ユング心理学

2008/06/09

『スター・ウォーズ エピソード4』フォースと宇宙意識 2

「宇宙意識」とは ラズロー博士によればこうである。

The field of cosmic consciousness they experience is a cosmic emptiness-a void. Yet, paradoxically it is also an essential fullness. Although it does not feature anything in a concretely manifest form, it contains all of existence in potential. The vacuum they experience is a plenum: nothing is missing in it. It is the ultimate source of existence, the cradle of all being. It is pregnant with the possibility of everything there is(ErvinLazlo Science and the Akashic Field --An integral Theory of EverythingP155).

(前述の)彼らが体験した宇宙意識とは 宇宙の空白「真空」である。しかしながら 逆説的にそれは本質的な充満でもある。だが それを具体的にはっきりとした形で特徴付けることはできない。彼らが体験した真空は充満であり すべてのものを生み出す場である。そこにあるすべてのものの発展の可能性を宿している(アーヴィン・ラズロー『叡知の海・宇宙―物質・生命・意識の統合理論をもとめて』P155。


「スター・ウォーズ」で言うところの 

「宇宙に満ちていて 私たちを取り囲み つなげているフォース」と

かなり近いんじゃないかと。


それは身近なところで 「気」という言葉に言い換えられるかもしれない。


この引用部分の直後に 

「Basically, the same kind of experience is recounted by people who practice yoga and other forms of deep meditation. 実は同じような体験が ヨガや他の深い瞑想をする人々によって詳しく語られるP155。」

と述べられている。

「自分が自分が」というエゴの声を聞き分け いまの自分の状態を客観視でき

自己が他と同化する状態を引き起こす「瞑想」だが

それは 呼吸を整えることで 地球の自転と同調するからだ とどっかで読んだっけ。

自他との境があいまいになって 

相手が自分に 自分が相手になる という体験は

ユングが 幼少のころに体験した 

「石に座っているのが自分なのか 座っている石が自分なのか わからなくなった」
 
という状態に近いようにも思う。


「スター・ウォーズ」モードに入った私は

エピソード4・5 と見て 

ずっと見てなかった完結編エピソード3を やっとこさ見た。

この章では 穴禁 (変換がこうなった)

アナキンがいかにしてダース・ベイダーになったのか という経緯が語られるのだけど

かわいそすぎる。哀れんでしもうた。

このままで一日が終われるか!と思い

アナキンの息子 ルークが暗黒面から父親を救うエピソード6を見て ホッとした。

「スター・ウォーズ」って ある意味「アナキン物語」だな。


それにしても アナキン役 ヘイデン・クリステンセン

「森泉」入っちゅう。くりそつです。

ちなみにこの珍しいお名前 

お父さんがデンマーク系カナダ人だから だそーです。


せば!

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2008/05/23

200805171237000
いろいろと日々みなさんと話す中で たくさん発見があります。

気づいたことを つれづれと。


自分がこういう人なんだ とさらけ出すことによって

離れていく人があるかもしれない

そういう恐れは だれにでも 多少なりあると思います。でも

「自分が生き方を変えることによって 今まで親しかった人が離れていく

それは別に悲しむべきことではない 本当に必要な人は 留まる」

と 『人生の転機』(キャロル・アドリエンヌ)で言っているように

全てが悪いことではなさそうです。


本当の自分と向き合うことって 恐ろしいですね。

他人を悪者にして自分が悪くないことにしたい 逃げようとしている自分 

つい先日 そういう自分に改めて気がついて 胃が痛くなりました。

「人生にどんなことが自分に起きるか」

ではなくて

「起こったことに対して 自分がどう反応するか」

それが大事なのだそうです。

直接謝ったほうがもちろんいいのですが そういう勇気も機会もないので

自分を奮い立たせて 謝るために紙にしたためることにしました。

その結果 相手に嫌われたとしても しょうがないな と

いい意味で 開き直りました。


ポストに手紙を入れた瞬間 胸のつかえがとれたように感じました。


いつも 自分の外側に原因があるのではなく 自分の内側に答えがある。

『スター・ウォーズ』の中で 主人公ルークが

敵ダース・ベーダーが父親であることを知り 苦しみます。

そんな苦悶する中 父親を倒すところを想像する場面がある。

戦って倒れたダース・ベーダーのマスクがとれると 

それはなんと 自分なのでした。


「ついに本当の敵がわかった。それは 自分自身だ

(Now I found my real enemy. It is me , myself.」

(ジェラルド・G・ジャンポルスキー『ゆるすということ』Gerald G. Jampolsky “Forgiveness” THE GREATSET HEALER OF ALL P123)

どこまでできるかわかりませんが とりあえず

「あなたが抵抗するものが存在し続ける(It will exist what you resist.)。 」

というユングの言葉通り 自分と向き合うことにしませう。


ダース・ベーダー だすー

せば!

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2008/05/22

『崖の上のポニョ』と毎日の暮らし

「ポニョ」のチラシをもらったら こんなことが書いてあった。

「海に棲むさかなの子ポニョが 人間の宗介と一緒に逝きたいと我儘を貫き通す物語。…アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し キリスト教色を払拭して 幼い子供達の愛と冒険を描く。

海辺の小さな町と崖の上の一軒家。少ない登場人物。いきもののような海。魔法が平然と姿を現す世界。誰もが意識下深くに持つ内なる海と 波立つ外なる外洋が通じ合う。

…少年と少女 愛と責任 海と生命 これ等初源に属するものをためらわずに描いて 神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」

これは 宮崎駿監督が ポニョの舞台背景を表したものだが

宗教色を払拭する 意識下の海 神経症の時代というキーワードが 

自分にヒットする。


先の「ナルニア」 あれは聖書を下地に作られたものだとされていて

見ようによっては原理主義的だととる人もいるらしい。


ゲンリシュギって なんだべ?


宗教上の原典を絶対視する主張・態度を指す用語だそーだ。

「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の監督が言っていたが

魔法省や 現職の校長と取って代わったアンブリッジの動きは

「これ以外の考え方は受け入れない」とする原理主義的な動きであり

自分の考えだけが正しいのだという 

現代にも見え隠れする病理を暗に表している とのこと。


でもね

宗教の経典は 一人の人間が主張したものではなく

何代にも渡る人類の意識下にあるものが総決算されたもの。

宗教に描かれている象徴 主題 は 洋の東西を越えて共通している。

そして 神経症の患者たちが見る幻影には

その宗教の象徴・主題と一致するものが多い。

普段私たちが起きている時の意識とは別の次元にある

「変性意識」「右脳体験」といったものは

人種を超えて一致してるよな と いつも思わされる。

わんだぢの文化はこうだ おらほ一番 といった差別 それが争いを生む 

「いかに違うのか」ではなく 「いかに私たちが同じなのか」

その「つながり」を見たい。


むかし日本がロシアやトルコの難破船を助けて

未だに彼らが親日家であるのを見ると

敵か味方か という違いよりも 同じ人間じゃないか という共通意識が

連帯を育んでいるように思う。

そういう姿を見ると いま必要なのは「これだな」と思うのです。

毎日の暮らしの中で起きる ささいないさかいから 

生死を隔てる天災が起こっている世界を見渡しても。


「私たちのつながり」それをどう描くのか ポニョに期待している。


ポニョポニョポニョ さかなのこ♪


せば!

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2008/05/03

人生の地図 -物語 3-

スタインベックが『エデンの東』を書くずっと前に

『赤い子馬』という短編を書いたのだが

それは『エデンの東』の習作というべきもので

主題や構成が酷似しており 4つの短い物語から成る。

2つ目の作品『大連峰』の冒頭で

主人公のジョーディという少年が 

小鳥に石を投げて殺してしまうシーンがあり

彼はそれを親たちに見られれば叱られると知っていて 隠す。

「どうだ。とうとうやっつけてやったぞ」彼は言った。 死んだ小鳥は 生きているときにくらべて ずっと小さく見えた。ジョーディは 何かとがめられるようなかすかな苦痛を胃の腑に感じた。それでナイフを取り出し 小鳥の首を切り落とした。それから腹を裂き 羽を切り離した。そして最後に ばらばらになった小鳥の死体を茂みの中へ投げすてた。彼は小鳥のこともその命のことも まるで気にかけなかった。だが 自分が小鳥を殺すところを見たならば おとなの人がなんと言うか はっきりわかっていた。それを考えると われながら自分が恥ずかしくなってきた。彼はいっさいの出来事をできるだけ早く忘れ どんなことがあってもけっして口に出すまいと心にきめた。(『赤い子馬』P67)」

われわれ大人は

そういういたずらを やみくもに「ダメ」と言わないほうがいいらしい。

うーむ これは難しい。

見ないようにしよう。見なけりゃいい。(そういう問題か?!)

子どもは大人の知らない小さな秘密を持って当然なのだそうだ。

机の一番上の引き出しの鍵は

子どもが持ったほうがいいそうです。

そうじゃないと 部屋全体にカギをかけることになるのだとか。

 
このジョーディ少年は 一連の作品を通じて 

トリックスター(いたずら者)から 次の段階へ成長する。

4つ目の作品『開拓者』の中では

年老いた母方の祖父が いつも開拓時代の話ばかりするので

辟易していた家族が描写される。

煙たがられ 過去の栄光にすがる悲しそうな祖父の姿や 

その前作の中で命の尊さを垣間見るうちに 

少年の中に優しい気持ちが育っていく。

つづく

(人生の地図 物語4・5 については 

期間限定とし 削除しました。5月9日記)

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2008/05/01

人生の地図 -物語-

スマイル スマイル200804231038000


大平健『診察室にきた赤ずきん-物語療法の世界-』

これはおもしろい。

「むかしむかし、あるところに…」まさか精神科を受診して、昔話や童話を聞かされるなんて誰も思ってもみなかっただろう。でも、患者たちの当惑はすぐ驚きに変わる。そこに繰り広げられるのは自分の物語なのだ。悩みを抱えた心の深層を「赤ずきん」「ももたろう」「幸運なハンス」「三びきのこぶた」などで解き明かす、ちょっと不思議で、ほんとうは不思議じゃない12話の「心の薬」。内容(「BOOK」データベースより)

問題の渦中にいると

自分がどういう行動をとっているのか まったく見えない。

外界の出来事にただ反応し 無意識に動いている。

それを「あなたは今こうなっていますよ」

と 見せることで 意識的になる。

こんなアホなことをしていたのか…と正気になる。

「無意識を意識することが 問題を解決する」

という例は たくさんある。

前世療法 あれも「本当かどうか」は別として

自分を客観的に見せてくれるから 治るんじゃないか

と 考えるようにしている。

じゃないと あまりにも信じがたい症例なので。


ちなみに 何度でも書くが

『エデンの東』を読んだとき 

自分はまさにこのパターンだな と思った。

『エデンの東』に限らず 物語の構成には主題があって

それが昔からずっと同じものが繰り返されているにすぎない。

『エデンの東』にある主題は 

聖書にも 『アーサー王の死』にも 

『ローマ建国史』 『ダフニスとクロエー』

『ギリシア神話』 『トリスタンとイゾルデ』にもある。

ろーまけんこくしって?

そんな質問は受け付けません。

つづく

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2008/03/26

ちょっと 一休み

ども。

字ばっかりで つまんないでしょ?笑

紅白と違って 大衆に迎合しない内容ですから~

しかし こういう本を 

面白く わかりやすく説明するってムズカシイね。

今やっているのは ただ要約してるだけだもんね。

本当ならば 自分が読み込んで理解している段階で

書く段階じゃないわけさ。

だから 読み飛ばしてくださって 結構です。

今ようやく3分の1まで要約をワープロ打ちしたところ

もはや 先生にレポートを書いているような

そんな気分です。

キーパンチが冴えるぜ。

でも 春休みの今やらないと

また夏休みまでできない予感がするのでね

そうなると1年越しになってしまうのか…

ま それでもいいかcoldsweats01


しかしだね

作者David Peatさんが なぜこれまでして

くだくだしく科学の歴史を振り返っているのか

そりはひとえに

今の研究を述べるためには

これまでの流れを振り返るのが常套だから でせう。

私が言うまでもありませんが…。


もし 中学校か高校のときに

宗教・哲学と科学に接点があることを知っていたら

もう少し 勉強しようという気になった

かもしれません。

(ならないならないsweat02

Iちゃんの倫理が好きで テストも良かったという

変人ですから。

倫理の教科書まだ持っちゅう。

さすがに高校の英語の文法テキストは捨てました。

お守りみたいに持っていたんですがね。


「隣人がおかしく見えるとき

自分がおかしくなっている」

どっかのエライ人が言った言葉←たんげ いい加減だ

今まさに 自分がそういう状態ですな~。

反動が来たね~ これ。

意識と無意識が逆転しているので

世界中が自分の敵です(笑)。

全員かかって来い!punch

自分を大事にする時間をとらないといかんな~。


沢尻エリカがぶちきれた瞬間の映像を見て

義母が

「それが本当の自分なんだいな。」

と 捨てゼリフを吐いたことがありました(笑)。

こ コワイsweat01

これが本当の自分です。

ユングの言葉を借りるならば

これ「も」 本当の自分です。

世の中に善い人と悪い人がいるのではなく

善い人は 悪いところを見せていないだけだ

その言葉に救われるね。


自分の中の悪を拒絶すると

影が人格化し 一人歩きするのだそうです。

なので 今の私がなすべきことは

嫌なところが自分にある と 認めること。

いや 

寝ること か…。神経を休めよう。


せば!

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2007/10/03

夢と想像力と無意識

いや

何か気のきいたこと書こうと思ったんだけどね

うまくまとまらないね。

もう 夢の中だね。

自動筆記状態。

○×▲↑~※♪

えくりちゅーる おーとまちっく


夢といえば

昨日息子と「旅館ごっこ」をしたんだけど

夏に十和田湖に行ったので

「ここは十和田湖でーす」

から始まり

「遊覧船に乗りマース」

と 移動し

「右手をご覧下さーい ハワイの火山の煙が見えてきました~」

と なんとハワイ島が現れ

「ここには なっちゃんReraもありまーす」

と なんと湖にフェリーも登場した。

そして そのなっちゃんれらは12階建てで

息子は屋上から パラシュートで飛び降り

その様子が テレビで放映され

ヒーローになったという…。

いやはや これこそ 「夢」のお話だよね。


この話に いたく感心した親バカな私です。

ちょっと「魔女の宅急便」が入ってはいますが…。

彼にとっては リアルなんだよ 想像の世界がね。


子どもだけでなく いつもと違った自分になることを

人は求めているようだよ。

子どもにいたっては

たとえば 劇をして仮装をすることは

もう そのものになりきることだし

現実さえもぶっとぶ 真に迫るものなんだよね。

最近 ちょうど借りていたシュタイナー関連の本の中に

「物語」を読んでいる間 主人公になりきっている子どもは

それまで 悩んでいた苦しさを忘れるほど そのお話に没頭する

ということが書かれてあって

それとまさにリンクするな

と 思うのだった。


だから 非日常的な「演劇」や「祭り」で 

ふだんの自分以外を演じることは

日常を健全に保つね。

そうそう100%いい人間で いられるか 

いや いられない(反語)。


私たちは寝たり起きたりしている間に

意識の深いところと浅いところを 行ったり来たりしているそうですが

何か耐えられないつらい体験をしたりすると

奥深くもぐるらしいです。

それが そのまま表面に出てこなくなると

精神的な病気になるとか。

無意識は 人間全体の底流に通じていて

私たちはそこにアクセスすることで 力を得るらしいです。


だから 

右脳作業 左脳作業 どちらかだけではなくて

両方をバランスよく行って

意識と無意識を統合することが大事だね。


… ←奥深くもぐってた


ねむっ


せば!

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2007/09/14

「歓びを歌にのせて」

借りてきました DVD。

むさぼるように 日々過ごしております。

落ち着けー。


スウェーデン映画です。

スウェーデン映画と言えば

前に「エヴァとステファンとすてきな家族」ってのも見ました。

どちらも 何かしらうまくいっていない登場人物が出てきて

周囲の人と 励ましあったり 傷つけたり

仲直りしたりしていく過程が描かれます。

そういう どこにでもいそうな人物と 

何気ない日常生活を映画にしたものが 結構好きです。


歓びを歌にのせて

これは タイトルがいいな と思って すぐ決めたね。

著名なオーケストラ指揮者ダニエルは、 日々の忙しさから体調を崩し、やむなく第一線を退く。 心を癒すために生まれ故郷へ戻ってくるが、 村人へ心を開こうとはしない。

ある日、地元のコーラス隊の指揮を頼まれる。
心から音楽を愛する彼らの気持ちに触れ、
ダニエルは再び音楽の素晴らしさを実感していく。
コーラス隊のメンバーは、それぞれに様々な問題を抱えて、
ダニエルを通じて音楽から勇気をもらい、
人生の"1歩"を踏み出す自信を得る。

夢に見たコーラスコンクールの日、
ダニエルとひとりひとりの気持ちがつながり、
ダニエルは人生で最高の幸福感を得る。

そして・・・

(Avex映画インフォメーション)

最初 単純に

ウーピー・ゴールドバーグのSister Act2みたいなのかな

と 思ったんだけど 全然違ったね。

最後のコンクールのシーンで優勝して終わり

とか

そういう簡単なハッピーエンドじゃない。

デンマーク映画だけど 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」的な

そういう暗さを持った映画だ と思う。

まずしょっぱなから 人が死ぬ。

そういう 残酷なシーンがはっきり描かれる。

あと ラブシーンじゃない 「性」と何か?!という問いかけもする。


チャンチャンバラバラ&どたばた

ユーモアたっぷりに流れ

最後にハッピーエンドという

ハリウッド映画に慣らされていた私は

ニュー・シネマ・パラダイス

八日目

ダンサー・インザ・ダーク

のような 人が生まれてから死ぬまでに出会うだろう

負の感情や辛い体験を全て盛り込んだ映画を見て

しこたま びっくらこいたのだった。

アメリカ映画は 死ぬというテーマを取り上げたものでも

こんなにはっきりと あからさまには描写しないと思う。

最近は 

死と性(単なるエロスでねくて)を描写している方が

普通の人生かも と思うようになる。


「死」といえば

隠れユンギニアンにお借りした 河合隼雄『宗教と科学の接点』には

「死の位置」と題して

私たちがいかに 「死ぬ」ということを避けるようになったかを

アメリカを取り上げて検証している。

「近代医学の発達によって われわれはともかく死を少し遠ざけられるようになった。しかし 死はいずれやってくる。ここで極端に死を拒否しようとする信条が『近代科学』と妙な結合を行うと 第一章に述べたような アメリカにおける死化粧兼防腐処理(エンバーミング)の隆盛のようなことになってくる。死者はまったく『生けるが如き』姿のままでいるし 花束は美しいし 葬儀屋の巧みな演出によって 参列者は出来る限り死に直面しないようにあるいは 死のことを忘れてしまうようにされる。しかし いかに工夫されても死を否定し去ることはできない。」P77-8

スタインベックも ユングの著書をかなり持っていたらしく

生涯を通じた作品全てに 影響を受けたと言われていて

『エデンの東』でもはっきり「墓を花で飾るようになってから 人間が堕落した」

ということを書いている。


だからといって アメリカとアメリカ人を非難しているつもりはなくて

アメリカ という文化に 自分たちの姿が見えるよね。

自分たちが避けたい苦しいこと

死や悲しみ 

自分の中にある ずるさ 妬み そういうこと全部が

自分を作っている要素なんだよ と

ユングは指摘しているわけです。


くどい。


最後に

この映画の盛り上がりは

中間で 夫の家庭内暴力におびえる女性ガブリエラが

ソロのパートをまかされ

多くの聴衆の前ですばらしい歌声を披露するところだ と思う。

スウェーデンにおいてトップアーティストとして活躍する

ヘレン・ヒョホルム という方だそうです。

ちなみに同い年っす。

じょんずだよ~ ぜひ機会があったら見てね。


せば!

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2007/08/12

夏の十和田湖

200708111610000 十和田湖に行ってきました。

トップ・シーズンとあって 混んでいましたが

猛暑にも関わらず 緑の中の奥入瀬渓流はさわやかで

涼を感じるにはもってこいの環境です。


トータルすれば 長年青森県に住んでおりますが

今回初めて十和田湖の遊覧船に乗ってみました。

(旦那は2回目だ そーだ)

自分の中でなぜか「船に乗りたい」気持ちがずっとあったので

大満足です。

子どもも船は楽しかったと申しております。

おススメです。

席につくよりも 最上階のデッキで風を感じる方が

断然気持ちがいいです。

↑ここでも 密室を拒む


そんで 今回はこれまた初めての十和田に一泊。

なかなかいがったよ。

夏の十和田湖は 気持ちがいい。

朝もやの中 水辺で散歩したりね。

遊覧船に乗ったときも思ったんだけど

湖はベタベタしないからいい!

山も水辺もあるし 

望んでいたとおりの場所でございます。


ユングは「人は水辺を離れては生きられない」と言っています。

何の本だったかは 忘れましたが

(このいい加減さ 暑さのせいにしておこう)

ユングは 晩年 その通り水辺に住んだそうです。

「水」というのは 無意識を象徴するもので

「魚」は 無意識の中にある「自己」だとか。

でねが?


ぬぎーです。

十和田湖 涼しくて いがったんだけど 

弘前に帰ってきて この暑さ。

ギャップに苦しんでおります。

埼玉に比べれば…

いや 埼玉並になりつつあるよ これは。


200708121243000 2日目は 三沢市に移動し

子どもが毎年必ず行きたがる「三沢航空科学館」へ。

近所のご家族に遭遇して かなりオドロキでしたが

さすがに 毎年来ていると 見るところも尽きたな… と

母は思う。


で この炎天下

Music on the skyと称した野外コンサートが行われており

これまたタイムリーなことに

吹奏楽の団体が演奏しておりました。

母は当たり前のごとく 科学館そっちのけで熱心に聴いてきました。

200708121106000 三沢商業高校吹奏楽部のみなさん。

お疲れ様でした。

コンクールで 県大会を突破したそうで

東北大会頑張ってね。

ちなみに マーチングの大会にも出場するそうで

マーチングで鍛えた技が随所に!

ソロのとき 立ったりしますね

前に出てきたり。

そりゃ常套手段なんですが

こちらのみなさんは

順番に一人ひとり立ち上がったり座ったり

楽器のベルの向きをきびきびと変えたり

みごとでした。


私の感覚からすると

このような直射日光の下で演奏すること自体

考えられないのですが

あの動き!

ファゴットは リード割れるよ!!

ちなみに学校時代

野球の応援などで演奏するときは

ファゴットとオーボエは 室内楽器だということで

パーカッションのお手伝いをしました。

タンバリンとか 鳴り物を一つ持たされて。

いつだったかは サンバ・ホイッスルなどを吹いたりしたものです。


三沢商業のほかにも

クレール・ウインド・オーケストラ

八甲田吹奏楽団(かっこいいね この名前。)

という面々が続き

音楽を堪能しました。

みなさん じょんずだった。

この3団体はいずれも東北大会に行くそうです。

がんばれ~


ちなみに「コパカバーナ」を2団体が演奏してたね。

一人で 踊りだしたくなる衝動をこらえておりました。


そんなわけで

意味なく「テキーラ」の音楽に乗せて 一曲。


パヤッパパ パヤ パッパ♪

パヤッパパ パヤ パッパ♪

(略)

パヤパ パ~パ

パヤパ パ~パ

パヤパ パ~パ

パパパパ パ パ パ。

「アニータ!」


青森県人には 耳が痛い名前…

せば!

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2007/07/27

適切な距離を保つ

おはようごすー。

ぬぎーです。

今日は金曜日

一週間があっという間です。

一ヶ月も瞬く間です。

今日もイイことありそう

元気に行ってみよー!


昨日 テレビのことを書きました。

読み返すと何だか テレビを全く見ていないような印象を受けた…

家族が他にもいますのでね

つけていて おもしろそうなのがあれば

つい一緒に見たりもします。


なぬー テレビ見とるやないけ!

誇大広告だ JAROに電話したらどうじゃろ

になったら 困るので 念のため。


「周囲の人と 適切な距離を保つ」

これ 最近目覚めたこと。

わかっているようで 身になってなかったのですが

隠れユンギニアン1号と 対話を重ねるうちに

長年 私の手かせ足かせになっていた

「呪い」が解けたのでした。

ありがとう。


対話と同時に

O村さんのブログで自分の気持ちにヒットした「転機」という言葉

これで ちょうど一年前に いつも持ち歩いて読んでいた

『人生の転機』を 読み返しております。


この中に

自分が心地よいと思う距離を保つ

ということを 謳っている箇所があり

先の呪縛から解かれる いっそうの助力となったと思われるのです。


全部をうまくやろうとしている私です。

嫌いな人や いやなことをされてもなお

全部の人とうまくやらなければいけない と。


でも

「合わないものは 合わないからね」

と はっきり言ってもらったその一言のおかげで

こうして また一つ 先に進めるような気がしております。

一応 個性化のプロセスをたどっているように思います。


『人生の転機』には

何をやってもうまくいかず

失敗ばかりしているときや

人の助言が耳に入らなくなっているときには

もう 自分だけの力ではどうにもならないところまできている 

と指摘しています。

その時は

親しい友人や セラピストに話を聞いてもらうよう勧めている。


いがったです。


どんなにすばらしい人格者であっても

一つ屋根の下で暮らすというというのは また別の話。

だから 

同じ場所に 延々と一緒にいるだけではなくて

外に出て

趣味を持って 他の人間と交流したり

仕事に出るなどして 離れる

ということが

良好な人間関係を保つのではないか と思います。


また

「親子カプセル」という言葉があるそうですが

特に 核家族で 親と子だけで 終日過ごすような環境に

このような「親子カプセル」の空間が発生し

煮詰まった人間関係に発展するのだとか。


同居を始めたとき

子どもをあやしてくれる人が増え

家事ができるようになったので

たしかに安心したのを覚えています。

おそらく子どもも

多様な目が注がれていることで

私の価値観だけではない行動ができているかもしれない。


同居する前

子どもと二人で1日中部屋にいたときは

確かに気が違いそうになる瞬間があった…

誰か この子を見てくれないかー! と。

これは やったことのある人にしかわからない瞬間。


大人数がひしめき合っていると

たしかに大変なこともあります。

でも いいこともある。


自分の都合のいいことだけ 一つ

ではなくて

やっぱり いいことも悪いこともひっくるめた全体を引き受ける

ということなんだと思います。


書くとたいそうご立派ですが

日々葛藤は続く。


人間だもの。by みつを

(梶みつをではありません)


暑いし…

200707261707000_2

←日々 小さな楽しみを見つけては 喜んでおります。


せば!

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2007/07/23

河合隼雄先生を偲んで

隠れユンギニアンに告ぐ。

7月19日 元文化庁長官 ユング心理学分析家 臨床心理学の第一人者である河合隼雄先生が なくなられた。享年79歳。

自称ユンギニアンを語っておきながら 先生の逝去を知ったのは 何と今日の朝刊にあった ある記事で…。No~

あわてて20日の朝刊を見ると 社会面にちゃんと取り上げられている… ばかだ。

先月 『村上春樹 河合隼雄に会いに行く』を買ったところだったのに 感想を書くまもなく お亡くなりになられた。

やや失望感に襲われております。

昨年8月に倒れ 入院されていたそうですが 意識の戻らないままだったそうです。

むう。

ずっと 無意識をさまよっていらっしゃっただろうか。

ご冥福をお祈りいたします。


「六ヶ所村ラプソディ」を見た次くらいに

放心状態。


せば…

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2007/07/06

隠れユンギニアンの集い

「『六ヶ所村ラプソディ』を見ませんか」

と 熱心に声をかけてくださったIさん。

どうもありがとう。

彼女は 一度見たにもかかわらず

今回 私のために(か?) もう一度一緒に見てくれました。

隠れユンギニアン1号2号の 私たちは

昨年末まで 20年近く交信が途絶えていたにもかかわらず

ただ「ユング」という共通項一つで

語りまくっています。

どっちが1号で2号か という話は つっこまないでいただきたい。

わがんねーはんで(笑)

で お宅にお邪魔した際 その蔵書を見て

われわれの脳内が やはりシンクロしていることに気がつき

いまさらながら おもしろかった。

自分が持っている本も 数冊あり。

そして たくさんの本をお借りしてきました。

1.河合隼雄『無意識の世界』

2河合隼雄『宗教と科学の接点』

3.諸富祥彦『トランスパーソナル心理学入門』

4.菅靖彦『心はどこに向かうのか―トランスパーソナルの視点』

5.グレッグ・ヨハンソン+ロン・クルツ『ハコミセラピー―タオイズムと心理療法』

6.F・デーヴィッド・ピート.『賢者の石―カオス、シンクロニシティ、自然の隠れた秩序―』

以上です。

そして 2冊買ってしまったという

星野道夫『ノーザンライツ』を ありがたく頂戴しました。

最近 図書館に行ってないな~

本が読みたいな~

「あ~ 本が足りね~ じゃんじゃん持って来~い」

ルパン三世 カリオストロの城 状態だったのですが

期せずして たくさんのインプット

むさぼるように読んでおります。

例によって 付箋だらけです。

Iさんから返ってきた

ユング・コレクション13 C・G・ユング『夢分析Ⅰ』に

自分がつけた付箋の多さを見て あきれた…

なんじゃーこりゃー!by 松田優作

どこが大事かわからん。

↓ま いつものことです。

200707032209000

せば!

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2007/07/04

ジェームズ・レッドフィールド『人生を変える力―第十一の予言』 2

第一の知恵に書かれている「偶然の一致」とは

ユングによって初めて アカデミックな視点で捉えられ

生み出された言葉「シンクロニシティ」のこと。

「ユングの定義によれば 体験者あるいは目撃者にとって

重要な意味を持つ偶然の出来事であり それによって一種の

覚醒 あるいは悟りといった感覚に近いものが得られる現象

ということになる。インスピレーション 霊感といった語感にも

通じるところがあるのかもしれない。また シンクロニシティは

一見何の関係もないような出来事や人間を

結びつけるものであり

それを体験するものは

その出来事が起きた理由を

理解することができないことが多い

(フランク・ジョセフ『シンクロニシティ』Ⅰ)。

また 一つのことに没頭し 熱中すればするほど シンクロニシティの

起こる確率は高くなり 頻度も増す と言われている。だから

私たちは 自分の興味があることに情熱を注ぐことによって

シンクロの連鎖によって 導かれるようになる(291)。

そして この体験をした人が一様に言うのは 

流れに身を任せる感覚というもので 

魂が安らぐ感覚を得る(310)。

シンクロニシティがもたらす最大の効能は 心の浄化である(312)。

10ある知恵のうち 

1 5 6 7 8は シンクロニシティについて書いてありますね。

だから シンクロニシティという概念を知っていれば 

この本を読むことに抵抗はないと思います。

著者がいわんとするところを 

まえがきを引用しながら考えてみると

いま 高エネルギー文明の末期症状で

このまま 科学・物質主義礼賛ではいかん 

と 私たちは気がついている。

その前に

自分ひとりは どういう生活をしたらよいのか。

まず 自分に正直になる。

心から やりたい と思うことに熱中する。

そうなると 周囲に配慮する余裕も出てくるので

自分の悪いくせを正し 他の人々に対して適切な行動規範に

のっとって行動する。

しかも 自らの心に正直であり続ける。

そうするうちに 周囲の意識が自分と同化してくるので

世界が見えてくる。

ということだと思います。

そこで初めて 「六ヶ所ラプソディー」や

「ガイヤシンフォニー」を ともに考えることが

できるというものだ。

おそらく私たちは

自分でこうしよう ああしようと

あんまり頑張らなくてもいい。

やらねばならないと「考えた」ことではなく

やりたい と「感じる」ことをやる。

起こった偶然の意味をよく考える。

また 直感的に感じたことを実践する。

流れに乗る。

そういう 直感を研ぎ澄ませるための

集中力を高める練習 たとえば 瞑想などを

1日5分でもするのが よいそうです。

お気づきかと思いますが

このブログ「今日の出会い」は 

シンクロを確認するブログでもある。

みなさんからメッセージをたくさんもらっています。

ありがとさんです。

せば!

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2007/06/30

あなたに贈るエール 3

人間が苦しくなるとき。

それは

頭で考えていることと

体 つまり 行動とが

一致していないとき らしいです。

ほんとは 眠くて疲れているんだよなぁ~。

でも 仕事が残っているから がんばらねば まね。

とか

ほんとは 甘いもの大好きなんだよな~。

でも 太るから やめとこ。

とか。

ほんとは こんなこと したくないけど

理性で「こうあるべき」姿を貫こうとするとき

それは たんげもキツイ。

It's so tough.

われわれは

宇宙人である

もとい

われわれは

なにかしら 立場上やらねばならないことを抱えて

生活しています。

そりゃ 当然です。

でも それが あまりにも自分の本意とかけ離れていたり

いつでも仮面をかぶった状態でいると

自分が分離してしまう。

意味なく 腹が立ったり

泣きたくなる。

一生懸命やっているのに 空回りする

やればやるほど 苦しい

そんなときは 

「自分が進むべき道から外れているよ」

という サインだと聞いたことがあります。

ちなみに

私事ですが

人が演奏しているのを聴いて

何度か泣いたことがあります。

2・3度 で きかないね。

かれこれ 前科5犯くらいだね。

そのとき近くにいた人が

「やりたいことをやってないからだよ」

と 言ってくれました。

「楽器を吹く ということをガマンしているからだ」

ということに 自分では全く気がついていませんでした。

ただ 音楽に感動して 泣いているんだ と。

只中にいる人は気づかないものですな。

「素の自分を保つ」

社会的な責務も大切ですが

自分に正直にありたいです。

コーヒーおじさんのように…

(最近見ない…)

せば!

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2007/06/28

なぜガイヤシンフォニーが見たいか

オーラの泉 ね

たまに 偶然見らさります。

でも あそこまで 達観できないね。

いきなり スピリチュアルだけって キツイね。

しかしながら 

ガイヤシンフォニーとか 森のイスキアを取り上げずとも

精神世界 特に文学にある精神世界には かなり興味があります。

毎日仕事をして テレビ見て 雑誌見て 服買って とかそういうことじゃなく

一体「何が本質なのか」は 知りたいところです。

しつこい。

数日前の記事に書いた ガイヤシンフォニーのこと

最近のめざましい科学技術の進歩によって、

この宇宙の全ての存在、すなわち銀河系、

太陽系、地球、海、山、川、森、岩、動物、植物、

バクテリアから原子のひとつひとつまでもが、

それぞれに独自の“音楽”(vibration)を奏でていることが

分かってきました。

「人間が音楽をつくる以前に、“音楽”がこの宇宙をつくり、

生命を生み出し、人間をつくった」という宇宙物理学者もいます。

(公式サイトより)

音楽が宇宙を作った というと 何だか突拍子もないのですが

人間を含むすべてのものが こまかーい粒で成り立っている というのは

わかる気がします。

得意の子供向け番組で 物理学をこれまたていねいに解説していたのを見て

疑いのないほど 水の粒子が振動していたのを目の当たりにしたからね。

ジュニア向け マンセイ。

同じことを 違う言い方にしているだけ ですよね。

超ひも理論 とか 量子力学とか 

宇宙の統一理論を 科学は求めている。

だって「神」って 「上」らしいよ。

したはんで 宇宙ってことさ。

そういう宇宙物理学(というべきか)的なことは 私たちに否応なく適応していて

紫外線が一様に地球に降り注いでいるのと同じで

やめでけん!と思ったところで 自分だけあたらないわけにいかない。

避けられない存在 神(上)様。

UFOや宇宙人にしても

昔 仏教の盛んな地域では 夜空に光るものをみると

「御来迎だ!」

現代だと

「ユーフォーだ!」

と 思う。

そんだけらしい。

ユングが言ってました。→けやぐ?

宗教にしても

キリスト ブッダ アラーとか その表現方法をとっぱらった 「本質」

それはもう 共通しているよ ってことらしい。

そのことを昔から人は 身近な物語にして後世に伝えようとしたらしい。

そこに 宗教の経典や神話 伝説が受け継がれるわけがある。

ただし それは秘密であり 暗号化されていたりわかりにくい。

字面だけじゃなくて 正しく解釈できる案内人が必要だ。

まず それを悪用して 政治的に用いたり 

金儲けに使って 民衆を操作しようとする人がいるので

わんだぢは

本当のことを知っている必要があるわけです。

そして 避けられない「物理的な作用」であり「神」であるならば

更にいえば 逆らうと必然的にエネルギーが与えられなくなるのだから

その教えを実行したらいいんじゃないの と。

その本当のことを知っている人というのは

例えば ガイヤシンフォニーに出てくる人物であり

龍村仁監督であり 

佐藤初女さんである

と 私は思っています。

つづく

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2007/06/21

おはようございます。

みなさん 夢 見てますか?

夢は 聖なるチャネル。

「枕」という言葉も 実は「魂倉」(たまくら)が由来で

昔の人は 寝ている間に魂が体から出ている と考えたのだそうです。

先日買った本『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』にも 夢のことが書いてありました。

夢分析は ユング心理学の真骨頂だもんね。

村上春樹は 夢を見ないんだそうです。谷川俊太郎も見ない。

なぜか。

夢を別な形で出しているからだそうです。

村上春樹は物語を 谷川俊太郎は詩を書く。だから 夢を見る必要がない。

夢 とは 「無意識」。現実世界では生きられない部分が出てくる。

私たちは 育った過程で失った性質を押し込めて生きています。

子どもは統合された人格の持ち主。

それがだんだん社会に適応するうちに ガマンするようになる。

「怒ってはいけない。泣いてはいけない。」

でも本当は それも自分の一部分。

それを取り戻すのが 人生で為すべきこと。

いいことも悪いこともひっくるめた 

全体的な人格になることが大切なのだそうです。

それを煎じ詰めれば「意識と無意識を統合した人間」ということになる。

さまざまな宗教的経典 神話 伝説 部族の秘伝 童話 には それを伝える要素が隠されている。

ちなみに今日の私の夢は。断片的ですがこうです。

全く見たことがない 若造が出てきた。彼は お医者さんの卵で 名前は

「ならいし むつき」という。

誰じゃ?

漢字がまた変わっていて「名 ? 石 六 鬼」。

一体私の無意識は 何を押し込めているのでせうか?

ついでにいうと ユング心理学を知ってから 自分の夢日記をつけています。

自分がどんなことをガマンしてきたのか よくわかりました。

そうするうちに だんだん 夢を見なくなっているように思います。

余談ですが 子どもは意識と無意識の境があいまいで 

いつも夢の中に生きているのと同じなのだそうです。

だから テレビの過激なシーンなどを見ると 

大人のように境のシャッターがないので 魂の深いところで傷つく。

気をつけよう。

せば!

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2007/06/02

発見!

押忍 元気っす。

ひそかに カウンターが10000を超えていましたね。

これもひとえに みなさまのおかげです。

ありがとうございます。

さて 今日 ある知人の方に 久々にお会いしました。このブログのURLを教えていなかったにもかかわらず 検索によって発見していたそうで 「いつも見てるよ!」とのこと。

び び びっくりしました(笑)。

カウンターを増やしてくださっていたのですね。

「わたしも どっちかつうと考え方がユング系だからね 今度ゆっくり話すべし。」

うれしいですね。やっぱりいるんですよ 潜在ユンギニアンが!

それと このブログの最後に付けられている

「せば!」

「じゃあね!」

“See you!”

を 使わせてもらってるから!と言っておられました。

意外なところで ファンがいるもんですな。

今度はちょっと バリエーションを増やそうかしら?

「なにど?」

「何だって?」

「What?」

とか。

そういや今日 久しぶりに「のめくる」という津軽弁を聞きました。

「つんのめる」

「のめくる」

“I picthed forward.”

てなかんじで。おもしぇーびょん。(おもしろいかもね It may be fun.)

きりがないぜー せば!

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2007/05/31

りんごを食べて精神統一

今年の4月1日から 200705301133000 弘前市の条例として 毎月5日はりんごを食べる日 というのが施行されている。

条例とは 国の法律とは別に定める自主法なのだとか。まさか

「え おたく 5日にりんご食べなかったの?!」

とは 問われまい。

ちなみにこの写真は りんご公園で 弘前市の市章「卍」をかたどった花壇を作っているところです(5/30)。

ついでに 卍とは ユング心理学でいうと 「4」を象徴するもので 4とは 物事の完結 統合といった宇宙観を示す。

たしか。←すみません

実は 実家の家紋の中に 卍が入っているのです。他にも文様が入っていますけどね。このユング心理学における意味を知った瞬間 この家に生まれるべくして生まれた気がしたものです。

それと あたしゃ~ 弘前にいるべくして いる気がするね。

統合しろ ということらしい。

たしかに 意識と無意識が分裂気味だった。

統合! とぅ

古いよね かけ声が(笑)

せば!

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2007/04/08

いまさら『ゲド戦記』 3

『ゲド戦記』では 政治腐敗や機械文明の罪を背景に 影と対決しない人間がどういう状態になるか。いかにして 一個の人間が内面と向き合って生きるかを提示しています。

いま私たちは 毎日何かしらの職についてお金を稼ぎ 家族を養ったりして生活してしている。その中で どう会社が発展するか 子どもの教育はどうするか やれ雇用の問題だ 犯罪だと さまざまな議論をしている。その生きていく葛藤を解決するために 本を読み 人に相談し あるいは宗教を信じ 気晴らしに興じ 酒を飲んだりする。

でもそれは 枝葉にすぎない。生まれてから死ぬまでの間に一人の人間がなすべきこと それはとどのつまり 善や悪などあらゆる性質をもった統一された人格である「全き人間」を目指すこと。そのこと ただ一つが問われている。それが中心にある本質だと すぐれた文学はいつも伝えているように思われます。

う~ん まとまらない。

せば!(逃げる)

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2007/04/07

いまさら『ゲド戦記』 2

<『ゲド戦記』にあるユング心理学>
あらすじは 他におまかせすることにして…おおまかにⅠは ゲドがいかにして魔法使いになり 活躍したかが描かれ Ⅱではテナーという女性との出会いと救出のエピソード Ⅲは一国の王子アレンとの物語。

先日何の気なしに「ユング」でネット検索していたところ 「岩波書店『ゲド戦記』あとがきに ユングとこの作品との接点が書かれてある」との表記を発見。数日後 奇遇にも図書館で岩波版のゲド戦記を借りることに。引用しますと

「アメリカの作家で すぐれた批評家としても知られるエリノア・キャメロンは この『影との戦い』を論ずるにあたって 心理学者ユングの説をひき ゲドを苦しめた“影”はふだんは意識されずにある私たちの負の部分であり 私たちの内にあって 私たちをそそのかして悪を行わせるもの 本能的で 残酷で 反道徳的なもの 言い換えれば 私たちの内にひそむ獣性とでも呼ぶべきものではないかといいました。」ⅠP276-7

『ゲド戦記』は ユング心理学そのもの。自分の影である不の部分 たとえば「おごり」「ねたみ」といったものに追われます。ところが こちらから影に立ち向かい それを自分の一部であることを自覚して一体化すると 「全き(まったき)人間」になるという筋書きが3部作を通して展開されます。

<世の中には 良い人と悪い人の2種類いるのか?>
ユング心理学における善悪の考え方はこうです。

「人間に「よい人」「わるい人」があるのではない。よい人は わるいところを見せていないだけである。わるい人は 無意識に行動しているだけである。つまり よいところと わるいところがあるのが 本来の人間である。」

自分の行動や性格を 遺伝 育った環境 親 などのせいにするのではなく どういう人間にも嫌な部分は備わっているものと考える。そして 自分がその悪い部分を意識し 行動を「選択する」ことによって 正邪が統合された人間になれる可能性があるという あらゆる人間に未来を開いているところが この心理学のすばらしいところです。

たとえ失敗しても 自分を責めて自己嫌悪になって終わりでもなければ 責任転嫁してほっとするのでもない。ただ良いと思ったことを 意識的に選ぶ。単純なようで 難しい作業ですな…。

<「そのままのあなたがス・テ・キ…」なのか?!>
よく「そのままのあなたでいいよ」ということを いろんなサイトや本で見かけます。そーなんです 確かにそのままのあなたもすばらしい。でも 「全き人間を目指すこと」をしないまま ただ本能的に無意識的に生きるというのとは違う。この成長過程を大人になってからもたどることこそが 次の世代を教育するために必要なことだと 臨床心理学でも言われています(角田春高『今からはじめる育て直し』)。

「全体性を持った人間を目指して生きる」ということは 昔から語り継がれている人間の叡智「神話」や「伝説」の中で 古今東西くり返し言われています。アーサー王伝説の中で展開される聖杯探求は 至高の宝である「聖杯」=「自分」を探す旅。聖杯探求は 探してる本人は達成できない「未完成」の物語ですが これは「これで自分は良いと見切ったら 成長できない」ことを指しています。

失敗もするし 完璧ではない 未完成であるあなたは すばらしい。なぜなら 完成を死ぬまで目指しているから。だから「そのままのあなたもすばらしい」。

つづく

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2007/04/06

いまさら『ゲド戦記』 1

ゲド ゲド ゲド ゲド ばーにんら~♪(明菜)

弘前市図書館ではなかなか借りられない『ゲド戦記』。去年ジブリの映画を見てから常々読みたいと思っていたのですが(買わない) 先日黒石ほるぷ図書館で借りてきました。

アーシュラ・K・ル・グウィン 清水真砂子訳『ゲド戦記Ⅰ 影との戦い』 岩波書店 1976/9/24。
『同 Ⅱ こわれた腕輪』1984/5/25。『同 Ⅲ さいはての島へ』1983/9/25。

1ヶ月かかってHarry Potter the Order of the Phoenixを半分読んでる有様なのですが。ゲドはさすが日本語 2日でⅠとⅡを読み終え Ⅲに入ってしまった。おもしぇ~よ ゲド!

そして この借りてきた本の古さを見てびっくり。アニメ化されたことで やっと日の目をみたような そんな年季の入り方でございます。

つづく

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2006/11/29

ユング『夢分析Ⅰ』

各方面からの協力により 怒涛の11月の行事が終了いたしました。みなさんどうもありがとう。かなりミラクル。

先日 道中で見かけた「田んぼにつっこんだ車」が まだ昨日もそのままだった。いいのか?!

今日はちょっとだけ ユングの『夢分析Ⅰ』から。

C・G・ユング『夢分析Ⅰ』 入江良平訳 人文書院 2001/6/15。
とても全部を取り上げることはできない!でも 今回のユングも とてもタメになりました。かいつまんでご紹介します。

<罪の役割とは 自分の影を統合することにある>

罪の意味の一切は あなたがそれを担うところにあります。もし投げ捨てることができるなら 罪が何の役に立つでしょうか。もし あなたが自分の罪をすみずみまで自覚しているなら あなたはその罪を担い それとともに生きなければなりません。それはあなた自身なのです。でないと あなたは自分の兄弟を否認することになります。それはあなたの自分の影 あなたの中の不完全な存在 あなたの後を追ってきて あなたが嫌悪する一切をやってのける存在 あなたがあまりに臆病あるいはまっとう(decent)なので あえてできないような一切のことをやってのける存在です。彼は罪を犯します。もしこの仲間が否認されると 彼は集合的無意識のほうに押しやられ そこで障害を引き起こします。なぜなら それは自然に反しているからです。あなたは自分の影と接触せねばならず「そう 君は私の兄弟で 私は君を受け入れるべきだ」と言わねばなりません。P115

影を否認するのは間違いです。もし影を否認すれば 集合的無意識からの反作用が 人格化という形で暗闇から立ち現れます。P116

たとえば『ゲド戦記』で アレンが王である父を刺し 自分の影がつきまとうようになるのは 自分の弱さを受け入れていないからだ。その状態を ユングは「人間は人間にとって狼である」つまり「人狼(werewolf)」の観念であると言っています(P116)。自分の意思とは無関係に 月を見れば 自分の中の「悪」が牙をむく。我慢しすぎたり いい人を演じすぎたりすると その反動が来て「キレる」。

「悪いことをした」という罪の意識は 自分の外側に対しての反省ではなくて 実は自分のためである。つまり 罪を犯した当事者に反省を促して更生させる のではなくて 本人が意識と無意識を統合した人格になることが目的である。このことは どんな道徳的な教えや説教よりも 説得力があることだと思います。

もし これとは反対に 罪を犯したが誰にも気づかれず 罰を受けずにすんだとします。それはラッキーなことなのでしょうか。

誰も見ていないのではなくて 私たちはいつでも「見られている」。ユングは主張しています。

キャー! この続きはまた明日! つづく


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2006/10/07

実践『カラーリング・マンダラ』

10月3日は 実家の母の誕生日でした。還暦ということで いつもよりやや気合が入り 外の食事に呼ばれました。花を買ったところ 息子Kマンが「僕が持つ!」とはりきったのでもたせたら 待ち合わせたお店の人やお客さんに大好評(笑)。子供が花束を持っていると なんか知らんけど いいんでしょうね きっと!(?) 花を買った店でも ポップキャンディーをもらったり 子供ってお得だ。わさも けん(訳:わたしにも 下さい)。

誕生日といえば 10月5日は田臥君の26歳の誕生日だった。らしい。すっかり忘れていた…。そんなことでファンといえるのかボケー!それにしても 26かよ~。こっちは○6だぞ どーだまいったか。

ともかく お誕生日おめでとう 母上&田臥君。

<今日の出会い>
20061007_1307_000
昨日