書くこと

「書く」ひとの定義

「作家とは人間の条件を描く芸術家であり その条件を知るためにはまだ自分が経験していない道の年齢を苦労しながら通り抜けていかなくてはならないと教えています。冒険をして経験の幅を広げることで 人間とはどういうものかがわかっていくようになるでしょう。…作家として大成するための最も確実な手段は つねに何かに関心を抱いていること そして長生きすることという簡単な二カ条です。」   Writers are the artists that express qualities of human. In order to see that qualities, they must struggle to go through the unexperienced path. You will find what human beings are by taking the chance and broaden your experience. ... There are certain ways how to become a successful writers; have always interest in something and live a long life.P312

キャロル・アドリエンヌ『人生の転機』 When Life Changes or You Wish It Would--How to Survive and Thirve in Uncertaing Times--

自分の座右の銘『人生の転機』 これには さまざまな人間がどうやって 国の体制 宗教 モラル 親の価値観など すべての既成概念からはずれた本当に自分が望んでいる人生「左側の小道」を生きるようになったか が描かれている。

体験談を載せている人の多くが 本業の活動の傍ら 詩や小説など 「書くこと」に目覚めていくのがおもしろい。それに関連して この本の著者は 若い人間が小説を書くのに時間がかかるのは当然だ と言っている。それは まだ経験したことのないことを想像して書かなくてはならないからであり 90歳の人間がその人生の最高傑作を書くのは 不思議ではない としている。


「作家とは人間の条件を描く芸術家である。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

分かち合おう

200804230910000
お隣さんから お花をいただきました。

ちょっとしたことなんだけど

なんだか とても幸せな気分shine

「ステキッ!」


さてさて。

弘前市内には

アイヌ語 と思しき地名がいくつかあります。

学校時代に数人の先生方がしかへでくれたが

たとえば有名なところで

「小比内(さんぴない)」

「撫牛子(ないじょうし)」

とかね。

県内には「ナイ」とつく地名がたくさんありますが

「沢」という意味らしいですな。

あと 前にも書いたことがあるが

「大鰐(おおわに)」

も 「オ・アニ」というアイヌ語に由来していて

「深い谷」という意味なんだそうだ。

となると 秋田県の阿仁町なんかも

「谷」?


「日光」という場所がありますよね。

あれも「フタラ」というアイヌ語が語源で

「笹」という意味なんだそうです。

「フタラ」に当て字をして「二荒」と書いたのが

「にっこう」と読むようになり

今の漢字「日光」におさまったのだとか。

確かに日光には 笹がたくさん自生しているな

だからなのか!

と 合点する。


そういう語源とか 人間のルーツを探るのが面白くて

昨年末に

吉田金彦編『日本語の語源を学ぶ人のために』

という本を 本屋で見かけ 衝動的に買ってしまいました。

日本語は文字をもたなかったので

輸入した漢字を 音に当てたんだよね?

専門家ではないので つっこまれると困りますが…

外国の言葉と日本語は 

まったく共通性がないようで

実は通じているところがある。

特に ポリネシア語と日本語の共通点は面白い。


ポリネシアとの共通といえば

アカシック・レコードという言葉があります。

アカシックレコード (Akashic Records) は、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。多くの場合、宇宙空間それ自体にその(一種の)記録がなされると考えられており、そのためサンスクリットで「空間」「宇宙」「エーテル」を意味するアカシャ (Akasha) とも呼ばれる「アカ」という言葉も 色々な国で共通するものらしい(Wikipedia)。

ポリネシア圏にも「アカ(aka)」があって

「エーテル体」という概念らしい。

「…アカというのは 肉体の 目に見えない複製のようなものであり 肉体とおなじ空間を占めていて 基本となるパターンを提供しているものなのだ(サージ・カヒリ・キング『ハワイアン・ヒーリング』P135)」

ここまでくると スピリチュアルに嫌悪感を持つ人は

イヤになってくるかもしれないが

基本的には 火のないところに煙は立たない

と考えるので

ちょっと変わっているな と一見思えたとしても

どんな説にも どんな人の言葉にも

多少の真理が隠されている と思っています。


アイヌ語の話に戻りますが

世間にはやはり アイヌ語の地名に興味を持つ人がいて

実際に訪ね歩いて 解釈を試みた方がいます。

菅原進『-エミシの国の-アイヌ語地名解(北東北県版)』

岩手県内在住の著者は 

中学校教員を退職してから北東北3県を回り

アイヌ語系古地名の収集と解釈に取り組んだそうです。

例えば

「岩木山」は

「カムィ・イワク・イ」

(「ク」は 小さい文字で表記されている)

意味は

「神・住みたまう・所」。

「青森」は

「アウン・モィ」

意味は

「内に入り込んでいる・入り江」

と 解釈できるそうです。

(東奥日報より)


またある時 こんな記事も読みました。

辞典を長い年月をかけて編纂した男性について

この方は 本当に小さい頃から辞典に興味があり

人生の選択をする際には必ず

自分がやりたい「辞典」に関わることを選んできたそうです。

辞典編集のチャンスが来たときに飛びつき

編纂した大辞典が世に出回ったときの歓びを語っていました。


また 大学院の研究論文をやっている女性ですが

ある作品の翻訳が 一部分であることに気がつき

一念発起して 全訳にとりくみ 

出版したという記事も読みました。

この人にしても 

退職してから アイヌ語をフィールドワークによってまとめた人

辞典編纂を長年夢見た人も

自分にしかできないことを生涯の仕事にして

それを知らなかった人たちに伝えることができる

そういう仕事ができるのは すばらしいことだな

と 思います。

「それまで知られていなかったことを 世に知らしめる」

それは 自分だけに知識を納めておくのではなく

みんなで分かち合うこと

それが ずっと心に残っています。

これからも

「これはみんなとシェアしたい」

と思うことがあったら 

私も書こう と思います。

そういう仕事を 自分も見つけることができたら

とてもしあわせです。


せば!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平和と遊び

先日の「グルメさわだレポート」

明鏡欄に投稿したのが 載りました。

結構送ってから日が経ったので 

「またボツかよ…」

と あきらめていたのです。

そしたら今日の夕刊に載っているぢやないか。

「おお!」

と 家事の手を止めて読み

一種の感慨にふけっていたところ 一本の電話が。

サタさんご本人からでした。

わざわざありがとうございました。

制限550字では収まりきらない魅力の持ち主です。

宣伝すると お断りする方が多くなるのでしていないということですが

みなさまも機会がありましたらぜひ。


約2年ぶりにまた明鏡に送ってみようと思ったのは

サタさんに 伝え切れなかったことがあったので。

そして

明鏡欄にもときどき

「世の中が悪いから 子どもを産み育てる気がおきない」

とかという投稿があるが

とにかく「世の中が悪い」という不平はもう聞き飽きた。

そんなことを言っているヒマがあったら

ゴミの一つでも拾ったほうが よっぽどすばらしい。

自分から積極的に良くしていこう という行動によって

良い世界がつくられる。

それをサタさん(と ご主人)は伝えている と思ったので

思い切って。


澤田サタさんの半生をつづった「マイウエー」という記事が

去年 新聞に7回ほど連載されました。

青森県にゆかりのある人物が 自分を語る形式で

さまざまな分野で活躍されている人が取り上げられています。

まず 彼女がいま弘前市内に住んでいるということに驚き

「英語に興味をもったことが その後の人生を左右した」

という内容に ぐいぐい引き込まれました。

いつかその 一日一組をもてなすという場所に行ってみたい

と思い 記事を切り抜いてありました。


先月だったか 土手町を車で走っていたところ

サタさんを見かけました。

右折しようとした私の車の前を渡ろうとしていたのですが

先を譲ったので 軽く会釈をされて颯爽と歩いて行かれました。

新聞の写真と同じ姿だったので(当たり前)

「あ サタさんだ」

と 一人でびっくり。

弘前ガイドブック「TEKUTEKU」の今号に

サタさんのインタビューが載っていたので

2・3度立ち読みしていたのですが

これは「行け」ということだな

と 察知し

お友だちを誘って ついに訪問が叶った

というわけです。


夢は温めておくものですね。


サタさんのご主人 「報道写真家 澤田教一」という方は

戦争の悲惨さを伝えながら

いつかはその戦争があった村が平和になった時に訪れて

写真を撮りたいと願っていたそうです。


いつも思う「平和」という言葉ですが

世界の平和は 自分ひとりの心の平和から始まって

家族の平和

地域の平和

国の平和

そんでやっと世界の平和…

だから自分ができることは

まず自分のことだね。


イライラしたり 怒りっぽくなったら

「今なんで腹が立っているのか」

と自分を客観的に見たり

子供の頃の環境を振り返ってみたり

そういう 心理学的な内省をすること。

お母さんがにっこりすれば 家族の平和につながる。


そして 世代間のギャップに圧倒され

押したり退いたり けんかしながらも

同居家族とそれなりに仲良くする(笑)。


それができたら今度は

近所の人と挨拶する。

気づいたときしかやらないが ごみを拾う。

共有している場を時々きれいにする。

そうすると なんだかご近所と仲良くなる。


私がやっているのはそこまでです。


あとは 教室に来る子どもたちと

お母さんたちと いっぱい話すこと。


または親戚を時々尋ね お土産なぞを持参し

懐かしい話をする。

そうすると それぞれの人が

実は少しずつ自分であることに気がつきます。

「自分になる」ともいえる。

特に今年は

久々に会った親戚と話して

実は伯母たちが 趣味で詩を書き続けていたり

ピアノを続けていたり

いとこが 絵を描くのが好きで 飾っていた

…などということがわかり

なぜ自分が日記を書き続けていたり

音楽や美術に興味があるのかを垣間見たように思われました。

「みんなが少しずつ自分」

そういうことをこれからも地道につづけよう。


あと 

「Always 3丁目の夕日」なんかを見たり

前から子どもと見ていた「未来少年コナン」を見るにつけ

平和って

そこにあぐらをかいていちゃ 維持できないんだな

日々戦って勝ち取っていくんだな

と つくづく思わされるんですよ。

なんだか 平和というお題目がでかいですが

(先日息子が買ったダイソーのおもちゃも タイトルがでかい。

その名も「宇宙セット」 

NASAの宇宙飛行士と 宇宙探査機 ロケットのセット

これで105円。「宇宙」が105円て!)


あと

「スキマ」がないとだめなんじゃないか

30年代の様子をよく特集したりしていますが

何か 満たされていない「隙間」がありますよね。

土地にしても 家や家具や服装にしても

満足しきっていない空間がまだある。

だから

ちょっと不便だとか 足りない というところを

今はわざわざ作っておく必要があるんじゃないかなと。

まるで『求めない』や

『ハコミセラピー』の中にある「空間」の話と同じなんですがね。

「老子は『からっぽであること』と『存在しないこと』をとても勝ちあるものとして大切にしました。それは 肯定的な概念なのです。存在しないことは とても役に立つのです。

ひとつの車輪には たくさんの輪止めがあるけれど 車が動くのは まんなかに穴があるからだ。粘土でつぼをつくるけれど 内側にからっぽのところがあるから 役に立つのだ。(『ハコミセラピー』P24)」

これを文字で表現するのは難しいんですが

「遊び」の部分 なにもない部分というのを

自分に残しながら 仕事をしていこう

と 思うようになりました。


2007年はそういう年であったことよ。


来年からは

「外国」ということにもっと積極的にアプローチしたい。

ただ旅行ということだけじゃなく。

先日自分の中で 具体的目標を掲げてみました。

時間がかかっても やるよ。


いつもながら 

えらそうに書いているが 葛藤の日々

ではでは また

せば!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原点に返る

先日 岩木町で行われた角野栄子さんの講演を拝聴した。角野さんは映画「魔女の宅急便」の原作者で 本のもたらす想像力の効果について語った。彼女によれば 本とは表紙の次にある「扉」というページをめくり 現実と違う世界へといざなうものである。その世界は 人の心を解放させる性質をもつと話す。
また 本を含め 身の回りにあるものはすべて 人の願いから生まれた産物である。こんな便利な道具があればいいのに という願いが この世に存在しなかったものを生み出す。「人の思い」という見えない世界から すべてのものが生まれるのだと強調した。それはこうありたいと思う自分の将来像までをも もたらすのだという。
11月22日付本欄に「人を癒す文字の力に」との投稿があった。私たちの目の前には厳しい現実があるが 想像力をくれる良書から それを乗り越える力が得られるであろう。角野さんも 幼少のころに母親を亡くしたが その苦しみから救ってくれたのは「こうありたい」と願う希望に満ちた自分の姿を想像することであった と述べた。そして 自分が好きなことを見つけ それを追求することは 自分の「たった一つの魔法」である。一つだからこそ 工夫を凝らし 駆使する。つまり 自分が人生で進むべき道を ただ一つ見つけることが肝要である。想像力で開かない扉はないのだから と結論付けた。勇気の出る思いがした。

2004年12月1日付 東奥日報 明鏡

これは 人生初めて新聞の明鏡欄に自分が投稿したものです。

今読むと ヒジョーにマジメな筆致で びっくりコケマロ(死語)。

卒論で「神話とユング」にはまり

次の年から 教室を立ち上げようと希望に燃えていたときだったので

今読むと その時の気持ち そのままを表しているな と思う。


明鏡欄については

その後 2005年初めに投稿されたのが載ったのを最後に

沈黙を保っています。

ブログを立ち上げて 

書きたいことは ここに書いているから ということもある。

いや 一度「ガイヤシンフォニー」を見た感想を送ったら

載らなかったんだよね。

しょぼーん。

そういう「思想・信条」が強い投稿は 載らないと見た。


だけど ↑角野栄子さんの講演内容というのは

ご自身の言葉で語ってはいるけど

本当は 神話や宗教で語られていることを言っているんです。

象徴に満ちた講演 なのであります。

ケロロ。


それが証拠に

想像力で開かない「」はない 

と言ってるしね。

つい先日も引用したけど

Follow your bliss

and the universe will open doors for you

where there were only walls.

「幸福に従えば 扉が開く」

と 神話学者ジョセフ・キャンベルが言っているとおりなんだよ。


それは今をときめく「引き寄せ」の法則 とやらにも通じるし

想像したことが現実になる ということは

シンクロニシティ ということだよね。


ちょっとリズムがつかめない日々が続いたので

過去の自分からメッセージをもらおうと思って

これを読み返したわけです。

原点に立ち返って

希望に満ちた自分を想像することにしよう。


せば!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フリー・ハグと らくだ舎

フリー・ハグ(Free Hugs)という運動について 

以前書いたことがありました(2/28)。

黒石市のブッフェ「豆のや」を検索してつながったOさんのブログに 

この運動について書いてあったのを読んだのが きっかけでした。

フリー・ハグとは オーストラリアから世界に広がった運動で

ただ 「Free Hugs」と書いたものを掲げて街頭に立ち

通りすがりの人が同意したら 互いを抱きしめるという

ただそれだけのことなのです。

ご覧になったこと ありますか?

私はその映像を見た後 自分の中で変化が起こって

道行く人を やさしい気持ちで眺めていました。

自然ににっこりしていた気がします。

続くともっとすばらしいのだが。

すると 友人の一人がすぐさまメールをくれて

おすすめの You Tube(無料動画サイト)の映像のアドレスを教えてくれました。

「弘前でフリー・ハグやるが」

と 冗談でやりとり。

いや まだやってませんよ。

その後 彼女は都内に出かけた際 

この フリー・ハグをやっている青年に遭遇し

初フリー・ハグ体験をしたそうです。

かなり暗い 日本人青年だったそうですが…

やるなおぬし

と思った次第。

『バカの壁』のヨーロー先生が指摘するように

都会は「意識化」された場所であり 「機能体」。

田舎は 「無意識」であり

自然発生的な「共同体」である。

そして 現代人はみな 脳化された機能体の中にいる。

私たちは これが正しい とか 自分は勝っているとか

そういう意識的なことに疲れていますね。

励ますのではなく 

ただ そばにいて抱きしめる という

人の温かさ ぬくもり。

単純に いいですよね。

10年位前のことですが 都内某所に「らくだ舎」という 共同体がありました。

知人Mさんが その友人たちと一軒の家をシェアして住んでいた場所で

家事などの役割を分担してチーム・プレイができるということから

「楽だ」

らくだ舎 と命名したのだそうです。

私はこのらくだ舎を訪れた瞬間から気に入り 

今までにない居心地のよさを感じました。

それは よく知らない人でも受け入れてくれる という

温かさを感じたからだ と思っています。

現にお邪魔したとき

家の一角の部屋に イタリアだったか 外国人の方がいる

と言ってたもんね。

その時は 珍しく雪が降ったときで

苔むした中庭が きれいに雪化粧されていました。

それを おこたに入りながら 眺めるのは

かなりステキなことでした。

ある時 らくだ舎のみなさんが花見をするというので

お邪魔したことがありました。

なんと なべ一杯のおでんを持参して下さり 

夜桜を楽しみながら アツアツのおでんをほおばったものです。

牛筋なんかが ホロリとくずれるほど煮込んであってね

うめーの。

よく知らない私を仲間に おでんをご馳走してくれて

本当にうれしかったんですよ。

もう酒も入っていたということもあり 隣近所知らない人とも楽しく歓談していたのですが

お隣の学生軍団が サトウキビをかじっていて

それがなぜか こちらにも回ってきた。

赤の他人がかじったサトウキビ

私もかじりました(笑)。

それは 初めての体験で 確かに甘いのだけど 全くしつこくない自然の甘さ。

Mさんは「○さん(私の名)もかじってみな」と 当たり前によこすので

つい。

「おいしい」

というと それを貸してくれた(笑)男の子が嬉しそうにしていました。

Mさんは みんなで神社のお祭りに行ったときも 勝手にひょいっと屋台に入り

やきとりを食べ初めていました。

「○さんも食べる?」

私は彼女のそういう飾らないところが好きでしたね。

年がら年中 素足にサンダル履きだったしね(笑)

元気でやってることでしょう。

らくだ舎は フリー・ハグを地でいく共同体で

さとうきびをかじった瞬間 私は他人とつながってたなと

思うのです。

言葉と 言葉を超えたコミュニケーションがとれるといいね。

せば!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マイク

就職してまもなくの頃だったか

駅で中学のときの同級生(♂)を見かけました。

あまりに懐かしかったので

「Eちゃ~ん!」

と駆け寄ると

彼は コートの襟を立てたところに小さなマイクをつけ

遠くの方を目で追って 今まさに何かをしゃべろうとしたところでした。

「あ」

と 一瞬たじろぐEちゃんに とっさに覚った私は小声で

「仕事中?」

「…あ うん」

「ごめん!せばまた」

「わりーな」

そして その場をそそくさと立ち去りました。

Eちゃんは 刑事さんになっていた模様。

この間時間にして5・6秒ほど

短い再会でしたが 忘れられない一瞬でした。

張り込みだね ありゃ。

かっくいー!

興信所の職員だったりして…笑

Eちゃん 犯人は捕まったでしょうか。

せば!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ひかり

幼なじみに Sちゃん という男性がいます。

向かいに住んでいて ずっと小学校の間 同じクラスでした。

何をやっても とても優秀なSちゃんは 学級長も務め 長いことクラスの王座に君臨していました。

それを鼻にかける様子もなく ほんとによくできたお子さんでした。

ある道徳の時間に 「よい贈り物とはどういうものか」をめぐる物語を読んだことがありました。

読後に その話の中に出てきた「宝飾された王冠」と「手編みの帽子」どちらが価値があるか と先生が質問しました。

小学2年生か3年生だった私は 単純に「価値がある」という言葉に反応し 「王冠」と言いました。「お金に換わる価値がある」という意味だと解釈したからです。←このころから 打算的だったことがわかる

先生は がっかりしたような 残念な顔をされました。

Sちゃんはすかさず「心がこもっているたった一つの贈り物だから 手編みの帽子の方が価値がある」と言いました。

先生は 「そーです!」と 興奮した様子で たいへん満足されていました。

私はそのとき

「はめられた」

と思いました。

「道徳は技術のように教えられるか」という疑問が ここから出発したのでした。

冗談はさておき

向かいに住んでいたにもかかわらず 中学に入ると Sちゃんとは全く接点がなくなりました。

いわゆる一つのマンモス校だったため すれ違うこともあまりなかったように思います。

別々の高校に進学し 3年の間で 朝たった一度ばったり会ったときに

「おはよー」

と 言ったきりです。

優秀だったSちゃんは 名古屋大学へ行きました。

お互いに 県外に出たので そこから5・6年は全く会うこともありませんでした。

大人になって 就職もしたある時 外出先から帰って家に入ろうとすると Sちゃんが突然犬を散歩させているではないか。

なーんと。かなり久しぶりなので 近況を報告しあいました。

Sちゃんは 大学院までいき 首都圏の光ファイバーの研究機関に勤めているとのこと。

休みが取れたので 帰省しているところでした。

なんかよくわからんけど さすがSちゃんだなあ と思った私でした。

去年から我が家も 光電話になったわけだけど 「光」というとSちゃんを思い出します。

今は二児の父になったらしい。

Sちゃん もっと電話安くしてください。

↑言う人 間違っちゅう

せば!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

葉祥明『心に響く祈り』 2

〈少ないことを心をこめてする〉
小さいころから 葉祥明さんの描かれるその景色がとても好きでした。また どこで読んだか 葉さんのあるエピソードが印象深く よく覚えています。

「ある時期にふと 仕事に迷いが生じるようになった。そして 一日の半分をゆっくり散策に費やし 1枚の絵を丁寧に描く ということに徹するようになった。」

忙しく仕事のために絵を描く ということに疑問を感じた。そして 一枚の絵のためだけに ゆっくりと時間をすごし 自分と向き合うことにしたのだ そんな内容だったと思います。

〈表現とは 明鏡止水の境地〉
ここ何年か 五味太郎さんや葉祥明さんのコラム たまたま聴く機会があった 大学で造形がご専門の平田智久先生の講演などに接し 芸術家の仕事のなせる技というのを 考えることがありました。祈り というのは おそらく 忙しくあくせく働いたり 家事に追われているような状態から脱し すべてを静観するということ。自分のほんとうの気持ちを内観すること なのだと思います。そういう 静まりかえった水に 一滴の雫が落ちるような瞬間をとらえるのが 「表現」なのでしょう。

心に耳を傾ける人は 意識の向こう側にある無意識や潜在意識に到達して 他者とつながります。全体にアクセスし 自分も全体の一部になる。それが宗教で言われている「神の声をきく」ということかな とも思います。

〈表現することで 他者とつながる〉
コリン・ウィルソン『アトランティスの遺産』には 音楽が高次の知識への入り口であると書かれています。ベートーベンがゲーテに「私の音楽を聴け」と言ったのだとか。そして『深い河をさぐる』(遠藤周作『深い河』をいかに読むかを 遠藤氏と著名人の対談形式でつづられた本)には 画家横尾忠則が「天の声」を聴ける人物だとされ 突然チャネラー(高次の存在と通信できる人)が尋ねてきたことが書かれています(それを聴かされた遠藤周作の反応が面白い)。心に浮かんだイメージを絵にして発表することで 人類に神の意思を伝える役割を持っている のだそーです。

こうしてみると どんなジャンルであれ 表現する人には 心に深く沈潜して 私たちの心の底流にある共通意識を この世界に引き出す役目があるのかな と感じます。美術の知識がなくても 美術館で絵を眺めるのは単純に面白いし お祭りに参加する気分で青森県立美術館や 奈良美智展に出向いた。でも「なんじゃこりゃ?」と思うような造形に 実はそんなふかーい意味があるのかな だからちょっとした「発見」があったり「面白い」と感じるのかな。

芸術の秋 今日は久々に音楽を聴きに行く予定。県美の「縄文と現代」も ぜひ行きたいね。みなさまも よい秋の週末を!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「自由への飛び方」後日譚(まだやるか)

黒石市 ほるぷ図書館にて
20060723_1311_000 おもちゃ あり 隠れ家のようなロフトあり まさに「図書館は心の遊園地」にふさわしい場所。オススメです!

7月26日まで「自由の飛び方」と題した なんちゃってエッセイの中で 『となりのトトロ』を取り上げた。この作品の中に出てくる一つ一つの体験が 自分の子どもの頃に起こったことのように感じる。自分に起きた「しまっておいた 屋根裏の宝物が 実はガラクタだった」という 興ざめ体験は 自分がもうトトロが見えなくなったということなんだな…(遠い目)と つくづく思ったものだ。

『となりのトトロ』の中で 初めにトトロにあったのは 4歳のメイであり 次に会ったのは姉で4年生のサツキだった。正木晃『お化けと森の宗教学―となりのトトロといっしょに学ぼう 』では 元来日本では「7歳までは神の内」 つまり「神に近い超自然の存在」だといわれており メイが家族の中でトトロに初めて会えたのは 彼女が7歳未満の子どもであることに関連しているのではないか としている。 

「子どもが神に近い」に関連して 今ちょうど読んでいる本に 同じようなことが書かれていた。河合隼雄『こころと人生』の中で「私の力で動かせないもの、私よりももっと強いもの、私よりももっとすごいものというふうに言っていきますと、これは神とか仏とかという世界にだんだんと近づいていく。子どもは別に神でも仏でもないんですが、子供の心の中に生きているものというもは、どうもそういうところに近づいていくものがあるんじゃないかと思うんです。」と著者は述べている。

河合隼雄先生は文化庁長官であり ユング派分析家の資格をもつ心理学者だが(そしてなぜかフルート奏者♪) 彼に言わせてもやっぱり子供は神がかりだというのだ。これは ユング心理学の中に 神話の要素があることと関係してくるかもしれないが。それはさておき 「子供が神に近い」ということについて 「な~るほど~!」(ひざパッチン)とやったところなので またこの河合隼雄『こころと人生』について 後日取り上げたいと思う。せば!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクション『ところてん 6』

あれから半年あまり経つが 同じようなことは起きていない。いまだにあのスーパーに行き 本屋に寄ろうとすると エスカレーターの方を見てしまう。今日母は 家にいるだろうか?

後で知ったことだが 体調を崩しているときは 肉体と幽体といわれる魂がずれているのだそうだ。丹田というツボがおへその下あたりにあり ここが肉体と幽体のつなぎ目らしい。本当にずれることがあるかどうかは 知りようのないことだが 自分が二人いる ということは考える余地がある。

人間は 覚醒のレベルが上がってくると 自分が二人いる と自覚するのだそうだ。つまり 意識的に「こうしよう」と判断して行動している自分。一方で 「こうしてはいけない」と判断して 影に追いやられた無意識の自分。人間はそういう意味で「双子」なのだそうだ。なんとも人間とは 奥が深い。

そんなウンちくはともかく みなさん くれぐれも便秘にはご用心。今年の夏は ところてんが食べられそうもない…。(了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクション『ところてん 5』

心ここにあらずといった 今の母の様子。スーパーで見かけた母の すばやい動き。今考えると 黒のコートを着ていた というより 姿が全体的に「黒っぽかった」気がしてくる。体は違うところにあるのに 魂がさまよっている…そんなことは 話を聞いただけでは 絶対に納得できないことだ。でも 今はそれがうそじゃない気がしてくる。しかも その姿を見たのは 私だけでなく息子が最初だった。錯覚とは言いきれない。

と 仕事の最中で しかも遅い時間になったにもかかわらず 母から携帯に連絡があった。
「あの後 すこし眠ったら大丈夫になったから 心配ないよー」
と いつもの調子。すこしホッとする。
「うーん それはいがったんだけど 病院で何されたのさ?」
「あんまりおつうじなくて苦しくて でっかい浣腸されたのさあ」

…か カンチョウ?!

私は 母がでっかい浣腸をされたその瞬間 魂がところてんのように 頭から「にゅう~っ」と出たところを想像した。 つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクション『ところてん 4』

仕事をしている間 ずっと母のことが気になって仕方がなかった。私は本やテレビで見て知っていた「ドッペルゲンガー」という現象のことを思い出していた。それなら すべてに説明がつく。

ドッペルゲンガー つまり二重身。自分が2人いる という現象だ。自分がこの言葉を「文字」で読んだのは 遠藤周作『眠れぬ夜に読む本』だった。それには 世の中には 自分と生きうつしの人間に出くわした人がいる。こういう現象を心療科の医者たちは二重身といって 大体において分裂症の患者に起こる出来事だと書いてあった。

それは自分が自分を見る ということに限らない。フランスで有名な「エミール・サジエ事件」を例にあげている。学校の教師をしていたサジエだったが 生徒たちが「サジエ先生が二人いる」と言いはじめた。黒板に字を書いているサジエ先生が眼前にいるのに それとまったく同じ先生がそのそばで同じように字を書いている…まあ 体験しなくては まったく信じようのない話だ。

あるタレントがこの「ドッペルゲンガー現象」に悩まされていると言っていたのを テレビで見たことがある。コンビニで買物している自分に 知り合いが話しかけたが 返事をしなかったそうだ。その時間に 本人は家にいたのに… こういうことがしょっちゅうあるので困っている と。それを聞いた心理カウンセラーは彼女を「離脱体質」だと説明してた。 つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクション『ところてん 3』

母はだるそうな様子で テーブルについた。私は 向かいに座って 弁当を広げた。
「自分の分だけ食べるの~」
「ははは ごめんね~」
ごく いつものような たわいもないやりとりをする。
しばらく黙々と弁当を食べていると 母が
「ところでよっちゃん 弁当自分の分だけ?」
「だから さっきごめんっていったじゃない。…大丈夫?今どこに行ってきたの?」
「病院に行ってきたんだけど どこをどう運転して来たのか 全然覚えてないよ~フォー!」
と言って 母はレイザーラモンHGのマネをしてみせた。それを見て 父はさっと席を立ち二階へ上がってしまった。

さてそれからの小1時間というもの 私が弁当を食べているあいだ ずっと母は「弁当一人分だけ?」と「病院で治療したところまでは覚えている」「どうやって帰ってきたのかわからない」をくり返ししゃべっていた。そして おどけてみせていたのだが 段々それが不安からくるものだとわかってきた。ちょっと休んだ方がいいかもしれない…と 心配になってきたので 父を呼んだ。

二階から下りてくるなり 父は
「どうしたんだ ふざけてるのが!」
と怒鳴った。父は 冗談だと思っていたらしい。急に母は真顔になって
「…うん ちょっと疲れたかもしれないから 横になってくる」
と言って自室に戻っていった。私は心配だったが 仕事の時間が迫ってきたので 父にあまり叱らないようにお願いし 家を後にした。 つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクション『ところてん 2』

実家に着いて 母に店での様子を話してみるが 特に納得できる話をきけるわけでもない。ただ家にいた それだけだった。母としては 昨日見かけたと近所の人に言われたばかりだったので それがひっかかるといえばひっかかる という感じだった。では あの黒いコートを着た人は どこに行ってしまったのだろうか。不可解だったが それ以上考えてもわからないので 私はあまり深く追及しないことにした。だが 事はこれだけでは終らなかった。

それから2・3日経った頃だろうか。午後から仕事だった私は 一人で昼食をとるのもなんだなと思い 仕事先に向う途中に実家に寄って 持参した弁当を食べることにした。
車を下りて実家の玄関に入ると 両親がちょうど入り口近くにいた。母がちょうど外出先から戻ってきた様子で 帽子を脱いでいた。父も 2階から降りてきたところだった。

「あれ なんでこれ ここにあるんだっけ?」
母は 玄関先に置いてあるクリスマスツリーの入った箱を 怪訝な目つきで見ている。そして おもむろに
「…どうやって帰ってきたか わ~からない~♪」
と おちゃらけたように言った。父は 相手にしない様子で すぐ居間にひっこんでしまった。なんだかイヤな予感がしていた。 つづく


| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィクション『ところてん 1』

あれは去年の冬 息子と2人で大型スーパーに行った時のことだった。本屋に立ち寄ろうか…とそちらへ歩いていると とつぜん
「ばあばだ!」
と 大声で息子が叫んだ。ふと 下りのエスカレーターの方を見ると 黒っぽいコートを着た母が 足早に進んでいくのが見えた。なあんだ 来てたんだ と思い
「行こう いそいで!」
私は 息子の手をとって 走り出した。

ところが いざエスカレーターに乗って見ると 前に4・5人の人がいるだけで 母はいない。まさに「こつぜん」といなくなった というのがぴったりだった。息子が叫んでからエスカレーターに乗るまで ほんの10数秒だっただろうと思う。時間の経過した感覚からいって まさかもう次の階に着いたとは考えられない。もう どうにも腑に落ちない。あわててエスカレーターを降り すぐ携帯電話で実家に電話をした。

「…もしもし?」
「はいはい」
やっぱり。家にいるではないか。
「今 Sスーパーに来てるんだけどさ… お母さんにそっくりな人いてさ」
母はちょっと戸惑って こう言った。
「…昨日も 近所のIさんに『Sスーパーで見かけだよ~』って 言われたんだよの…」
「で お母さん来てたの?」
「ううん全然 行ってない」
私も母も 会話をどう切り上げたらいいのかわからないまま 電話を切った。

人間違いだとすれば エスカレーターには その黒っぽいコートの人が乗っているはずだった。でも そんな人は誰もいなかった。私と息子は「なんだったんだろう?」と しばらくその場に立ち尽くしてしまった。納得できない私は すぐ店を出て 実家へと車を走らせた。 つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分に手紙を書く

20060121_1226_000
<雑誌との出会い>
みなさんは さいきん手紙を書いたことはありましたか?携帯電話が普及して 腰を落ちつけて手紙を書くという作業も 贅沢な時間になりましたね。

1月に 雑誌『一個人』を買いました。テレビの情報番組で 『一個人』を取り上げたのを見たからです。その月(2月号)の特集は「書くって、楽しい?」でした。

「書くことが趣味」の私にとって この号はとても面白い!「すてきな環境で書く」と題して 雰囲気のある図書館やカフェ 文豪がよく出入りした「山の上ホテル」などを紹介。「銀座「伊東屋」で文房具を買おう」では 片岡義男がコラムを書いています。

なにより興味をひいたのは 「1年後の自分に手紙を書く」という付録。さっそく「時間差郵便」と書かれた「クラフト・エヴィング商會」の封筒と便箋に 万年筆で書いてみました。それを編集部宛てに送ると 1年後にこちらに送りかえしてくれるというわけです。「面倒くさい」とか「バカバカしい」と思わず 面白そうなことに参加したい気分だったもので。祭りには参加するに限ります。

今の自分は 4月の教室開設にむけて 日々奔走している状態。「研修に行き 学んだ事を練習して 体験レッスンにきた生徒に教える」を 黙々とやっています。覚えるのに必死で 楽しさを見失いがちですが 子供たちの「できた!」の笑顔を見て 私も楽しみたいと思います。ある意味 子供たちが英語に初めて触れて喜んでいる姿は かつての自分を見ているようでもあり。これも一つの時間差体験ですな~。

さて いったい1年後の自分は どうなっているのか…?

| | コメント (2) | トラックバック (0)