職業選択の自由

一つのことに集中すること

さんびー ブルブルブル。

ふぇろさぎ しばれでらどー

訳:寒い~ Brrrrr 弘前は冷え込んでいるよー


「自分で選ぼう」の対極にある映画

そりは『今を生きる』(Dead Poet Societyじゃないかしら?

この映画 大好きです。

気がついたときに何度でも見ます。

全寮制の進学校に入った男の子たちが

これもやっぱり 恋愛や進路 兄弟との比較の中で葛藤し

成長していく姿を描写しています。

「本当に好きでやりたいことができない人はどうなるのか」

という 一つの極端な顛末を示していて すごく考えさせられます。

ロビン・ウィリアムズが 学校の卒業生かつ新任教師として登場し

そのユーモアにあふれた人となりによって

本当に自分がやりたいことを見つける大切さ

自己表現の仕方や 型の破り方を生徒に鼓舞していきます。

好きな俳優の筆頭です。


これも昨日お聞きしていたことですが

今の子どもの中には(全員がそうではないけど)

たくさんの習い事を「やらされて」いて 

何も強制されない自由な時間と空間の中に身をおきながら

十分に観察してマネし

内側から湧き上がってくるような 「これ やってみたい!」

という好奇心が台無しになっているように思う とのこと。

するどい指摘だと思います。

いざ将来の進路を決めるときになって

あれもこれもできるけれども これが自分の大好きなものだ

という 唯一つのものを選ぶことができない とのこと。

角野栄子の言った「自分が好きなことを見つけ それを追求することは 自分の「たった一つの魔法」である。一つだからこそ 工夫を凝らし 駆使する。つまり 自分が人生で進むべき道を ただ一つ見つけること」

だね。

「好きなことをアマの趣味ではなく 仕事にしてプロになりたい」

というのが ここ10年くらい自分の目標だったので 

今は本望というわけです。

まだ スタートして少し…


せば!

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自分で選ぼう

先月の末に 髪を切りに行きました。

担当の美容師さんに「グルメさわだ」に行ったことを話したところ

その方が「本当は写真家になりたかったんですよ」と 教えてくれました。

でも 写真の勉強というのは いかにせんお金がかかる

ということで あきらめたのだとか。

今も出かけた先で 写真を撮ったりもするが

ご主人の作品の方が 味があっていいものが撮れる。

自分にはどうも才能がないように思われるのだそうです。

…オドロキました。

その美容師さんは まず腕がいい。

そして こっちの要望を丁寧に聞いて

どういう風にこれから切るか とか

終わった後には これこれこういう風にしました

という かゆいところに手が届く説明をしてくれます。

とても信頼しているので もうこの人以外からは切ってもらいたくない。

ところが 本当は写真家になりたいという夢を抱いていたとはね。

でも 人が 本当にやりたかったことを話すとき

とてもイキイキして見えます。

それがすごく好きでーす。

なので 自分が本当に好きなことをしている人を見たり

その人の体験談を読んだり聞いたりするのが また好きなのです。

その最たるものが 田臥くんであって

文字通り 彼は私の「ヒーロー」なのです。

英雄は 一生聖杯に手が届かないが

その目指す高みに向かって努力していること自体が

聖杯そのものなのです。

たとえ 認められなくても。 


ジブリの映画に 『耳をすませば』 というのがありますね。

高校受験を控えた主人公の雫(しずく)は

進路を決めるときに 自分の本当にやりたい「作家」か

それとも 普通に高校へ行って大学へ進む道を選ぶかで 揺れ動く。

好きになった男の子が 自分のやりたいバイオリン作りを進路に決め

イタリアに下見に行ってしまいます。

その上 雫の母親は大学院に在学中で修士論文を書いていたり

勝気で家事でも何でもこなす大学生の姉は 自活するといって家を出ます。

どんどんみんなが自分のやりたいことを見つけて 実現している中で 

雫はとても焦り 一つ物語を書こう と心に決める。

受験前のテストで成績を落とした彼女

学校から呼び出され 心配した両親とついに向かい合い 

「自分を試すって決めたんだから 今やらなくちゃ」

と 宣言します。

心配しつつも 大学院生の母親は「身に覚えがある」と言い出し

黙って聞いていたお父さんも こう切り出します。

「雫がやりたいようにやらせてみようか。一つしか生き方がないわけじゃないし。だけどな 人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。誰のせいにもできないからね。」

図書館員のお父さんは ずっと図書館で調べ物をしている娘を見守っていました。

口少ないけど ここぞというときに子どもを信頼して「やってみろ」と言ってくれるお父さん

すばらしい!

物語の完成を見届けてくれる 雫の想い人のおじいさんもまた すばらしい。

いろいろな大人の目が 子どもの成長を見守ってくれているんだよね。

まさにこれを地で行く体験談を 昨日お聞きしました。

そっくりですね。つか このまま ですね!

子どもは 本当にやりたいことがあったら 反対されても何度も説得する。

親は 親心から当然サラリーマンや手堅く稼げる仕事を進めたいが

子どもの「失敗してもいいからやってみようという気持ち」を応援する。

先生も 生徒が自分で決めたことを応援する。

子どもが 自分で行為を選ぶ練習と

不安になったら そばで年長者が応援することと

そして 失敗したら励まして 次へつなげるようにすること。

これをいつも見せられているように思う 今日この頃です。

今気づいたけど 田臥くんのご両親や先生方も

まさにこうして応援してきているね。

せば!

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マイク

就職してまもなくの頃だったか

駅で中学のときの同級生(♂)を見かけました。

あまりに懐かしかったので

「Eちゃ~ん!」

と駆け寄ると

彼は コートの襟を立てたところに小さなマイクをつけ

遠くの方を目で追って 今まさに何かをしゃべろうとしたところでした。

「あ」

と 一瞬たじろぐEちゃんに とっさに覚った私は小声で

「仕事中?」

「…あ うん」

「ごめん!せばまた」

「わりーな」

そして その場をそそくさと立ち去りました。

Eちゃんは 刑事さんになっていた模様。

この間時間にして5・6秒ほど

短い再会でしたが 忘れられない一瞬でした。

張り込みだね ありゃ。

かっくいー!

興信所の職員だったりして…笑

Eちゃん 犯人は捕まったでしょうか。

せば!

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ひかり

幼なじみに Sちゃん という男性がいます。

向かいに住んでいて ずっと小学校の間 同じクラスでした。

何をやっても とても優秀なSちゃんは 学級長も務め 長いことクラスの王座に君臨していました。

それを鼻にかける様子もなく ほんとによくできたお子さんでした。

ある道徳の時間に 「よい贈り物とはどういうものか」をめぐる物語を読んだことがありました。

読後に その話の中に出てきた「宝飾された王冠」と「手編みの帽子」どちらが価値があるか と先生が質問しました。

小学2年生か3年生だった私は 単純に「価値がある」という言葉に反応し 「王冠」と言いました。「お金に換わる価値がある」という意味だと解釈したからです。←このころから 打算的だったことがわかる

先生は がっかりしたような 残念な顔をされました。

Sちゃんはすかさず「心がこもっているたった一つの贈り物だから 手編みの帽子の方が価値がある」と言いました。

先生は 「そーです!」と 興奮した様子で たいへん満足されていました。

私はそのとき

「はめられた」

と思いました。

「道徳は技術のように教えられるか」という疑問が ここから出発したのでした。

冗談はさておき

向かいに住んでいたにもかかわらず 中学に入ると Sちゃんとは全く接点がなくなりました。

いわゆる一つのマンモス校だったため すれ違うこともあまりなかったように思います。

別々の高校に進学し 3年の間で 朝たった一度ばったり会ったときに

「おはよー」

と 言ったきりです。

優秀だったSちゃんは 名古屋大学へ行きました。

お互いに 県外に出たので そこから5・6年は全く会うこともありませんでした。

大人になって 就職もしたある時 外出先から帰って家に入ろうとすると Sちゃんが突然犬を散歩させているではないか。

なーんと。かなり久しぶりなので 近況を報告しあいました。

Sちゃんは 大学院までいき 首都圏の光ファイバーの研究機関に勤めているとのこと。

休みが取れたので 帰省しているところでした。

なんかよくわからんけど さすがSちゃんだなあ と思った私でした。

去年から我が家も 光電話になったわけだけど 「光」というとSちゃんを思い出します。

今は二児の父になったらしい。

Sちゃん もっと電話安くしてください。

↑言う人 間違っちゅう

せば!

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何気なく手に取った本は

むかしむかし 一介の学生だった頃。わたしはバイトに明け暮れていた。前に「職業選択の自由」というカテゴリーで そのときにやっていた仕事やエピソードについて書いたことがある。実はまだまだ終わらない。単発で2年のあいだに10以上はやった。

その中でも 春休みに住み込みで スキー場近くの国民休暇村(宿舎)でバイトしたのは とてもいい経験だった。同級生2人と連れ立って 群馬県嬬恋村に1ヶ月滞在した。

朝は5時半 早いときだと5時とかそれ以前から食事の支度 後片付け 売店や喫茶の手伝い スキー場での食堂 休憩をはさんでまた夕食の準備 後片付け。ひたすらその繰り返しの毎日だった。1ヶ月みっちり働き 途中インフルエンザで発熱 スキー場のトイレで失神(笑)ということもあったけど 今思えば とても充実した日々だった。

ここで東京や埼玉から来ていた 他のアルバイトの人たちと会った。いずれも4年大の年上の学生で 男性2人 女性2人。高校出たての女の子も一人いた。本当によくみんな 単身で遠いところにバイトに来るもんだと感心した。

地方から横浜に上京した私は 自分がよそ者だということを嫌というほど味わっていた。そして 入学した先のお嬢様方の自由奔放ぶりに辟易していた。自分は違う と思い上がっていたところもあった。でも明らかに自分とは違う経済感覚の人たちがたくさん周りにいて 疲れていたと思う。

自分のお小遣いくらいは 自分で稼ごう。住み込みのバイトもイイ経験だ ということで 嬬恋まで出向いたのだった。

そこで これぞ真のお嬢様だ という人に会った。Kさんは都心にお住まいがあり 私立の有名学校でずっと学んできたそうだ。でも そのままエスカレーター式で大学に行くのは不本意だ と思い 早稲田に進学した。それまで私のイメージしてきたお嬢様は お金が自由で ブランドを身にまとっている というものだったが 良い意味で違っていた。

学年が1つ上彼女は 私たちの布団やシーツをさっと取り替えて来てくれ 率先して仕事をした。普段はGパンとスエットシャツ という身軽さで飾らない。でも育ちの良さは隠せなくて 「行きますわよ みなさま!」と号令をかけるのだった。

私にとって Kさんは衝撃だった。そして今も あの時彼女に出会えて良かった と つくづく思っている。何かにつけて彼女を思い出す。自分が 一人暮らしをして 何でも自分でやっていると思い上がっていたのを 彼女は見直させてくれた。そういう態度をさりげなく諭してくれ 「こんな人になりたい」と思わされた。

彼女は早稲田の学生さんらしく 春休みの課題になっている「太宰治」の本を山と持ってきて読んでいた。青森県出身の自分が 全くその著書を読んだことがないことを恥ずかしく思い 帰省してすぐ一念発起して10冊ぐらい読み 「斜陽館」に出かけたこともあった。そのぐらい 強烈に影響を受けた。

昨日ツタヤで何気なく手に取った本 小長谷有紀編『「大きなかぶ」はなぜ抜けた?』(講談社現代新書)。昔語りには 謎解きのような面白さがある という内容で 古今東西にある伝承文学 たとえば 桃太郎などを紹介している。伝説や神話の共通点を探るのが趣味になっている自分にとって これは面白い一冊。

この中に見慣れた名前があった。かつて嬬恋で一緒にバイトしたKさん。彼女も この本の編者の一人になっていた。ロシア文学を専攻し あの後ソ連に留学して学問を修めた彼女は 北海道の大学で助教授になっていた。すばらしい!

もつけの私は早速 その大学を検索し 昨晩の内に彼女にメールをした。そして この記事を書いている途中 彼女から返事が来た…。

○ちゃん! お久しぶりです。 このたびは、本を読んでくださり、またご連絡をくださって、本当にどうもありがとう ございます。 もちろん、よく覚えてます。鹿沼の国民休暇村のことは。 生まれて初めてスキーをした事、厨房でのお仕事、夜に皆でおしゃべりしたこと、お休 みに行った草津温泉等々(○ちゃんが、あちらで風邪を引いたことも覚えてます)。 でもやはり、皆さんにお会いできたことが一番のよい思い出です。

なんてすばらしい再会!ありがとうKさん!(涙)

今日出会う人が あなたの人生を大きく動かす人かもしれません。
みなさまにも 良い出会いがありますように。

せば!

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18歳からのハローワーク 5

5. お歳暮の仕分け(横須賀 高島屋追浜配送所 2週間を2年)

このバイトは 学校の掲示板に募集がかけられていたものだった。単発の仕事というのは 概して単価が高い。これも お歳暮の時期だけで 他のファスト・フード店などの時給より200円も高く 夕食がつくという またまた一人暮らしにはもってこいの仕事だった。こういう「裏方」的な仕事には わが学校のクラスメイトはあまり食指が動かない。しかし!ずっと仕事がなかった私は 何がナンでもお金を稼ぐ!という気概を持って応募した。この時は勇気ある友達(?)と3人で参加。

まず配送所に送られてくるお歳暮をベルトコンベアで流し それを住所ごとに仕分けする。あの 高島屋の「バラの包装紙」に包まれたお歳暮たちがガンガン流され 担当になった住所のものをすばやく取る。それが済むと ペンのような器具で ひたすら伝票のバーコードの読み取り。電話応対。

この電話応対というのが とても難しかった。勤めている女性事務員さんも 「就職したらまず電話応対が一番多いし大変だ」と言っていた(2年後に会社に就職し まさしくその通りになった)。このバイトの時は 仕事を知らないと対応できないので 結局担当の人に引き継ぐだけだった。

このバイトを 1年と2年の年末にさせてもらった。名前は思い出せないが この配送所の所長さんがとてもやさしかったのを覚えている。食事は店屋物で 海老丼やかつ丼定食といった とてもおいしいものだった。一人暮らしで 自分が作る食事というのは ありきたりで飽きてくるものだ。この時 人が作ってくれたご飯で おなかがいっぱいというのは とてもハッピーだとつくづく感じたっけ…なんとひもじい。

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18歳からのハローワーク 4

4. ワインの試飲(ウィング久里浜 2日間)

夏休みも終り 横浜に戻ってきた私は また仕事を探した。この「ワインの試飲のバイト」というのは 週末だけの単発で 当時日給6000円(拘束時間6時間)という なかなかいいお金になる仕事だった。学生の分際で お酒の仕事というのもナンだが この仕事の説明会に クラスメイトが5・6人は参加していたように思う。そのくらい 短い時間で良いお金 というのは 魅力的な仕事だった。わたしたちは ワインの発売元である「共和発酵」に出向き ワインのウンチクを教授された。そして 週末それぞれの持ち場へ一人ずつ配置され いざ開始!

わたしが配置されたのは 「ウィング久里浜」というデパートだった。大型店舗の裏側に入ったのも この時が初めてで とてもおもしろかったのを覚えている。初日の午前中は バイトを派遣している事務所の女性が一緒に入ってくれたのだが まもなく一人ぽつねんと立たされ 孤独な商売が始まった。

酒を飲めるわけでもないのに 酒を宣伝するというのも たいへんな仕事である。どのようにおいしいのか 通でもないのにナンと説明して良いのやらわからない。たまには 一口飲んだだけで「おいしい!」と言って買ってくれる すばらしいお客さんもいるが ほとんどは飲むだけでその場を去る。それは 今なら当然だということがわかるのだが それがとてもキツイことに感じていた。その上「そんな小さい声じゃ 売れないわよ」と はっきりおっしゃるお客さんもおり 青二才のわたしは かなり落ちこんだのだった。

そしてこのバイトは 自分に向かないなとあっさり悟り 単発だったことをいいことに ニ度とやらなかった。お金がよくても やりたくないことはやりたくない と強く感じた。フォローすると クラスメイトの中でこのバイトが性にあった人もいて もっぱらこの仕事をしていた。その彼女に10年くらい前に再会した時 通訳ガイド(たしか)となって 外国と日本を行ったり来たりしていると言っていた。人前で堂々と自己表現できることは とても強みだと思う。

この仕事をしてからは 試食や試飲の仕事をしている人が声をかけてきた時 買わない時は「無視」するのではなく にっこり笑って軽く会釈している。本当にご苦労な仕事だよ…!

それにしても バイトばっかりして いつ勉強していたのか わたし。答え:勉強していなかった

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18歳からのハローワーク 3

3. アパートの掃除(実家近く 夏休みの1ヶ月の間)

サーティ・ワンを辞めて帰省した私は 近所のアパートの廊下や階段を掃除するというバイトをした。これは 母がそのアパートの大家さんから頼まれていた仕事で 夏休みの小遣い稼ぎに私にやらせてくれた と言ったほうが正しい。週1回 1ヶ月。夏は特に 蛾などの虫が多く散乱するので やって欲しいといわれたのだそう。

一応これも お金をもらってやった一つの仕事と数えて あえていうならば。同じ年ぐらいの学生たちが住んでいるアパートを 黙々と掃除するのは はっきりいって嫌な感じだった。わたしが住んでいる場所は 自分が掃除していたから 自分のところは自分で掃除しろよ!!と言いたかったね。まあ これも一つの精神修養のひとつと思えば お金をもらって修行できるとは なんというありがたさ(く くるしい)。

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18歳からのハローワーク 2

2. サーティワン・アイスクリーム(金沢文庫 2ヶ月間)

食べ物を作る場所の「熱気」がすごいものだ ということを実感した私が次に選んだのは アイスクリーム屋さんだった。アイスなら熱くないだろう という単純な理由だった。懲りずにクラスメイトのTちゃんと面接を受けた。「一人でも働きますか?」と店長さんに聞かれ 「やります」と応えたところ 自分だけが採用になってしまった。ついに一人で行動すべき時がやってきた。

ここでは まず3スクープで50gになるように練習し(右腕がかなり太くなった) あとはひたすら 商品名を覚え 慣れるのみだった。今は弘前にもあるが 当時は「サーティワン・アイスクリーム」というものが青森県に未進出。当時のシングルの値段は 150円だったが 今は280円くらいになっており 時の流れをヒジョーに感じる…。制服は今だと 色も茶色とベージュが基調のハーフパンツくらいになっていると思うが その頃は ショッキング・ピンクの 超ミニスカートだった。それがとても恥ずかしく ゴミ出しなど 制服のまま外にでなくてはならない時などは 小走りで移動したものだ。閉店になる時間に 時折 同じ駅構内にある「ケンタッキー」のお兄さんが 売れ残った商品を人数分持ってきてくれ 一人暮らしの私にとって とても嬉しいお土産だった。

いまさらなんだが 31は文字通り31種類のアイスクリームがあって 1ヶ月毎日食べても 同じ種類がないというのが売りだった。アメリカのバスキン・ロビンス(確か)という外資系の店なので 全てが英語。あの 覚えにくいアイスクリームの商品名はもとより 全て持ちかえりの量り売りも オンスとガロン単位。なんつーか いちごならStrawberry とか そんな単純な名前じゃなく 当時 「ベリー・ベリー・ストロベリー(Very Berry Strawberry)」などと複雑な名前が解せなかった。「ナッツ・トゥーユー(Nuts to you)」を「ナットー ユー」というお客さんもいて 「糸がひきますけど よろしいですか~?」などと 後でスタッフ同志盛りあがったりした。

このバイトをしている間 学校になかなかなじめず これといって話せる相手もいなかった私は バイト仲間の方がよっぽど仲が良くなっていた。同い年のスタッフも何人かいて 家に泊まりに来てくれたり。だが 夏休みが目前に迫った時 辞めたのだった。2ヶ月もの間 帰省せずにバイトをするなど考えられなかったし 辞めて帰るのが当たり前 ぐらいに思っていた。今になって 仕事に対する認識が甘いのに気づかされる。

接客の仕事をしてみてよかったのは お店の人の立場がよくわかったということだった。どんな店でも 注文する時や お金の受け渡しの時に こちらも「ありがとう」という気持ちになった。お疲れ様!とでも 言ってしまいそうな そんなねぎらいの気持ちが生まれた。「いらっしゃいませ~」の 声につられて こちらも「いらっしゃいませ~」とつい出そうになったり。

そして お客さんというのは 本当にいろいろな人がいて スカートをはいているおじさんが買いにきたりと とても驚くことがあった。女装している男がいること自体が とても強烈だったね。弘前でそんな人がいたら 目立ち過ぎて生活していけない。

余談だが 伊勢佐木町で ウェディングドレスを着て 顔を白塗りした老人を見かけたのも この頃だった。それをクラスメイトに話したら 「それはメリーさんだよ!」と言われるくらい 有名な人物だった。てっきりおばあさんかと思っていたのが おじいさんだったというので 2度ビックリ。長年横浜に住んでいても なかなか見かけない という人もいて ラッキーなのか そうでないのか よくわからない事件だった。数年前 テレビで 黒沢年男氏が「メリーさんを最近みかけない。病気になったらしく心配だ。」というようなことを言っていたので 確かに有名人なんだ と いまさら実感。

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18歳からのハローワーク 1

フリーター ニート という言葉がありますが 誰にとっても自分が好きで向いている仕事を探すのは 人生においてかなりの位置を占める関心事ではないでしょうか。私が 学生だったウン年前 かなりのアルバイトを経験しました。就職する前に どんな仕事があるのか体験しておきたい。親元を離れて県外に出たこともあり 小遣い稼ぎもしたい。仕事に限らずいろいろなことを体験してみたい との思いからです。「今日の出会い」ならぬ「かつての出会い」とでもいいましょうか。時おり「18歳からのハローワーク」と題しまして わたくしの つたない職場体験を綴ってまいりたいと存じます(うーん カタイ)。

1. ケンタッキー・フライドチキン(金沢八景 1日間)

栄えある始めての職場は のっけから1日で終了させてしまいました。高校を卒業して県外の学校に進学し 周囲に全く知り合いがいなくて不安だった私は 学校で前の席に座っていたクラスメイトTちゃんと共にバイトをすることにしたのです。ここからして「ちがう」という気はしますが 当時はこれが精一杯だったんですよね。青かった。

あたりまえですが 食べるのと作るのでは 全く違いました。その仕事のハードさ 調理場の熱さ などなどに圧倒。初日は マニュアルのビデオを鑑賞し 職場がどんな場所かを一回りし スタッフのみなさんに挨拶しただけなのです。結果的に その上でできるかどうかを決めた ということになりました…。頼りなげな私たちを見て 店長さんも初めから 「もしやめるなら できるだけ早い段階で言って下さい」とおっしゃいました。戦力になってから 急に辞められては困るというのです。そこで 「できそうにない」と直感した私たちは 次の日すぐに辞めること伝えたのでした…(まだ始まってない てことか?)

このバイトのすごいところは マニュアルが徹底しているところです。お客様が「からあげ5つ下さい」と言ったら 「フライドチキンでございますね」などと 口が裂けても言ってはいけないことになっていました。それは 今でも正しいと思う。お客様はいつも正しい。うんうん。職場の皆さん 大切な教育をありがとうございました…。

実はこのバイトを見つける前に 五反田で一つ面接を受けていました。それがまた 面接というものも始めてなら 履歴書を書くのも始めて。なんちゃって標準語を話すのが精一杯。高層ビルの一室でバリバリのキャリアウーマン(に見えた)に面接され 「元気がありませんね!」などと一喝されて帰ってきたことがありました。それはそれは場違いな いやな体験でした(なぜか帰りに 新宿アルタに行った)。そこから一歩また一歩 自分の中では「働くって大変だ…。仕事に就くまでは 時間がかかるな…」という気がしていました。

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