ユング心理学

2009/11/03

スター・ウォーズな気分

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日本シリーズの始球式に ブッシュ元大統領が登場し

傍らに 小泉元首相がいた今日

いかがお過ごしでしたか。


雪が降った。

フッsmoking

はえー

ま そんな日は 心身ともに エネルギー充填

今日は じっとするべと

ポップコーンをポンポンと作って 家族で上映会

なぜか スター・ウォーズを見る。

しかも昨日は 半端な出だし エピソード3

今日は エピソード4。

いつも思うんだが

エピソード3の 後味の悪いこと…

アナキンが弱い心を操作され フォースの暗黒面に落ちていき 

瀕死の重傷を負いながらも救われ ダース・ベイダーになる。

かなり 悲惨です。

「君は バイキンマンにだまされていたんだ!」

が アンパンマンのキメ台詞だとすれば

「アナキン 君は シスにだまされていたんだ!」


どしてもこしても 4・5・6と続けざまに見て

ルークに アナキンを助けてもらわねば気がすまん!


スター・ウォーズといえば 

アナキンの妻 パドメ

パドメって「蓮華」という意味らしい。

最近読んでいた本に出てきたな。


スター・ウォーズは 娯楽映画としてもおもしろいが

ユング心理学に傾倒している人間にとっては

見るたびに発見のある おもしぇー話であることよ。


アナキンは 実母を殺されたときに

心に深い痛手を負ってしまう。そして

妻も出産のときに死ぬかもしれないという予兆に耐え切れなくなり

死者をも蘇らせることができるという 暗黒面の力に誘惑されてしまう。

先日の ユング『オカルトの心理学』にあった

人間の生活における苦しい悲惨な経験は 心の傷を残し 

人間の中にある貴重な資質を押しつぶすことがある。

「魂の喪失」である。

これって アナキンのことだな と思う。


映画監督 ジョージ・ルーカスは 

神話学者ジョセフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』を参考にしたと言われていて

スター・ウォーズには 『アーサー王の死』や『聖書』と同じ主題

父親を知らない英雄 死体を残さない(不死性) 双子 などが登場する。

神話といえば ユング心理学

オビ・ワンが「老賢者」であるなど 「元型」を抱えた物語にもなっている。


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よく見たら 我が家に

エピソード4でルークがデス・スターを破壊した時に乗っていた戦闘機があった。

スター・ウォーズ大好き人間の大先輩が

息子にくれた物でした。

お宅にお邪魔したとき 家の中に 

賞金稼ぎボバ・ヘッドの等身大の頭とかね

ペプシのキャップにキャラクターがついているやつが 

デススターに全種類収めてあるやつとかね。

いろいろ おもちゃこが たくさんあった。


我が家に 大人買いしたガンダムがいろいろあるのと 似ている…

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2009/11/01

ユング『オカルトの心理学』

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また一山超えて 下山した。

下界の空気を吸っているところ…

ぜーぜー

早く インフルエンザが収まってほしいsweat02


いま読んでいる ユングの『オカルトの心理学』

もっと 図書館から借りやすいタイトルにして欲しいんだけど

タイトルから想像できないほど おもしろい。

ユングが オカルト(超常)現象を 人間の生と死の両域にかかわる普遍的無意識の探求という視点から解明した、心理学的アプローチのエッセンス。

とある。

5・6年前に ユングを読んだときにはまったくもっていなかった

普遍的無意識と 霊との関わりとの視点

これ満載アルよ。

ユングはもう1919年に これを書いているのに

こちら側が読もうとしない内は まったく自分に入ってこないんだな

ということを 再確認する。


「霊と普遍的無意識の複合体」という題で

ユングはとても興味深いことを書いている。

人間の生活における苦しい悲惨な経験は 心の傷を残し 

人間の中にある貴重な資質を押しつぶすことがある。

「魂の喪失」である。

人はそのことを 「何かの霊がその人の邪魔をしている」

と 自分の外側に問題を発見しようとする。

しかし 実は自分の内側に問題がある。 

今までに一度も知覚されたことのない「無意識」の領域に関わるので

「人格化された無意識」つまり「霊」のしわざだということになる。


また 大きな社会集団や国家生活が 

政治的 社会的 宗教的性質の深刻な変化を経験するとき

心理的態度の変更が伴い 魂の喪失状態を引き起こす とも言っている。P54

歴史に激烈な変化をもたらすのは

外側から圧力を与えられるからではなく

一社会の中で優勢な態度や抑圧されている全ての要因が 

普遍的無意識に次第に積もって 内容を活性化するからだという。(同)

直観に恵まれた人間は 普遍的無意識の変化に気づき 思想に直す。

その新思想は 他の人びとの無意識の中でも起きているので

急速に広まる。

普遍的無意識の内容が活性化されるときは 混乱が生じ

全体としての大衆の精神状態は 精神病に例えられる。

これが 「霊が思想に直される」状態である。

「霊は普遍的無意識の複合体である」P55。


優勢に抑圧された要因が溜まって 社会が変化するとき

無意識が霊という形を借りて現れ 偏った社会を補償する。

今 友愛精神や 平和活動が台頭したり

UFOを見たという人が声をあげているのは

もしかしてそういうことなのか? と思ったりする。


ユングはこの中で

いくつかの超心理的現象を繰り返し観察したが

その中に本当の霊が存在する証拠は何も認めなかった。

だから この領域全体を 心理学の補足物とみなさなければならない

と言い切っていた。

「霊」に関連して

「死者の霊 すなわち 擬人化された無意識の内容」P84

とか

「これらの(心霊)現象は どのように解釈されようと独自に存在しており それらがまぎれもなく無意識の表れであることに疑いの余地はまったくない。『霊』の伝達は 真に自然に起こるものであって 意識的精神によってでっちあげられさえしなければ <無意識的心に関する陳述>なのである。『霊』の伝達はこの陳述を夢と共有する。なぜなら夢もまた 無意識についての陳述であり…」P82

とも言っているが

巻末に補足があり

「私は五〇年間にわたって多くの人や多くの国から心理学的体験を集めた結果 もはや この文章を書いた一九一九年のときほどの確信はいだいていない。素直に言えば 心理学的な研究だけで問題の現象を正当に扱えるかどうか 私は疑問に思う。超心理学上の発見だけでなく「心の本性について」(原題略)において略述した私自身の理論的反省もまた 原子物理学の領域や時空連続体の概念に近いある種の根本原理に私を導いてきた。これは 心の真相にある超心理的な現実の問題全体を開示するのである。」P235

霊が単に無意識が意識化されたもの ということだけではなさそうだ

と言っている。

そのバトンが リサ・ランドール アーヴィン・ラズロに渡されたのかな と思う。


というわけで

霊もUFOも これだ!という説明がまだついていないけれども

ユングが言うところの

私たちの抑圧された一面が それを補償しようとして

人格化して立ち現れる

ということは

霊とUFOの一つの側面を言い表していると思う。


霊のほかに 生と死についても述べていて

私たち文明人は 年齢に同化できない

精神的ミイラであり 心理的奇形だと言っているところが印象に残る。

私たちは自分の過去にしがみつき 

自分は若いという錯覚にはまり込んでいる。

老いていることは ひどく嫌がられる。

「年がとれない」。


わーおshock


最近はもう 写真に写りたくない

これ 本心アルよ。でも

「これを飲んだら こんなに若返りました!」

「ほんとに56歳!?」とかいうチラシを見ると

そんなに即効性のある物を飲んで若返って

やめたら どうなるんだろう?

と思ったりする。

『ゲド戦記』で クモの魔法が解けたら 醜い老女になったシーンや

木村秋則さんが実験した

栄養と農薬を与えたりんごは腐敗するけど

彼の育てた 無農薬無肥料のりんごは 自然に枯れる

という話を総合すると

年齢にあるがままの今を生きることが 大事なのかな

と思うけど

とりあえず 顔をマッサージする。

いつ髪を染めるのをやめるがな…

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2009/10/13

知的好奇心を満たす読書

おこんばんはー

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佐藤初女先生の講演について 詳しく報告したい気もするが

簡単に書けそうにない。

機会がありましたら また。


「意識の三態」に関連して

何気なくブラウズしていたアマゾンで こんな本を発見。

死後の世界を突きとめた量子力学―超ミクロの空間は「意志」に満ちた「霊界の宇宙(うみ)」だった (超知ライブラリー) (単行本(ソフトカバー)) コンノ ケンイチ (著)

きたね これ。

「いま、霊界(宇宙ホログラフィ)のメカニズムが次々と明らかに…。量子暗在系=見えざる世界を支配する〈意志の秘密〉を、誰にでもよくわかるように解き明かす。」

霊現象とUFOと物理学の接点を知りたいと思っていたら

あっさり見つかった。

読んでいないからわからないが

カスタマーレビューの一つに

「疑似科学者と称され、学会あたりとも衝突しているらしいコンノケンイチ氏。」

とあり 由緒正しい専門書ではないらしい。


また ユングとUFOのことについても書いているらしい。

ユングは知っていた―UFO・宇宙人・シンクロニシティの真相 (単行本(ソフトカバー)) コンノ ケンイチ (著)

ユングとUFO これ関係大有りだよね。

(誰にいっとるんじゃ)


上記2冊はないが

図書館にも コンノケンイチ氏の著書があるらしいので

今度借りてみようかしら。

疑似科学であろうが 読むには害が及ばないだろう。


では おやすみなさいmoon3

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2009/10/05

メッセージは続くよどこまでも―意識の三態

何を隠そう 今日は田臥くんの誕生日birthdayです。

(誰も隠してませんが)

いや~ めでたいfuji

ファンたるもの このことを避けていられようか?

いや いられない(反語)

怪我の具合はどうなんでしょうか。

今シーズンは 鳴りを潜めている よっぺぎ…

ヒュ~(秋風)

田臥くんの足が治ったら 応援しに行くことも考えよう。

田臥くんの出ない試合を見るなんて 

イチゴののっていないショートケーキと同じ 味気ないわッ!

↑イメージが貧困


本題

2.All for one, one for all. 一人は万人のために 万人は一人のために

これ 久々に復活することになった 三谷幸喜監督によるNHKの人形劇

『三銃士』に出てくる 有名なフレーズ

何かで 以前に見ていたんだけど 

わからなくなってしもうた~sweat02

おそらく エンデ もしくは 友愛関係 

ごめんね そーりー


3.意識の気化

意識の三態というべきか。

人間の意識が 物質であって 

固体・液体・気体という物質の三態のように 変化するのではないか 

という疑問っす。


ちょっと前に 山で遭難しかけたお話を聞きまして。

ご本人の了解を得ましたので 書きますと

その方は 山で一人歩くうち 煙(霧)にまかれてどこにいるのかわからなくなり

道に迷ってしまった。

その時 自分が周囲と同化した体験をした。

そのことをご本人は 「自分が拡散した」と言い表している。

自分が 自分を取り巻く全てのもの 岩や石や空気 霧であり

自分は 自分であって自分ではない

でも その感覚はとても幸福感に満ちていて

なんだ こんなにこの世は美しくすばらしいものだったのか

今までの世界には戻りたくない

というものだったそうです。


この状況は ユングが自伝で語っている

石に座っているエピソードを彷彿とする。

10才くらいまでのユングは、1人でいる時に庭の古壁の前に突き出た石に座り、想像の遊びに耽っていた。そこにずっと座っていると、私と石がどこかでつながっていて、私が石の上に座っているが、一方で石である私の上に彼ユングが座っているという感覚も生まれてくる。学校に行く私も私だが、いつも私は石として庭にじっとしてもいる。どちらも自分だが、どっちが本物なのだろうか。イエスの暗黒面は、幼いユングにとってあまりに強力でなす術がなかった。しかしこの石は 内なる他者の役割を引き受けてくれる対象となった。この石との遊びは 「私」という存在が私1人で成り立っているものではないことを自身の経験の中に受け入れていくことのできる入り口だったという。(山中康裕『知の教科書 ユング』、講談社、2001年3月10日。P17-8)

夢 瞑想 踊りなど通常ではない意識「変性意識」時に感じられる体験には

ピーク・エクスペリエンス(オリンピック選手などが緊張が最高潮に達する本番に あるいは サーファーが波のチューブの中で感じる時間が止まったような 時間間隔の欠如。右脳体験の最たるものであるところの「絶頂体験」)

先日紹介したフリー・ライダーのスティーブ・亀田さんが極限状態で見る幻覚

など 本当に興味深いものがあるよね。


このお話には 続きがあって

その知人は 歩いている先に 看板が裏向きに立っているのを発見した。

その看板の表側を読むと

「この先入るな」のようなことが書かれてあった。

つまり 歩き回って「拡散した」界隈は 入ってはならない領域だった。

な~んと。

いうなれば異界の入り口 『千と千尋の神隠し』を思い出すね。

また彼の方は とても幸福感に満ちたその感覚をしばらく覚えていたが

残念ながら 今はもう思い出せないのだとか。


「異界での意識の分散」 とても興味深い。

木村秋則さんほかの神秘体験と

リサ・ランドール博士の異次元の仮説やラズロ博士の理論と

多分に重なると思う。


<異界での意識の分散と神秘体験>

木村さんは 「龍」を目撃した瞬間

周りにいた人が動かなくなった と言っているが

私たちが普段感じている「時間感覚」というものが通用しない あるいは

全く違った時間の概念?=異次元があるのかもしれない。

また 物質が固体・液体・気体の三態に変化するように 

もしかしたら人間の意識も形態が変化して 

分散したり固まったりするんじゃないかと思ったんだよね。


もしかして 普段私たちが生活している明晰な覚醒状態のときは

意識の形態は 固体か何かで

夢や瞑想などの変性意識状態のときは 

意識が気化?して 体から抜け出せるのではないか?

例えば死ぬときに 意識が気体(のように?)になるんじゃないか?

だから 臨死・死後 トランス状態のときは 意識の形態が変化して

体から抜け出したために

自分を頭上から眺めていた というような体験が報告がされているのでは。

あるいは 先の方のように 道に迷うという一種の変性意識状態のときに

空中に拡散されたと感じたんじゃないか。

どの体験も 幸福感に満ちていて

「今までの世界には戻りたくない」と感じているところが

共通しているしね。


岩や石など どんなに硬いものでも 

物質は素粒子からできていて 振動しているというよね。

意識も実は そうなんじゃないかという疑問。

亡くなった人が 千の風になるというのは

ウソじゃないような気がする。

形態の変化のメカニズムは わからない。

熱が関係している?

よく臨死体験を記した本に 「体が熱い」という表現を見たりする。

寝るときは体が温かくなるしな。


このことを「意識の気化」という風に考えて 検索したら

「ヌース理論」というものがヒットした。なんじゃ?

この理論がいいか悪いか本当かウソかはまったく未知の世界なんだけども

ちょっとサイトを覗いただけだが

素粒子の正体が 人間の意識だ ということを言っているらしい。

ただ ヌーソロジーグッズなるものもあって

どうもこの 精神世界プラス商業主義がいただけない。

なんでこうなっちゃうんだろう?


物理学博士のリサ・ランドール
も 原子核を構成する素粒子のなかに 

この世界から姿を消すものがあるという矛盾にぶつかったが

私たちの世界を取り囲む別の次元があると仮定すると 

矛盾が解決することに気づいたそうだ。

今 見てきた「異界での意識の分散」と 

ランドールの提唱する「異次元に姿を消す素粒子」

というミクロの世界を もう少し比較したいと思う。


続く

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2009/09/12

再読 河合隼雄『宗教と科学の接点』2―なぜ田口ランディは蝶が見えなかったか

※田口ランディ『パピヨン』について 内容を知りたくない方は

ご注意ください。


マイダネックというユダヤ人強制収容所で

エリザベス・キューブラー・ロスが見たという蝶の絵に

田口ランディが興味を持ち 実際に訪ねて行ったが 

見つからなかったという。

このエピソードが書かれている『パピヨン』

なぜ ロスが無数に見たはずの蝶の絵を

田口ランディは 見ることができなかったのかと言えば

河合隼雄が指摘するように 

ロスは 今私たちがこうして覚醒している意識状態ではなく

もっと別のレベルの意識階層で蝶を見たからであろう。

「彼女は意識の次元でのとり違いをしているように思う。深い意識の次元で「知った」ことを 浅い意識の事実として語っているのではなかろうか。」河合隼雄『宗教と科学の接点』P194

ロスが蝶を見たのは 

河合の言う「言語化不能のような領域」においてであり

「どのように言語化するかという問題」は 

ラズロの言い方に従って

「ロスは 収容所で死んでいった者たちの体と脳によって作られた蝶のホログラムを Aフィールドのなかで読むことによって 蝶が見えた。」

とすれば かなり客観性が高くなるのではないだろうか。


『パピヨン』の最後

著者は親しい人と次のような会話をする。

エリザベスは蝶を見たが 彼女にしか見えない蝶だった。

人には 昏睡状態 催眠状態 睡眠状態など

それぞれの状態で夢を見ている。

彼女は 夢を見る力 つまり霊力があった。

マイダネックの まだ血の匂いの残る収容所のなかを歩きながら 

そこで死んでいった人たちの姿を見たのかもしれない。

きっとまだ無念に死んでいった者たちの思念が残っていたのだろう。P212-5

この「残っていた思念」という部分が

ラズロ・河合の言う「ホログラム(完全写像記録)」(同P57)に符合すると考える。


この「死んだ人の残した記憶を 読みとっている」という視点から 

前世 死後 臨死研究 死者との対話の報告などを捕らえようとしない限り

真実は見えてこないのではないだろうか。


で どんだべ?pigブヒ


ただ

死者との対話を望み 慰めを必要としている者が

ホログラムの話を聴きたいかどうかが問題だ。

だからこれまでも

死んだ本人がそう言っていますよ

で 通ってきたんだろうな。

しかし 感情的な部分を多く請け負っている分野だけに

足元をすくわれないようにしたい。

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2009/09/11

再読 河合隼雄『宗教と科学の接点』 

先週 1ヶ月に及んで借りていた横尾忠則の本を 図書館に返してきた。

書評をブログで書くのに やっきとなりすぎて疲れだ。

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同時に 河合隼雄の『宗教と科学の接点』に

「ホログラフィックワールド」について書かれてあるので借りていた。

河合隼雄『宗教と科学の接点』 岩波書店 1986/7/25。

この本 友達がおススメだと言って 一度貸してくれて

それ以来 図書館から2回借りてしまった。

じゃあ 買え って感じなんだけど

絶版なのか 新品はもう手に入らないらしい。

でも 何か疑問にぶちあたったとき

この本が教えてくれることが よくある。

頼りになるわ~ まるで 赤いトラクター

それはお前だぜ~ by 小林旭 

なのである。


<偽宗教・偽心理療法にご用心>

なぜまた借りたか

それは ラズロ『叡智の海・宇宙』にあった 

「他の人たちが私たちに経験を読み出すとき 私たちは彼らの経験のなかで再び生きるのである。そして 私たちが その死を悼む人とのコミュニケーションに入るときは その人と直接コミュニケートするのではなく その人の体と脳によって作られたホログラムをAフィールドのなかで読むのである。」P226

ということを読んで以来 

退行催眠で現れる 前世の記憶や死者との対話の報告

というものに 疑問を持つようになったから。

科学が万能ではないように 

スピリチュアルだけで全てを語れない と思うんだよね。


神は 宗教的に見れば 神だけど

物理学的だったり 天文学的 数学的な法則でもあるでしょ。

歴史を見ると 

宗教が力を持っていた時代は暗黒時代と呼ばれ

反動で 科学一辺倒の時代が来て 世界戦争まで起きた。

ようやく どっちか一つではだめだったことがわかって

宗教と科学の接点が いまの時代に必要だから

スピリチュアルが台頭してきたんだった。


例えば

精神的に追い詰められた人間が 霊媒に救いを求めて

「死んだおじいさんが こう言ってますよ」

なんて言われて 

本人しか知らない事実を 霊媒師が知っていたら

そりゃ信じるわな。でも 

例えば「おじいさんが言っている」というのは 

文学的な表現だし 誤解を招きかねない。

実は おじいさんの脳と体で作られたホログラムをAフィールドの中で読んでいた

と言われたら 印象はガラリと変わるはずだ。


河合隼雄は 心理学分析家という職業柄

大きい苦しみを背負っている人に会うことが多かった。

偽宗教や偽心理療法によって 多額のお金を失い

単純な論理で悪者扱いされている人に接することが多かったそうだ。

「自分は問題を解決するためには迷信と思えるようなことにさえ敢て頼ろうとした。しかし駄目であった と言うことによって もっとも本質的な苦しみとの直面を避けるのである。それが免罪符的な意味をもつために 金額は高ければ高いほど 歓迎されるようなところがある。このあたりをうまく見越してうまく儲ける人もある。」『宗教と科学の接点』P186-7

そういう意味でも

私たちは 宗教 心理療法を含む

正しい精神世界を知る必要があるのでは?


<死後の世界は 脳と心にある>

河合隼雄は エリザベス・キューブラー・ロスにも会っており

こんなことを言っている。

「キューブラー・ロスは 死後の世界を信じているのではなくて知っていることを強調する。しかし ここで彼女は意識の次元でのとり違いをしているように思う。深い意識の次元で「知った」ことを 浅い意識の事実として語っているのではなかろうか。ケン・ウィルバーの図式で言えば 「心」のレベルにおいて 死後の世界は存在するだろう というより そこでは生と死の区別さえなくなるのである。しかし 死後の世界の存在について キューブラー・ロスは「自我」のレベルで語っている あるいは そのような誤解を引き起こすような語り方をしているように思われる。」同P194

確かに ロスの本を読んでいたときには 

もう 死んでも寂しくないし 心配ない

という気にさせられたものだったし

彼女の残した業績は たたえられるべきだと思う。

今でも すばらしい方だと好意的に感じている。

でも 河合先生の

言語化不能のような領域を どのように言語化するかという問題がつきまとうのである。」同P195

という言葉に まったくそのとおりだと感心させられる。

精神世界の分野は 

アーヴィン・ラズロや河合隼雄の指摘に耳を傾ける必要があると思う。


各分野の専門化が進んで 全体を概観できなくなっているのが問題だと

いろいろなところで言われている。

突然耳が聞こえなくなり 耳鼻科に行ったが 検査結果は異常なし

でも 精神的ショックがそうさせていた

というエピソードが この本にもある。

病気を見て 人を見ていない。

そうではなくて 

目の前だけではなく

部分を全体から見るという 微視と巨視を併せ持つことが大切だ

と 河合先生は言っている。

これからも 一つのことを盲目的に信じるのではなく

たくさんの目を持って 世の中を見ていこうではないかーrock


<おまけ>

今度は エンデ『モモ』

河邑厚徳+グループ現代『エンデの遺言-根源からお金を問うこと』(Ende's Last Message)

坂本龍一+河邑厚徳『エンデの警鐘-地域通過の希望と銀行の未来』(Ende's Warning to the Future)

を書けたらな と思う。

『モモ』は児童文学 子供向けに書かれた物語だけど

『星の王子様』と同じ 人類全体へのメッセージだ!せば!paper

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2009/08/29

全てのものはメッセージ という原点

本には 力があるよ。

読み終わった後 

何か発見があって 教えてもらった感覚があり 

自分が変わったら

それは すごくいいbookだ。


本でなくても

自分の気持ちを代弁しているような人 物 映画

色々な自分を その中に見つけて

今度は実際に生活する中で 自分の物語を作る。

そう考えると

全部のものが 何かを教えてくれている

という気分になってくる。


ただ 頭の中で考えていたりすると

ボーッとなるときがある。

それを一旦 字にしてみると 自分の気持ちが「見える」時がある。

だから 日記なんかを書くといいらしい。


それと同じで

オーラソーマやタロット 他の占いで

「あなたはこう思っていますね」

というものを 実際につきつけられると

「そうかもしれない」

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と 単純な自分は思ってしまう。


オーラソーマはタロットにも対応しているが

それらには 一人の人間の中にある全部の要素

寛容 親切 といった美徳から

怒り 嫉妬 のような悪徳まで

さまざまな面が書かれている。

私たちの中には 少しずつ全部がある。

人のことはよく見えるが 自分のことは見えない。

鏡のように 自分を映してくれるものが必要だ。

それが オーラソーマでありタロット なんじゃないか?

と思う。


同様に 

子どものころに 色々な善人や悪人など 

色々な登場人物が出てくる絵本や童話を読んでもらっていれば

それはかなり役に立つ。

少しずつが自分だからだ。


ねたんだり 怒ったりするネガティブな感情を否定して

抑圧する傾向が 世の中にあるね。

でも それも自分の一部にして

いいとこと悪いところをトータルに持った人間になっていいよ

悲しけりゃ泣けばいいし 嫌なことがあったら怒ってよし

と言われたら

いや 実際にできなくても 言われるだけで楽だね。


<読まれるのを待っていた本>

スタインベック『エデンの東』を読んだとき

これも 一人の人間がいかに十全になるかを書いたもので

ユング心理学や象徴学などの要素 

宗教の秘儀 のような 隠された意味を託した作品だった。

そういうことを調べていくうちに

実は 登場人物が体験している物語が自分の中にある 

ということが じわじわとわかってきたことがあったよ。


ちょうどその頃 長い間定期的に 同じ夢を見続けていたんだけど

自分が実現できないことの集大成が 夢に現れている

ということに気がついた。

そして実際に 夢に登場していた人物に偶然遭うことになり

その後その夢を ぱったり見なくなった。

そのときはピンとこなかったけど

今思うと 大事な体験だったと思う。


これは ユング的に言うと 

意識と無意識の統合 なんだろうけど

何かの本がきっかけになって それが自分の中で起こる

ということを期待して 

その人にぴったりの本が存在する。

それは あなたに読まれるのを待っている。

その体験を人と分かち合うために 人は作品を作る。


絶版になったオーラソーマの本を目当てに ブックオフに行ったら

なかったsweat02

でも D・ピート『シンクロニシティ』を見つけて買う。

Dscf0188

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これはいい本に出会ったぞ。

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2009/07/17

象徴する物を持つ 2

<自分や大切なものを象徴する物を持つ 2>

映画『耳をすませば』は

高校受験を控え 恋愛や友情 家族の中で揺れ動きながら

将来何になるのかを模索していく物語。

主人公の「雫」は 進路を決めると言われても 何をどう進んでいけばよいのかわからない。

好きになった男の子「聖治」は バイオリン作りになりたいといって

イタリアに下見に行ってしまった。

雫は 周囲がどんどんやりたいことを見つけて進んでいく中で焦り

自分が得意な「書くこと」を追求してみようと 物語を書くことにする。


そんな中 聖治くんのおじいちゃんが

宝石の原石が入っている石を見せてもらうシーンがあります。

原石というのは 磨く前の石で 今の雫や聖治と同じである。

原石はそのままでもすばらしいが

バイオリンを作ったり 物語を書くということとは違う。

自分の中に才能を見つけて それを磨くことなんだ とおじいちゃんは言う。

外側に見えている宝石は 実は磨くとかえって価値のないものになる。

もしかしたら 見えない中のほうにもっといいものが眠っているかもしれない。


物語の終盤 やっと作品を書き終えたものの

自分が力不足だと知って嘆く雫に対して おじいちゃんは

率直で荒々しくて未完成 聖治のバイオリンと同じだ

切り出したばかりの原石を しっかり読ませてもらいました と励ます。

そして

「これはあなたにふさわしい 差し上げます」

と 例の石をくれるのでした。


<自分や大切なものを象徴する物を持つ 3>

ユングは 子供の頃 庭にある石に座っていると安らぎを覚えたため

学校に行くときなど 

自分をかたどった小さな人形と小さな石を 誰にも邪魔されない秘密の場所に隠し

安堵したと言います。

何か 自分というものを象徴する物や

大切なものを象徴するものを持つ というのは

意外にも大きな意味を持っているように思われます。


ちなみに自分は

小さな陰陽のバッヂと(Town & Country のもの)

小さなガラス製のリンゴ

そして 前に作ったビーズの蝶を飾っています。

それを見るたびに 読んだ本のことを思い出す。

ユングに傾倒していた時期には バッヂをポケットに入れていた。

何か客観的に自分を見る方法があると 確かに安心するな。

最近は ハート型に切った折り紙をかばんに入れています。

人と会う前や 心配なとき二枚のハートを眺める。

一種のお守りか?

これは 今読んでいる本数冊あちこちに登場する

北米のネイティブ・アメリカン「ホピ族」(ホピとは「平和の人」の意)を思い出すもの。

ホピ族 このこともいつか詳しく紹介したいが

いつになるやら…

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2009/07/16

象徴する物を持つ

Cocolog_oekaki_2009_07_15_22_56
たけうちゆうこ 好きですか?

私は好きでーす。

特に作品を見ているとかではないのですが

埼玉出身だしな。←埼玉びいき

それもあるが 

かなり前に彼女が一度「ウルルン滞在記」に出ていたのを見てから 何となく。


ウル覚えで申し訳ない。

彼女がNHKの朝ドラに出て有名になる前に

スイスの アルプスが見えるようなとてものどかで美しい村に滞在したのだった。

調べたら1999年で

自分が見たのは 2001年に再訪ときのものだった。

イメージはまさしくアルプスの少女ハイジの世界。

現地に到着し お世話になる家のドアの前で待っていたら

中からその家の息子 彼女と同じくらいの年 が出てきて あぜんとしている。

なぜかというと 竹内結子があまりにかわいいから というのです。

ヒエ~ッ (のけぞる)

女優だからかわいいだろうとは思っていたけど 

こんなにかわいいとは思っていなかったのだとか…

そんなセリフ 言えない

と思っていたら 家族がみんな素直に思っていることを

言葉や態度で表現するのだった。


例えば その家族は 男の子ばかりだったので

女の子がいるのがすごく嬉しいらしく

お父さんと息子が競って 結子ちんとそりすべりをして

「やっぱり 女の子はいいねえ~」

と言ってみたり

帰る時に お母さんが何度も何度も彼女の写真を撮ったり。

すごくよかった。


<自分や大切なものを象徴する物を持つ 1>

息子が二人だったかいたのだけど

仲良くなった方の息子さんが 彼女に記念品をくれた。

何か手作りのものだったように記憶しているが

彼女は 友だちでもないし 恋人でもない でも 自分にとってとても大切な存在だ

ということを象徴するのものだと言っていた。


「友だちでも恋人でもない大切な存在」

と言ってくれる人が 遠く離れた外国にいて

娘が来てくれたようだと喜ぶのを見るのは

なかなかステキなことだった。


つづく

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2009/06/08

全体的な自分になる

「上へ参りま~す」

Cocolog_oekaki_2009_06_08_16_27
(題:エレベーター 画:息子)


ポール・ポッツなどを輩出したかのオーディション番組 

認められなかった者に対しては 審査員が痛烈に批判し

観客は あからさまに嫌悪と侮蔑の表情を浮かべている。

しかし 

それまで日陰で生きてきた敗者に スポットライトが当たり 

勝者の側に立つ瞬間

私たちは一様に 後者の側につく。

番組では 審査員が

スーザン・ボイルが歌う前 鼻であしらったことを謝罪までしている。

この 手のひら返し。

ジョニー・デップが言っているように

「敗者とは 普通でないと見なされて 社会ののけ者にされる人である。だがそれは ただ認められないだけにすぎない。」

では 認められていない敗者なら こき下ろしてもよいのだろうか。


それまで 芸能人だということでちやほやされていたのが

一夜にしてひっくり返り

裸で奇声を発していた犯罪人として叩かれているのを見ると

私たちが その人の本質を何も見ていないことに気がつく。


人は その人の「世間に認められている部分」を崇める。

美人は 姿が美しいから認められる。

金持ちは 富があるから認められる。


伊能忠敬は 全国を行脚して地図を作ったことで知られているが

それ以前は 家業の商売に専念していた。

彼は 自分が

「伊能忠敬という人として認められているのではなく

人が 自分に富があることで 一目置いている」

ということに気づいていたのだそうだ。


画家の横尾忠則は

作業着を着て 観客の前で絵を描くという 

コスチュームプレイのまま 外に食事に出かけた際

周囲から無視されていることに気がついた。

「コスチュームプレイのまま外出して、レストランに入っては他人はわれわれを完全無視。無視される快感は快適である。 」(2008/11/9 TADANORI YOKOO VISION - 昨日・今日・明日

横尾忠則だとわかっていたら 人は無視するだろうか。

あるいは 横尾忠則という人物を知らなくても

有名人だとしたら一目置くのではないか。


山下達郎は テレビに極力映らないようにしているらしい。

昔 テレビに出た後 街を歩いていたら

知らないおばさんが握手してくれと言って来た。

この人は 自分が誰か ということには関心がない。

ただ「テレビに映っていた有名な人」だから 握手をして欲しい。

そういうことが たまらなく嫌なことに感じられたのだそうだ。

だから 「曲が売れているか 売れていないか」

を 競い合っている音楽業界の戦略には興味がない と。


ある朝目が覚めると 自分の作品が認められて有名になっていたこともあり

またあるときは売れなくなり 逆に人様から蔑まれるようになったこともある。

人は かごの中の鳥の歌声を 美しいとほめるが

歌えなくなってしまった鳥は 見向きもしない。

世間は 名声というものばかり見ていて 本当の自分を見てはいない。

私というものは いつも私であり 変わらないのに。

樋口一葉が そんな歌を詠んだとか。


明日にも 世間を賑わす有名人になっているのか

誰にも見向きもされない日陰者になっているのかわからない。

でも 人の評価が変わろうと

自分というものは いつも自分だと思う。

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2009/05/15

スタジオパークからこんにちは 榎木孝明編

Cocolog_oekaki_2009_05_15_22_19
お絵かき機能が バージョンアップした。

ワンタッチで塗りつぶしてくれる!

テキストが挿入できる!

ほんとに なんぼでも書けるじゃ~。

心なしか よっぺぎが別人に見える…


エドはるみに味を占めて

また「スタジオパークからこんにちは」に チャンネルを合わせる。

今日は榎木孝明氏。

榎木孝明といえば ず~っと前に

笑っていいともに出ていたのを見たことがあって

そのとき タモリと

「気」の話をしていたのが かなり印象的だった。

二人とも 「気」が見えるのだそうですeye

これは何かおもしろくなりそうだ思ったら大当たり 

彼の話は とても興味深いものだった。

深い話を ユーモアたっぷりに おもしろくさりげなく

人に聴く耳を持たせる達人でもあった。


彼は 旅が趣味で

インド チベットなど 宿やルートの計画をしないで

よく 1ヵ月半くらい放浪してきたのだそうだ。

40で結婚してからは 3人の子どもに恵まれ

10歳以上になったら 一人ずつを連れて行くことに。

まず長男とインドへ10日間

半日かけて 観光がてら一つ一つ宿屋を訪ね

その中から泊まる場所を決める。

ガンジス川のほとりで 死人を焼いているのを見ながら

現地の子どもたちとすっかりなじんで 泳ぐ。

いきなり都会生活から 大丈夫ですか?!

とのアナウンサーの問いかけに

「何が常識かを決めつけない方が良い。そのことを言葉では教えられない。例えば インドが貧乏で汚い と感じるのは 日本人の感覚だからであって 現地に行ってなじめば それが当たり前になる。つい上から目線で物事を見てしまいがちだが そこに住んでいる人たちは その生活で十分幸せなのだ。そんなことを実際に連れて行ってみせることで 感じてもらいたかった。」

と 言ったかと思えば

息子は普段言うことを聞いてくれないが

外国では父親だけがたよりだということを心得ていて

従順だったことに快感を覚えた とチャカしていた。

会場が一気に和む。


また彼は 古武術に長けていて

寝ている人を 片手でひょいと起き上がらせ

また 立ち上がらせることもできる。

力で起こすのではなくて 

例えばピンポン玉がはねるのを想像し

跳ね返る と思った瞬間に起こすのだとか。

目を左から右に動かす瞬間を利用してもよい というが

他の人がやってもなかなかうまくはいかない。
 
力が拮抗しているときは どう押しても動かない人を

こちらが力を抜くと どーんと跳ね飛ばしてしまう など

アナウンサー曰く「狐につままれた感じ」。


これはどう見ても「気」

「胸と胸を一本の線が結んでいると感じながら 相手を押す」

と言った言葉に

小林信也『心技体の鍛え方』に見た 武道の世界観を見る。

さすが タモリと「気が見える」と言っていただけある…


こんなことを言っていたのが特に印象的だった。

予定のない旅で出会った人に

何かおススメのところはないか と聞くと

どこそこの食堂に行くと おもしろいオヤジがいたよ 

という情報を教えてもらったりする。

そして ゆっくりと移動しながらたどり着くと

想像していたとおりのおもしろいおじさんがいて 楽しい時間を過ごす。

旅というのはそんな風に つながりがつながりを呼んで進む。 

人生も 人と人とがつながっていて

これから何が自分に起こるのか どう生きていったらいいのか

提示されているようなものである と彼は言う。

まさにこれは シンクロニシティのことを指しているに違いない。

この意味のある偶然「共時律」は いつどこでも起こっているが

忙しい生活をしている私たちは 

日々に忙殺されて気づかないことが多い とも。

本で読んだ一節を思い出す。

「『森羅万象は 無限に続く縦糸と横糸で紡がれた巨大な網のようなものだ。横糸は空間 縦糸は時間を表す。縦糸と横糸が組み合わさる場所には 必ず人がいる。人は 巨大な網の中に無数にちりばめられた水晶のビーズのようなものである。至高の存在が放つ光が一つひとつのビーズを照らし その本質を浮き上がらせる。そして光を受けたビーズはそれぞれに反射しあうだけではなく 森羅万象そのものを反射する。』―インド最古の聖典『リーグ・ヴェーダ』より―」フランク・ジョセフ『シンクロニシティ』P14

旅は 日常より大幅に時空移動をするので

シンクロニシティが起こりやすい とどっかで読んだな…

時間と空間であるところの 縦糸と横糸

そのつなぎ目つなぎ目にいる人間

そのつなぎ目を移動した旅人が体験するのがシンクロニシティだとすれば

どんどん移動して人に出会って話をし 体験を共有したいもんだ。


それにしても 

マジメなイメージの榎木氏のユーモアのセンスにびっくり。

先の古武術の紹介をしたとき

恰幅のよいアナウンサーがいとも簡単に起こされているのを

「自分で起きたんじゃないでしょうね!」

と疑う先輩アナに 氏は

「起きる腹筋があるんですか」

と冗談を言って 会場を沸かせていた。

キツイcoldsweats01

そんな彼は ムサビ出身で絵をたしなみ 美術館も持っているらしい。

いよいよ奥が深い。


テレビの機能を 「一億総白痴化」と言った人がいるとか。

確かに…。

見るものと見ないものを選びゃあいんだ。

興味あることを掘り下げて見られる番組は これからも見よ~っと。

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2009/04/14

キャロライン・メイス『チャクラで生きる』(Caroline Myss Why People Don't Heal and How They Can)―集団から脱する

キャロライン・メイス 川瀬勝訳『チャクラで生きる』Caroline Myss Why People Don't Heal and How They Can

訳者の川瀬勝といえば

前に読んだ『アトランティスの遺産』の訳者でもある。

ちょうど今また 図書館から借りてきているので

そういうつながりも大事にしつつ。


著者は 国際的な直感医療の第一人者 神学博士

という肩書きを持ち

波動医学という新しいものを提唱している。

医学博士ではない人による医療 という点で

この本がどういうことを言いたいのかを明らかにする必要がある。


直感医療とは 

「人の感情 身体的なストレス・パターンをはっきり『読む』」

行為である。

波動医学とは 古くからある知識で 

その原理は古代シャーマン ヒンドゥー教 中国の治療家にはよく知られる。

西洋にあった霊性についての真理・倫理と

東洋のチャクラの概念を組み合わせ

波動について語る新しい言語を作り出したと書かれてある。P13

ちなみに チャクラの体系は

ヒンドゥー教 仏教 道教(タオイズム)の基礎になっている。P14-5


波動医学では 誰も7つのエネルギーを持っているが

ヒンドゥー教ではこれを「7つのチャクラ」

キリスト教では「7つの経典」P11

「白雪姫」の7人の小人も それを象徴している!P369

ユングとキャンベルが研究した「神話」に関わってくる。

このことは 古典文学であるところの宗教の経典や 神話にある

物語のモチーフ(元型)をさぐることが

ユング心理学で行っている全人格を取り戻す行為につながる

ということを裏付けるものであり

「波動医学 なんじゃそりゃ」

という 最初の疑念も晴れてくるように思われる。

「…ネガティブであることだけが病気の源ではない。病は身体を通して それがなければとても足を踏み入れることはなかった学びや洞察へと人を導いてくれる場合もあるのである。」P10

そして 病気のみならず

人生の難題の意味を「象徴的に読み取る」道を示すものである。

具体的な病気との関連は 実際に読んでもらうとして

ここでは 個人と象徴視点の力を中心に取り上げる。
  

<人の罪悪感を利用する「傷の言語」>

著者は 「傷の言語」つまり

「傷を利用することで人を操る」力を見分けるという。

トラウマとなるような体験をすることは

本人にしかわからない苦しみである。

しかし そのような精神状態は悲しいものであり

自分を限定する。

それを維持することで力を得る人もいる。

限られた責任しかない人生を過ごす免罪符を与えられ

他人の助けを求めて依存し

その人の罪悪感を利用して いつまでも助けてもらうことを可能にする。P78

このことは タイトル(原題)にもあるように

「なぜ人は傷を癒そうとしないのか」

というところに関わってくる。

傷を癒さないことで 力を得ているからなのだ。

これに気づくと 罪悪感を感じている側にも 自己発見となる。

先のK・ロスにあった「ほんとうの自己」を見つけることができると思う。

私たちは 傷を負う人を助けることはできるかもしれないが

それは限度があり その人を救うことはできない。


<象徴的な視点を持つ>

「象徴的な視点があれば 何か危機が訪れたとき 実はそれが自分自身について学ぶべき何かを教えるためなのだ ということがわかるようになる。」P147

自分に不都合な人間も 実は学ぶべき師である。

なかなか そうは思えませんが…

「ある特定の『師』に対する怒りを感じて人生を過ごすこと―その人間に罪の意識を感じさせるまで罰したり 失われた何かを嘆きながら長い年月を過ごしつづけるというのは 究極的な意味で自分の学びのプロセスの妨げとなる。」P147

人生で起きることを 成長のための課題として捉えられるようになる

それが象徴視点の利点である。

それが特に 病気についていえる と述べられている。


<個人の力>

また 集団と個人についても述べている。

私たちは誰でも 

同族意識と集団の世界観に浸かった状態で人生を始める。P153

だが 個人として進化していくためには

集団とのしがらみから自分を解き放ち 精神の深層にあるものを分析して内面へと突き進み 自分の影の部分の対峙する必要がある。」P156

集団は本能的に 構成員が離れようとすると思いとどまらせる。

例えば

自己発見の旅に出ようとすると 家族が反対する など。

それは 個人的な感情ではなく 集団の忠誠心からである。P157

集団の力は ほとんどが物質世界にかかわるものであり

最も外的な気の形態である。P240

大まかな法則として 悪い感情との関連は だいたい集団意識P250

といっている。

人が受けたりつくり出したりする痛みは そのかなりの部分が子ども時代 あるいは人間関係か職場で生じるものだP250

これは わかっていても 1文にできないことだ。

自分の中で モヤモヤしたものが クリアになった気さえする。

親(世代を受け継いで)が 世間が 国が 流行っているから

という集団に基づく感情

それは 自分が感じたことではなくて

植え付けられたものである と言っている。


身近に思うことで例をあげれば

女性が勉強をし仕事を持つことができなかった時代や

男に意見することができなかった時代の記憶は

自分の考えではなくても 自分たちの世代にも影響を与えている。

親世代は 自分たちができなかったことが

子ども世代以下の人間ができることに対し断罪する。

メイスの考えに則れば その悪循環の構図は 集団感情からくる。


出世にとらわれず自分がやりたいことができたり 

旦那ではなく 女性自身が活躍できる社会になってほしい

と思って 世界がここまできたのに

その足をひっぱるようなことを言うのは 

集団感情にひっぱられているからだということがわかる。

そのことを 言う側言われる側も気づくと

悪循環を脱するきっかけになるのでは と感じる。


人間に 個人の無意識(善)と集団無意識(悪)がある

といったのは ユングであり

一人ひとりが集団の一部であることに気づき

個の道徳を取り戻す作品を書こうとしたのがスタインベック

同じことを 『チャクラで生きる』のメイスも言っている。

だが

集団は 確かに居心地が良いものだが

集団の意識が「悪」に基づく感情に作用しているとして

そこを脱して 自分を探求せよ と明言しているところが

一歩突っ込んだところだと感じる。


余談ながら

直感医療とまではいかないものの

日本の長者番付の上位にいる斉藤一人さんも

身体の変調と考え方や環境の関連性に気づき

その考えに基づいた商品を開発して成功している。

個人的に 彼の考えにうなづくこともあるが

いかにせん「天国言葉を使う」など 表現がトンデモ宗教を彷彿とさせる。

せっかくイイことを言っているのに 残念に思う。

イイことをやるときは 人に受け入れられる表現をしたい<自分。

でないと 

スピ系を信じない人たちに「うさんくさいレッテル」を貼られてしまい もったいない。

そういう意味でも

この本は 既存の宗教や医療との接点を詳しく書いており

本を読む限り 信用できる。

また機会があれば 別の著書も読んでみたいという気にさせられた。

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2009/03/08

E・キューブラー・ロス著書から―自分のなかのヒットラーを認識する―

Cocolog_oekaki_2009_03_08_08_50
図書館づいて また借りてくる。

一回借りると 返しにいくときにまた借りることになる。

津軽弁で言うと 借りらさるpig


と ここまで書いて 

やっぱり休みの日は 自分の時間が夜中になってしまうのだった。

hairsalonフォッフォッフォhairsalon


先日の 田口ランディ『パピヨン』つながりで

ロスの本を 借りられるだけ借りてみる。

この場合 ロスとは

ロス・インディオスでもなければ

ダイアナ・ロスでも ロスチャイルドでもなく

エリザベス・キューブラー・ロスッす

押忍rock

↑「す」しか 合ってねーし


まず 

ロス著 上野圭一訳『人生は廻る輪のように』原題The Wheel of Life

これを一気に読む。

こんな波乱万丈な人生があるのかよ と思わせられる

ロスの自伝です。

この本 ここ数年のうちに読んだ本で一番かもしれん。

ユングまで興味が来ていて 

何で今まで ロスについて知ろうとしなかったのか と思うくらい 

実に興味深い人となりと人生と研究。

ほかにも2冊 鈴木晶訳『死ぬ瞬間』原題On Death and Dying

鈴木晶訳『「死ぬ瞬間」と臨死体験』原題Death is of Vital Importance

も借りて読んでる途中。

義勇軍に参加したり

世の中に見捨てられた末期患者に付き添って話を聞いたりと

マザー・テレサを彷彿とする。

&高尾慶子さんの著書にあった はっきりした物言いを思い出して

女が自立するということは

善い悪いをはっきり主張するということだ と見せつけられる思いがする。

勝間和代のいう アサーティブかtennisそりゃ レシーブ


そして ロス本人は スイス生まれで

よくユングを見かけて 親近感を覚えていたにもかかわらず

接点をもつことを あえて避けていたとある。

「死とその過程にかんする研究で わたしがいちばん影響を受けた精神医学者は C・G・ユングだった。医学校一年生のころ チューリッヒの市外を逍遥しているその伝説的なスイス人の精神医学者を わたしはよくみかけた。…わたしはユングとのあいだに不可解なきずなを感じていた。口をきけば たちまち魔術的に気脈がつうじてしまいそうな 奇妙な親近感を抱いていた。ところが残念なことに ついに自分のほうから声をかけることはなかった。」(『人生は廻る輪のように』P110)

しかしながら書いてあることは 専門家でねーけど

かなりの部分でユング心理学に接点がある と感じられる。

まず 彼女の著書に時おり出てくる

「内なるヒットラー」という言葉に驚く。

これ まことに僭越ながら 拙ブログ2月11日付け記事

「一人ひとりが 自分の中にある「独裁者」を認識することが大事だ」

と スタインベック書簡集の中から

群衆と個における人間行動の差異について

ユングが指摘している部分を取り上げたところだった。


ユングは 講義を受けている聴衆に向かって

「ここにおられるすべてのひと、皆さんが、私の自己です」

と 言ったそうだ。

たとえば 犯罪を犯すような悪人は 

自分と全く違った存在だと 私たちは考えがちだが

そうではない とユング心理学では考える。

世の中に 良い人間と悪い人間二つの種類の人間がいるのではなく

どんな人間の中にも 善と悪が存在し

善とは 悪が単に隠れている状態である という。


その 先のスタインベックの書簡でも

「ヒットラーは ドイツにおいて集団を作ったのではなく 単にそれを解釈しただけである」

つまり ドイツにおける当時の民衆感情を敏感に感じ取って

その理想像になるべくして生まれた独裁者だ と言っている。

一人ひとりの中に 独裁者がいる というのは

そういう意味だと 私は解釈する。


マイダネックというナチスのユダヤ人収容所で

「あなたも いざとなれば残虐になれるわ」ゴルダがいった。…大声で否認したかった。…「自分がどんなに残虐になれるものかがわかったら きっとあなたは驚くでしょうね。ナチス・ドイツで育ったら あなたも平気でこんなことをする人になれるのよ。ヒトラーはわたしたち全員のなかにいるの。」(『人生は…』P91)

と ロスが現地の女性に諭されたように

あるいは

「…マイナスの感情だけがマイナスの感情を育てるのです。恐怖や罪悪感をもたずに子どもを育て その子が自分のなかからヒットラーを追い出すのを手伝ってやりさえすれば その子をマザー・テレサのような人に育てることができます。」(『「死ぬ瞬間」と臨死体験』P144)

と ロスも言っているように

善人に見える者の中にも 悪の資質が潜んでいる。

対象物は 全ての事象において表裏一体である。


戦争がむごいことだと知らなければ 平和がありがたいとは思わず

死がなければ 生きていることに感謝もしない

と ロス自身も述べているが

悪いことを知らなければ 良いこともできないという

ユング心理学の根底にある 

意識(善)と無意識(悪)の表裏一体性に通じる部分だと思う。

ロスは ユングを遠くから眺めて敬遠したというが

おそらく彼の著書や研究もよく知っていたであろうし

ロスの考えも ユングに寄り添っているように思われるのだった。


余談ながら

ロスは 精神と魂というところを超えて

臨死と死後体験に踏み込んでいくのだが

こういってはナンだが

その サイキックぶりがまたおもしろい。

これがほんとに あなたの知らない世界 だ。

それは 先の 内なるヒットラーを追い出す部分にも

関わってくるのだけど

おもしろすぎて 書ききれない ロスの著書集です。

とりあえず そんなとこッす。

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2009/03/04

セルジオ・バンバーレン『人生からの贈り物―Distant Winds』 

3月3日 ひな祭り&耳の日でしたね。

おにぎりに 

薄焼き卵とハムで着物を着せてお雛様 ノリはお内裏様

などと 慣れないことをやったら 息子に

「お雛様の腹巻」

と言われた。

( ̄◆ ̄;)子供は正直 そして残酷なものよのう…


リチャード・バック『イリュージョン』をまた借りようと思って出かけ

見つけられず これを借りた。

でも 書き方は『イリュージョン』によく似ている。

結末など くりそつです。

社会的な地位を築いたり 金を稼いだり

家族を持って養ったり…の 前にある

根本的に生きていくのに大切なことを 

物語形式にして読者に語りかける。


一生懸命働いて 家も建て 会社ではそれなりの地位につき

家族円満何ひとつ不満もない状態になった中年のある日

突如として なぜこんなことをしているんだと価値観の逆転が起こり

精神的な危機に陥るという「中年の危機 middle age crisis」が 

社会が豊かになるほど 若年化し

無気力や不登校を引き起こしている一面があるそうだ。

そんな時代の指南書というべきか。


セルジオ・バンバーレン著 渡会圭子訳『人生からの贈り物』原題 Distant Winds

夢を実現させる<ふたり>の物語。この本は、ビジネスマンにとっては心を休ませてくれる奇跡の小説であり、若者にとっては、人生の大切なことを教えてくれる上質な道案内の書でもある! 誰でも一度は、こう思うことがある。自分の人生はこのままでいいのだろうか?――主人公は、毎日仕事に追われ、心もすり減っていた。そんなとき、小さな本屋の主人と“不思議な一冊の本”に出会う。知恵がつまった本に導かれるように、彼らは「人生の真の宝物」は何かを探す旅に出るのだった……。 高収入を約束された地位を捨て、夢をかなえることを選んだ著者が描く、心の奇跡の物語。(amazon)

著者は 実際に高収入のサラリーマンだったのを脱サラして 

夢を追う生活を始めたのだそうだ。

「勇気とインスピレーションをもって夢を追い続ければ きっと実現する」

と 奥付にある。


さて 船で人生の旅にでかけた夫婦 「ゲイルと私」は

地図に乗っていない 南の孤島にたどり着き

西欧社会に一時不時着したことがある島民と こんな会話を交わす。

「あなたがたは すばらしい技術を生み出して 快適で安全な生活をおくる術を手に入れた。本来それは 人生の本当の豊かさを味わう時間を与えてくれるもののはずです。それなのにあなたがたは自由な時間を楽しもうとはせず 身を削るようにして金を稼ぎ いつも忙しく いつも足早に歩き 電車やバスを ただつぎのに間に合うようにして乗り継いでいく。人生を楽しんだり 儲からないことをしたりするなんて 時間のむだだと思っているかのようにね。」P102

「儲からないことをしたりするなんて 時間のむだ」

ああ~

また 何のためにそういうことをしているのか という問いに

大きい家 高級車 ひとめで成功していることがわかるようなもの

「それが本当に人生を意義深いものにしてくれるのか」

と 畳み掛ける。

うお~…shock

妻ゲイルが 答えのようなものを 次のように話す。

「成功を測るものさしは いろいろあるのよ。わたしたちが住んでいた世界では 家の大きさや 車の種類や 着ている服で どんな生活をしているかを判断された。でもわたしたちは突然 べつの世界に来てしまった。家や車や服が重要だったのはあの世界だけで ほかの場所ではほとんど意味はないと気がついたのよね。」P134


では どうすればよいのか。

旅の途中であった 子連れのフランス人夫婦は こう語りかける。

「選ぶことができる―そのことだ。息子は実物大の ありのままの世界を見ている。だから自分の心にも 自分自身の目で見てきたことにも確信が持てる。不思議な気がする。完璧な世界なんてあるわけないが 毎日 少しずつよくなるよう努力することはできる。この美しいニューカレドニアでの暮らしになんの不満もないけれど ときどきフランスが恋しくなるんだ。要はどちらの場所についても いいところをよく考えて 自分で選ぶということが大切なんだろう。」P177

田舎の生活が 決して楽園などではない と

釘をさしているのか。

不満のない「ユートピア」などと 

文字通り「この世に存在しない場所」だが

流されるのではなくて 自分で選ぶこと

著者の言うとおり それが大事だね。


この本の特徴として

例えばソローなどの詩篇を 要所要所に引用して

物語のセリフ一つにしても

人生のアドバイスを確実なものに裏づけしているところがある。

旅に出た夫婦は リチャード・バックの本を旅のお供にしていて

その一節が 物語の中にも引用されている。

図書館で バックの本を借りようとしてなかったもの

この本に出会うため 

と バックやこの本の著者バンバーレンなら言うかもしれない。


現代社会で 顕著に見られるようになった

「豊かさのためにあくせく働いて 病気になる」という現象は

一つの重要な示唆だ。

先のイギリスの元捕虜の話や

原爆の実験に関わったアメリカ兵の体験談などを聞くにつけ

国家や会社など「体制」の中にいるものは その豊かさを享受し

その外にいるものは システムの犠牲になっているという構図

群ではなく 個として存在することの重要さを

文学に携わるものは 形は宗教であれ 小説・詩・劇・映画であれ

当事者にわからない 隠された形「オカルト」として 残している。

それを 私たちは読み解いて実践していく必要がある。

あくせく働くという

「やりたくないことを やらされている」のはなぜなのか

立ち止まって考える必要がある と感じた。

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2009/02/26

田口ランディ『パピヨン』 さんじゃらっと

おはようごすー。

どしちゃ~?

先日の記事で 記事数1000件になっていた。

驚き。


ここ数日 本を読みまくる。

田口ランディ『パピヨン』 おもしぇがった。

エリザベス・キューブラー・ロスが見たという 

ユダヤ人収容所の壁に描かれた無数の蝶の絵を探しに出かけたが

実際には どこにも蝶の絵など無かった。

ロスが生涯研究し 臨床に携わった死の過程を追い続けている内に

酒乱で暴力を振るい続けてきた父親の介護と看取りに直面する。

最後に ロスが見た蝶とはなんだったのかに迫る というもの。

新聞の書評を見て これは と思い 読む。


田口ランディ よくぞここまで書いて下さった…。

家族の歴史と 自分と家族との葛藤

ほんとに 誰も避けて通れないことだな と。

父親と向き合うことは 自分と向き合うこと

個性化の過程を 父親の看取りをすることで成し遂げつつある

その記録の一部始終なんだけど

誰にでも今でも起こっていて体験している物語だ と感じた。


ロス、ユング、アーヴィン・ラズロー

変性意識 元型 哲学の統一理論といったことにも

さらっとだけど触れている。

パピヨン(蝶)のモチーフが 全体を通して出てくるのだけど

「死」と「蝶」の象徴がまた興味深い。

全体が「ユング」で読める。


田口ランディは 

作家にならなければ身が持たなかった ということを 

作品の中で言っているが

村上春樹や谷川俊太郎が 夢を小説や詩で表しているため

夢を見ないと言っているように

田口ランディも 作家になって本を書かなければ 

自分が生きられない部分を引き受けられない ということだろう。

だから書く。


痛くても痛いと言わない世代だと ガマンして

頑として譲らない父親との葛藤

どっかで聞いた話だな…


先日 高尾慶子を読んでいたところだが

田口ランディの本名も けい子らしい。

ラジオ徹底英会話の主人公も 2月のトピックの中ではKeiko。

実生活でも ケイコさんという方とお話して

けいこ続きなのだった。


ついでに「蝶」は 田臥くんの家の家紋らしい。

↑マニアならではの情報

何でも訊いてください。

時間があったら そのうち『パピヨン』を詳しく。

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2009/02/20

河合隼雄『縦糸横糸』―象徴的に一度死ぬ

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「愛情のおすそ分け」 ありがとうございました。
                                                                                                                                       
昨日は 一度もパソコンを開けず

No PC day 情報をシャットアウトする日にした。

+なめていた風邪が悪化したので じっとしていた。

最近気持ちが「陰」に傾きがちなので

こんなときは じたばたしないで やるべきこと

=風邪を治す&お仕事 だけに集中する。

実際 自分のことだけに集中できるという環境は

ありがたいことだ。

色々な人に助けてもらった。

できないので 手伝ってください

と 素直に言える練習をさせるために具合が悪くなった

と 解釈する。

風邪よ ありがとう

(く くるしい)


心にずっとひっかかっていることがあるんだな。

そんなときは 自分をリセットするために

一度象徴的に 死ななければならない と 

河合隼雄先生なら言うかもしれない。


先生が言うことにゃ

長い人生の中には 

学校を休みたくなる 仕事をやめたくなる  鬱 自殺したくなるなど

それまで生きがいを感じていたことに全く興味が無くなるという

今までのやり方では通らない時期が 何度かある。

その時期を乗り越えた人を目の当たりにしたことがあるが

その時 器が大きくなり 人間が一回りも二回りもでかくなるらしい。

それらの危機にあった人は 

象徴的に「死ぬ」ということを経験するのだそうだ。

「死ぬ」ことによって 新しい自分に生まれ変わる。

だから その時に本当に死んでしまっては 

人生の醍醐味が味わえず もったいない と。


「実際に死なずに 象徴的に死ぬということが大事」


そういえば 手塚治虫『ブッダ』にも

「一度死になさい!」

と 犯罪者として後悔している人間に

ブッダが叫ぶシーンがあったな。


河合隼雄『縦糸横糸』を あっという間に読む。

おやじ狩り 援助交際 子育て 個人主義時代 米・銃乱射事件 JCO臨界事故 介護保険法

などなど 1996-2003までに起きた出来事について

河合先生の視点で問題提起をしている。

普通 これらについて書いたものを読むと

犯罪の低年齢化など 問題点をただ叩いて嘆いて終わるか

この先どうなるのかといった不安をあおるような書き方が多い。

でもこの本は そんな社会でも 一人ひとりがどういった心持で過ごすか

外側で起きている出来事に反応するのではなくて

内なる平和をどう築くか ということを語っている。


いろいろと気になる箇所があって 例によって本が付箋だらけになったが

特に 現代人の姿を こんな風に表しているところがひっかかる。

「外からのはたらきかけを待つというと 何か他に心を配っているようだがさにあらず ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。」
「常に外とのつながりを求めつつ自己中心的である姿は 自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく態度とは全くの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ まずさは その根本に自分の内面とのつながりの無さ ということがある。自分自身が切れてしまっている。自分の内界と切れてしまっているので 何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。」P244

内界が切れたもの同士の姿を 河合先生は 

「根が切れた木が 互いに枝を絡み合わせることによって やっと立っているのに似ている」

と言っている。

時には テレビや携帯電話を禁止する週間を設けて 

自分やお互いに向き合う時間や空間をもてばよいとのこと。


ということもあり 実際に昨日一日 パソコンを開けないでいたが

ちょっと辛抱がいった。

テレビはぜんぜん見なくても平気なんだが

おそらく ブログに依存しているところがあるのかもしれない。

ブログのやり方について 少し考えようかと思う。


今までやっていたことをやめてみる

今までだめだと思っていたことをやってみる

一度(象徴的に)死なせていただきます。

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2009/02/11

2009弘前雪燈籠祭り そして

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息子殿が行こうというので。

おととしの今日 やはり雪燈籠祭りに行ったらしい。

写真があるでのう。

今年は(も?)雪が少なくて 土が見えていた。

これでは 遠方から来たお客さんはがっかりだ。

天候は仕方ないのかもしれないが…

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お約束の チューブですべり台。

一回やっただけで 息子殿は早くも退散。

最初からジャンボフランクフルトに目を奪われ 食べる。

昼ご飯を食べてきたばっかりだというのに ご満悦。


すべり台も楽しいんですが

メイン会場入り口ふきんの坂にあった「八甲田丸」なる船

これ 子供たちに大人気だったよ。

雪像を黙って見るより

みんな 登ったり体験できるものが好きなんだ。

ぜひ メイン会場にこれを!


昨日だったか 本屋に行ったら

白洲次郎『プリンシプルのない日本』という本と目が合い

「プリンシプルのない」という言葉に 「あ」

あの 白いTシャツにジーパンで イカした格好

気になる。

さっき NHKで白洲次郎のドラマが入ると宣伝が。

いま私は 白洲次郎の風。

まず1回目は 2月28日(土) 9時から。

NHKのホームページによると 

英国仕込みの紳士道をプリンシプルと呼び、日本で初めてジーンズを履き、近年「日本一カッコいい男」と呼ばれ、注目を浴びている真のリベラリスト白洲次郎。

辞典には principle  信条 主義とあるね。


& ちょっと前に 手塚治虫『ブッダ』を読んだせいか

本屋に行くたび 『アドルフに告ぐ』と目が合う。

「アドルフ」とは ただならぬタイトルだなと

ヒットラーに 何を告げるのか?

3月には トム・クルーズ『ワルキューレ

“Mamma Mia!”の前に予告が入り これもヒットラーつながり

国のためではなく 良心のために戦うとして

ヒットラー暗殺計画「ワルキューレ」を遂行するという話

良心のために戦う これも一つのprincipleじゃなかろうか?


「集団は 月が近づいたとき 世界の飢餓の記憶など 独自の記憶を持っている。集団そのものの歴史の記憶 たとえば 破壊 戦争 移民 憎悪 恐怖の感情 これらは 関係しあっている。P79-80

宗教とは 集団感情であり これは教会の神父たちによってはっきりと理解されている。…群衆とは 単純に集団であるが 人間単位の性質によって群衆の性質を判断しようとすると 人間を細胞単位の研究によって理解しようとするのと同じくらい確実に失敗する。

戦争の間 われわれはおそらく世界の歴史における最大の集団を抱えた。もしわれわれが より大きな単位の研究を捧げることができれば 集団行動の可能性を判断し 集団の変わりやすい性質を予測できるだろう。

フン族によるヨーロッパ侵略について 人間単位には説明をつけられない。フン族は 一夜にして破壊集団と化し 別の世代には再び羊飼いになったが タタール人に侵略された。我々は マヤ族が突然移動したわけを 人間単位の中に見つけられない。アッティラやチンギス・ハーンも同様に移動したというが 彼らは単に運動の代弁者だっただけである。ヒットラーは ドイツにおいて集団を作ったのではなく 単にそれを解釈しただけである

さて 人間単位の無意識には キーとなっているメカニズムがある。ユングはそれを第三者と呼ぶ。それは 集団のてっぺんに挿入された差込みであり その時人間は 集団における個単位のアイデンティティを失う。」P80(Steinbeck A Life in Letters)


Hitler did not create the present phalanx in Germany, he merely interprets it.P80

ヒットラーは ドイツで集団を作ったのではなく  単に集団(感情)を解釈しただけ

それが あの出来事の引金になった と。

つまり 一人ひとりが 自分の中にある「独裁者」を認識することが大事だ

みんながやっているから 命令されたから ではなくて

本当に自分がやりたいことかどうかを考えろと

それが principleか?


4月には 県立美術館で「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展

とても楽しみです。

半径50キロ圏内で 大いに楽しむ…

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2008/12/28

自分との対話―色

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我が家では 年末餅つきをする。

機械がhappy02

それから 家族と親族で必要な分の鏡餅と

食べる分の伸し餅なんかをつくる。

写真は ばっちゃ作 いちご大福。

<今年を振り返って>

11月は毎年恒例 農繁期+研修という繁忙期で自分を見失う。

それでも今年は 風邪をこじらせたりとか体調を崩さなかったので

とてもよかった。

自転車通勤が功を奏したのか 風邪をひきにくくなったな。

これは大成功だ。

しかし もって生まれた性質か育った環境か

これまでもずっと 役割を重く捉えすぎる傾向にあり

自分がやりたいことを押さえて 上手く立ち回ろうとして

合わせ切れなくなくなった瞬間 何もできなくなる

というパターンにはまる。

ユングも自分の無意識と7年間闘ったというが

自分の無意識を意識するのは できるようでできない。

わかっているようでわかっていない。


しかし

このまま 行き当たりバッタリに仕事をしたり生活してもまいね 

という気がし

自分が今何を考え これからどうしたいのかについて

72の細目にわたって書き出す という本を買い

この2週間 自分と対話していた。

自分を客観視できる作業はおもしろい。

だんだん 嫌なことにはイヤと言ってよし

という風になってきている。

NOといえる日本 NOといえるよっぺぎ。

そして あらためて

人がこうしろ と言ったことや

世間や時代など 実体のないものが良しとするもの

自分がやりたくないことを しょうがなくやるのは もうやめる。

やりたいことを 積極的にやる。

前に紹介した 「ほぼ日刊イトイ新聞」での対談で

原丈人サンという人も

「わたしは、日本人って、根本的に素直な人たちだと思うんです。ただ「なにかをやりたい!」っていう強いモチベーションが、あんまりないんですよ。」

と言っているように

日本での便利で楽な生活では 生きる刺激がない=夢が育たない。

だから 30人31脚というイベントなど 何か目標を見出すと

子供たちの眼の色が 俄然変わってくる。

世の中おもしろいことがいっぱいある。

それを体験できる実験空間を。

弘前で 世界を体験できる場所を。

↑途方もない

小さなことから 少しずつ。


<心を遊ばせる空間 HOME WORKS>

「年末年始 お嫁さんは大変よね~」の考えを打破し

役割以外の 素の自分を取り戻すべく HOME WORKSへ。

あれは19年前の夏休みのこと 就職活動をしに地元に戻り

ホテルニューキャッスルで行われた就職セミナーに参加したことがあった。

帰りに 土手町に向かって歩いていたところ この店を発見。

所狭しと並べられた雑貨と BGMにオルゴールのCD

オモチャ箱をひっくり返したような 楽しい雰囲気がすっかり気に入る。

好きが高じて むか~し バイトさせてもらったこともある。

今は アクセサリー 文房具 キッチン用品と部門ごとに分かれているけど

今も昔も 心を遊ばせる時 ココに行くことにしている。

ヒジョーに落ち着く。

<HOME WORKSでの戦利品>
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Moo~ 来年の干支は 丑だむぅ~。
                                                                                                                                                                                                        
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しっぽもちゃんとあるだむぅ~。                                                 
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そろそろ日記帳が残り少なくなってきたので 新しいのをば一つ。

なんてイイ色なんだろうか。

ブログをやっている他に日記って あーた…
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カードなどをしまっておくケース。

前に買った 例の“Inspiration comes from working

という 示唆的なメッセージがたくさん書いてあるファイルは

裂けてしまったので。

DELFONICS万歳。

                                            
子供の頃 みどり色のものばかりを着せられていた。

スキーウエアとか みんなピンクとか赤なのに 自分だけ緑。

もう みどりがイヤでイヤで 笑

それが今みどりだらけなんだよね。

三つ子の魂百まで か。

このブログURLも http://yoridorimidori.cocolog-nifty.com/ 

「よりどりみどり」となっています。

その時の気分でつけました。


<選んだ色で その人の状態がわかる「オーラソーマ」>

てなわけで 今 オーラソーマで4本のボトルを選んでみた。

この大好きなオリーブグリーンは「自立した女性」とある。

1本目は 「本質」を表すらしい。

目指すは 経済的+精神的に自立した人間 なので 

ま いーか。

まだまだですが…。

2本目は 「過去と乗り越えるべき課題」

マジェンタという きれいなピンクを選んだところ

「頑張りすぎたり、やりすぎている状態」と出た。

これにはビックリです。

3本目は 「現在の状態と気づき」を示す。

ペールブルー/ペールオリーヴ

人生のターニングポイントを迎えています。今こそ、古い価値観や概念を捨て去るとき。新しい手応えを求めていきましょう。小さな達成感が、その引き金となるはず。積み重ねが自信につながっていきます。まずは、自分自身が興味を持つことからはじめましょう。努力の成果は必ず形となってあらわれます。前向きな精神はすべての好循環を生み出します。

ウソか真か 今の気分をよく表している。

特に「小さな達成感」というところ。

いつでも「人生の転機」だと思っている節もある。

4本目は 「現在の状態からどう変わっていくか 未来の可能性」を示す。

エメラルドグリーン/ペールグリーン

調和が取れています。心身ともにバランスが取れ、自分の人生をより良い方向へ導くことができます。

この後も 大したイイこと書いである。

お遊びにしても 新年に向けて希望がもてる。

新しい年に向けて 心機一転

一興にみんなも やってみへ。

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2008/12/09

パスタランチと横尾忠則談義

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スペース・デネガにあるリストランテ・ダ・フェリード

ここ行ってきた。

ランチは アラビアータかアサリのパスタ ラザニア

あと1品くらいあったかな?これから1つ選べる。

コーヒーかスープがついて900円です。
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トマト味のパスタが好きなので アラビアータで。

かなりスパイシーで おいしかった。

シェフは外国人男性なのだけど

ネットで見ていたら チュニジアの方らしい。

アフリカ大陸っすね。

いつも食べる トマトパスタとは違うけど

これはこれでうまい。


学生の頃 外国人教師の住む寮にお邪魔して

ミートソーススパゲティをみんなで作って食べたことがあった。

その時も先生が

「日本のミートソースは甘すぎる。私たちが食べるソースは 甘みが入らない」

と言っていた。

市販のケチャップを使わずに 確かトマトの水煮か何かを使って作ったが

慣れないせいか 酸味と塩味だけで一味足りないように感じた。

でもアメリカ人の先生は 「これが自分たちが食べている味」と言っていたっけ…

20年前のお話でございます。

フェリードのアラビアータは 

スパイシーかつ甘みも入ってるように感じた。


食後に 泡立ちも本格的なエスプレッソをずずいと。

話に花が咲き デザートも頼む。

ランチを食べた人は 300円でデザートが食べられます。

チーズケーキ ティラミス クリームキャラメル アイスクリームから

同行した方はティラミス 自分はチーズケーキをいただく。

シェフの発音がとてもよくて Crème caramelが聞き取れず

何度も聞き返すの巻。ごめんなさい。

チーズケーキにかかっているブルーベリーソースは

少しバルサミコ酢が入っているからスッパイよ

と言われたけど ぜんぜん平気~

大しためがったじゃ~。


<ピカソとチャネリングについて>

今日の話題は ピカソ

同行した方のご主人が見に行ったというので

うんちくはないが 今東京に来ているピカソの絵が見たいよね

の 話になる。

ピカソは 生涯に7人の女性と関係して 2度結婚

3人の女性との間に 4人の子ども

その死後に自殺した女性が2人…


ピカソと言えば思い出す~♪ 

横尾忠則が遠藤周作『「深い河」をさぐる』の中で

「ピカソやロダンの周囲にいる女性が チャネリングの役目をしていた。チャネラーはエネルギーを受ける。」

と言っていた。

だから 女性を被写体として描いているだけではなくて

何か大いなる存在に触発された女性を通じて 芸術活動を行っていた。


前にも書いたけど 

横尾忠則はこの本の中で チャネラーが訪ねてきたことを告白している。

「絵を描く行為自体が つまり自己表現の実践だということを感じ出したとき ある人が『あなたに宇宙からのメッセージを伝えたいという存在が 私にコンタクトしてきている』と言って 現れたんです。」P159

続いて以下のように話は進む。


彼は2年間週3回 1回に6時間というカリキュラムに従う。

物質・家族・社会的地位・財産への執着から自由になることから始め

その人たちを通して 天使と宇宙界の波動を受けながら絵を制作した。

頭で考えないようにして描いているときは 交信している状態で

彼らの波動が 横尾忠則の身体を通して 絵に表現されていく。

エゴがなく 直観だけで描くと どんどん描ける。

絵を見る人は 絵から天使界や宇宙界の波動を受けて

自然に霊性が開く。


霊性は 肉体と魂を連結させる鎖で

肉体の想念と 魂が本来もつ宇宙原理に基づいた想念を統合させる役目をする。

つまり 絵画表現とは 見る人に宇宙の波動を与え 霊性を高めさせる。

うーむ 天使界とか宇宙界というものがピンとこないが

霊性や宇宙原理という言葉は 

神話学やユング心理学に出てくるので 考えてみる。


現代に生きる私たちは 

正しくこうあるべき ~すべき といった道徳観念に縛られているが

神話や古典文学は 

例えば「こうすれば正しい」といった 意識が一面化した状態から

意識と無意識が一体化した「十全」の状態へと戻す役割を果たす

と言われている。

意識=善 無意識=悪 とも言い換えられ 

意識と無意識 善と悪の調和は その人間の霊性を取り戻す

らしいや。


<ドリーム・コンタクト>

横尾忠則は ドリーム・コンタクトといって

眠っている間に霊体を導き shipと呼ばれるUFOに乗る宇宙人が夢に現れる

と言っている。

そして 波動が合うと 写真にも写る…

もうこの辺は理解不能だが 何とかわかろうと試みる。

ユングに言わせると

私たちが「UFOだ!」と言って騒いでいるものは

時代や場所が変わると「ご来仰だ!」とか「天使だ!」

に なったりするらしい。

その場所の文化に沿ったもので 言い表されているだけであって

UFOもご来仰も天使も 

もしかしたらその光っている科学現象も同じことだ と。

宗教は集団感情 芸術は集団の財産

芸術家とは 集団の代弁者である


とスタインベックも言っているけど(A Life in LettersP80)

横尾忠則に起こった「チャネリング」にも通じる

的を射た表現だと思う。


<テレパシーについて>

『「深い河」をさぐる」の続きpigブヒ

男より女が受信能力が強く 男は送信能力が強い。

つまり表現能力を持つ。

女は受信したら 愛という媒介を通して 男性に伝えるのが

宇宙本来の姿として理想的である。

宇宙は対立する両極の概念で全て構成される。

光と影 +と- 男と女 など。


この辺の対立物なんかはもう ユング心理学と同じだよね。


<チャネリングについて>

チャネリングを否定している人でも 知らないうちに受信したり送信している。

自発的なものを優先させる。

内発的衝動に従うのが宇宙的であり それが人生でもある。

自分の意志と努力で描いた とか 自分が自分が と思うと

彼らの送信にバリアをはる。

描かせてもらった どこからか来た と気づけば 

その 気づきが向こうに伝わり 

波動を送りやすいパイプができる。

創作する者の方が素直に感じ 理解する。

以上です。


横尾忠則の この宇宙との交信話をうさん臭く思っていた

作詞家の阿久 悠が

紙に図か何かを書いて当てる テレパシーを受け取る遊びをしたところ

全部言い当ててしまった。

テレパシーを信じていない と言いつつも

誰しも少なからず 送ったり受け取ったりしているということに感じ入った彼は

ピンクレディーの「UFO」という曲を作詞した

というエピソードが語られている。

おもしぇ~。


<おまけ>

さてさて 横尾忠則もドリームコンタクトをしているということで

実は「こんな夢を見たnight」という話になった。

同行した方が

アメリカはサウスダコタ州にあるマウント・ラシュモア

断崖に彫られたアメリカ史上4人の大統領の顔が

話しかけてくる夢を見たそうだ。


ヒーヒッヒッヒ バシッバシッ
Cocolog_oekaki_2008_12_08_17_02

ちなみに調べたら モデルは

建国の父ワシントン 憲法の父ジェファーソン 奴隷解放の父リンカーン 

そしてテディベアの父 セオドア・ルーズベルトの4名 だそうです。

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2008/08/26

The Lord of the Rings

ふたたび『指輪物語』The Lord of the Ringsを見ています。

イライジャ・ウッド 色白で端正な顔立ちだねえ…うっとりlovely


1作目 “The Fellowship of the Ring”旅の仲間では

世界を支配する指輪を 

その造り主で持ち主であった闇の冥王サウロンの手から守り

火山に投げ込んで壊すため

ホビットのフロドが 前途多難な旅に出かけますrun


程度の差はあっても指輪を見た全ての者が 

その権力への魅力にすぐ誘惑され

「ちょっとでいいから触らせてくれ」

「自分なら いいことに使う」

などと言って

ものすごい形相で凶暴になり 力ずくで奪おうとしたりと 

とんでもない行動にでます。

その一瞬の迷い 誘惑されたときの態度と表情がヒジョーに恐ろしい。

正気に戻ろうと努めたり また周囲の人間の説得によって

目が覚めるのですが

人間なら誰でも そういう一面がある ということ

鏡を見ているようで いや~な気分になる。

でも 原作者のトールキンは

迷うのは普通の人間で

でも 葛藤しながらも手放せることが大事だ

と言っているんじゃないかね…。


フロドは 指輪を持っていながら けっこう「つけっと」している。

魔法使いガンダルフは 初めから指輪を拒否している。

きっとこの人は ユング心理学でいうところの「老賢人」だ。

誘惑に負けることを知っていて 近くに寄らない。

自分が指輪を持ったら はめて世界一周の旅に出ます。せばな~paper

↑わかりやすい


「あらゆる種族のうち 人間が最も権力を欲しがり

安きにつくのもまた人間の常である」

と 物語の冒頭に出てくる。

もともと この指輪をサウロンから奪って 壊すチャンスがあったのに

それができなかったのは 

イシルドゥアという人間が 権力の誘惑に負けて指輪を持ち帰ったから。 

指輪を拒むことができる というのは

とても勇気のいること だね。


サウロンの手先に次々とやられ 仲間を失っていくと

次第にフロドは 旅に出たことを後悔し始めます。

「指輪が自分の元にこなければよかったのに。

こんなことが起こらなければよかったのに。」

I wish the Ring had never come to me.

I wish none of this had happened.


そこで ガンダルフが次のように励ますのですが

闇の冥王 とまではいかなくても

日々奮闘しているあなたへ この言葉を贈りますheart

「つらい目に遭うと皆 そう思うが どうにもならん

それより今 自分が 何をすべきかを考えることだ。」(字幕通り)

So do all who live to see such times but that is not for them to decide.

All you have to do is what to do with the time that is given to you.

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2008/08/25

河合隼雄『ケルト巡り』

今日から学校が始まった…crying

夏休みは 
1.暑い
2.子供とがっぷり四つ
3.親戚も休みなので 人の出入りが多くなる
4.自分も休みになると 必然的に人と長く一緒にいる

あらゆる手段を講じたのだがsweat02 功を奏さず。

この長期の休みの間 いかに家族と衝突しないかが課題。

周囲に流されないで 自分の時間を作ればいいんだよな。


さて つい2日ほど前 

田臥くんが1ヶ月の沈黙を破って ブログを更新していた。

サマーリーグに参加する と言ってからその後音沙汰なし

どこを見ても 何も書いていないので どしてらんだべ~?

いや 便りのないのはいい便り 

などと思っていたところ

「まだ行き先は決まっていない」 とあるけど

近況を知って 喜ぶ自分。


前置きが長くなりやした。


夏休みの間 何冊か本を読みましたbook

河合隼雄『ケルト巡り』 日本放送出版協会 2004/1/30。

アーサー王好き+ユング心理学好きの人間には 

ヒジョーにうれしい一冊。


今の日本は大きな過渡期にあり

そのエアポケットに落ちた人は不可解な事件を起こし

被害者も出ている。

河合先生は 今の日本社会が参考にすべきものを 

アイルランドのケルト文化と

ネイティブ・アメリカンのナバホ族の文化に見出します。


ネイティブ・アメリカンのナバホ族は

すばらしい文化を持ちつつ 近代文明に負け廃れてしまった。

日本は それを取り入れつつ 自国の文化を保たねばならない。

日本人はナバホ族の二の舞にならないためにも

日本的なものを土台にしつつ 

現代人としての欧米的知恵や文化(個人主義 合理主義)

と関わっていかなければならない。

日本的な土台とは たとえば季節の祭り 伝承行事を

形式だけではなく 心が弾むように環境づけるのだそうだ(124-5 203-4)。

ケルトへの旅では 

ヨーロッパの人たちも アイデンティティを持ちつつ

ドルイド教への関心の高まりなど

アイルランド的な価値観をとりいれようとしていることがわかったのだとか(199)。


先月借りた河合隼雄作品集を通じて主張していた

「死んだらどこへ行くかを知っている人は 動じない」

ということが この本にも書かれていた。

旅をするのに目的地を知らない人は 

あてもなくさまようだけだ と言っている。

最後はそこに行き着くらしい。

そこで

「いま村上春樹やよしもとばななの著作は かつて川端康成が『東洋の不思議な国』を知るために読まれたのとは違い 現代の生活のために いまを生きるために読まれている。世界の人々にリアリティをもって迎えられているのである。つまり彼らの著作は普遍性を持つ現代のおはなしであり いわゆる近代的自我を中心にして書かれたものではなく。この二人は無意識的なところに入り込んでいく力を持ち そかもそれを物語にする力を持っている。そうして生み出された作品は世界の人々に対して意味を持ってくる。」(205)

かつては 困難に対する回答は

宗教が引き受けていたが

今は「小説や映画 音楽」といった芸術作品が

ヒントを提供する時代だ(205) と言っている。


「無意識に入り込む芸術作品」

が キーワードです。

これ 今日のメッセージ と思います。

「日本は戦争に負け 経済的に欧米に追いつこうとした。そのため どうしてもお金中心に行動してきた。しかしそろそろ金儲けはひと休みして コンサートくらい…」(206)

だそうです。

大手を振って コンサートへ行こう!

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2008/07/17

河合隼雄 著作集

きなーも おもしぇー日だった。

(昨日も おもしろい日だった)

今日もおもしろい一日になるといいな。


7月3日に 図書館で河合隼雄著作集を4冊借りた。

これらの著作集は 専門的な論文ではなく とても読みやすい。

目的はミンデル『紛争の心理学』だったが

5冊まで借りられるので 目についたものを。

『河合隼雄著作集第Ⅱ期 神話と日本人の心 6』

『同 日本人と日本社会のゆくえ 11』

『同 臨床教育学入門 5』

『同 多層化するライフサイクル 9』


今日も新聞の見出しに 事件を知らせる文字が躍っていたが

(正確に言うと 旦那が見たのを聞いただけだが)

そういう事件に やみくもに反応して 

恐れたり 厭世観を抱いたりしない。

それでは ただ外側で起きていることに 翻弄されているだけだ。

何かしら 心に太陽を持つための工夫が必要なんじゃないか

と 思う。

ミンデルによる プロセス指向心理学が目指す

「長老」の特徴の中には

「独裁者やゴーストに耳を傾ける」

「問題を起こすものが 何かを教えてくれている と考える」

というものがある。

ユング心理学の根底にも こういった「問題視される側」の目線が

常にある。

河合先生の本を読むと 勇気が湧く。


例えば 『日本人と日本社会のゆくえ』には

(阪神淡路大)震災と一体感的人間関係 

「援助交際」というムーブメント

地下鉄サリン事件が教えること

という項目がある。

「援助交際」で 身売りをして金を稼ぐなど 考えられない

バカでねが?で おしまいではなく

それは 日本人全体へのムーブメントなのだそうだ。


今の日本の家族は 家族ごっこになっていて

平和を装っている。

本当は 思春期の子供は さなぎの中で劇的に変化している。

だが 今の親はわけしり顔でふるまうので

思春期の荒れを 反抗という形で受け止められない。

だから 一旦外に出すと 暴力や売春という凄まじい形になる。

援助交際をする少女たちは 無意識のうちに

「のんきに生きている場合じゃないよ」

と 現代社会の盲点を揺るがすような現象を起こしている

と 著者は言っている。


家族だけが能率的になっているのではなく

日本人は金持ちになり 人間関係を金に換えて生活しており

スーパーでは 愛想や駆け引きなく 買い物ができる。

そうではなくて 著者は

「人間がほんとうに生きるためには そんな能率一辺倒でいいのだろうか。下手をすると冥土行きの新幹線に乗ったような人生になってしまって 途中の景色を味わわず 目的地についてしまうのではないだろうか。せっかく生まれてきた自分を精一杯生かそうと思うのなら 喜怒哀楽すべてを味わう経験が必要である。無駄なように見える家族間のゴタゴタや ナンセンスのような喜びなどによって われわれは生きることをしているのではなかろうか。」P123

と 教えてくれる。

「冥土行きの新幹線」ね…。

うまいこというね。

毎日 失敗した とか ちょっとうれしい!と思うことが

実は生きること なんだな。

じゃあ 毎日のイザコザも 実は大切なのかもな。


また まえがきとして こんなことが書いてあった。

日本と日本文化のゆくえを考えることは 多くの人にとっての関心事となっている。そのことを特に感じさせられるのは 現在の日本の社会状況に憂うべきことがあまりに多いという事実である。

例えば 相つぐ少年事件 中学生の5千万円恐喝事件 人を殺してみたかったという殺人事件 17歳の少年のバスジャック事件と続いている。短絡的に殺人を犯しているのが特徴的である。これまでにはあまり生じていいない事件なので 与えるショックも実に大きい。

一般の人たちが感じることは 現代の若者の恐ろしさ ということだろう。ここで『対策』ということになるが 多くの人が『モラルの低下』を考えるのではないか。もっと積極的に『罰』を加える必要性を考え 少年法の改革などへと進むかもしれない。P188言い換え引用


そして著者は 次のように同輩を導く。

モラルの低下を嘆き 最近の若者を責める人は

昔の日本のよさが アメリカの影響で失われつつある

と 考えるのではないか。

しかし 実は

バスジャックをした少年が行った冷酷な仕業は

日本陸軍が中国における非戦闘員たちになした残虐行為に通じる。

若者に対して批判や攻撃を一方的に加え
 
同年輩の「仲間」と嘆きあって楽しんでいる人は

そのような若者を育ててきたものの責任というのを

考えなくてもいいのだろうか と指摘し

「ものごとが動き出し大勢がきまると 確固とした判断がないままにズルズルとそれに従ってしまう。ここでやめるべきだという決意ができない などという態度は まさに昭和陸軍の御得意といっていいほどである。」

と 断罪している。

だから 現在の日本の若者のみを問題と考え

道徳教育をしっかりしろと主張する人には

戦前に「修身」教育をたたきこまれた日本人が

戦争中にどんなことをしたかよく考えてほしい と言っている。


私たちが 先代に物申すのでは つっぱねられるが

同世代の方が たしなめてくれていることは心強い。

河合先生は そういう人たちをやっつけているのではなく

誰か一人がいなくなればよいとか 正すべきなのではなくて

みんなが考えて行動する時だ と教えてくれている。


全部の著作を読み通してはいないが

河合先生は どの項目においても

人間が起こす問題は 欲(食欲 消費欲 性欲 睡眠欲など)に通じ

結局つまるところ 日本人を含む人間全体が

「どこからやってきて 死んだらどこにいくのか」

という 根源的問題に対して無意識にさまよい

目の前にある「モノ」を 盲目的に欲しがっている と指摘している。

老人になって 気品があり せかせかしていない生き方は

全ての人間が「かくありたい」と願う姿であり

そのような老人(長老といえるかもしれないが)は

「自分が死んだら ご先祖様になる」

ということを 確信しているのだそうだ。

そして 先祖になる というのは

その民族に代々受け継がれてきた物語「神話」が

体の隅々に行き渡っていて

周囲の全てのものが その神話の登場人物として

今も息づいている。

だから 何が起きても 動じないし

死んだとしても 行き先がわかっているので 心配がない。


だが 

科学万能を信じた現代人は 神話を失い

日本人も欧米に追いつけ追い越せで 盲目的に進んできて

根がなくなった。

日本人としての生き方 文化が希薄になってきた結果

私たちは 日本の神話を失った。


だから今 心理学なのかもしれない。

ユングは 神話や古典文学に登場する人物に

共通の要素があることに気がつき

老賢人 太母 トリックスター 影 という元型を提唱する。

こういった「神話の機能」を知り 物語を自分にあてがうことで 

表面的に 一時的に人を安心させるだけではなく

根本的に癒すのだそうだ。


また 先の「死んだらどこにいくかを知っている」老人と関連して

「死」を司る宗教を 日本ではうさんくさがるが

日本人の感覚だけではなく 人間全体に通じるものとして

宗教を考える時期でもある と言っている。


一口で 河合先生の著作を言い表すことはできないけど

人生を高いところから展望するような地図 

だと思う。

自分がどこにいるのか 模索するだけではなく

ここですよ と教えてくれる安心感があります。

貸し出し期間 延長しよっとcoldsweats01


せば!

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2008/06/09

『スター・ウォーズ エピソード4』フォースと宇宙意識 2

「宇宙意識」とは ラズロー博士によればこうである。

The field of cosmic consciousness they experience is a cosmic emptiness-a void. Yet, paradoxically it is also an essential fullness. Although it does not feature anything in a concretely manifest form, it contains all of existence in potential. The vacuum they experience is a plenum: nothing is missing in it. It is the ultimate source of existence, the cradle of all being. It is pregnant with the possibility of everything there is(ErvinLazlo Science and the Akashic Field --An integral Theory of EverythingP155).

(前述の)彼らが体験した宇宙意識とは 宇宙の空白「真空」である。しかしながら 逆説的にそれは本質的な充満でもある。だが それを具体的にはっきりとした形で特徴付けることはできない。彼らが体験した真空は充満であり すべてのものを生み出す場である。そこにあるすべてのものの発展の可能性を宿している(アーヴィン・ラズロー『叡知の海・宇宙―物質・生命・意識の統合理論をもとめて』P155。


「スター・ウォーズ」で言うところの 

「宇宙に満ちていて 私たちを取り囲み つなげているフォース」と

かなり近いんじゃないかと。


それは身近なところで 「気」という言葉に言い換えられるかもしれない。


この引用部分の直後に 

「Basically, the same kind of experience is recounted by people who practice yoga and other forms of deep meditation. 実は同じような体験が ヨガや他の深い瞑想をする人々によって詳しく語られるP155。」

と述べられている。

「自分が自分が」というエゴの声を聞き分け いまの自分の状態を客観視でき

自己が他と同化する状態を引き起こす「瞑想」だが

それは 呼吸を整えることで 地球の自転と同調するからだ とどっかで読んだっけ。

自他との境があいまいになって 

相手が自分に 自分が相手になる という体験は

ユングが 幼少のころに体験した 

「石に座っているのが自分なのか 座っている石が自分なのか わからなくなった」
 
という状態に近いようにも思う。


「スター・ウォーズ」モードに入った私は

エピソード4・5 と見て 

ずっと見てなかった完結編エピソード3を やっとこさ見た。

この章では 穴禁 (変換がこうなった)

アナキンがいかにしてダース・ベイダーになったのか という経緯が語られるのだけど

かわいそすぎる。哀れんでしもうた。

このままで一日が終われるか!と思い

アナキンの息子 ルークが暗黒面から父親を救うエピソード6を見て ホッとした。

「スター・ウォーズ」って ある意味「アナキン物語」だな。


それにしても アナキン役 ヘイデン・クリステンセン

「森泉」入っちゅう。くりそつです。

ちなみにこの珍しいお名前 

お父さんがデンマーク系カナダ人だから だそーです。


せば!

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2008/05/23

200805171237000
いろいろと日々みなさんと話す中で たくさん発見があります。

気づいたことを つれづれと。


自分がこういう人なんだ とさらけ出すことによって

離れていく人があるかもしれない

そういう恐れは だれにでも 多少なりあると思います。でも

「自分が生き方を変えることによって 今まで親しかった人が離れていく

それは別に悲しむべきことではない 本当に必要な人は 留まる」

と 『人生の転機』(キャロル・アドリエンヌ)で言っているように

全てが悪いことではなさそうです。


本当の自分と向き合うことって 恐ろしいですね。

他人を悪者にして自分が悪くないことにしたい 逃げようとしている自分 

つい先日 そういう自分に改めて気がついて 胃が痛くなりました。

「人生にどんなことが自分に起きるか」

ではなくて

「起こったことに対して 自分がどう反応するか」

それが大事なのだそうです。

直接謝ったほうがもちろんいいのですが そういう勇気も機会もないので

自分を奮い立たせて 謝るために紙にしたためることにしました。

その結果 相手に嫌われたとしても しょうがないな と

いい意味で 開き直りました。


ポストに手紙を入れた瞬間 胸のつかえがとれたように感じました。


いつも 自分の外側に原因があるのではなく 自分の内側に答えがある。

『スター・ウォーズ』の中で 主人公ルークが

敵ダース・ベーダーが父親であることを知り 苦しみます。

そんな苦悶する中 父親を倒すところを想像する場面がある。

戦って倒れたダース・ベーダーのマスクがとれると 

それはなんと 自分なのでした。


「ついに本当の敵がわかった。それは 自分自身だ

(Now I found my real enemy. It is me , myself.」

(ジェラルド・G・ジャンポルスキー『ゆるすということ』Gerald G. Jampolsky “Forgiveness” THE GREATSET HEALER OF ALL P123)

どこまでできるかわかりませんが とりあえず

「あなたが抵抗するものが存在し続ける(It will exist what you resist.)。 」

というユングの言葉通り 自分と向き合うことにしませう。


ダース・ベーダー だすー

せば!

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2008/05/22

『崖の上のポニョ』と毎日の暮らし

「ポニョ」のチラシをもらったら こんなことが書いてあった。

「海に棲むさかなの子ポニョが 人間の宗介と一緒に逝きたいと我儘を貫き通す物語。…アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し キリスト教色を払拭して 幼い子供達の愛と冒険を描く。

海辺の小さな町と崖の上の一軒家。少ない登場人物。いきもののような海。魔法が平然と姿を現す世界。誰もが意識下深くに持つ内なる海と 波立つ外なる外洋が通じ合う。

…少年と少女 愛と責任 海と生命 これ等初源に属するものをためらわずに描いて 神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」

これは 宮崎駿監督が ポニョの舞台背景を表したものだが

宗教色を払拭する 意識下の海 神経症の時代というキーワードが 

自分にヒットする。


先の「ナルニア」 あれは聖書を下地に作られたものだとされていて

見ようによっては原理主義的だととる人もいるらしい。


ゲンリシュギって なんだべ?


宗教上の原典を絶対視する主張・態度を指す用語だそーだ。

「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の監督が言っていたが

魔法省や 現職の校長と取って代わったアンブリッジの動きは

「これ以外の考え方は受け入れない」とする原理主義的な動きであり

自分の考えだけが正しいのだという 

現代にも見え隠れする病理を暗に表している とのこと。


でもね

宗教の経典は 一人の人間が主張したものではなく

何代にも渡る人類の意識下にあるものが総決算されたもの。

宗教に描かれている象徴 主題 は 洋の東西を越えて共通している。

そして 神経症の患者たちが見る幻影には

その宗教の象徴・主題と一致するものが多い。

普段私たちが起きている時の意識とは別の次元にある

「変性意識」「右脳体験」といったものは

人種を超えて一致してるよな と いつも思わされる。

わんだぢの文化はこうだ おらほ一番 といった差別 それが争いを生む 

「いかに違うのか」ではなく 「いかに私たちが同じなのか」

その「つながり」を見たい。


むかし日本がロシアやトルコの難破船を助けて

未だに彼らが親日家であるのを見ると

敵か味方か という違いよりも 同じ人間じゃないか という共通意識が

連帯を育んでいるように思う。

そういう姿を見ると いま必要なのは「これだな」と思うのです。

毎日の暮らしの中で起きる ささいないさかいから 

生死を隔てる天災が起こっている世界を見渡しても。


「私たちのつながり」それをどう描くのか ポニョに期待している。


ポニョポニョポニョ さかなのこ♪


せば!

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2008/05/03

人生の地図 -物語 3-

スタインベックが『エデンの東』を書くずっと前に

『赤い子馬』という短編を書いたのだが

それは『エデンの東』の習作というべきもので

主題や構成が酷似しており 4つの短い物語から成る。

2つ目の作品『大連峰』の冒頭で

主人公のジョーディという少年が 

小鳥に石を投げて殺してしまうシーンがあり

彼はそれを親たちに見られれば叱られると知っていて 隠す。

「どうだ。とうとうやっつけてやったぞ」彼は言った。 死んだ小鳥は 生きているときにくらべて ずっと小さく見えた。ジョーディは 何かとがめられるようなかすかな苦痛を胃の腑に感じた。それでナイフを取り出し 小鳥の首を切り落とした。それから腹を裂き 羽を切り離した。そして最後に ばらばらになった小鳥の死体を茂みの中へ投げすてた。彼は小鳥のこともその命のことも まるで気にかけなかった。だが 自分が小鳥を殺すところを見たならば おとなの人がなんと言うか はっきりわかっていた。それを考えると われながら自分が恥ずかしくなってきた。彼はいっさいの出来事をできるだけ早く忘れ どんなことがあってもけっして口に出すまいと心にきめた。(『赤い子馬』P67)」

われわれ大人は

そういういたずらを やみくもに「ダメ」と言わないほうがいいらしい。

うーむ これは難しい。

見ないようにしよう。見なけりゃいい。(そういう問題か?!)

子どもは大人の知らない小さな秘密を持って当然なのだそうだ。

机の一番上の引き出しの鍵は

子どもが持ったほうがいいそうです。

そうじゃないと 部屋全体にカギをかけることになるのだとか。

 
このジョーディ少年は 一連の作品を通じて 

トリックスター(いたずら者)から 次の段階へ成長する。

4つ目の作品『開拓者』の中では

年老いた母方の祖父が いつも開拓時代の話ばかりするので

辟易していた家族が描写される。

煙たがられ 過去の栄光にすがる悲しそうな祖父の姿や 

その前作の中で命の尊さを垣間見るうちに 

少年の中に優しい気持ちが育っていく。

つづく

(人生の地図 物語4・5 については 

期間限定とし 削除しました。5月9日記)

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2008/05/01

人生の地図 -物語-

スマイル スマイル200804231038000


大平健『診察室にきた赤ずきん-物語療法の世界-』

これはおもしろい。

「むかしむかし、あるところに…」まさか精神科を受診して、昔話や童話を聞かされるなんて誰も思ってもみなかっただろう。でも、患者たちの当惑はすぐ驚きに変わる。そこに繰り広げられるのは自分の物語なのだ。悩みを抱えた心の深層を「赤ずきん」「ももたろう」「幸運なハンス」「三びきのこぶた」などで解き明かす、ちょっと不思議で、ほんとうは不思議じゃない12話の「心の薬」。内容(「BOOK」データベースより)

問題の渦中にいると

自分がどういう行動をとっているのか まったく見えない。

外界の出来事にただ反応し 無意識に動いている。

それを「あなたは今こうなっていますよ」

と 見せることで 意識的になる。

こんなアホなことをしていたのか…と正気になる。

「無意識を意識することが 問題を解決する」

という例は たくさんある。

前世療法 あれも「本当かどうか」は別として

自分を客観的に見せてくれるから 治るんじゃないか

と 考えるようにしている。

じゃないと あまりにも信じがたい症例なので。


ちなみに 何度でも書くが

『エデンの東』を読んだとき 

自分はまさにこのパターンだな と思った。

『エデンの東』に限らず 物語の構成には主題があって

それが昔からずっと同じものが繰り返されているにすぎない。

『エデンの東』にある主題は 

聖書にも 『アーサー王の死』にも 

『ローマ建国史』 『ダフニスとクロエー』

『ギリシア神話』 『トリスタンとイゾルデ』にもある。

ろーまけんこくしって?

そんな質問は受け付けません。

つづく

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2008/03/26

ちょっと 一休み

ども。

字ばっかりで つまんないでしょ?笑

紅白と違って 大衆に迎合しない内容ですから~

しかし こういう本を 

面白く わかりやすく説明するってムズカシイね。

今やっているのは ただ要約してるだけだもんね。

本当ならば 自分が読み込んで理解している段階で

書く段階じゃないわけさ。

だから 読み飛ばしてくださって 結構です。

今ようやく3分の1まで要約をワープロ打ちしたところ

もはや 先生にレポートを書いているような

そんな気分です。

キーパンチが冴えるぜ。

でも 春休みの今やらないと

また夏休みまでできない予感がするのでね

そうなると1年越しになってしまうのか…

ま それでもいいかcoldsweats01


しかしだね

作者David Peatさんが なぜこれまでして

くだくだしく科学の歴史を振り返っているのか

そりはひとえに

今の研究を述べるためには

これまでの流れを振り返るのが常套だから でせう。

私が言うまでもありませんが…。


もし 中学校か高校のときに

宗教・哲学と科学に接点があることを知っていたら

もう少し 勉強しようという気になった

かもしれません。

(ならないならないsweat02

Iちゃんの倫理が好きで テストも良かったという

変人ですから。

倫理の教科書まだ持っちゅう。

さすがに高校の英語の文法テキストは捨てました。

お守りみたいに持っていたんですがね。


「隣人がおかしく見えるとき

自分がおかしくなっている」

どっかのエライ人が言った言葉←たんげ いい加減だ

今まさに 自分がそういう状態ですな~。

反動が来たね~ これ。

意識と無意識が逆転しているので

世界中が自分の敵です(笑)。

全員かかって来い!punch

自分を大事にする時間をとらないといかんな~。


沢尻エリカがぶちきれた瞬間の映像を見て

義母が

「それが本当の自分なんだいな。」

と 捨てゼリフを吐いたことがありました(笑)。

こ コワイsweat01

これが本当の自分です。

ユングの言葉を借りるならば

これ「も」 本当の自分です。

世の中に善い人と悪い人がいるのではなく

善い人は 悪いところを見せていないだけだ

その言葉に救われるね。


自分の中の悪を拒絶すると

影が人格化し 一人歩きするのだそうです。

なので 今の私がなすべきことは

嫌なところが自分にある と 認めること。

いや 

寝ること か…。神経を休めよう。


せば!

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2007/10/03

夢と想像力と無意識

いや

何か気のきいたこと書こうと思ったんだけどね

うまくまとまらないね。

もう 夢の中だね。

自動筆記状態。

○×▲↑~※♪

えくりちゅーる おーとまちっく


夢といえば

昨日息子と「旅館ごっこ」をしたんだけど

夏に十和田湖に行ったので

「ここは十和田湖でーす」

から始まり

「遊覧船に乗りマース」

と 移動し

「右手をご覧下さーい ハワイの火山の煙が見えてきました~」

と なんとハワイ島が現れ

「ここには なっちゃんReraもありまーす」

と なんと湖にフェリーも登場した。

そして そのなっちゃんれらは12階建てで

息子は屋上から パラシュートで飛び降り

その様子が テレビで放映され

ヒーローになったという…。

いやはや これこそ 「夢」のお話だよね。


この話に いたく感心した親バカな私です。

ちょっと「魔女の宅急便」が入ってはいますが…。

彼にとっては リアルなんだよ 想像の世界がね。


子どもだけでなく いつもと違った自分になることを

人は求めているようだよ。

子どもにいたっては

たとえば 劇をして仮装をすることは

もう そのものになりきることだし

現実さえもぶっとぶ 真に迫るものなんだよね。

最近 ちょうど借りていたシュタイナー関連の本の中に

「物語」を読んでいる間 主人公になりきっている子どもは

それまで 悩んでいた苦しさを忘れるほど そのお話に没頭する

ということが書かれてあって

それとまさにリンクするな

と 思うのだった。


だから 非日常的な「演劇」や「祭り」で 

ふだんの自分以外を演じることは

日常を健全に保つね。

そうそう100%いい人間で いられるか 

いや いられない(反語)。


私たちは寝たり起きたりしている間に

意識の深いところと浅いところを 行ったり来たりしているそうですが

何か耐えられないつらい体験をしたりすると

奥深くもぐるらしいです。

それが そのまま表面に出てこなくなると

精神的な病気になるとか。

無意識は 人間全体の底流に通じていて

私たちはそこにアクセスすることで 力を得るらしいです。


だから 

右脳作業 左脳作業 どちらかだけではなくて

両方をバランスよく行って

意識と無意識を統合することが大事だね。


… ←奥深くもぐってた


ねむっ


せば!

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2007/09/14

「歓びを歌にのせて」

借りてきました DVD。

むさぼるように 日々過ごしております。

落ち着けー。


スウェーデン映画です。

スウェーデン映画と言えば

前に「エヴァとステファンとすてきな家族」ってのも見ました。

どちらも 何かしらうまくいっていない登場人物が出てきて

周囲の人と 励ましあったり 傷つけたり

仲直りしたりしていく過程が描かれます。

そういう どこにでもいそうな人物と 

何気ない日常生活を映画にしたものが 結構好きです。


歓びを歌にのせて

これは タイトルがいいな と思って すぐ決めたね。

著名なオーケストラ指揮者ダニエルは、 日々の忙しさから体調を崩し、やむなく第一線を退く。 心を癒すために生まれ故郷へ戻ってくるが、 村人へ心を開こうとはしない。

ある日、地元のコーラス隊の指揮を頼まれる。
心から音楽を愛する彼らの気持ちに触れ、
ダニエルは再び音楽の素晴らしさを実感していく。
コーラス隊のメンバーは、それぞれに様々な問題を抱えて、
ダニエルを通じて音楽から勇気をもらい、
人生の"1歩"を踏み出す自信を得る。

夢に見たコーラスコンクールの日、
ダニエルとひとりひとりの気持ちがつながり、
ダニエルは人生で最高の幸福感を得る。

そして・・・

(Avex映画インフォメーション)

最初 単純に

ウーピー・ゴールドバーグのSister Act2みたいなのかな

と 思ったんだけど 全然違ったね。

最後のコンクールのシーンで優勝して終わり

とか

そういう簡単なハッピーエンドじゃない。

デンマーク映画だけど 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」的な

そういう暗さを持った映画だ と思う。

まずしょっぱなから 人が死ぬ。

そういう 残酷なシーンがはっきり描かれる。

あと ラブシーンじゃない 「性」と何か?!という問いかけもする。


チャンチャンバラバラ&どたばた

ユーモアたっぷりに流れ

最後にハッピーエンドという

ハリウッド映画に慣らされていた私は

ニュー・シネマ・パラダイス

八日目

ダンサー・インザ・ダーク

のような 人が生まれてから死ぬまでに出会うだろう

負の感情や辛い体験を全て盛り込んだ映画を見て

しこたま びっくらこいたのだった。

アメリカ映画は 死ぬというテーマを取り上げたものでも

こんなにはっきりと あからさまには描写しないと思う。

最近は 

死と性(単なるエロスでねくて)を描写している方が

普通の人生かも と思うようになる。


「死」といえば

隠れユンギニアンにお借りした 河合隼雄『宗教と科学の接点』には

「死の位置」と題して

私たちがいかに 「死ぬ」ということを避けるようになったかを

アメリカを取り上げて検証している。

「近代医学の発達によって われわれはともかく死を少し遠ざけられるようになった。しかし 死はいずれやってくる。ここで極端に死を拒否しようとする信条が『近代科学』と妙な結合を行うと 第一章に述べたような アメリカにおける死化粧兼防腐処理(エンバーミング)の隆盛のようなことになってくる。死者はまったく『生けるが如き』姿のままでいるし 花束は美しいし 葬儀屋の巧みな演出によって 参列者は出来る限り死に直面しないようにあるいは 死のことを忘れてしまうようにされる。しかし いかに工夫されても死を否定し去ることはできない。」P77-8

スタインベックも ユングの著書をかなり持っていたらしく

生涯を通じた作品全てに 影響を受けたと言われていて

『エデンの東』でもはっきり「墓を花で飾るようになってから 人間が堕落した」

ということを書いている。


だからといって アメリカとアメリカ人を非難しているつもりはなくて

アメリカ という文化に 自分たちの姿が見えるよね。

自分たちが避けたい苦しいこと

死や悲しみ 

自分の中にある ずるさ 妬み そういうこと全部が

自分を作っている要素なんだよ と

ユングは指摘しているわけです。


くどい。


最後に

この映画の盛り上がりは

中間で 夫の家庭内暴力におびえる女性ガブリエラが

ソロのパートをまかされ

多くの聴衆の前ですばらしい歌声を披露するところだ と思う。

スウェーデンにおいてトップアーティストとして活躍する

ヘレン・ヒョホルム という方だそうです。

ちなみに同い年っす。

じょんずだよ~ ぜひ機会があったら見てね。


せば!

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2007/08/12

夏の十和田湖

200708111610000 十和田湖に行ってきました。

トップ・シーズンとあって 混んでいましたが

猛暑にも関わらず 緑の中の奥入瀬渓流はさわやかで

涼を感じるにはもってこいの環境です。


トータルすれば 長年青森県に住んでおりますが

今回初めて十和田湖の遊覧船に乗ってみました。

(旦那は2回目だ そーだ)

自分の中でなぜか「船に乗りたい」気持ちがずっとあったので

大満足です。

子どもも船は楽しかったと申しております。

おススメです。

席につくよりも 最上階のデッキで風を感じる方が

断然気持ちがいいです。

↑ここでも 密室を拒む


そんで 今回はこれまた初めての十和田に一泊。

なかなかいがったよ。

夏の十和田湖は 気持ちがいい。

朝もやの中 水辺で散歩したりね。

遊覧船に乗ったときも思ったんだけど

湖はベタベタしないからいい!

山も水辺もあるし 

望んでいたとおりの場所でございます。


ユングは「人は水辺を離れては生きられない」と言っています。

何の本だったかは 忘れましたが

(このいい加減さ 暑さのせいにしておこう)

ユングは 晩年 その通り水辺に住んだそうです。

「水」というのは 無意識を象徴するもので

「魚」は 無意識の中にある「自己」だとか。

でねが?


ぬぎーです。

十和田湖 涼しくて いがったんだけど 

弘前に帰ってきて この暑さ。

ギャップに苦しんでおります。

埼玉に比べれば…

いや 埼玉並になりつつあるよ これは。


200708121243000 2日目は 三沢市に移動し

子どもが毎年必ず行きたがる「三沢航空科学館」へ。

近所のご家族に遭遇して かなりオドロキでしたが

さすがに 毎年来ていると 見るところも尽きたな… と

母は思う。


で この炎天下

Music on the skyと称した野外コンサートが行われており

これまたタイムリーなことに

吹奏楽の団体が演奏しておりました。

母は当たり前のごとく 科学館そっちのけで熱心に聴いてきました。

200708121106000 三沢商業高校吹奏楽部のみなさん。

お疲れ様でした。

コンクールで 県大会を突破したそうで

東北大会頑張ってね。

ちなみに マーチングの大会にも出場するそうで

マーチングで鍛えた技が随所に!

ソロのとき 立ったりしますね

前に出てきたり。

そりゃ常套手段なんですが

こちらのみなさんは

順番に一人ひとり立ち上がったり座ったり

楽器のベルの向きをきびきびと変えたり

みごとでした。


私の感覚からすると

このような直射日光の下で演奏すること自体

考えられないのですが

あの動き!

ファゴットは リード割れるよ!!

ちなみに学校時代

野球の応援などで演奏するときは

ファゴットとオーボエは 室内楽器だということで

パーカッションのお手伝いをしました。

タンバリンとか 鳴り物を一つ持たされて。

いつだったかは サンバ・ホイッスルなどを吹いたりしたものです。


三沢商業のほかにも

クレール・ウインド・オーケストラ

八甲田吹奏楽団(かっこいいね この名前。)

という面々が続き

音楽を堪能しました。

みなさん じょんずだった。

この3団体はいずれも東北大会に行くそうです。

がんばれ~


ちなみに「コパカバーナ」を2団体が演奏してたね。

一人で 踊りだしたくなる衝動をこらえておりました。


そんなわけで

意味なく「テキーラ」の音楽に乗せて 一曲。


パヤッパパ パヤ パッパ♪

パヤッパパ パヤ パッパ♪

(略)

パヤパ パ~パ

パヤパ パ~パ

パヤパ パ~パ

パパパパ パ パ パ。

「アニータ!」


青森県人には 耳が痛い名前…

せば!

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2007/07/27

適切な距離を保つ

おはようごすー。

ぬぎーです。

今日は金曜日

一週間があっという間です。

一ヶ月も瞬く間です。

今日もイイことありそう

元気に行ってみよー!


昨日 テレビのことを書きました。

読み返すと何だか テレビを全く見ていないような印象を受けた…

家族が他にもいますのでね

つけていて おもしろそうなのがあれば

つい一緒に見たりもします。


なぬー テレビ見とるやないけ!

誇大広告だ JAROに電話したらどうじゃろ

になったら 困るので 念のため。


「周囲の人と 適切な距離を保つ」

これ 最近目覚めたこと。

わかっているようで 身になってなかったのですが

隠れユンギニアン1号と 対話を重ねるうちに

長年 私の手かせ足かせになっていた

「呪い」が解けたのでした。

ありがとう。


対話と同時に

O村さんのブログで自分の気持ちにヒットした「転機」という言葉

これで ちょうど一年前に いつも持ち歩いて読んでいた

『人生の転機』を 読み返しております。


この中に

自分が心地よいと思う距離を保つ

ということを 謳っている箇所があり

先の呪縛から解かれる いっそうの助力となったと思われるのです。


全部をうまくやろうとしている私です。

嫌いな人や いやなことをされてもなお

全部の人とうまくやらなければいけない と。


でも

「合わないものは 合わないからね」

と はっきり言ってもらったその一言のおかげで

こうして また一つ 先に進めるような気がしております。

一応 個性化のプロセスをたどっているように思います。


『人生の転機』には

何をやってもうまくいかず

失敗ばかりしているときや

人の助言が耳に入らなくなっているときには

もう 自分だけの力ではどうにもならないところまできている 

と指摘しています。

その時は

親しい友人や セラピストに話を聞いてもらうよう勧めている。


いがったです。


どんなにすばらしい人格者であっても

一つ屋根の下で暮らすというというのは また別の話。

だから 

同じ場所に 延々と一緒にいるだけではなくて

外に出て

趣味を持って 他の人間と交流したり

仕事に出るなどして 離れる

ということが

良好な人間関係を保つのではないか と思います。


また

「親子カプセル」という言葉があるそうですが

特に 核家族で 親と子だけで 終日過ごすような環境に

このような「親子カプセル」の空間が発生し

煮詰まった人間関係に発展するのだとか。


同居を始めたとき

子どもをあやしてくれる人が増え

家事ができるようになったので

たしかに安心したのを覚えています。

おそらく子どもも

多様な目が注がれていることで

私の価値観だけではない行動ができているかもしれない。


同居する前

子どもと二人で1日中部屋にいたときは

確かに気が違いそうになる瞬間があった…

誰か この子を見てくれないかー! と。

これは やったことのある人にしかわからない瞬間。


大人数がひしめき合っていると

たしかに大変なこともあります。

でも いいこともある。


自分の都合のいいことだけ 一つ

ではなくて

やっぱり いいことも悪いこともひっくるめた全体を引き受ける

ということなんだと思います。


書くとたいそうご立派ですが

日々葛藤は続く。


人間だもの。by みつを

(梶みつをではありません)


暑いし…

200707261707000_2

←日々 小さな楽しみを見つけては 喜んでおります。


せば!

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2007/07/23

河合隼雄先生を偲んで

隠れユンギニアンに告ぐ。

7月19日 元文化庁長官 ユング心理学分析家 臨床心理学の第一人者である河合隼雄先生が なくなられた。享年79歳。

自称ユンギニアンを語っておきながら 先生の逝去を知ったのは 何と今日の朝刊にあった ある記事で…。No~

あわてて20日の朝刊を見ると 社会面にちゃんと取り上げられている… ばかだ。

先月 『村上春樹 河合隼雄に会いに行く』を買ったところだったのに 感想を書くまもなく お亡くなりになられた。

やや失望感に襲われております。

昨年8月に倒れ 入院されていたそうですが 意識の戻らないままだったそうです。

むう。

ずっと 無意識をさまよっていらっしゃっただろうか。

ご冥福をお祈りいたします。


「六ヶ所村ラプソディ」を見た次くらいに

放心状態。


せば…

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2007/07/06

隠れユンギニアンの集い

「『六ヶ所村ラプソディ』を見ませんか」

と 熱心に声をかけてくださったIさん。

どうもありがとう。

彼女は 一度見たにもかかわらず

今回 私のために(か?) もう一度一緒に見てくれました。

隠れユンギニアン1号2号の 私たちは

昨年末まで 20年近く交信が途絶えていたにもかかわらず

ただ「ユング」という共通項一つで

語りまくっています。

どっちが1号で2号か という話は つっこまないでいただきたい。

わがんねーはんで(笑)

で お宅にお邪魔した際 その蔵書を見て

われわれの脳内が やはりシンクロしていることに気がつき

いまさらながら おもしろかった。

自分が持っている本も 数冊あり。

そして たくさんの本をお借りしてきました。

1.河合隼雄『無意識の世界』

2河合隼雄『宗教と科学の接点』

3.諸富祥彦『トランスパーソナル心理学入門』

4.菅靖彦『心はどこに向かうのか―トランスパーソナルの視点』

5.グレッグ・ヨハンソン+ロン・クルツ『ハコミセラピー―タオイズムと心理療法』

6.F・デーヴィッド・ピート.『賢者の石―カオス、シンクロニシティ、自然の隠れた秩序―』

以上です。

そして 2冊買ってしまったという

星野道夫『ノーザンライツ』を ありがたく頂戴しました。

最近 図書館に行ってないな~

本が読みたいな~

「あ~ 本が足りね~ じゃんじゃん持って来~い」

ルパン三世 カリオストロの城 状態だったのですが

期せずして たくさんのインプット

むさぼるように読んでおります。

例によって 付箋だらけです。

Iさんから返ってきた

ユング・コレクション13 C・G・ユング『夢分析Ⅰ』に

自分がつけた付箋の多さを見て あきれた…

なんじゃーこりゃー!by 松田優作

どこが大事かわからん。

↓ま いつものことです。

200707032209000

せば!

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2007/07/04

ジェームズ・レッドフィールド『人生を変える力―第十一の予言』 2

第一の知恵に書かれている「偶然の一致」とは

ユングによって初めて アカデミックな視点で捉えられ

生み出された言葉「シンクロニシティ」のこと。

「ユングの定義によれば 体験者あるいは目撃者にとって

重要な意味を持つ偶然の出来事であり それによって一種の

覚醒 あるいは悟りといった感覚に近いものが得られる現象

ということになる。インスピレーション 霊感といった語感にも

通じるところがあるのかもしれない。また シンクロニシティは

一見何の関係もないような出来事や人間を

結びつけるものであり

それを体験するものは

その出来事が起きた理由を

理解することができないことが多い

(フランク・ジョセフ『シンクロニシティ』Ⅰ)。

また 一つのことに没頭し 熱中すればするほど シンクロニシティの

起こる確率は高くなり 頻度も増す と言われている。だから

私たちは 自分の興味があることに情熱を注ぐことによって

シンクロの連鎖によって 導かれるようになる(291)。

そして この体験をした人が一様に言うのは 

流れに身を任せる感覚というもので 

魂が安らぐ感覚を得る(310)。

シンクロニシティがもたらす最大の効能は 心の浄化である(312)。

10ある知恵のうち 

1 5 6 7 8は シンクロニシティについて書いてありますね。

だから シンクロニシティという概念を知っていれば 

この本を読むことに抵抗はないと思います。

著者がいわんとするところを 

まえがきを引用しながら考えてみると

いま 高エネルギー文明の末期症状で

このまま 科学・物質主義礼賛ではいかん 

と 私たちは気がついている。

その前に

自分ひとりは どういう生活をしたらよいのか。

まず 自分に正直になる。

心から やりたい と思うことに熱中する。

そうなると 周囲に配慮する余裕も出てくるので

自分の悪いくせを正し 他の人々に対して適切な行動規範に

のっとって行動する。

しかも 自らの心に正直であり続ける。

そうするうちに 周囲の意識が自分と同化してくるので

世界が見えてくる。

ということだと思います。

そこで初めて 「六ヶ所ラプソディー」や

「ガイヤシンフォニー」を ともに考えることが

できるというものだ。

おそらく私たちは

自分でこうしよう ああしようと

あんまり頑張らなくてもいい。

やらねばならないと「考えた」ことではなく

やりたい と「感じる」ことをやる。

起こった偶然の意味をよく考える。

また 直感的に感じたことを実践する。

流れに乗る。

そういう 直感を研ぎ澄ませるための

集中力を高める練習 たとえば 瞑想などを

1日5分でもするのが よいそうです。

お気づきかと思いますが

このブログ「今日の出会い」は 

シンクロを確認するブログでもある。

みなさんからメッセージをたくさんもらっています。

ありがとさんです。

せば!

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2007/06/30

あなたに贈るエール 3

人間が苦しくなるとき。

それは

頭で考えていることと

体 つまり 行動とが

一致していないとき らしいです。

ほんとは 眠くて疲れているんだよなぁ~。

でも 仕事が残っているから がんばらねば まね。

とか

ほんとは 甘いもの大好きなんだよな~。

でも 太るから やめとこ。

とか。

ほんとは こんなこと したくないけど

理性で「こうあるべき」姿を貫こうとするとき

それは たんげもキツイ。

It's so tough.

われわれは

宇宙人である

もとい

われわれは

なにかしら 立場上やらねばならないことを抱えて

生活しています。

そりゃ 当然です。

でも それが あまりにも自分の本意とかけ離れていたり

いつでも仮面をかぶった状態でいると

自分が分離してしまう。

意味なく 腹が立ったり

泣きたくなる。

一生懸命やっているのに 空回りする

やればやるほど 苦しい

そんなときは 

「自分が進むべき道から外れているよ」

という サインだと聞いたことがあります。

ちなみに

私事ですが

人が演奏しているのを聴いて

何度か泣いたことがあります。

2・3度 で きかないね。

かれこれ 前科5犯くらいだね。

そのとき近くにいた人が

「やりたいことをやってないからだよ」

と 言ってくれました。

「楽器を吹く ということをガマンしているからだ」

ということに 自分では全く気がついていませんでした。

ただ 音楽に感動して 泣いているんだ と。

只中にいる人は気づかないものですな。

「素の自分を保つ」

社会的な責務も大切ですが

自分に正直にありたいです。

コーヒーおじさんのように…

(最近見ない…)

せば!

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2007/06/28

なぜガイヤシンフォニーが見たいか

オーラの泉 ね

たまに 偶然見らさります。

でも あそこまで 達観できないね。

いきなり スピリチュアルだけって キツイね。

しかしながら 

ガイヤシンフォニーとか 森のイスキアを取り上げずとも

精神世界 特に文学にある精神世界には かなり興味があります。

毎日仕事をして テレビ見て 雑誌見て 服買って とかそういうことじゃなく

一体「何が本質なのか」は 知りたいところです。

しつこい。

数日前の記事に書いた ガイヤシンフォニーのこと

最近のめざましい科学技術の進歩によって、

この宇宙の全ての存在、すなわち銀河系、

太陽系、地球、海、山、川、森、岩、動物、植物、

バクテリアから原子のひとつひとつまでもが、

それぞれに独自の“音楽”(vibration)を奏でていることが

分かってきました。

「人間が音楽をつくる以前に、“音楽”がこの宇宙をつくり、

生命を生み出し、人間をつくった」という宇宙物理学者もいます。

(公式サイトより)

音楽が宇宙を作った というと 何だか突拍子もないのですが

人間を含むすべてのものが こまかーい粒で成り立っている というのは

わかる気がします。

得意の子供向け番組で 物理学をこれまたていねいに解説していたのを見て

疑いのないほど 水の粒子が振動していたのを目の当たりにしたからね。

ジュニア向け マンセイ。

同じことを 違う言い方にしているだけ ですよね。

超ひも理論 とか 量子力学とか 

宇宙の統一理論を 科学は求めている。

だって「神」って 「上」らしいよ。

したはんで 宇宙ってことさ。

そういう宇宙物理学(というべきか)的なことは 私たちに否応なく適応していて

紫外線が一様に地球に降り注いでいるのと同じで

やめでけん!と思ったところで 自分だけあたらないわけにいかない。

避けられない存在 神(上)様。

UFOや宇宙人にしても

昔 仏教の盛んな地域では 夜空に光るものをみると

「御来迎だ!」

現代だと

「ユーフォーだ!」

と 思う。

そんだけらしい。

ユングが言ってました。→けやぐ?

宗教にしても

キリスト ブッダ アラーとか その表現方法をとっぱらった 「本質」

それはもう 共通しているよ ってことらしい。

そのことを昔から人は 身近な物語にして後世に伝えようとしたらしい。

そこに 宗教の経典や神話 伝説が受け継がれるわけがある。

ただし それは秘密であり 暗号化されていたりわかりにくい。

字面だけじゃなくて 正しく解釈できる案内人が必要だ。

まず それを悪用して 政治的に用いたり 

金儲けに使って 民衆を操作しようとする人がいるので

わんだぢは

本当のことを知っている必要があるわけです。

そして 避けられない「物理的な作用」であり「神」であるならば

更にいえば 逆らうと必然的にエネルギーが与えられなくなるのだから

その教えを実行したらいいんじゃないの と。

その本当のことを知っている人というのは

例えば ガイヤシンフォニーに出てくる人物であり

龍村仁監督であり 

佐藤初女さんである

と 私は思っています。

つづく

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2007/06/21

おはようございます。

みなさん 夢 見てますか?

夢は 聖なるチャネル。

「枕」という言葉も 実は「魂倉」(たまくら)が由来で

昔の人は 寝ている間に魂が体から出ている と考えたのだそうです。

先日買った本『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』にも 夢のことが書いてありました。

夢分析は ユング心理学の真骨頂だもんね。

村上春樹は 夢を見ないんだそうです。谷川俊太郎も見ない。

なぜか。

夢を別な形で出しているからだそうです。

村上春樹は物語を 谷川俊太郎は詩を書く。だから 夢を見る必要がない。

夢 とは 「無意識」。現実世界では生きられない部分が出てくる。

私たちは 育った過程で失った性質を押し込めて生きています。

子どもは統合された人格の持ち主。

それがだんだん社会に適応するうちに ガマンするようになる。

「怒ってはいけない。泣いてはいけない。」

でも本当は それも自分の一部分。

それを取り戻すのが 人生で為すべきこと。

いいことも悪いこともひっくるめた 

全体的な人格になることが大切なのだそうです。

それを煎じ詰めれば「意識と無意識を統合した人間」ということになる。

さまざまな宗教的経典 神話 伝説 部族の秘伝 童話 には それを伝える要素が隠されている。

ちなみに今日の私の夢は。断片的ですがこうです。

全く見たことがない 若造が出てきた。彼は お医者さんの卵で 名前は

「ならいし むつき」という。

誰じゃ?

漢字がまた変わっていて「名 ? 石 六 鬼」。

一体私の無意識は 何を押し込めているのでせうか?

ついでにいうと ユング心理学を知ってから 自分の夢日記をつけています。

自分がどんなことをガマンしてきたのか よくわかりました。

そうするうちに だんだん 夢を見なくなっているように思います。

余談ですが 子どもは意識と無意識の境があいまいで 

いつも夢の中に生きているのと同じなのだそうです。

だから テレビの過激なシーンなどを見ると 

大人のように境のシャッターがないので 魂の深いところで傷つく。

気をつけよう。

せば!

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2007/06/02

発見!

押忍 元気っす。

ひそかに カウンターが10000を超えていましたね。

これもひとえに みなさまのおかげです。

ありがとうございます。

さて 今日 ある知人の方に 久々にお会いしました。このブログのURLを教えていなかったにもかかわらず 検索によって発見していたそうで 「いつも見てるよ!」とのこと。

び び びっくりしました(笑)。

カウンターを増やしてくださっていたのですね。

「わたしも どっちかつうと考え方がユング系だからね 今度ゆっくり話すべし。」

うれしいですね。やっぱりいるんですよ 潜在ユンギニアンが!

それと このブログの最後に付けられている

「せば!」

「じゃあね!」

“See you!”

を 使わせてもらってるから!と言っておられました。

意外なところで ファンがいるもんですな。

今度はちょっと バリエーションを増やそうかしら?

「なにど?」

「何だって?」

「What?」

とか。

そういや今日 久しぶりに「のめくる」という津軽弁を聞きました。

「つんのめる」

「のめくる」

“I picthed forward.”

てなかんじで。おもしぇーびょん。(おもしろいかもね It may be fun.)

きりがないぜー せば!

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2007/05/31

りんごを食べて精神統一

今年の4月1日から 200705301133000 弘前市の条例として 毎月5日はりんごを食べる日 というのが施行されている。

条例とは 国の法律とは別に定める自主法なのだとか。まさか

「え おたく 5日にりんご食べなかったの?!」

とは 問われまい。

ちなみにこの写真は りんご公園で 弘前市の市章「卍」をかたどった花壇を作っているところです(5/30)。

ついでに 卍とは ユング心理学でいうと 「4」を象徴するもので 4とは 物事の完結 統合といった宇宙観を示す。

たしか。←すみません

実は 実家の家紋の中に 卍が入っているのです。他にも文様が入っていますけどね。このユング心理学における意味を知った瞬間 この家に生まれるべくして生まれた気がしたものです。

それと あたしゃ~ 弘前にいるべくして いる気がするね。

統合しろ ということらしい。

たしかに 意識と無意識が分裂気味だった。

統合! とぅ

古いよね かけ声が(笑)

せば!

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2007/04/08

いまさら『ゲド戦記』 3

『ゲド戦記』では 政治腐敗や機械文明の罪を背景に 影と対決しない人間がどういう状態になるか。いかにして 一個の人間が内面と向き合って生きるかを提示しています。

いま私たちは 毎日何かしらの職についてお金を稼ぎ 家族を養ったりして生活してしている。その中で どう会社が発展するか 子どもの教育はどうするか やれ雇用の問題だ 犯罪だと さまざまな議論をしている。その生きていく葛藤を解決するために 本を読み 人に相談し あるいは宗教を信じ 気晴らしに興じ 酒を飲んだりする。

でもそれは 枝葉にすぎない。生まれてから死ぬまでの間に一人の人間がなすべきこと それはとどのつまり 善や悪などあらゆる性質をもった統一された人格である「全き人間」を目指すこと。そのこと ただ一つが問われている。それが中心にある本質だと すぐれた文学はいつも伝えているように思われます。

う~ん まとまらない。

せば!(逃げる)

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2007/04/07

いまさら『ゲド戦記』 2

<『ゲド戦記』にあるユング心理学>
あらすじは 他におまかせすることにして…おおまかにⅠは ゲドがいかにして魔法使いになり 活躍したかが描かれ Ⅱではテナーという女性との出会いと救出のエピソード Ⅲは一国の王子アレンとの物語。

先日何の気なしに「ユング」でネット検索していたところ 「岩波書店『ゲド戦記』あとがきに ユングとこの作品との接点が書かれてある」との表記を発見。数日後 奇遇にも図書館で岩波版のゲド戦記を借りることに。引用しますと

「アメリカの作家で すぐれた批評家としても知られるエリノア・キャメロンは この『影との戦い』を論ずるにあたって 心理学者ユングの説をひき ゲドを苦しめた“影”はふだんは意識されずにある私たちの負の部分であり 私たちの内にあって 私たちをそそのかして悪を行わせるもの 本能的で 残酷で 反道徳的なもの 言い換えれば 私たちの内にひそむ獣性とでも呼ぶべきものではないかといいました。」ⅠP276-7

『ゲド戦記』は ユング心理学そのもの。自分の影である不の部分 たとえば「おごり」「ねたみ」といったものに追われます。ところが こちらから影に立ち向かい それを自分の一部であることを自覚して一体化すると 「全き(まったき)人間」になるという筋書きが3部作を通して展開されます。

<世の中には 良い人と悪い人の2種類いるのか?>
ユング心理学における善悪の考え方はこうです。

「人間に「よい人」「わるい人」があるのではない。よい人は わるいところを見せていないだけである。わるい人は 無意識に行動しているだけである。つまり よいところと わるいところがあるのが 本来の人間である。」

自分の行動や性格を 遺伝 育った環境 親 などのせいにするのではなく どういう人間にも嫌な部分は備わっているものと考える。そして 自分がその悪い部分を意識し 行動を「選択する」ことによって 正邪が統合された人間になれる可能性があるという あらゆる人間に未来を開いているところが この心理学のすばらしいところです。

たとえ失敗しても 自分を責めて自己嫌悪になって終わりでもなければ 責任転嫁してほっとするのでもない。ただ良いと思ったことを 意識的に選ぶ。単純なようで 難しい作業ですな…。

<「そのままのあなたがス・テ・キ…」なのか?!>
よく「そのままのあなたでいいよ」ということを いろんなサイトや本で見かけます。そーなんです 確かにそのままのあなたもすばらしい。でも 「全き人間を目指すこと」をしないまま ただ本能的に無意識的に生きるというのとは違う。この成長過程を大人になってからもたどることこそが 次の世代を教育するために必要なことだと 臨床心理学でも言われています(角田春高『今からはじめる育て直し』)。

「全体性を持った人間を目指して生きる」ということは 昔から語り継がれている人間の叡智「神話」や「伝説」の中で 古今東西くり返し言われています。アーサー王伝説の中で展開される聖杯探求は 至高の宝である「聖杯」=「自分」を探す旅。聖杯探求は 探してる本人は達成できない「未完成」の物語ですが これは「これで自分は良いと見切ったら 成長できない」ことを指しています。

失敗もするし 完璧ではない 未完成であるあなたは すばらしい。なぜなら 完成を死ぬまで目指しているから。だから「そのままのあなたもすばらしい」。

つづく

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2007/04/06

いまさら『ゲド戦記』 1

ゲド ゲド ゲド ゲド ばーにんら~♪(明菜)

弘前市図書館ではなかなか借りられない『ゲド戦記』。去年ジブリの映画を見てから常々読みたいと思っていたのですが(買わない) 先日黒石ほるぷ図書館で借りてきました。

アーシュラ・K・ル・グウィン 清水真砂子訳『ゲド戦記Ⅰ 影との戦い』 岩波書店 1976/9/24。
『同 Ⅱ こわれた腕輪』1984/5/25。『同 Ⅲ さいはての島へ』1983/9/25。

1ヶ月かかってHarry Potter the Order of the Phoenixを半分読んでる有様なのですが。ゲドはさすが日本語 2日でⅠとⅡを読み終え Ⅲに入ってしまった。おもしぇ~よ ゲド!

そして この借りてきた本の古さを見てびっくり。アニメ化されたことで やっと日の目をみたような そんな年季の入り方でございます。

つづく

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2006/11/29

ユング『夢分析Ⅰ』

各方面からの協力により 怒涛の11月の行事が終了いたしました。みなさんどうもありがとう。かなりミラクル。

先日 道中で見かけた「田んぼにつっこんだ車」が まだ昨日もそのままだった。いいのか?!

今日はちょっとだけ ユングの『夢分析Ⅰ』から。

C・G・ユング『夢分析Ⅰ』 入江良平訳 人文書院 2001/6/15。
とても全部を取り上げることはできない!でも 今回のユングも とてもタメになりました。かいつまんでご紹介します。

<罪の役割とは 自分の影を統合することにある>

罪の意味の一切は あなたがそれを担うところにあります。もし投げ捨てることができるなら 罪が何の役に立つでしょうか。もし あなたが自分の罪をすみずみまで自覚しているなら あなたはその罪を担い それとともに生きなければなりません。それはあなた自身なのです。でないと あなたは自分の兄弟を否認することになります。それはあなたの自分の影 あなたの中の不完全な存在 あなたの後を追ってきて あなたが嫌悪する一切をやってのける存在 あなたがあまりに臆病あるいはまっとう(decent)なので あえてできないような一切のことをやってのける存在です。彼は罪を犯します。もしこの仲間が否認されると 彼は集合的無意識のほうに押しやられ そこで障害を引き起こします。なぜなら それは自然に反しているからです。あなたは自分の影と接触せねばならず「そう 君は私の兄弟で 私は君を受け入れるべきだ」と言わねばなりません。P115

影を否認するのは間違いです。もし影を否認すれば 集合的無意識からの反作用が 人格化という形で暗闇から立ち現れます。P116

たとえば『ゲド戦記』で アレンが王である父を刺し 自分の影がつきまとうようになるのは 自分の弱さを受け入れていないからだ。その状態を ユングは「人間は人間にとって狼である」つまり「人狼(werewolf)」の観念であると言っています(P116)。自分の意思とは無関係に 月を見れば 自分の中の「悪」が牙をむく。我慢しすぎたり いい人を演じすぎたりすると その反動が来て「キレる」。

「悪いことをした」という罪の意識は 自分の外側に対しての反省ではなくて 実は自分のためである。つまり 罪を犯した当事者に反省を促して更生させる のではなくて 本人が意識と無意識を統合した人格になることが目的である。このことは どんな道徳的な教えや説教よりも 説得力があることだと思います。

もし これとは反対に 罪を犯したが誰にも気づかれず 罰を受けずにすんだとします。それはラッキーなことなのでしょうか。

誰も見ていないのではなくて 私たちはいつでも「見られている」。ユングは主張しています。

キャー! この続きはまた明日! つづく


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2006/10/07

実践『カラーリング・マンダラ』

10月3日は 実家の母の誕生日でした。還暦ということで いつもよりやや気合が入り 外の食事に呼ばれました。花を買ったところ 息子Kマンが「僕が持つ!」とはりきったのでもたせたら 待ち合わせたお店の人やお客さんに大好評(笑)。子供が花束を持っていると なんか知らんけど いいんでしょうね きっと!(?) 花を買った店でも ポップキャンディーをもらったり 子供ってお得だ。わさも けん(訳:わたしにも 下さい)。

誕生日といえば 10月5日は田臥君の26歳の誕生日だった。らしい。すっかり忘れていた…。そんなことでファンといえるのかボケー!それにしても 26かよ~。こっちは○6だぞ どーだまいったか。

ともかく お誕生日おめでとう 母上&田臥君。

<今日の出会い>
20061007_1307_000
昨日のブログに 多摩美の西岡先生が「本棚は自分の曼荼羅」だと述べられていたことを書いたところですが。前から気になっていた 正木 晃 『カラーリング・マンダラ』という塗り絵をやっています。なかなかおもしろいですよ。大人のための塗り絵 というのがいろいろ出回っていますよね。数ある中でも ユング好きには やっぱりこれでしょう!

先月に買ったのですが しばらく温めていて 最近ちょこっとずつ塗り始めました。「曼荼羅」とは:
(梵manzュlaの音訳。本質を有するものの意。壇・道場・輪円具足・聚集などと訳す)仏語。
1 悟りのための修行の道場。また、壇をいう。
2 密教で、宇宙の真理を表すために、仏菩薩を一定の枠(わく)の中に配置して図示したもの。これに、両界曼荼羅や四種曼荼羅などがあるが、転じて浄土の姿その他を描いたものにもいう。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

著者の正木晃という方は宗教学が専門で 『お化けと森の宗教学―となりのトトロといっしょに学ぼう』など 宮崎駿アニメを題材にした著作をいくつかお持ちで 宗教学を通して理解を深めようとしておられるそうです。この本を 友人から勧められて読みましたが 宮崎駿監督の作品が 映画という娯楽としての面白いだけでなく 奥の深い内容であることが よくわかりました。「トトロ」以外にも 1) 千と千尋の神隠し 2) となりのトトロ 3) 風の谷のナウシカ 4) もののけ姫 5) 魔女の宅急便 6) ハウルの動く城 などにも言及されているようです。参考まで。

そんな正木氏が創作したこのマンダラの塗り絵は 円の中に規則的な幾何学模様が描かれていて 自由に色を塗るようになっています。異なるパターンが合計で32枚。本の中にもありますが マンダラとは古今東西に共通する図柄。ユングが精神病の患者に自己の状態を描かせたところ現れた模様が マンダラに酷似していた。それはまさに個人の内面が具現化したものであり 人の心が深層でつながっていると確信した出来事だったそうです。

色を塗ろうとすると 何色にするか迷ったり 色の配置をあれこれ考えます。それが実は 自己の内面が表面化しようかしまいか迷っている証であり マンダラを完成させることで 私たちの心の深いところが癒されるのだそうです。これはもう 理屈じゃないですよ。やってみるしかないです。

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私は小さい頃からずっと 絵や字を書くことで 精神のバランスをとってきた人間なので すんなり入れました。数ヶ月前に 草の文様を夢中になって描いた時がありましたが あれも一種のマンダラ?癒しという言葉もはびこっていますが 精神衛生を保つための方法を これからも模索していこうと思っています。

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2006/09/30

石にまつわるエピソード 2

その石との対話とは おおよそこういうものです。

<全ての物事に二面性がある>
ユングは 父が牧師であったため 死者の弔いと埋葬の絶えない牧師館で育った。イエスが死者を神の国へと導かれるというが 実は人を食らう鬼ではないか。美しく、崇高な姿の背後に恐ろしい側面が隠れているのではないか、という疑念を幼心に抱いていた。P14-15

<内なる他者と向き合う>
10才くらいまでのユングは、1人でいる時に庭の古壁の前に突き出た石に座り、想像の遊びに耽っていた。そこにずっと座っていると、私と石がどこかでつながっていて、私が石の上に座っているが、一方で石である私の上に彼ユングが座っているという感覚も生まれてくる。学校に行く私も私だが、いつも私は石として庭にじっとしてもいる。どちらも自分だが、どっちが本物なのだろうか。イエスの暗黒面は、幼いユングにとってあまりに強力でなす術がなかった。しかしこの石は 内なる他者の役割を引き受けてくれる対象となった。この石との遊びは 「私」という存在が私1人で成り立っているものではないことを自身の経験の中に受け入れていくことのできる入り口だったという。

さらにユングは定規の端に人形を刻んで切り取り、またつるつるした楕円形の黒っぽい石を見つけ、これが人形にとってのユングの庭の石と同じ物だとして、大切に持ち歩いた。そして、その人形と石を誰にもけっして見つかることのない秘密の場所に隠したとき、大いに安心した。

<世界が根底でつながっている>
後にユングは、オーストラリアのアボリジニがイニシエーションの過程で大切にするチュリンガと呼ばれる聖なる石のことを知り、忘れていた自分のこの体験を思いだし、ともに根源を同じくする何者かの自己表現であることに気づく。ただ心のおもむくままに没頭していた人形と石との遊びが、知らない土地で重要かつ神聖な習慣として受け継がれていた。自分のこころの中で自然に生まれ出たイメージが、ある社会での普遍的な行動と胸中の根を持っていることの発見。この経験は、こころには個人が作られる以前に個人の行動やイメージをかたちどる原始的な構成要素(元型)があることを ユングが確信するきっかけとなった。

ユングは少年時代、自分が恥ずかしい思いをして消え入りたくなるようなとき、きまってこの人形と石のことを思い浮かべた。そして、自分は今ここにいる自分ではなく、同時に他の存在でもあること、誰も知らない秘密の存在であることを思いだし、安堵する。彼を支えるリアリティを持った存在は、外に存在する何かではなく、内なる世界にあるまだ他人とは共有できない何ものかからわき出てくる力であった。教会で祈るイエスよりも、地下の神としての暗黒のイエスの方がユングには強力なリアリティを持ってせまる。また 庭の石との密かな関係にまつわる神秘を、人形と小さな石を安全な場所に確保することで真に大切にできたと実感できる、そのことの方が大人たちの言葉よりもリアリティを持っていた。(山中康裕『知の教科書 ユング』、講談社、2001年3月10日。P17-8)

* * * * * * * * * *

このユングの心の拠り所となった人形と石との遊びが 知らない土地で重要かつ神聖な習慣として受け継がれている。自分のこころの中で自然に生まれ出たイメージが、ある社会での普遍的な行動と共通の根を持っている。時空を超えて根源を同じくする何者かの自己表現は 先の栗田勇先生(2006/9/22記事)が述べるところの 「能」や「茶道」に「霊性」となって表れ それはまさに現代の安藤さんの言葉に表れているように思われました。

私は自分の中にある暗さとバランスを取るために書き それで心の平和を模索しているつもりでした。「私は作品に優しさや癒しを求めているんじゃない。激しさ 鋭さを見たいんだ」という安藤さんとは対極にあるように思われます。ユングがいうところの 「祈るイエスよりも暗黒のイエスがリアリティをもっている」ということは「自分の中にある暗さと対峙できる」ということ。それを 自分に問いたいと思います。了

「百聞は一見に如かず」ぜひ一度 作品を拝見させていただきたいです。安藤さんのますますのご活躍をお祈りします。

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2006/09/29

石にまつわるエピソード

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先々週 海に行ってきたのですが そこですべすべの石を一つ拾い 持ちかえりました。手触りがとてもよく気持ちが良いので 連れて来たというわけです。私の周りには 「石」というシンクロニシティが何度か起こっています。卒論で取り上げたスタインベックは Stein-beck=石-川でした。←こじつけっぽい 「スタインベックって 石川さんかよ!」と 急に親近感がわいたりして。ちなみに アインシュタインは「一つの石」だとか。言葉っておもしろい。こうして見ると 他にも「Stein」とつく名はたくさんありますね。

<今日の出会い>
さて ご縁があって つい最近知るところとなった陶芸作家 安藤郁子さんの記事が新聞に載っていました。うわさでは高校の同期だということでしたが 新聞のお写真をじい~っと拝見して気づきました。2年の時に同級でした…!卒業したのがあまりに昔なので 先方もこちらを覚えていらっしゃらないかもしれませんね。その安藤さんの個展が青森市のスタジオ・ナイーブで開かれているそうです。テーマは「底に流れているもの」で「のようにざらついた肌合いとシンプルな造形による陶作品訳五十点を展示している」そうです。安藤さんの語る「」に 考えさせられる個所があったので引用させていただきます。

「(「中心の石」という作品について)私は自分の中心に石を持ちたいと思っているんです。それは 温めている心みたいなものでしょうか」

「普段は迷いやあせり 孤独感でいっぱい。でも 自分の底に“私にとっての石”があってほしい 持ちつづけたいと思い 作りながらその形を確認しているのかもしれない」2006/9/27付東奥日報

芸術に関して全くの素人で 何の知識も持ち合わせていません。もちろん批評などと大それたことをしようというのではありませんのでご了承ください。毎日の出会いが自分に何を気づかせてくれたのかを いつも書いているつもりです。ということをお断りした上で…ドキドキ。これを読んだ時に心理学者ユングの自伝にあるくだりを思い出しました。ユングが子供の頃 石と対話をしたというものです。 つづく

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2006/08/30

イリュージョン 3

さて~。先日 我が家で起こった「フルーツ・シンクロニシティ」について ここに書いたのですが まだ続いています。今日は 桃っす。夏の野菜と果物に目がないわたくし。すいか 桃 ブルーベリー とうもろこし トマト… いいねえ夏って。うっとり。ハッ!いかんいかん

で また何の気なしに「桃食べたいよね~」笑 ←たんげも ほいど(:かなり 欲しがり) と 言ったんです。そしたら 今回はかなり早く 実物が食卓にあがりました。

別の話ですが。先週 息子が幼稚園でじゃがいも掘りをするので 長靴を持たせなくてはなりませんでした。長靴は めったに履かないこともあり 小さくなったのを買い替えていなかったのです。はて~困った。しかも 手紙をもらった次の日にもたせなくてはならない。買おうと思っていたら 子供が結膜炎で眼科に急遽行き バタバタと当日の朝に…。

近所の男の子から借りるしかないのか?でもちょっと言いにくいな~などと考えて ウロウロと 朝の準備をしていると なんと そのお宅から「お願いがある」と連絡が来たのです。すかさずお借りしました。いがったいがった。

またまたべつの話ですが。ひかり電話にしてから 明細が2世帯分が1度にくるようになっちまったので 同居の身としては 親にいいにくーっ と頭を悩ましておりました。こりゃ なんとか知人の電話屋さん(いわゆる○TT)に連絡をせねば…と 常々思っていたのです。でも結局 先方から「お願いがある」と言って連絡がきました。これはこちらもお願いしやすい!と すかさず相談しました。

と ここに書き出したら どんどんそんなことが前よりも頻繁に起きるようになってしまいました。つい2・3日前に 教室に「見学したい」と 訪ねてきた女性は 中学時代の同級生でした。彼女も 私がやっているとは知らなかったらしい。しかも つい最近行った眼科の近くで 見かけていた場所。前は食堂をやっていたけど ずっと閉まっているので 気にはなっている。あまりのご無沙汰に 訪ねようにも行きにくい などと 思っていた人でした。本当に懐かしい人が突然訪ねてきてくれたのにびっくりして 教室の説明どころか「今度お茶しようね!」で 盛りあがってしまいました。

こうしてみると わたしってお尻がかなり重い人間だね(汗)。最近そんなシンクロ みなさんの周りにありませんでしたか?ぜひ教えて下さい。

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2006/08/21

イリュージョン 2

さて。数ヶ月まえのことになりますが 同居の義父がテレビを見ながら 「あれ食いて~な~!」と言っていました。誰かが おいしそうなマンゴーを 格子状に切って食べているシーンを見ていたのです。

次の日。台所の△コーナーに 見慣れぬ大きなタネが捨ててありました。訊くと マンゴーのタネだというではありませんか。親せきの家に行ったら お中元の高級マンゴーがたくさんあったので もらってきたというのです。これぞイリュージョン(笑)。

そして一昨日。地元のローカル番組を見ていると いま旬だという「ブルーベリー」が特集されていました。夏の野菜と果物が大好きな わたくし。ブルーベリーにも目がありません。つい「ブルーベリー 食べたいね~!」と そこにいた息子に言ってしまいました。

昨日 出先から帰ってくると なんとテーブルにブルーベリーが5パックも置いてあったのです。東京から親せきが来たのですが 挨拶に行った先で お土産のお返しに 畑で作っているブルーベリーをいただいたのだそう。

そんでもって このブルーベリー 同居の両親と その東京から来た親せきが 旅行にすぐ出かけてしまうので ありがたくいただくことになりました。一粒食べたら もう止まらない。酸っぱいのと甘いのと 同じ木でも 粒によってバラツキがあるのがまた楽しい。←ブルーベリーマニア

てなわけで みなさま。私に会いたい時は メールや電話ではなく 心で念じてみてください(?)。でも すっぴんで買物に行ったりして 「誰にも会いたくないな~」と思っている時に限って 会ったりしますよね。それもある意味 想像の産物だったりして。 了

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2006/08/20

イリュージョン

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以前 リチャード・バック『イリュージョン』(2006/6/16記事参照)について 書いたことがありました。あの物語には 「想像したものを 磁石のようにひきつける」というシーンが たくさんありました。例えば 主人公が「青い羽」を思い浮かべたところ その日の夕方に ふと手にした牛乳パックのラベルに「ブルーフェザー牧場」と書かれていたのです。

私たちがこの世で見ているものは すべて時間と空間における 想像力のイリュージョンだ。バックは 「思考が現実化する」ことが 決して魔法ではなく 自分の想像力の産物なのだということを 示しています。このことは ユングが提唱した「シンクロニシティ(共時律。意味のある偶然)」にも通じるものです。

みなさんは 何気なく考えていた人から電話をもらったり 偶然ばったり会ったことはありませんか?それは 単なる偶然ではなく これには意味があると考えたのがユング。心で思ったことが 自分の外側でも起きている=内面と他者とつながるという 慈愛の心である という 哲学的な発露にもなるんだそーです。 なんだかステキじゃな~い? つづく

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2006/08/18

「ここにおられるすべてのひと、皆さんが、私の自己です」

カール・G・ユング。ユングの講義を聴いて、自己について質問した人に述べた言葉。これぞ ユング心理学を端的に表わしてる一言(山中康裕『知の教科書 ユング』)。

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2006/08/11

『こころと人生』―子供は全体性を保っている 2―

子供が神仏に近い存在だ ということは つまり 子供は全体性を保っている つまり 神様は全体だ ということがいえる。この本を読むと「私たちが生きているこの世界が 人間を含む生き物や場所や物という 有機的な全体であることを教えてくれる。偏りを戻してくれるのが子供である。」ということが わかってくる。

この本の前半における「子供」を主題とした部分を ざっと概観してきた。後半は 中年に起きる危機について書いているのだが 一旦ここで結論にしたい。ユング心理学というのは 見てきたように 一見宗教的であり かつ哲学的な問いかけである。でも実は 個人に起こっていることが 全体にも起きている つまりミクロとマクロが一致しているという あの幾何学模様フラクタルを思わせる 物理学的アプローチでもあると思う。この ユングが主張した「物事には対立物があり 両者で全体をなす」という全体性については 実に興味深いつながりが 芋づる式に出てくる。またの機会に ぜひご紹介したい!(いちお 終了)

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2006/08/10

『こころと人生』―子供は全体性を保っている―

子供とは つまり良いところも悪いところも 自分の人格として統一している存在である。だから なんとはなしに偏りが生じた家族関係に違和感を覚える。そして 意図せずとも問題解決に向わせようとし 力を発揮する。そんなことを 見てきた。さて 著者のハヤオTは 子供について 以下のようにも述べている。

泣く子を叱ると、泣きやむどころか、もっと泣く。どうにも手におえない。また、今はボタン一つで月まで行く。ところが、どんなボタンを押しても、子供が学校へ行かないと言う事は動かせない。人間のあらゆる自然科学の知識を使っても動かしがたいものが、子どもである。この感じを「私の力で動かせないもの、私よりももっと強いもの、私よりももっとすごいものと考えると、神や仏の世界にだんだんと近づいていく。子どもは別に神でも仏ではないが、子供の心の中に生きているものは、そういうところに近づいていく、としている。

神様って 慈悲ぶかい 善だけの存在じゃないのか!?と思っているあーた。でも 例えばユングは、『ヨブへの答え』(1952)において、神にも人と同じく、「悪」の要素があると述べている。神は、一般に思われているような、救いの象徴、善の象徴としてのみの姿とは異なり、善悪双方の要素をあわせ持つ全体であることを強調した(山中 45)。旧約聖書において、神の最初の名前は「エローヒム」という複数形の名詞で呼ばれており、神なるものは男性的・女性的なもの両方を包含するという事実が認識されていた。このことは、創造主が一方的に慈悲深いだけでなく、あらゆる対立物を体現する者であることを示している(サリー・ニコルズ『ユングとタロット―元型の旅』秋山さと子 若山隆良訳。新思索社、2001、P532)。 河合隼雄『こころと人生』つづく

<おまけ>
物事には 必ず対立するものがあって全体を成す という考えは ハワイの伝承にもある。
タロットの図柄には ユング心理学における「元型」のモチーフがたくさんある。

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2006/08/09

『こころと人生』―子供はすばらしい 2―

学校へ行かなくなり、お母さんの枕もとで怒鳴りまわるようになった娘がいた。それだけを聴くと「変な子」かもしれない。だがお母さんは、相談する内に、娘がやっていることは、自分がやりたいことなのではないかと思うようになったそうだ。

このお母さんは、実はお父さんの言うままに辛抱して、泣き寝入りばかりしていたそうだ。仕事にも出たいが言い出せない。そうではなく、ここで目を覚まして立ち上がりなさい、ということ。お母さんの枕もとで足踏みをして目を覚まさせたというのは、「女性よ目覚めよ さあ立ち上がれ そのときがきた」ということである。そう考えると、無茶苦茶をやっているように見える子どもの行動が、深い意味をもってくるのだという。

そういう子どもの姿を見ていると、神や仏があるという。子どもがこんなことになってまで、この家を変えようとしている。それは別に、子どもが考えたわけじゃないというところが、また素晴らしい。何かの力が働いて変わっていく。そういう観点から子どもの姿を見ると、子どもというものがどんなに素晴らしいかということがわかるのだそうだ。

ただ、素晴らしいというよりは「困ったなぁ」というようなことで出てくるときが多い。その「困ったなぁ」ということが、こちらがよく見ていると素晴らしくなってくる。…そうでないと、その子どもの本当のよさというのは見られない。P39-42 

これを読んでいると、いま社会でたとえば「ニート ひきこもり」などと 差別用語によって問題視されている人たちというのは 社会全体を変えようとしているようにも思われる(これは後述される「中年の危機」というものが 青年に起こっていることと関係してくる)。

家庭においてさえも 「子供が学校に行かない」というのは そこだけを見ると 子供だけに問題があると思われがちだ。そうではなくて みんなの問題なんだよ と。全体が考えなくてはいけないことなんだよ と教えているのではないだろうか。

ハヤオTも いまのこの世の中の仕組みを作ったのは 自分たちの世代だから 「今の若者はけしからん」と言っていられない。自分たちも 一緒に考える問題なのだと 述べている。私は この態度を ヨーロータケシTが『バカの壁』で言っていた「悪いのはまわりじゃない。あんたの問題でしょうが!」の 一喝に似ているな…とつくづく思っている。 河合隼雄『こころと人生』つづく

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2006/08/08

『こころと人生』―子供はすばらしい―

ハヤオTは さまざまな人の心理カウンセリングをするうちに 次のようなことに気づいた。子供が起こす「不登校」などの問題は じつは家庭不和などの 家族全体の問題を解決すべくして起こる と。それは とても興味深いことではないだろーか。

先生によれば、何か問題が起こってくるということは、そこの家の何かが悪いというのではない。何かしなくてはならない、問題を与えられている、課題を与えられている。何か家中で考えねばならないことが起こっているのだと考えるそうだ。

変革の必要なときに問題が起こる。その変革をするときに、一種の爆発力みたいなもので頑張るのが、子どもである。だから「子どもは素晴らしい」。 

たしかに 子どもは素晴らしい。だが 子供のすばらしさがそのままパッと出るのではなく、ちょっとゆがんで出てくるのだとか。ある相談者を例にあげて こう述べている。 つづく

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2006/08/07

『こころと人生』

出典:河合隼雄『こころと人生』 創元社 2003/3/10。黒石市ほるぷ図書館 (宮崎駿 といい 「ハヤオ」ってその当時はやった名前かね?…)

まず 著者とユングについて。河合隼雄:文化庁長官であり ユング派分析家の資格をもつ心理学者(そしてなぜかフルート奏者♪)。ユングCarl G. Jung, 1875-1961):人間の「無意識」に注目したスイスの精神病学者である。

ユング心理学において、善悪とは、意識と無意識という言葉によって以下のように表現される。善は悪がうまく隠れた状態であり、悪は無意識に行動することである。ユングは、意識があまりに一面的になりすぎると、無意識の中に逆の傾向が強まり、その作用によってやがて意識の在り方が逆転すると考えた。意識と無意識の両方で、心の全体を成すものである。意識が分化しすぎて一面化した人間は、善または悪しか持ち合わせない。意識と無意識が分裂することは、「霊魂の喪失」を意味する。(ユング『ヨブへの答え』109-55)。

意識 無意識って かっちゃましい(意訳:ややこしい)!!と お思いでしょう。とどのつまり 人間に 「よい人」「わるい人」という2種類があるのではない。よい人は わるいところを見せていないだけである。わるい人は 無意識に行動しているだけである。つまり よいところと わるいところがあるのが 本来の人間である。というのが ユングの言いたいことだったらしい。この「よい+わるい=自分という全体」という考えは 「あたしって やな性格…」と自分を責めるのではなく 「いやなこともある自分」を認めることで 初めて「よいこと」を選択できるという 前向きな行動をもたらすそーだ。ステキ!

そんな ウ・ン・チ・ク をふまえて 『こころと人生』 いってみよー! ↑意味不明のハイテンション つづく

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2005/09/11

Pax Americana

9月11日 今日は選挙でしたね。行ってきましたよ。いろんな考えがありますが 自分の気持ちに一番しっくりくる方・党に投票してきました。

遊んだ帰りにビデオを借りに行きました。店の入り口にある「選挙に行きましょう!」の文字を横目で見ながら入店。ビデオ屋までもが 選挙に行けとさ。ちゃんと行ってきたぜ ふっ。息子はまた『もののけ姫』ダンナは『オーシャンズ・12』私は『華氏911』(笑)。先日は『JFK』を父から借り アメリカって一体なにもの?!という気持ちがますます強くなってきたところです。

単純に英語が好きで ずっと続けてきたのですが 知れば知るほどアメリカがどういうことをしてきたのかを よく考えさせられるようになりました。先日の三沢の航空祭も純粋な気持ちで楽しんできたというより 三沢の基地のでかさを目の当たりにし 圧倒されたという方が正しいのです。

おとといBSに入っていた『戦うアメリカ』では アメリカの識者が自国を「経済的植民地主義だ」と評していました。郵政民営化はアメリカが要求するものだと言われています。それが本当だとして このまま日本が彼等のいいなりになり 郵政の財源がアメリカ企業の利益になるだけだとすれば 非常に不安を感じます。

今日は9月11日。本当のグラウンド・ゼロとは ニューヨークではなく ヒロシマとナガサキにあると ジョニ-・デップは言っています。

「かねてからユングは、白人とは何かについて明確にしたいと望んでいた。しかし、意外なやり方ではあったが、それが適えられた。「『ごらんなさい』とオチュウィエ・ビアノ(ニューメキシコのインディアン)が言った。『白人たちは…いつも何かを求めている。何を求めているのか?白人たちはいつも何かを望み、いつもそわそわして落ちつきがない。彼らが何を望んでいるのか、われわれは知らない。われわれには彼らがわからない。…』」彼らは狂っている、とオチュウィエは思っていた。そして、なぜなら彼らは頭で考える、と言った。インディアンは心で考えるのに。
 ユングにはショックだった。白人の、文明ないし宗教の名でひき起こされた数々の流血の事件が心に浮かんだ。「それで十分だった。われわれが植民地化、異教徒への布教、文明の普及と呼んでいるものは、もう一つの顔、残酷な集中力で遠くの獲物を狙う猛禽類の顔、をもっている。それは、海賊や盗賊の類いにふさわしい顔である。われわれの紋章つきの楯を飾っている鷲やその他の猛獣たちはすべて、われわれの本性にふさわしい心理学的なしるしのように思われる」(アニエラ・ヤッフェ編『ユング そのイメージとことば』p155)

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2005/07/19

壁を越える

7月に誕生日を迎える友人が2人いるので 誕生会と称した飲み会があった。外で飲むの何ヶ月ぶり~?とても楽しかった。高校時代の同級生が3人 その3人はテニスをやっているので テニスの仲間が2人 計6人だった。全員女ということもあって あることないこと言いまくり 食べまくり 飲みまくって 日ごろの憂さを晴らした。だー!

Today's Encounter!
友人のテニス仲間であるS田さんは 息子さん2人を一人立ちさせてしまった年上の女性である。もと出版会社で編集をされていたので 字を書くことに興味のある私は 彼女と話すのを楽しみにしている。年齢の離れた人と話すのも自分の壁を越えること と言えそうだ。

S田さん語録は 今の私の心に響く!Mr, Childrenの桜井君は大したもんだと(けやぐでねんだはんでさ)。確かカップヌードルの宣伝の曲の中に「加害者でもない 被害者でもない子供を育てるには 一体どうしたらいいんだろう」という意味のフレーズがあるのだそうだ。若い世代で そういうことを考えて曲を作るなんて すごいなと。タイしたもんだ というのだ。

私はその曲自体をあまり聴いたことがなかった。でも確かにその歌詞は インパクトがあると思う。犯罪の陰に 心の一面化 あり。家庭と学校での躾と教育が大切だとさけばれている。でも 厳しくすればするほどいいのか?子供に 大人の感覚で「いいこと」の意識化をすすめるのは返って逆効果だと思っている。

イイ子 というのは 本当にイイ子なのではなくて 悪いことを隠しているだけにすぎない。抑圧された悪は攻撃的になり いつか耐えきれず爆発する。子供も大人も 自分の悪を認めて受け入れることが求められている。悪を抑圧すること 例えば性欲を抑圧する場所には犯罪の陰がある(修道院 など)。人間には善と悪があってそれ自体で十全であるということを認める環境が必要だと思う。

善と悪 つまり意識と無意識の統合 という問題を取り上げて 『バカの壁』は大ヒットしている。今年になってやっと 養老孟司『バカの壁』と『逆さメガネ』を読んだ。「こうであるべき」という意識化した「脳化社会」現代は 善と悪が混在する子供にとって生きにくい。子育ては意識では予測不能だから 少子化になる…云々。

そして遠藤周作『深い河をさぐる』も同じような主題をもつ。インドでは 死と生が日常的に道端で見られる。そういう良い事と悪い事が混沌としている社会の方が 実は自然であり命強い と言っている。

良い人になろうなろう とするあまり 攻撃的な影の応酬に遭う というのは まさに実感としてある。我慢を重ねて最後にキレるパターン。それで長い事苦しんでいる。がまんする環境に生きてきたもので。やりたくない ということを言えない。でもね。誰しも欠けた性質があるわけでして。それを取り戻そうというのが その人それぞれの成長の過程なのかな と思うのです。そんなことも 今回の飲みで語りました。ま 他人から見れば簡単なことも 自分の壁を越えることほど 難しい事はないですな~。

「人間は物事を受け入れることによってこそ、態度を決めることが出来るのです。ですから今の私は、人生という遊戯を遊ぶつもりでおりますし、この1日と生活とがその時に私にもたらしてくれるもの、善いものも悪いものも、たえず交替してる日光と陰とをそのまま受け入れます。そしてそれとともに、よい面もわるい面もそなえた私自身の本質をそのまま受け入れています。以前の私はなんと馬鹿だったのでしょう!あらゆるものを、自分の頭で考えたとおりに従わせようとしてあくせくしていたのですから。」        ユング『黄金の華の秘密』P89

No-border Cup Noodle!

(最後に… 30代半ばを過ぎた われわれ元女子高生は 飲み会の会場から次の会場を求めて夜中ぶらぶらと歩き 汗だくになった。そぞろ歩きもたまにいいね。顔ぶれを見ると 気持ちは本当に高校のままだな と思った。友人Yadacchi 曰く「10年後も友達かな?と言ってたら 20年後も友達だったね」笑 よかったよかった。)

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