに せめてもの罪滅ぼしにと

デパートで 息子の弁当箱を買う。

フタの模様を がりがりっ!とやっちゃったんでね。

ついでに だんなの弁当箱も買う。

ご主人様のものを買うのに ついでとは何事か。

いい気分になる。

買い物も楽しいものだ。

すてきな服が 半額になっていたので すかさず買う。

「半額」 それは すてきな響き。


おいしいコーシーと (注:コーヒー)

ベーグルサンドでにっこにこ。

帰りに 映画の予告のチラシがふと目に入る。


「一生懸命もいいけど ちょっとのサジ加減で 違う何かが見つかるかも…。」


9月ロードショーだという キャサリン・ゼタ・ジョーンズ主演「幸せのレシピ

このコピーは 自分に向けられたメッセージのように思い 一枚もらう。


「Today's Menu

自分の仕事は完璧にしたい。

プライベートを優先させるのは後ろめたい。

甘えている自分は嫌い。

楽をしていると不安になる。

人に弱みは見せたくない。

自分で決めたルールがある。

泣くときは いつも一人だ。

これは そんなあなたとよく似た誰かの物語―。」


この映画は

人気レストランの料理長を務める 完全主義者のケイトが

厨房に音楽と息抜きをという 陽気な副料理長ニックと

亡き姉の遺児として引き取ることになった9歳の姪ゾーイの存在によって

その人生を変えていくという物語。


「やりがいのある仕事 自分の居場所 でも 立ち止まってしまったら

置いていかれてしまいそうな不安 そんな彼女が人知れず流す涙を

あなたはきっと知っているはず。

まだ気づかない幸せは 

自分が決めたルールの外にあるかもしれない。


「ここに サジあり」


せば!

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2007/08/24

映画『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』

時間が合わず 

あわや 吹き替え版か?!と危惧されましたが

無事 字幕版を見ることが出来ました。

いがったです。


ポイントを集めて タダでチケットを手に入れ

ドリンク付きで鑑賞した。

今度からこれだ と 病み付きになりそうだ。


肝心の映画は

前半 かなり物語が重苦しくて 暗く

「永井」

いや 

「長い」

と 思っていた。

その変換が1番かよ


ロンの双子の兄が

規則にがんじがらめになった学校にしびれを切らして

全てをぶっ壊しにかかり

はちゃめちゃやったあたりから 調子が出てきた。

そっからは あっという間に終わった。


噂では ヴォルデモートとダンブルドアの対決が見物だということだったが

あまりの大音響に

おばさん 耳をふさいでました。

スター・ウォーズ ヨーダのライトセイバー戦を思い出してたよ。


一緒に見に行った友人sと

次の作品へのつなぎとして

今 中だるみだよね

ということを話していました。

今までのテンポのよさはなくて

もう 真剣でシリアスな内容でございます。


結末が気になって

6巻と7巻を 今すぐ読みたい

そんな気分です。


みんなは 見た?


せば!

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2007/07/29

“Music of the Heart” について 2

夫と別居し実家のニュージャージーに戻ってきたロベルタは、
友人のアドバイスでバイオリンの腕を活かして
ハーレム地区の小学校でバイオリン・クラスの臨時教員となる。
初めは誰も真剣でなかった子供たちだが、
彼女の熱心な指導でみるみる上達していった。
10年後、人気授業となっていた彼女のクラスは
市の予算削減のため打ち切られることになる。
彼女はクラス存続の資金集めのためコンサートを企画する。
しかし、開催日が迫る中、予定していた会場が使用中止になってしまう……。
(yahoo!映画 解説より)

前回書いたとおり

この作品は 実話に基づくもの。

自分が「やりたい」と思った一つのことに情熱を注ぐと

いかに シンクロニシティが頻発して

願いが叶えられていくかを示すような

そんな映画の一つです。

この場合 セレンディピティ という言葉もピッタリきます。


女手一つで 子どもを抱えて

この先どうしたらいいんだ!

負けじと頑張ったら すばらしい未来が…

そういう話に ヒジョーに動かされます。

↑何かあったんでしょうか(笑)

いや この映画を見たのは

2年くらい前だったかな?

今も好きな映画には変わりないですけどね。


ちなみに

『ハリー・ポッター』シリーズを書いた J・K・ローリング。

彼女の半生をつづった

『ハリー・ポッター誕生―J.K.ローリングの半生』

これもおそらく 同じ頃に買いました。

有名な話ですが

ローリングも離婚して 乳飲み子を抱えながら

『ハリー・ポッター』を書き

生活保護を受けようと 申請した矢先に(たしか)

出版社から採用の連絡を受けたのでしたね。


見よ 女の底力!


彼女たちの生き様をみるとですね

こうしちゃいられんばい

何かしなきゃいかんとですたい

という気になる。


ごっつあんです。


経済的に また精神的に自立した女性をみると

すばらしい

こうありたい

と 思います。


まだまだです。


映画の話に戻ると

この物語は バイオリン教室ということもあって

音楽好きには二倍おもしろく感じられる作品です。

音楽が 感動を呼び

話の展開を いっそう盛り上げます。


話の内容は“Sister Act 2”に ちと似てるね。

どちらも音楽がテーマであり 廃止の危機を救う。


みんなの気持ちが一つになると

力が強まり

音楽もまとまる

という気がします。


だから 音楽はすばらしい。


ぜひ一度 ご覧下さい。


せば!

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2007/07/28

Music of the Heart

American Beauty

Ameri

Music of the Heart

始まりはいつもオペラ

ショーシャンクの空の下で

トゥルーマンショー

I am Sam

モリー先生との火曜日

Mission Impossible1 2

Lord of the Ring

Harry Potter 1 2 3 4

めぐりあう時間たち

Eyes Wide Shut

月の輝く夜に

ショコラ

パイレーツ・オブ・カリビアン

クレイドル・ウィル・ロック

Beautiful Mind

小説家を見つけたら

シャイン

New Cinema Paradise

The Cider House Rule

Good Girl

Drum Line

エヴァとステファンとすてきな家族

Straight Story

ドナルドの算数マジック

セレンディピティ

ムーンライト・マイル

八日目

The End of Deep Ocean

ダ・ヴィンチ・コード

かもめ食堂

マザー・テレサ


途中 抜けているのもありますが

2003年あたりから 映画やビデオ等で見た作品一覧です。

育児に没頭していたこの頃

自由に外出できない自分にとって 楽しみと言えば

本や雑誌を読むこと

ビデオを見ること

でした。

時間はあるけど 家にいなくちゃならんのでね。


最近は

ビデオをゆっくり鑑賞するということが

あまりできない。


そのときできることを

十分やっとくもんだなあ。


この中でおすすめなのは

やはしMusic of the Heartです。

主演 メリル・ストリープ。

2回は借りました。

↑買えって感じですが。


ロベルタ・ガスパーリという 実在の女性のお話です。

ある日 旦那さんが突然家を出ちゃって

二人の息子を抱えて これからどうすりゃいいんだ

というところから 物語が始まります。


つづく

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2007/07/18

「人生にはコーヒーとたばこが必要だ」

おはようございます。

いつもつかっているテンプレートのフォント表示が変なので

一時的にこちらの ラブリーな絵に避難しております。

しかし 過去の記事において「改行」が反映されておらず

ヒジョーに読みにくい体裁になっている。

申し訳ない。

やい ニフティ なんとかしてくれ。

↑人のせい


久々にDVDを借りてきました。

Jim Jamusch “Coffee and cigarettes”

オマー・シャリフ「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」

聞いたことない?

わしも 初めて。


借りるジャンルは決まっていて

借りるならヒューマンドラマとなっております。


実はまだ見てないの。


子どもが熱出して バタバタしててね。

いやいや。

子どもは病気をするものです。

もう大丈夫ですが。


「人生には コーヒーとたばこが必要だ」

というのが 1枚目の作品のキャッチでした。

タバコは吸いませんが

コーヒーはよく飲みます。

それが私の 唯一の嗜好品。

酒は別に毎日飲むわけではないので

なくてもよろしいが

コーヒーがなければ かなりつまらん。

朝は必ず飲みたいです。


2作目は

母親のいない男の子が すさんだ父親と共に暮らしていて

ついにイブラヒムおじさんの店で万引きをしてしまう。

おじさんは 少年を責めるわけでもなく

盗むならこれからうちの店でずっとやってくれ

と 言う。

そのうちに父親も亡くなるのですが

おじさんの愛情にふれた少年が

生きる力を取り戻していく

という 内容らしい。


たのしみです。


また見たら 感想など一つ。

といいながら

読んだ本の感想もたまりにたまっていて

なかなかアップできませんが

ま いーか(笑)



せば!

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2007/07/06

隠れユンギニアンの集い

「『六ヶ所村ラプソディ』を見ませんか」

と 熱心に声をかけてくださったIさん。

どうもありがとう。

彼女は 一度見たにもかかわらず

今回 私のために(か?) もう一度一緒に見てくれました。

隠れユンギニアン1号2号の 私たちは

昨年末まで 20年近く交信が途絶えていたにもかかわらず

ただ「ユング」という共通項一つで

語りまくっています。

どっちが1号で2号か という話は つっこまないでいただきたい。

わがんねーはんで(笑)

で お宅にお邪魔した際 その蔵書を見て

われわれの脳内が やはりシンクロしていることに気がつき

いまさらながら おもしろかった。

自分が持っている本も 数冊あり。

そして たくさんの本をお借りしてきました。

1.河合隼雄『無意識の世界』

2河合隼雄『宗教と科学の接点』

3.諸富祥彦『トランスパーソナル心理学入門』

4.菅靖彦『心はどこに向かうのか―トランスパーソナルの視点』

5.グレッグ・ヨハンソン+ロン・クルツ『ハコミセラピー―タオイズムと心理療法』

6.F・デーヴィッド・ピート.『賢者の石―カオス、シンクロニシティ、自然の隠れた秩序―』

以上です。

そして 2冊買ってしまったという

星野道夫『ノーザンライツ』を ありがたく頂戴しました。

最近 図書館に行ってないな~

本が読みたいな~

「あ~ 本が足りね~ じゃんじゃん持って来~い」

ルパン三世 カリオストロの城 状態だったのですが

期せずして たくさんのインプット

むさぼるように読んでおります。

例によって 付箋だらけです。

Iさんから返ってきた

ユング・コレクション13 C・G・ユング『夢分析Ⅰ』に

自分がつけた付箋の多さを見て あきれた…

なんじゃーこりゃー!by 松田優作

どこが大事かわからん。

↓ま いつものことです。

200707032209000

せば!

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2007/07/05

「六ヶ所村ラプソディー」を見た

「ガイヤ・シンフォニー」は 逃しましたが

「六ヶ所村ラプソディー」を見ることができました。

3度目の正直ってやつです。

1回目のチャンスは 自分が熱でパス

2回目は 子どもが熱でパス

そして 満を持しての3回目!

見ました。

おそらく こんな具合に「ガイヤ・シンフォニー」も

見ることができるに違いない。

さて

六ヶ所村にある施設は 

原発で使った燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場です。

それは 日本で青森県六ヶ所村にしかない。

日本各地から 放射能廃棄物を こちらへ陸路で搬送しているのだとか。

もちろん 漏れないようにしてはあるけど

そのもののそばに寄ると 2秒で即死 だそうです。

この再処理施設 世界ではイギリスとフランスにある。

どちらも軍用を民間におろして使ったが

イギリスの施設では 事故が起きたので 閉鎖することが決まっている。

イギリスでは40年以上 放射能物質を海に流してきた結果

海底が夜不気味に光り 奇形の魚介が当たり前にいるようになった。

施設周辺には 小児白血病の子どもが多い。

子どもが白血病になった母親がこう言いました。

「みんな 健康なうちは 何も言わない。

経済効果だとか言って 平気でいられる。

病気になってやっと 『おかしいんじゃないか』と

騒ぎ出す。」

イギリスの漁師がこう言いました。

「イギリスでは 漁師のGDPに占める割合が1%に満たないから

自分が不満を言っても 役にたたない。

でも 日本は違う。

それに 魚を食べる国だから もっと発言すべきだ。

積極的に海の汚染レベルを調べておくべきだ。

補償をもらうときに必要になる。」

水俣のときも 「チッソは安全です。海に浄化機能もある。」

と言って 垂れ流しにした。

結局 今回の再処理施設というのも 

安全かどうか手探りで 見切り発車である。

映画の中で いろいろな人にインタビューするんですがね。

地元の人で 再処理施設に賛成している人 

国家の原子力プロジェクトの責任者の教授などが

自分を語るとき 

何とか正当化した理由を話すんですが

口にこそしないが 再処理施設はいいことではない

と わかっている目だった。それが とても印象的だった。

また 中立の人は 一様に

「自分ひとりが反対したところで だめだ」

と口をそろえていたのも 心に残った。

これは 誰が悪い とかいう 犯人探しの問題じゃなくて

自分がどうするかを問われる映画だ。

声高に反対を叫ぶのでは 

おそらく 推進派に力を与えるだけ。

いかに それをやめざるを得ない状況へ

どうみんなで運んでいくかを考えるのが

大切に思う。

イギリスが 将来の日本の姿…にならないように。

あと 自分の中で昨日

「水俣病」と「六ヶ所村」が一線で結ばれたのが

大きな発見だった。

今年初めに 直感的に買った 藤原新也『黄泉の犬』

これは オウム真理教と 水俣病のことについて書いてある。

最近シンクロしている 村上春樹作品 

これもオウム真理教と密接だと思う。

そして 今回の『六ヶ所村ラプソディー』と

見たいと思っている『ガイヤシンフォニー』。

全部つながっている。

せば… →暗い

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2007/07/01

「なぜ ガイヤシンフォニーが見たいか」―『人生を変える力』を中心として―(論文か?!)

「なぜ ガイヤシンフォニーが見たいか」

つづく。

と 期待させといて 

続きはどうしたんじゃ?!

と お思いのみなさん。

まことに 申し訳ない。

あの時 続きを書こう!と 自分の中で盛り上がっていたのだが

いざ パソコンに向かったら

「何書くがったんだっけ?」

What am I supposed to write?

あほか?

イメージでは 

ジェームズ・レッドフィールド『人生を変える力―第十一の予言』

を中心にして書こう とは思っていたんだよね。

この本は リチャード・バック『イリュージョン』と同じく

人類の叡智を 物語形式にして伝えている本で

昔の人たちが 後世に残そうとした大切なことを

現代の冒険物語にしたものです。

詳しく書こうとすると かなり時間と場所をとるので

これは大事だ 

と思うところだけ 書きます。

―『聖なる予言』『第十の予言』で示された十の知恵―

第一の知恵 変化のきざし

第二の知恵 今というとき

第三の知恵 エネルギー

第四の知恵 権力闘争

第五の知恵 神秘体験

第六の知恵 過去の清算

第七の知恵 流れに乗る

第八の知恵 人との新しいかかわり方

第九の知恵 新しい文化

第十の知恵 ヴィジョンを保つ

そして こうした十の知恵を理解した上で

私たちが二十一世紀に学ぼうとしている知恵が 

本書に書かれている「第十一の知恵 」だと

ジェームズは語っています(328)。

(ジェームズ・レッドフィールド『人生を変える力』 角川書店 2001/2/28。)

第十までの知恵の詳細は また。

つづく。

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2007/06/28

なぜガイヤシンフォニーが見たいか

オーラの泉 ね

たまに 偶然見らさります。

でも あそこまで 達観できないね。

いきなり スピリチュアルだけって キツイね。

しかしながら 

ガイヤシンフォニーとか 森のイスキアを取り上げずとも

精神世界 特に文学にある精神世界には かなり興味があります。

毎日仕事をして テレビ見て 雑誌見て 服買って とかそういうことじゃなく

一体「何が本質なのか」は 知りたいところです。

しつこい。

数日前の記事に書いた ガイヤシンフォニーのこと

最近のめざましい科学技術の進歩によって、

この宇宙の全ての存在、すなわち銀河系、

太陽系、地球、海、山、川、森、岩、動物、植物、

バクテリアから原子のひとつひとつまでもが、

それぞれに独自の“音楽”(vibration)を奏でていることが

分かってきました。

「人間が音楽をつくる以前に、“音楽”がこの宇宙をつくり、

生命を生み出し、人間をつくった」という宇宙物理学者もいます。

(公式サイトより)

音楽が宇宙を作った というと 何だか突拍子もないのですが

人間を含むすべてのものが こまかーい粒で成り立っている というのは

わかる気がします。

得意の子供向け番組で 物理学をこれまたていねいに解説していたのを見て

疑いのないほど 水の粒子が振動していたのを目の当たりにしたからね。

ジュニア向け マンセイ。

同じことを 違う言い方にしているだけ ですよね。

超ひも理論 とか 量子力学とか 

宇宙の統一理論を 科学は求めている。

だって「神」って 「上」らしいよ。

したはんで 宇宙ってことさ。

そういう宇宙物理学(というべきか)的なことは 私たちに否応なく適応していて

紫外線が一様に地球に降り注いでいるのと同じで

やめでけん!と思ったところで 自分だけあたらないわけにいかない。

避けられない存在 神(上)様。

UFOや宇宙人にしても

昔 仏教の盛んな地域では 夜空に光るものをみると

「御来迎だ!」

現代だと

「ユーフォーだ!」

と 思う。

そんだけらしい。

ユングが言ってました。→けやぐ?

宗教にしても

キリスト ブッダ アラーとか その表現方法をとっぱらった 「本質」

それはもう 共通しているよ ってことらしい。

そのことを昔から人は 身近な物語にして後世に伝えようとしたらしい。

そこに 宗教の経典や神話 伝説が受け継がれるわけがある。

ただし それは秘密であり 暗号化されていたりわかりにくい。

字面だけじゃなくて 正しく解釈できる案内人が必要だ。

まず それを悪用して 政治的に用いたり 

金儲けに使って 民衆を操作しようとする人がいるので

わんだぢは

本当のことを知っている必要があるわけです。

そして 避けられない「物理的な作用」であり「神」であるならば

更にいえば 逆らうと必然的にエネルギーが与えられなくなるのだから

その教えを実行したらいいんじゃないの と。

その本当のことを知っている人というのは

例えば ガイヤシンフォニーに出てくる人物であり

龍村仁監督であり 

佐藤初女さんである

と 私は思っています。

つづく

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2007/06/26

地球交響曲ガイヤシンフォニー第6番

地球交響曲 ガイヤシンフォニー第6番」の上映が 近々弘前市文化会館であります。

最近のめざましい科学技術の進歩によって、

この宇宙の全ての存在、すなわち銀河系、

太陽系、地球、海、山、川、森、岩、動物、植物、

バクテリアから原子のひとつひとつまでもが、

それぞれに独自の“音楽”(vibration)を奏でていることが

分かってきました。

「人間が音楽をつくる以前に、“音楽”がこの宇宙をつくり、

生命を生み出し、人間をつくった」という宇宙物理学者もいます。

(公式サイトより)

上映前には 「森のイスキア」の 佐藤初女さんの講演もあります。

たんげも行きたい。

以前 第5番を見たときは  龍村監督の講演がありました。初女さんも壇上にいらして 花束を渡されていました(たしか)。

弘前の宝 それは 佐藤初女さんと 報道写真家 故沢田教一氏の妻 サタさんじゃないでしょうかね。

野沢雅子と永井一郎は 日本声優界の宝だけどね。

え 関係ない?

だって 怪物くんも 星野哲郎も ゲゲゲの鬼太郎も 孫悟空も悟飯も 教育テレビも

野沢雅子。

そして 磯野波平も カリオストロのジョドーも ラピュタの大佐も

ガイヤシンフォニーね

主人がその日出勤 まさか子連れで鑑賞はできまい…。

行けるかどうか 予定が微妙なのですが 

「行ける」と念じよう。

「音楽は 高次の知識への入り口である」(コリン・ウィルソン『アトランティスの遺産』)

せば!

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2007/06/13

あなたに贈るエール 2

ウーピー・ゴールドバーグ主演 “Sister Act”。

1も2もいいのですが 個人的に2が好きです。

たまに思い出して見てみると 前とは違ったメッセージをいつも感じます。

荒廃したあるアメリカの高校でのこと。生徒たちに手を焼いたシスターたちが ウーピー扮するデロリスに助けを求めます。

ようやく歌手の仕事が乗ってきたデロリスでしたが 彼女たちのために音楽教師となって奮闘します。

担当した音楽クラスが 廃校寸前の母校を救うべく 合唱コンテストに向けて練習し 徐々に腕を上げていく様子は 実に爽快です。

この映画の売りは 何といってもローリン・ヒルでしょう。この手の音楽に詳しいわけではありませんが ミーハー根性でCDを買ったこともありました。

ヒル演ずるリータは 歌手を夢見る 音楽が大好きな高校生。でも 父親が「食えない音楽家」だったことが暗示され 母親に音楽活動をきつく反対される。そのことを素直に言えない彼女は 仲間から離れていきます。

彼女の苦しみを知ったシスターたちは デロリスにアドバイスするよう促します。そして ふてくされるリータを呼び止めて デロリスは昔語りをするのです。

デロリスが子供だったの頃の夢は 歌手になること。彼女の母親は リルケの『若き詩人への手紙』という本を与え 次のようなエピソードを教えてくれたのだそうです。

ある時 リルケは「詩人になれるかどうか 作品を読んで下さい」というある男性からの手紙を受けとり 次のように返事を書いた。

“Don't ask me about being a writer. If you wake up in the morning, and you can think of nothing but writing, then you are a writer.”

「私に作家になれるかどうかを聞くな。朝起きて 作家になることしか思いつかなかったら あなたは作家だ。」

才能があるかないか そんなことを人に訊いている場合じゃないよ と。

あなたは どうしたいのか 

それが大事だ というわけです。

アーヴィン・ラズローは 世界を平和や住みよい場所にしようと善処している過程が もはや「善」そのものだ と言っています。

結果じゃない。

そうしよう そうあろう と 向かっているところから もはや始まっているんだと

そういうわけです。

↑熱い

「結果を恐れずに やってみよ」ということは 大成している人に共通の事項のようです。

ジョニー・デップ J・K・ローリング 田臥くん 今では第一線で活躍していますが 彼らでさえ そこへ飛び込むには勇気が要ったと言っています。先が見えないからです。

でも3人が口をそろえて言っているのは 

「人のためではなく 自分のために夢を追う」

「だめだったら元の生活に戻ればよい」

ということ。

程度の差こそあれ 私たちは誰でも こうありたい という姿を追い求めていますね。

その姿をありありと思い浮かべられるようになったなら

時間こそかかれど その通りになるに違いありません。

「想像力で開かない扉はない」角野栄子

せば!

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2007/06/12

あなたに贈るエール 1

少し前の映画ですが

『マジソン郡の橋』が好きです。

流行りましたねえ。

思い出して ごくたまーに見ると つい最後まで見て 大泣きします。

メリル・ストリープは 好きな女優の筆頭です。

あの映画で印象に残っている言葉があります。

ごく普通の主婦(ストリープ)が 家族の留守中に クリント・イーストウッド演ずる放浪の写真家と出会い 恋におちる。そのことは 二人だけの秘め事であり 彼女は家族の誰にも知らせることなく 晩年を迎えます。

彼女は死後 子どもたちに宛てた手紙の中で すべてを告白し

言葉が足りないところは 彼の写真が補ってくれるでしょう。それこそが 芸術家の為せる業なのですから

と 締めくくるのです。

二人の間の出来事は 筆舌に尽くしがたい。だが 写真を見れば一目瞭然である。

理屈じゃないんだよと。

この気持ちは 言葉を超えてるんだよと。

そーいうわけです。

↑熱い

オフコースの歌にもあるではないか。

「心悲しくて 言葉にできない」

「あなたに会えて 本当に良かった 嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない」

それが 小田和正の場合 歌になったんだね。

言葉にならない 色んな思いを

形にできるといいね。

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2007/04/15

『ショーシャンクの空に』

刑務所に図書館を作った話といえば スティーブン・キング『ショーシャンクの空に』を思い出すね。

スティーブン・キング原作 映画『ショーシャンクの空に』

1979年、銀行員であったアンディ・デュフレーンは、妻とその愛人を射殺したという身に覚えのない罪でショーシャンク刑務所に投獄された。刑務所が持つ異質な雰囲気に初めは戸惑い孤立するアンディであったが、「調達係」と呼ばれ服役囚から慕われていたエリス・ボイド・"レッド"・レディングと出会い交流を深める。アンディは元銀行員の経歴を如何なく発揮し、刑務所内の環境の改善に取り組む事でレッドや他の囚人の信頼を獲得していく。さらには監察官の税務処理や所長の所得隠しまでも請け負うようになり、やがてアンディは奇跡を起こす。(Wikipedia)より

獄中生活が長くなってきたエリスは 定期的に釈放の面接を受けている。外の世界に戻りたいがために 自分は改心したことを必死でアピールするが 全く通らない。

妻とその愛人を殺害したとする言われなき罪で捕らえられ 服役しているアンディは 妻の苦しみに気づいてやれず 自分が殺したも同然だと考え 良心の呵責に苦しんでいる。この青年とのやり取りの中で エリスは 人間として成長し 希望を持って生きることの意味を考え始める。

物語終盤での 監査官との面接では 獄中に骨をうずめる覚悟だと告げる。するとこれまで長い間かかっても叶わなかった釈放が あっさりと遂げられたのだった。

この場面は 自分にとって実に印象に残るものだった。こういう体験を何度かしたことがある。

就職面接で 入社したい!と気取って言いことを言おうとしていたときは うまくいかない。でも そんなに思い入れのない会社での面接では(笑) リラックスして話せ 自分の言葉で語れる。

また よく書くけど 大学で半年に一度の卒論指導を計9回も受けたが 後半はもう「このくらいで卒業させて欲しい」という態度で臨み 先生にそれを見透かされてしまっていた。9回目となったとき ついに観念して もうあと1回や2回の指導は覚悟しようと心を決めた(おそいよ)。指導のやり取りの中でアドバイスをいただいたとき「では この部分を○○と書き直してみればいいですね?」と訊くと 先生の眼が鋭く光って静かに微笑んだ。そしてその日 提出の許可がおりたのだった。

人のことで言うと こんなこともあった。事務の仕事をしたことがある関係で 人の履歴書を見る機会があったのだが とても心に残るものがあった(プライバシーを暴露するものではありません)。

たいてい履歴書というものは よく見せようとして書くもの。でもその人は なんと 同棲している女性の名前を家族欄に書き そして 自己アピールの欄には「いまだ全てが中途半端。何か一つのことを成し遂げたい」というようなことを書いていたように記憶している。会ってみるとなるほど正直者で 人柄がにじみ出た履歴書だなと納得したのだった。また 彼はぶじ職を得ていたので その場合に限ってはあの書き方でよかったと思う。

ありのままを受け入れる態度は いつも良い結果を生むように感じる。

長~い人生 良いときもあれば 悪いときもある。でも いつでも堂々と等身大の自分でありたい。

せば!

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2007/02/22

ギャランドゥ

気の多い私には 田臥くんの他にも これはおもしろい! これはすばらしい!といった好きな人&ものがある。好きなことには 理由がないが 自分をいつも新鮮でわくわくした気持ちにさせる。

『ハリー・ポッター』もその一つ。本は読む気がしないが 映画は見る。そして 早く次の映画が来ないかな… とずっと思っている。

で 調べてみたら 今年の7月に映画『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』が公開されるね!ああ 楽しみじゃ。またまた大きくなったね ハリーを始め どの子供たちも。もう子供とはいえん。

結構悪役のダーズリー家の人々や マルフォイ一味の素顔は 親しみがもてる。DVDのインタビューなんかを見てからまた本編を見ると おもしろい。ハリーのいとこ ダドリー役の人って 本名が“Harry”なんだね。こりゃまた なんたる因縁か。さすがにヴォルデモート役の人は 気さくにインタビューなどで素顔を出せないらしく 見られないのが残念だ…

個人的に ロンのお父さんと 双子の兄が好きだ。双子の兄は 実際には濃い茶色の髪なのだが 役柄上「赤毛」に染めているそーだ。マルフォイも脱色して金髪にしているらしい。

ハリー・ポッターシリーズが完結したら ダニエル・ラドクリフ とか その他の俳優陣は大変だろうな。スター・ウォーズの主役だった人も その後は鳴かず飛ばずだったけど スター・ウォーズで印税契約をしてたから助かった…などと 余計なことを考えていた。そしたらなんと もうダニエル・ラドクリフは この忙しいさなか 舞台に主演して話題になっているらしい!

『エクウス(Equus)』(ロンドンにて プレビュー2/16 公演2/27-6/9予定)には ダニエルくんの 全裸での情事シーンがある。「エクウス」で検索して 彼の写真をぜひチェックしてほしい。び び びっくり。もう18歳になるんだもんねえ。お母さん 目が「ギャランドゥ」に釘付けになってしまいました。

ちなみに「ギャランドゥ」とは。Wikipedeaによれば 2種類あり 一つは「楽曲としてのギャランドゥ」つまり 西城秀樹の曲であり もう一つは「体毛としてのギャランドゥ」すなわち へその周囲の体毛が濃いことを指す。ハリー・ポッターとギャランドゥが結びつくとは 賢者の石の頃には誰も想像しなかっただろう…

でもこれで ダニエルくんは 役者として新境地を開拓したことになる。よかったよかった。

注:エロサイトほか関連するブログなどのトラックバックを 堅くお断りいたします。

せば!

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2006/12/09

『かもめ食堂』ふたたび

わーいわーいクリスマスだ~20061208_1925_000

年末ということで なんだかバタバタな毎日です。こんにちは お元気ですか?今日もようこそ~

『かもめ食堂』ね。ほんとうに あの映画にはまって 作業しながらチラリチラリと何度も見ました。どのシーンもいいんですよ。フィンランドが舞台でありながら 惻隠(弱者に寄り添う心)」を感じました。小林聡美演じるサチエさんは「合気道」をやっていて

 「自然の流れと自分の気を同調させるから 合気道という(Nature and your spirit must become one flowing unit.)。」

と言っていました。「体の中心を感じる」「へその下を意識する」など かなり具体的で あのコミカルな動きの基本の四股を 一緒にやってみました。そしたら 腰の骨がバキッ と。かなり がふぁい。

かもめ食堂に集まった 日本人女性たち(片桐はいり もたいまさこ)は 何かしら事情があってたどり着いたのですが あまり詳しく語られない。気心が知れたころに マサコさんが帰国することになります。するとサチエは

「ずっと同じではいられないものですよね。ひとはみな変わっていくものです。」
(Eventually, everything must change. Everyone will change.)

と言います。この辺が この映画の押し付けがましくなく さりげないサトリ方だなあ。

人は 今の日常とは違う外国などに行けば 何かすばらしい世界があるように思って旅行する。でも 結局どこにいても人間の気持ちというのはあまり変わらないし 人種が異なっても根底で感じることは共通している。そして 自分が変わらないと どこに行っても同じだよ と 教えてくれているように思います。

さまざまな差異を超えて 食堂がその地になじんでいく様子を見るのが とても心地良い。今年教室を始めた私は こんな風になりたいなあ と思っています。

では一曲。

だれだっ だれだっ だれだー
空のかなたに踊るかげ~
しーろーと くーろーの
パンダちゃーん

せば!(歌い逃げ)
意味のわからない方は どうぞ映画『かもめ食堂』をご覧ください。

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2006/11/04

Possibility of Fusion

昨日のニュースで「世界平和を脅かしている人物は誰か」という調査の結果について 話していました。1位 オサマ・ビン・ラディン 2位 ジョージ・ブッシュ 3位 金正日。金総書記を抜いて アメリカ大統領が2位だったことを再三延べ 意外性を強調していました。

アメリカ大統領が平和の脅威だと感じている人が多い。ここにも時々「アメリカ」について書いていて それは反アメリカ的な内容がほとんどです。ですが。まだアメリカには可能性があるな 希望があるかもしれないな という直感を得ることがありました。

ウーピー・ゴールドバーグ主演“Sister Act 2”(邦題『天使にラブソングを』) 何度も見ているにもかかわらず 久々だったためか ある種新しい感慨を覚えました。ウーピー扮する教会の尼僧が 荒れ放題の学校に旋風を巻き起こす。聖歌隊をコンテストで優勝させ 閉校の危機を救う…という展開。R&B歌手ローリン・ヒルが 母親の反対を押して音楽の道へ進もうとする複線とあいまって 物語が盛り上がります。

United Colors of Benettonじゃないけど あらゆる人種の融合とアメリカ音楽の底力。あのゴスペルやラップといったジャンルは 日本人が表現方法だけをまねしても伝わらないパワーを感じるように思います。ソウルは文字通り「魂」 アフリカ系アメリカ人の歴史そのものだから 我々がかっこいーと思ってまねしたって まねできないんだけどさ。人種と文化が衝突するところに それらが融合して 新しいジャンルが生まれる構図に 一瞬ですが 可能性という言葉が浮かびました。

ウンチクはともかく あの映画の歌のシーンはすばらしい。

声は 英語を勉強したから身につく といった能力ではなくて 与えられた才能だね。「3連休だけど どこいっても混んでるし 何にもすることね~な~」と思ったら ぜひご覧ください。

〈参考 ウキペディアより〉
ラップ-誕生の場は1960~70年代、アメリカ合衆国ニューヨークでみられたブロック・パーティーだと言われるが、古くはアフリカン・グリオ(文盲者に口伝で歴史や詩を伝える者達)にそのルーツが見られ、マルコムXやキング牧師といった政治的指導者のスピーチも大きく影響を与えている。モハメド・アリのインタビューなどで見られた言葉遊びによって、より広まったといわれる。

ゴスペル音楽-奴隷としてアフリカからつれてこられた人々(アフリカ系アメリカ人)にキリスト教が広まり、アフリカ特有のリズム、スケール(音階)とヨーロッパ賛美歌などの音楽的感性が融合したものがスピリチュアル(黒人霊歌などとも言う)であるが、これとジャズやロックと結びついたものがゴスペル音楽である。

ソウル-(soul)あるいはソウル・ミュージック(soul music)は音楽ジャンル。基本的にはR&Bの一種であるということができる。1950年代から1960年代の初期にかけて、アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人のゴスペルとブルースから発展しできた音楽の体系である。時が経つにつれて、R&Bが広範囲にわたって発展・拡大したスタイルをさしてソウル・ミュージックと呼ばれるようになった。

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2006/09/17

もし 願いが叶うならば!宮崎駿監督に訊いてみたい 3つの質問!イエ~イ ドンドンドンドン パフーパフー♪

全てのものに真の名がある
『ゲド戦記』で 森羅万象全てに 太古から伝わる「真の名」があると言っています。『千と千尋の神隠し』の中でも ハクや千が湯婆に本当の名前を奪われてしまうシーンが。『天空の城 ラピュタ』でも 古い秘密の名前が登場する。それは具体的にどういうことなのでしょうか?どのような文献から知識を得たのでしょうか?

一度会ったら忘れない
『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』で 忘れ去った記憶の中にいる大切な人物と再会し 約束を果す というパターンが登場します。それはいったい 私たちにどういうメッセージを送っているのでしょうか?

息子さんの名前「吾朗」について
日本に昔からある名前に 長男なら「太郎か一郎」次男「次郎か二郎」三男「三郎」…以下同様 がありますが 息子さんの名前「吾朗」に 「御霊・ごりょう(五霊・ごれい)」の意味を託してつけられたのでしょうか?というのは 一郎から始まって延々と続くこの男子の名前の中で 「五郎」だけは別格だということを 本で読んだので(ごれい【五霊】霊妙な存在とされる、五種の動物。麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)、亀、竜、白虎。Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988)。

こうしてあらためて考えると 宮崎駿監督には人間離れした何かを感じます(笑)。ぜひお会いしたい一人です。

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2006/09/16

『ゲド戦記』

みなさん 自分を大切にしていますか?友人とゲドってきましたよ~。イイ1日でした。感謝。

<主題はナンだ!>
ここに書くまでもありませんが 宮崎駿監督の息子 吾朗さんが初監督を務めた作品。この映画を見ると 随所にこれまでの宮崎駿作品のエッセンスがあることに 気づかされます~。生と死 光と影 これらの二律背反が一緒になって 初めて全体を成す というメッセージ。ビシビシ伝わりました。吾朗監督は「光と影」というテーマがやり尽くされた感がある と言っているそうですが それでも大切なことには変わりがない と思いました。

<「世界の均衡」と「自分の影との闘い」>
舞台となる街は 今の私たちの世界にも共通する物質主義の中で 家畜が疫病にかかり 人の心がすさんでいる様子が描かれています。

「森羅万象は 均衡の上に成り立つ。」

「疫病は 世界が均衡をとろうとする一つの運動である。」

「近頃は誰もまじないや魔法を信じない。でも 物は信じられる。魔法やまじないのように かたちのないものとは ちがう。」

全てのものに 真の名がある。それを知ることで 相手を支配できるのが魔法の力。使い方をあやまると 均衡を壊す。」順不同

魔法を悪用して 均衡を破ろうとする悪玉「クモ」なる女性が登場します(声:田中ゆーこ。ジュリー元気?)。弱い自分の分身「影」から逃げる主人公アレンの恐怖心をあおって 利用しようとします。

『アーサー王の死』や『指輪物語(The Load of the Ring)でも 登場人物たちが自分の「影」と対決します。これは ユングやキャンベル(神話学者)がいう 英雄物語における常套的な展開です。『ゲド戦記』では もうそのまま 主人公の影が本人から分離して 追いかけてきます。わかりやすい!これぞ ドッベルゲンガー(7/17記事)。

恐怖や不安を感じている自分がいるのに 平気なふりをしない。弱い自分を受け入れる。その上で初めて 良い行いが選択できるということ… いつも同じことを書いていますが やはりそこに全てが凝縮されている。この原則が 手を変え品を変え 語り継がれるのには わけがあると思います。「悪」を目の前にした時 どう行動するか。相手が「悪」だから屈するのか。その「コワイ」と思う自分の弱さを克服するのか。

<今日の出会いは…>
ということを 漠然と考えながら 一緒に行った友人S(よく登場します)と 食事をしながら話していて気がつきました。「悪」は自分の外側にあるのではない。自分の中にある。「悪」は 無意識に追いやられた「影」。普段は隠れている。どういう人間でも 子供の頃は全体的な人間性を保っているけど 徐々にその一部を失う。この「影」とどうつきあうか。

アレンも「自分を受け入れる」と言っていましたが 自分の悪を認めて 影を自分に戻す。そのためには 誤解を恐れずに言うと「他人にやさしくしよう 親切にしよう」より先に「自分を大切にしよう」。自分の気持ちを大切にして 自分が受けてきた傷を癒して初めて 他人にやさしくできます。「あの人に傷つけられた」と思っているのは 自分なのです。目の前にいる人は あなたを傷つけようとして話しているのではない。過去を今に投影しているだけだから。

<Messages for you>
都合の良い言い訳ではありません。疲れたら休みましょう。自分をいたわりましょう。友人とおいしいものを食べて 語らいましょう。すると ほ~ら 私たちは家族や周囲にやさしくできます。Take good care of yourself and relax. Go out and have a nice chat with your buddy. As you can see, you've got a peaceful mind. That's good for you and people around you.

<余談>
「クモ」の魔法がとけて 美しさが急速に失われるのを見て 『ハウルの動く城』の「荒地の魔女」を思い出しました。そして なぜか○姉妹も… 若さや美しさに執着しすぎることは 死の恐怖を避けようとしているという警告でしょうか。それにしても 自分の顔のホウレイセンが気になるお年頃でございます。すげーんだ これが。やっぱ ドモホルンリンクル?←全然懲りてない 

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2006/08/27

The Deep End of the Ocean 3

そう考えると このドラマまるで『エデンの東』なんだよ~ 構成が。『エデンの東』と違って二人兄弟ではないけど この映画は3人兄妹のうち 妹の存在はうすく 男二人が強調される。長男が親の愛情を次男にとられてしまう設定。次男が家族の元に戻ってきてから 長男が自分の非を告白したり 家族同志許し合ったりする描写が じつにじつにエデンチックなのだった。

ウーピー・ゴールドバーグ扮する刑事は 『エデンの東』に出てくる召使「リー」。リーは中国人で アメリカという文化に疎外されて生きている。だから 人を人種や言葉で判断しないで 人間そのものを見ることができる まれな人物に設定されている。その本物がわかる鑑識眼(+東洋思想)で 『エデンの東』における主人公家族を助けていく。

ウーピーも「黒人で女性かつゲイ」だという刑事。あらゆる人から疎外されて生きているマイノリティだから 人の気持ちに敏感だと 映画の中でもはっきり言っているし 人間を見る目がある。「白人が 白人以外の西欧思想以外のものをもつ人種によって 助けられる」という設定が 同じなのだった。原作者は 『エデンの東』好きだね きっと(←勝手に決める)。作家って ほら 主題や構成を 前作品に求めるじゃないの。The Deep End of the Ocean The East of Edenというタイトルも 似てませんか?考えすぎ?

長男ヴィンセント君の心理描写は本当にすばらすぃ。親の気をひくために非行するあたりも 映画『エデンの東』ジェイムス・ディーンを彷彿させます。誰か 比較論を書いてください。もしくは 書いている人を知っていたら教えて下さい。こんなとこで 終~了~ 

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2006/08/26

The Deep End of the Ocean 2

映画を見た限りでは 誘拐されていたことが強調されるのは最初だけ。次男が発見されるのも 意外にあっけなく 誘拐された背景が さらりとダイジェストで語られる。中心となるのは 事件に翻弄され次男が不在の間 長男が家庭にいながらおざなりにされていたということ。家族の心の中に不在だったのは 実は長男だったらしい。

その「愛情に飢えた兄弟の片割れ」というテーマは永遠で 聖書の「カインとアベルの主題」だなと。いんがって思ったわげさの(:いい気になって 思ったわけだよ)。「カインとアベル」って 神である父に愛されなかったカインが 愛情を受けていたアベルに嫉妬して 殺してしまったという話。カインの子孫である人間は 全て罪人カインの末裔であり あなたも私も罪深き人間の子である。でも 兄弟殺しの罪にあっても尚 人間は 次の善を「選択する」という自由を与えられているのだそうです。

そのカインという人は 楽園「エデンの園」の東「ノド」に追放された。罪ある人間がすんでいる場所が「エデンの東」なんだ そーだ。スタインベックという人は『エデンの東』という小説を書いたんだけど まさにこの「カインとアベル」の兄弟の愛憎劇をテーマにしている。 つづく

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2006/08/25

The Deep End of the Ocean

ディープエンド・オブ・オーシャン 1999 出演: ミシェル・ファイファー, トリート・ウィリアムズ 監督: ウール・グロスバード,原作:ジャクリーン・ミチャード

例によって ツタヤの「ヒューマン・ドラマ」のコーナーから ふと手にした一作をば一つ。

(「BOOK」データベースより)
ベスは、7歳になる長男に3歳の次男ベンをたのみ、チェックインをすませた。数分後、ホテルのロビーからベンが消えていた。誘拐されたのか?捜査もむなしくベスの家族に地獄の時間が流れた。長男の苦しい夢は何を意味するのか?9年後のある夏の日、ひとりの少年が庭の芝刈りのアルバイトのためにベスを訪問した。彼はベンに似ていた…。家族の愛の復権と再生を描く感動の長編。

うまいっ うますぎる by 埼玉銘菓「十万石」。「見てみたい」と思わせるコピー。でもって ウーピー・ゴールドバーグが出演しているので 「あ 今日これだ」と思った。好きです うーぴー。関係ないけど 主演のミシェル・ファイファーって 発音するとき息が抜けるよね。やってみへ(:やってみてごらん)。

さて 肝心の中身だけど 一見サスペンスなのか?と思いきや ところがどっこい ヒューマンドラマなのだった。「シックス・センス」をこわ~い映画だと思って土器土器していたら 泣けた…というウレシイうらぎりに似ている。ただ 原作をアマゾンで検索したところ 「中古品」が47円から 高くても60円だというのはいかがなものか?!今日はちと 脱線路線だなこりゃ ごめんしてケロ…つづく


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2006/07/04

『八日目 2』

さて主人公は 施設に預けられているダウン症の青年ジョルジュ。週末というのに 家族の迎えはない。彼は 意を決してママに逢いに行く。

一方仕事人間の銀行員 アリーは 奥さんと子供に去られてしまった。娘たちと会う日も忙しく 駅に迎えに行くのを すっかり忘れて 大失態を演じる。ロボットのように 毎日単調な日々。人間らしい感情を失って働くことに 葛藤が生まれ 人生に迷いが生じる。

そんな二人が偶然出会い お互いが大切な人に再会する旅に出る。聖書になぞらえて 始めと終りに 神様が天地創造の一週間で作ったもの。またラストシーンでは それに続いて八日目に作ったものが語られる。ちょっと納得できない終り方で あっけにとられたよ。

ジョルジュは 子どもがするように率直な感情表現しかできない。悲しい時は ところかまわずのた打ち回り 嬉しい時は素直に爆発させる。それを押し殺して 仕事をしたり家事をしているのが 私たち大人として描かれている。アリーは ジョルジュを通して 自分の感情に従ってシンプルに生きることのすばらしさを知るように思う。

また「僕は人と違うんだ」というジョルジュに 「そうさ 君はすばらしい」とアリーが答えるシーンがある。人と違う ということ 多様を受け入れる ということは 高度の成熟を求められるように思う。

まあ この映画を始めから最後まで メガネにティッシュをはさんだまま見たね。だいたい テレビを見ながら泣く というのは 自分にとって特別なことじゃない。だんなによく「また泣いてる…」と笑われる。泣くと すっきりしませんか?!先日はドラえもんを見て またメガネティッシュ登場。いつ見ても おばあちゃんの話は泣けるね(笑)。

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『八日目』

自分の中でずっと ビデオ屋に行くと ヒューマンドラマ つー コーナーから借りるのが流行っている。このコーナーには 北欧など あまりなじみのない国のものもあって おもしろい。

フランス映画なんぞ ほとんど見たことがないのだが 今回はジャケットの写真にひかれて借りてみた。勝手な主観だけど ヨーロッパの映画って 「死ぬ」シーンや性描写をカットしない傾向があるね。これが人生なのだ といわんばかりに 全部テンコもり。それを淡々と表現している。こちらはハリウッド映画に慣らされているから わくわくどきどきハラハラの楽しい展開を期待するけど。

どん底の悲しみのシーンに 出演者たちのコーラスや 淡々と流れる時間 といったシーンがあるのだけど これを見て『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を思い出した。あと 『アメリ』のような おしゃれな雰囲気。ウィットに富んだ会話(インチキ評論家っぽいな)。

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2006/01/08

正しい道

今年初の映画との出会い。前々から行こうと思っていた『ハリー・ポッター 炎のゴブレット』を見てきました。少々時期を逸していたので 会場がガラガラでしたが 落ちついて見られました。はは。

今回のハリー・ポッターは 邪悪な力がますます台頭してくると前評で言っていましたけど その通りでした。その半面 クリスマス・パーティなど楽しく俗っぽいシーンとの落差があり その点が面白かったです。最後は 「え これで終り~ もっと続きが見たい」と思いました。←うーん ボキャブラリーが貧困だ。

主人公のハリーは 学校選抜の大会の代表になり 3つの試練に耐えるのですが そこで勝ち負け以上の思わぬ目に遭います。うなだれる彼に 校長のダンブルドアがこう言います。 「試練に遭った時 人は正しい道か楽な道かの二者択一を迫られる

日々の生活でも えーい面倒だ 明日にしよう と思うことはいっぱいあります。非常に耳が痛い。でも前作の最後においても、校長先生は同じようなことを述べました。「人を決定するのは 能力ではない。選択である。」この「選択が重要だ」というテーマは あらゆる神話や伝説に共通なもので 原作者のJ・K・ローリングも この主題を利用していると思われます。ファンタジーはどうも苦手…という方もいらっしゃると思いますが 神話とは 一人の人間の人生を語り直したもの と言われています。必ず自分と重なる場面があるはずです。食わず嫌いはもったいない。1度ぜひご覧下さいませ(配給会社の回し者かっ)。

Two roads deverged in a wood, and I--I took the one less traveled by. And that has made all the difference. 森の中で 道が二つに分かれていた。そして私は…私は人があまり通っていない道を選んだ。そのためにどんなに大きな違いが生じたことか。(Robert Frost U.S. poet,1874-1963)

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