2009弘前雪燈籠祭り そして
おととしの今日 やはり雪燈籠祭りに行ったらしい。
写真があるでのう。
今年は(も?)雪が少なくて 土が見えていた。
これでは 遠方から来たお客さんはがっかりだ。
天候は仕方ないのかもしれないが…
一回やっただけで 息子殿は早くも退散。
最初からジャンボフランクフルトに目を奪われ 食べる。
昼ご飯を食べてきたばっかりだというのに ご満悦。
すべり台も楽しいんですが
メイン会場入り口ふきんの坂にあった「八甲田丸」なる船
これ 子供たちに大人気だったよ。
雪像を黙って見るより
みんな 登ったり体験できるものが好きなんだ。
ぜひ メイン会場にこれを!
昨日だったか 本屋に行ったら
白洲次郎『プリンシプルのない日本』という本と目が合い
「プリンシプルのない」という言葉に 「あ」
あの 白いTシャツにジーパンで イカした格好
気になる。
さっき NHKで白洲次郎のドラマが入ると宣伝が。
いま私は 白洲次郎の風。
まず1回目は 2月28日(土) 9時から。
NHKのホームページによると
英国仕込みの紳士道をプリンシプルと呼び、日本で初めてジーンズを履き、近年「日本一カッコいい男」と呼ばれ、注目を浴びている真のリベラリスト白洲次郎。
辞典には principle 信条 主義とあるね。
& ちょっと前に 手塚治虫『ブッダ』を読んだせいか
本屋に行くたび 『アドルフに告ぐ』と目が合う。
「アドルフ」とは ただならぬタイトルだなと
ヒットラーに 何を告げるのか?
3月には トム・クルーズ『ワルキューレ』
“Mamma Mia!”の前に予告が入り これもヒットラーつながり
国のためではなく 良心のために戦うとして
ヒットラー暗殺計画「ワルキューレ」を遂行するという話
良心のために戦う これも一つのprincipleじゃなかろうか?
「集団は 月が近づいたとき 世界の飢餓の記憶など 独自の記憶を持っている。集団そのものの歴史の記憶 たとえば 破壊 戦争 移民 憎悪 恐怖の感情 これらは 関係しあっている。P79-80宗教とは 集団感情であり これは教会の神父たちによってはっきりと理解されている。…群衆とは 単純に集団であるが 人間単位の性質によって群衆の性質を判断しようとすると 人間を細胞単位の研究によって理解しようとするのと同じくらい確実に失敗する。
戦争の間 われわれはおそらく世界の歴史における最大の集団を抱えた。もしわれわれが より大きな単位の研究を捧げることができれば 集団行動の可能性を判断し 集団の変わりやすい性質を予測できるだろう。
フン族によるヨーロッパ侵略について 人間単位には説明をつけられない。フン族は 一夜にして破壊集団と化し 別の世代には再び羊飼いになったが タタール人に侵略された。我々は マヤ族が突然移動したわけを 人間単位の中に見つけられない。アッティラやチンギス・ハーンも同様に移動したというが 彼らは単に運動の代弁者だっただけである。ヒットラーは ドイツにおいて集団を作ったのではなく 単にそれを解釈しただけである。
さて 人間単位の無意識には キーとなっているメカニズムがある。ユングはそれを第三者と呼ぶ。それは 集団のてっぺんに挿入された差込みであり その時人間は 集団における個単位のアイデンティティを失う。」P80(Steinbeck A Life in Letters)
Hitler did not create the present phalanx in Germany, he merely interprets it.P80
ヒットラーは ドイツで集団を作ったのではなく 単に集団(感情)を解釈しただけ
それが あの出来事の引金になった と。
つまり 一人ひとりが 自分の中にある「独裁者」を認識することが大事だ
みんながやっているから 命令されたから ではなくて
本当に自分がやりたいことかどうかを考えろと
それが principleか?
4月には 県立美術館で「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展」
とても楽しみです。
半径50キロ圏内で 大いに楽しむ…
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