2009/10/18

読書メーター

図書館から借りていた本

トートの書
古代マヤ暦
神の図形
創造性とは何か
精神病は病気ではない

について 読書メーターに記録しました。


読書メーター ってなんぞや?とお思いのあーた。


先週サイドバーにひそかにくっつけといたんだけど

本が好きな方は どうぞそちらをご覧くださいね。

一言感想を書くようになっているこのシステム

ページがマイレージのようにたまって とても読んだ甲斐がある。

んでもって 感想を読んだひとが 気に入れば☆マークで評価してくれる。

コメントも送れるらしい。

本を読んで その本の感想をシェアして 行動に移す

これ 特に今年に入ってから いいなと実感していること

&一番やりたいと思っていることなので

とりあえず今のところ このシステムは「買い」だ。

あまりに便利すぎて

このブログに読書の感想を書かなくてもいいくらいだcoldsweats01

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2009/05/15

スタジオパークからこんにちは 榎木孝明編

Cocolog_oekaki_2009_05_15_22_19
お絵かき機能が バージョンアップした。

ワンタッチで塗りつぶしてくれる!

テキストが挿入できる!

ほんとに なんぼでも書けるじゃ~。

心なしか よっぺぎが別人に見える…


エドはるみに味を占めて

また「スタジオパークからこんにちは」に チャンネルを合わせる。

今日は榎木孝明氏。

榎木孝明といえば ず~っと前に

笑っていいともに出ていたのを見たことがあって

そのとき タモリと

「気」の話をしていたのが かなり印象的だった。

二人とも 「気」が見えるのだそうですeye

これは何かおもしろくなりそうだ思ったら大当たり 

彼の話は とても興味深いものだった。

深い話を ユーモアたっぷりに おもしろくさりげなく

人に聴く耳を持たせる達人でもあった。


彼は 旅が趣味で

インド チベットなど 宿やルートの計画をしないで

よく 1ヵ月半くらい放浪してきたのだそうだ。

40で結婚してからは 3人の子どもに恵まれ

10歳以上になったら 一人ずつを連れて行くことに。

まず長男とインドへ10日間

半日かけて 観光がてら一つ一つ宿屋を訪ね

その中から泊まる場所を決める。

ガンジス川のほとりで 死人を焼いているのを見ながら

現地の子どもたちとすっかりなじんで 泳ぐ。

いきなり都会生活から 大丈夫ですか?!

とのアナウンサーの問いかけに

「何が常識かを決めつけない方が良い。そのことを言葉では教えられない。例えば インドが貧乏で汚い と感じるのは 日本人の感覚だからであって 現地に行ってなじめば それが当たり前になる。つい上から目線で物事を見てしまいがちだが そこに住んでいる人たちは その生活で十分幸せなのだ。そんなことを実際に連れて行ってみせることで 感じてもらいたかった。」

と 言ったかと思えば

息子は普段言うことを聞いてくれないが

外国では父親だけがたよりだということを心得ていて

従順だったことに快感を覚えた とチャカしていた。

会場が一気に和む。


また彼は 古武術に長けていて

寝ている人を 片手でひょいと起き上がらせ

また 立ち上がらせることもできる。

力で起こすのではなくて 

例えばピンポン玉がはねるのを想像し

跳ね返る と思った瞬間に起こすのだとか。

目を左から右に動かす瞬間を利用してもよい というが

他の人がやってもなかなかうまくはいかない。
 
力が拮抗しているときは どう押しても動かない人を

こちらが力を抜くと どーんと跳ね飛ばしてしまう など

アナウンサー曰く「狐につままれた感じ」。


これはどう見ても「気」

「胸と胸を一本の線が結んでいると感じながら 相手を押す」

と言った言葉に

小林信也『心技体の鍛え方』に見た 武道の世界観を見る。

さすが タモリと「気が見える」と言っていただけある…


こんなことを言っていたのが特に印象的だった。

予定のない旅で出会った人に

何かおススメのところはないか と聞くと

どこそこの食堂に行くと おもしろいオヤジがいたよ 

という情報を教えてもらったりする。

そして ゆっくりと移動しながらたどり着くと

想像していたとおりのおもしろいおじさんがいて 楽しい時間を過ごす。

旅というのはそんな風に つながりがつながりを呼んで進む。 

人生も 人と人とがつながっていて

これから何が自分に起こるのか どう生きていったらいいのか

提示されているようなものである と彼は言う。

まさにこれは シンクロニシティのことを指しているに違いない。

この意味のある偶然「共時律」は いつどこでも起こっているが

忙しい生活をしている私たちは 

日々に忙殺されて気づかないことが多い とも。

本で読んだ一節を思い出す。

「『森羅万象は 無限に続く縦糸と横糸で紡がれた巨大な網のようなものだ。横糸は空間 縦糸は時間を表す。縦糸と横糸が組み合わさる場所には 必ず人がいる。人は 巨大な網の中に無数にちりばめられた水晶のビーズのようなものである。至高の存在が放つ光が一つひとつのビーズを照らし その本質を浮き上がらせる。そして光を受けたビーズはそれぞれに反射しあうだけではなく 森羅万象そのものを反射する。』―インド最古の聖典『リーグ・ヴェーダ』より―」フランク・ジョセフ『シンクロニシティ』P14

旅は 日常より大幅に時空移動をするので

シンクロニシティが起こりやすい とどっかで読んだな…

時間と空間であるところの 縦糸と横糸

そのつなぎ目つなぎ目にいる人間

そのつなぎ目を移動した旅人が体験するのがシンクロニシティだとすれば

どんどん移動して人に出会って話をし 体験を共有したいもんだ。


それにしても 

マジメなイメージの榎木氏のユーモアのセンスにびっくり。

先の古武術の紹介をしたとき

恰幅のよいアナウンサーがいとも簡単に起こされているのを

「自分で起きたんじゃないでしょうね!」

と疑う先輩アナに 氏は

「起きる腹筋があるんですか」

と冗談を言って 会場を沸かせていた。

キツイcoldsweats01

そんな彼は ムサビ出身で絵をたしなみ 美術館も持っているらしい。

いよいよ奥が深い。


テレビの機能を 「一億総白痴化」と言った人がいるとか。

確かに…。

見るものと見ないものを選びゃあいんだ。

興味あることを掘り下げて見られる番組は これからも見よ~っと。

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2009/03/18

宮沢賢治「自分たちの新しい時代を作れ」

宮沢賢治「諸君に与える言葉」

「その時代に強制され、引き入れられ、奴隷のように忍従するのではなく、自分たちの新しい時代を作れ。わけのわからない衝動から動く世界。その世界を素晴らしい、美しい世界に構成せよ。」

この言葉が ここ数日思い出される。

「わけのわからない衝動から動く世界」

宮沢賢治は この衝動がどこからくるのか知っていたはず

おそらくターシャ・チューダーも知っていたし

『星の王子さま』を書いたサン=テグジュべりも知っていた。

だから 世の中の生き方から外れた生活をしていた。


彼らは その「わけのわからない衝動から動く世界」を

名指しで批判したりはしない。

そうすることで 相手に力を与えることを知っていたからだ。

「わけのわからない衝動から動く世界」が気に入らないからといって 

声高に非難してつぶそうとするのではなく

自分がそうしないことを選ぶだけでよい とわかっていた。

「世の中には(自分の中にも)善悪が並存しているが

それを選択することだけが問われている」

スター・ウォーズもハリー・ポッターも 宮崎駿作品も

そのことを伝えようとしている。


「わけのわからない衝動から動く世界」が自分たちを

いいように支配しようとしている

わかっている人は

そのことを象徴的に表し 作品にして残す。

でも

核心をつくような言葉は 決して文章にして残したりすることはできない。

もし あからさまに誰もがわかるような言葉にしてしまうと

その本は 発禁か焚書扱いになるだろう。

集団を操り 利を独占しようとするものにとって

目覚めた者は 脅威である。

だから 読む側が必死に読み解かなければならない。


「本当に大事なことは 目に見えないんだよ」『星の王子さま』

この一節は 

現実には目に見えない「人間の精神・魂・変性意識」

といった世界だけを指すのだと思っていた。

今は この言葉が 私たちに対する警告だ と感じる。


「わけのわからない衝動から動く世界」は

私たちの目に見えない。

そして 特定するのも難しい。

世の中がそうだからといって 盲目的に従うのではなく

本当に自分が良いと信じることを実践せよ

と 聞こえる。


「「…現在におけるマトリックス、それが資本主義社会なのです。」 『「星の王子様」を哲学する』P117

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2009/03/13

よっペギ とともに

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どですかでんでん

週末は 一拍多く。

あ 

実はこの「どですかでん」は ドラムセットの音です。

「でん」はバスドラムで 最後にキメますshine


だはんで なんだっつーの と 鋭いツッコミありがとう。


パリコレで勝手にその年のモードが決められ

ステイタスシンボルとなると煽ってブランド物を買わされ

そんなに必要もない歯磨きチューブをたっぷりつけ 次々買わされ

母乳だと儲からないからといって 粉ミルクを買わされ

自宅出産だと儲からないからといって 病院で産まされ

ありとあらゆるお金が生み出されるシステムに振り回される毎日。

少子化だからたくさん産めよと

戦争になれば 産めよ増やせよと

人口が増えすぎたから 今度は一人っ子政策だよと

集団を抱えるものはいつも個を無視する。

それが 当たり前になっているように見えるから 

自分が本当にやりたいことがどうか わからなくなっている。

わたしたちは 麻痺している。

流されている情報とシステムに無意識に従って

正直に反応した人たちは 病気になる。

「この世に唯一残っている正直な人びとは精神疾患者と幼児 それに末期患者です。」

ロス「死ぬ瞬間」と臨死体験P29

そうでありながら 何が正しいか正しくないかを裁くことは

自分を裁くことになる。

人を裁くのではなく 自分が何を選ぶか それだけが問われている。

「不潔になってみなければ 不潔がどんなに大切かわからない。 清潔になってみなければ 清潔のこともわからない。不潔か清潔か どっちが正しいかじゃなくて自分が選べる ということが大切なんだ。」スポンジボブ

しかしながら

その作った者たちがうまい汁を吸うようにできているシステムの中で

彼らに良い思いをさせるために 

欲しくもない物を買ったり やりたくもないことをやらされたりせずともよい。

「私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。」村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ

「やりたいことだけをやる というのは本当にたいせつです。…そうでないと娼婦のような人生を送るはめになります。つまり なにかある理由のために生きる ほかの人のご機嫌をとるために生きるはめになります。それでは生きたことにはなりません。」ロス「死ぬ瞬間」と臨死体験P84

人にやれと言われたから

みんながやっているから

メディアが報じているから

流行っているからではなく

自分が見て体験して 本当にやりたいことがどうかを考える。

これからも 目の前のことだけにとらわれずに

高い目線から自分のすることを見てみようと思う。

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本川達雄『世界平和はナマコとともに』

「…ナマコは 目もなく 耳も鼻も舌もない 心臓もない 脳もない。脳死が死だと言うのなら ナマコは生きていないことになる。われわれに必須の器官を何ももたずに どうやってナマコは生きていけるのだろう?脳もない目も耳もない生活とは いったいどんなものなのだろうか?」P13

まだ 精読とまではいかないのですがね。

これも 上記のようなブック・レビューを読んですぐ 

「おもしろそう!」

と 直観して借りてきた。


世界平和とナマコ

これは 何かある。


科学者が書いた哲学の話が好きだ。

つねづね数学者や物理学者の哲学には 真理があると感じている。

説得力あるしな。

この本の著者である本川達雄先生は 生命理工学研究科の教授

生物をじっくり観察した上で 今後の地球の未来を洞察しようとしている。

「好きなことに大きな価値を置き 嫌いなものとは付き合わず できればそんなものは 滅ぼしてしまおうとするのが近頃の付き合い方であろう。個人と個人 個人と自然 国と国 どのレベルにおいても このような付き合い方ばかりが目につく。これはあやうい。一度じっくりナマコと付き合ってみませんか。そのような経験をもった人が増えていけば 世の中円満・世界は平和になると私は信じている。」P104

ナマコと世界平和という ミクロとマクロ(?)

個人レベルの小さな出来事が 世界を動かすという

個と群の関係を 

おもしろく わかりやすい言葉で伝えようとしている。


まず ナマコは人間に必須の器官をもたない。

どっちが口で肛門かもわからない。

再生力が強く 二つに切るとナマコは二匹になる!

自分自身で分裂して二匹になるものもいる。P62

またナマコは刺激されると 棒のように堅くなる。

さらにそれをしごくと ぐにゅぐにゅ→どろどろになり

融けて白い液体となる!!P20-21

著者は それを念のため水槽に入れておいたが

2週間ほどすると 元通りのナマコにもどったのだそうだ。

「不死身のナマコ。おまえはターミネーターだったのか!」P21

これを読むと まっさきに

D・ピート『賢者の石』にあった アメーバ粘菌の話を思い出す。

アメーバが 周囲の食物を食いつくし 環境が悪化すると

アメーバ同士がくっついて大きなナメクジ体なり

食物を求めて移動する というもの。


個体と それが集まって出来た一つのユニットでは

生物の行動は変わってくる。

個の行動ではなく 集団行動をつかさどるメカニズムがある。

人間も集団になると ときとして凶暴化して

暴徒になったり 戦争などを引き起こしたり

逆に団結して 力を合わせて何かを成し遂げたりできる。

そのことを 自然観察から知る。


余談ながら

無農薬無肥料のリンゴ「奇跡のリンゴ」で有名な 木村秋則さんが

「ひとつのものに狂えば、いつか必ず、答えに巡り合うことができるんだよ」

と言ったそうだ。

リンゴはリンゴだけで生きているのではなく

自然の中で生かされている生き物だと気がつき

人間はそのことを忘れてしまって 

人間だけで生きていると思っている とも言っている。

木村さんという人は

科学者の観察眼と 観察から生まれた哲学を持っている人だな 

と思うのだが

「一つのことに狂う」

それが ロスの「死」であろうがユングの「無意識」であろうが

ナマコやリンゴであろうが 同じ境地に行き着く

「本質は同じことで この世がどういう世界なのかを それぞれ見る角度から表しているにすぎない」

ということを示してくれる言葉だ と思う。


ちなみに ナマコワールドはまだまだ続き

人間が良いと思ってやっていることは

生物学的には逆にぜんぜん良くない「非生産的なこと」だ

という視点も紹介している。

とても興味深いのだが 長くなるので機会があればまた。


ナマコで教育改革や世界平和をもくろむ本川先生は

「寄生虫賛歌」「体色変化のうた」など

自分で作詞作曲した生物についての曲を 授業などで歌っている。

この本にも 楽譜がついています。

奥が深い方です。

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2009/03/12

スポンジボブ―どれが正しいかではなく 自分が選べる―

SpongeBob SquarePants

SpongeBob SquarePants~♪

息子が大好きな番組です。

あの、アメリカンジョークなのか ブラックユーモアなのか

よくわからない終わり方がなじめないアニメ

今日は とてもよかった。

ロスやユングと同じことを スポンジボブが言っていた。


スポンジボブは清潔好き 親友パトリック(ヒトデ)は不潔好き(?)

清潔か不潔か

きれいにしろ いや汚くしろ

しばらくの間 ここには書けないような 不潔な臭い合戦が続く。

chick


ところが なりゆきで逆に ボブが汚れて パトリックがピッカピカに。

「おかげで一日中 お風呂には入れるよ」

「こっちこそ おかげでまた最初から汚くできるよ」

お互いに相手の立場がわかり ボブは悟った。

「不潔になってみなければ 不潔がどんなに大切かわからない。

清潔になってみなければ 清潔のこともわからない。

不潔か清潔か どっちが正しいかじゃなくて

自分が選べる ということが大切なんだ。


ロスの

「戦争がむごいことだと知らなければ 平和がありがたいとは思わず

死がなければ 生きていることに感謝もしない」

と 同じやね。


ボブとパトリック 清潔対不潔戦争の背景では

昔 ビキニタウンなる場所で歴史的な戦いがあり 今日は記念日

その戦争忘れないよう再現しようと 人びと(魚介類)が集まってきたところだった。

みんなは ボブとパトリックの様子を見て

「もう戦争を再現するなんて古い」

と 解散してしまう。


そうして二人のケンカと 

昔の戦争をほじくり返すのは終わったのだった。


「どれが正しいかではなく 自分が選べる」

Thank you, Bob!coldsweats01

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2009/03/11

ロスの境地にはほど遠い

どですかでん。

また冬に逆戻りっすね。ふう…snow

冗談じゃない~by 明菜


じっくりロスりたいんですが もう年度末に突入したので

おそらくムリ。

ロスタイム…

↑意味がわからん


E・キューブラー・ロスのおもしろいところはですね

豆腐や玄米を食べて ヨガを実践しているとか

修行して神に遭った とか言っている連中を毛嫌いして

自分はタバコもコーヒーも嗜好する

まっとうな人間だと主張しながら

体外離脱体験や 宇宙意識体験をしているところだよ。

彼女は サイキックではないそうだ。

曰く

いわゆるトータル・セルフという全人格になるには

グルやババも必要ないし インドでの修行も要らない。

自分の内面と静かに対話し

自分のなかにある凶暴性であるところの「ヒットラー」を認識する。

起こった悪いことを周りのせいにしているかぎり

世の中はよくならない。

もしみなさんが世の中を癒したいのなら まずこのことを理解してください。自分自身を癒さないかぎり 世の中を癒すことはできません。誰かをぶったり 非難したり 見下したりしているかぎり ヒロシマ ナガサキ ベトナム マイダネク そしてアウシュビッツで起こったことの責任はあなたにあるのです。このことは はっきり申し上げます。(「死ぬ瞬間」と臨死体験P211)

『「死ぬ瞬間」と臨死体験』のハイライトは

この一節に凝縮されている と思う。


しかしながら ただ毎日生活し

多少の人の袖が触れ合うだけで なんと摩擦の多いことよ…

ブツブツブツ

はやぐ寝るべし。

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2009/03/09

E・キューブラー・ロス著書から―逆境が人を強くする―

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どですかでん。

↑今日が無事終わった合図


たくさんのご訪問 ありがとうございます。

今日のメッセージはこれです。


エリザベス・キューブラー・ロスの著書を読み進めておりますが

座右の書になりそうです。

彼女の著書を通して伝わるのは

逆境が人を成長させるということ。

逆境は そこから何かを学び取らなければならない という合図であり

それを誰かが肩代わりしたり 避けると

次々と それ以上の困難がふりかかることがわかる。


ただ愛情を与えてばかりで優しかった彼女の母親は

晩年に 4年間も植物状態になった上に亡くなったそうだ。

ロスは 愛情深かった母親を労しく思い

そんな状態に陥れた神を 初めは呪った。

でも それは結局母親が

愛情を受け取ることを学ぶために そうならざるを得ず

人から何かをやってもらうことを避けていたためだと気づく。

自分が脳卒中で倒れ全身麻痺になったときも

これは 働きづめで休むことをしなかった自分を

休ませるために こうなったのだと言っている。


愛情を受けることを学ぶ

リラックスすることを学ぶ

そういう学びもあるんですねえ…。


ロスは 

臨終の際にある膨大な数の患者に寄り添い

国 人種 文化背景を超えて みな同じ体験をすることを知る。

肉体を脱ぎさった魂が 等しく本源に戻るとき

この人生で何を学び成長したかが問われる。

もし学び残した場合は 来世に持ち越され

愛情を受け取ることを学ばなかった場合は

障害を持って生まれることもある とさえ言っている。

「もし私が母を安楽死させていたら きっと母はこの世にもどってきて 最初からやり直し 受け取ることを学ばなくてはならなかったでしょう。つまり 脊椎披裂などの重度の障害をもった子どもに生まれ変わらなくてはならなかったでしょう。そうしたら誰かが彼女のしもの世話をしなければならず…何から何まで面倒をみなければならなず それによって母は受け取るということを否応なしに学んだことでしょう。…人を救うことはできません。救われた人は 救ってもらったおかげで学ばずにすんだことを 結局は学びなおさなくてはならないのです。」(人生は廻る輪のようにP265)

「逆境だけが人を強くする」

「教訓を学んだとき 苦痛は消えうせる。」

(同P15-16)

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2009/03/08

E・キューブラー・ロス著書から―自分のなかのヒットラーを認識する―

Cocolog_oekaki_2009_03_08_08_50
図書館づいて また借りてくる。

一回借りると 返しにいくときにまた借りることになる。

津軽弁で言うと 借りらさるpig


と ここまで書いて 

やっぱり休みの日は 自分の時間が夜中になってしまうのだった。

hairsalonフォッフォッフォhairsalon


先日の 田口ランディ『パピヨン』つながりで

ロスの本を 借りられるだけ借りてみる。

この場合 ロスとは

ロス・インディオスでもなければ

ダイアナ・ロスでも ロスチャイルドでもなく

エリザベス・キューブラー・ロスッす

押忍rock

↑「す」しか 合ってねーし


まず 

ロス著 上野圭一訳『人生は廻る輪のように』原題The Wheel of Life

これを一気に読む。

こんな波乱万丈な人生があるのかよ と思わせられる

ロスの自伝です。

この本 ここ数年のうちに読んだ本で一番かもしれん。

ユングまで興味が来ていて 

何で今まで ロスについて知ろうとしなかったのか と思うくらい 

実に興味深い人となりと人生と研究。

ほかにも2冊 鈴木晶訳『死ぬ瞬間』原題On Death and Dying

鈴木晶訳『「死ぬ瞬間」と臨死体験』原題Death is of Vital Importance

も借りて読んでる途中。

義勇軍に参加したり

世の中に見捨てられた末期患者に付き添って話を聞いたりと

マザー・テレサを彷彿とする。

&高尾慶子さんの著書にあった はっきりした物言いを思い出して

女が自立するということは

善い悪いをはっきり主張するということだ と見せつけられる思いがする。

勝間和代のいう アサーティブかtennisそりゃ レシーブ


そして ロス本人は スイス生まれで

よくユングを見かけて 親近感を覚えていたにもかかわらず

接点をもつことを あえて避けていたとある。

「死とその過程にかんする研究で わたしがいちばん影響を受けた精神医学者は C・G・ユングだった。医学校一年生のころ チューリッヒの市外を逍遥しているその伝説的なスイス人の精神医学者を わたしはよくみかけた。…わたしはユングとのあいだに不可解なきずなを感じていた。口をきけば たちまち魔術的に気脈がつうじてしまいそうな 奇妙な親近感を抱いていた。ところが残念なことに ついに自分のほうから声をかけることはなかった。」(『人生は廻る輪のように』P110)

しかしながら書いてあることは 専門家でねーけど

かなりの部分でユング心理学に接点がある と感じられる。

まず 彼女の著書に時おり出てくる

「内なるヒットラー」という言葉に驚く。

これ まことに僭越ながら 拙ブログ2月11日付け記事

「一人ひとりが 自分の中にある「独裁者」を認識することが大事だ」

と スタインベック書簡集の中から

群衆と個における人間行動の差異について

ユングが指摘している部分を取り上げたところだった。


ユングは 講義を受けている聴衆に向かって

「ここにおられるすべてのひと、皆さんが、私の自己です」

と 言ったそうだ。

たとえば 犯罪を犯すような悪人は 

自分と全く違った存在だと 私たちは考えがちだが

そうではない とユング心理学では考える。

世の中に 良い人間と悪い人間二つの種類の人間がいるのではなく

どんな人間の中にも 善と悪が存在し

善とは 悪が単に隠れている状態である という。


その 先のスタインベックの書簡でも

「ヒットラーは ドイツにおいて集団を作ったのではなく 単にそれを解釈しただけである」

つまり ドイツにおける当時の民衆感情を敏感に感じ取って

その理想像になるべくして生まれた独裁者だ と言っている。

一人ひとりの中に 独裁者がいる というのは

そういう意味だと 私は解釈する。


マイダネックというナチスのユダヤ人収容所で

「あなたも いざとなれば残虐になれるわ」ゴルダがいった。…大声で否認したかった。…「自分がどんなに残虐になれるものかがわかったら きっとあなたは驚くでしょうね。ナチス・ドイツで育ったら あなたも平気でこんなことをする人になれるのよ。ヒトラーはわたしたち全員のなかにいるの。」(『人生は…』P91)

と ロスが現地の女性に諭されたように

あるいは

「…マイナスの感情だけがマイナスの感情を育てるのです。恐怖や罪悪感をもたずに子どもを育て その子が自分のなかからヒットラーを追い出すのを手伝ってやりさえすれば その子をマザー・テレサのような人に育てることができます。」(『「死ぬ瞬間」と臨死体験』P144)

と ロスも言っているように

善人に見える者の中にも 悪の資質が潜んでいる。

対象物は 全ての事象において表裏一体である。


戦争がむごいことだと知らなければ 平和がありがたいとは思わず

死がなければ 生きていることに感謝もしない

と ロス自身も述べているが

悪いことを知らなければ 良いこともできないという

ユング心理学の根底にある 

意識(善)と無意識(悪)の表裏一体性に通じる部分だと思う。

ロスは ユングを遠くから眺めて敬遠したというが

おそらく彼の著書や研究もよく知っていたであろうし

ロスの考えも ユングに寄り添っているように思われるのだった。


余談ながら

ロスは 精神と魂というところを超えて

臨死と死後体験に踏み込んでいくのだが

こういってはナンだが

その サイキックぶりがまたおもしろい。

これがほんとに あなたの知らない世界 だ。

それは 先の 内なるヒットラーを追い出す部分にも

関わってくるのだけど

おもしろすぎて 書ききれない ロスの著書集です。

とりあえず そんなとこッす。

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2009/03/04

セルジオ・バンバーレン『人生からの贈り物―Distant Winds』 

3月3日 ひな祭り&耳の日でしたね。

おにぎりに 

薄焼き卵とハムで着物を着せてお雛様 ノリはお内裏様

などと 慣れないことをやったら 息子に

「お雛様の腹巻」

と言われた。

( ̄◆ ̄;)子供は正直 そして残酷なものよのう…


リチャード・バック『イリュージョン』をまた借りようと思って出かけ

見つけられず これを借りた。

でも 書き方は『イリュージョン』によく似ている。

結末など くりそつです。

社会的な地位を築いたり 金を稼いだり

家族を持って養ったり…の 前にある

根本的に生きていくのに大切なことを 

物語形式にして読者に語りかける。


一生懸命働いて 家も建て 会社ではそれなりの地位につき

家族円満何ひとつ不満もない状態になった中年のある日

突如として なぜこんなことをしているんだと価値観の逆転が起こり

精神的な危機に陥るという「中年の危機 middle age crisis」が 

社会が豊かになるほど 若年化し

無気力や不登校を引き起こしている一面があるそうだ。

そんな時代の指南書というべきか。


セルジオ・バンバーレン著 渡会圭子訳『人生からの贈り物』原題 Distant Winds

夢を実現させる<ふたり>の物語。この本は、ビジネスマンにとっては心を休ませてくれる奇跡の小説であり、若者にとっては、人生の大切なことを教えてくれる上質な道案内の書でもある! 誰でも一度は、こう思うことがある。自分の人生はこのままでいいのだろうか?――主人公は、毎日仕事に追われ、心もすり減っていた。そんなとき、小さな本屋の主人と“不思議な一冊の本”に出会う。知恵がつまった本に導かれるように、彼らは「人生の真の宝物」は何かを探す旅に出るのだった……。 高収入を約束された地位を捨て、夢をかなえることを選んだ著者が描く、心の奇跡の物語。(amazon)

著者は 実際に高収入のサラリーマンだったのを脱サラして 

夢を追う生活を始めたのだそうだ。

「勇気とインスピレーションをもって夢を追い続ければ きっと実現する」

と 奥付にある。


さて 船で人生の旅にでかけた夫婦 「ゲイルと私」は

地図に乗っていない 南の孤島にたどり着き

西欧社会に一時不時着したことがある島民と こんな会話を交わす。

「あなたがたは すばらしい技術を生み出して 快適で安全な生活をおくる術を手に入れた。本来それは 人生の本当の豊かさを味わう時間を与えてくれるもののはずです。それなのにあなたがたは自由な時間を楽しもうとはせず 身を削るようにして金を稼ぎ いつも忙しく いつも足早に歩き 電車やバスを ただつぎのに間に合うようにして乗り継いでいく。人生を楽しんだり 儲からないことをしたりするなんて 時間のむだだと思っているかのようにね。」P102

「儲からないことをしたりするなんて 時間のむだ」

ああ~

また 何のためにそういうことをしているのか という問いに

大きい家 高級車 ひとめで成功していることがわかるようなもの

「それが本当に人生を意義深いものにしてくれるのか」

と 畳み掛ける。

うお~…shock

妻ゲイルが 答えのようなものを 次のように話す。

「成功を測るものさしは いろいろあるのよ。わたしたちが住んでいた世界では 家の大きさや 車の種類や 着ている服で どんな生活をしているかを判断された。でもわたしたちは突然 べつの世界に来てしまった。家や車や服が重要だったのはあの世界だけで ほかの場所ではほとんど意味はないと気がついたのよね。」P134


では どうすればよいのか。

旅の途中であった 子連れのフランス人夫婦は こう語りかける。

「選ぶことができる―そのことだ。息子は実物大の ありのままの世界を見ている。だから自分の心にも 自分自身の目で見てきたことにも確信が持てる。不思議な気がする。完璧な世界なんてあるわけないが 毎日 少しずつよくなるよう努力することはできる。この美しいニューカレドニアでの暮らしになんの不満もないけれど ときどきフランスが恋しくなるんだ。要はどちらの場所についても いいところをよく考えて 自分で選ぶということが大切なんだろう。」P177

田舎の生活が 決して楽園などではない と

釘をさしているのか。

不満のない「ユートピア」などと 

文字通り「この世に存在しない場所」だが

流されるのではなくて 自分で選ぶこと

著者の言うとおり それが大事だね。


この本の特徴として

例えばソローなどの詩篇を 要所要所に引用して

物語のセリフ一つにしても

人生のアドバイスを確実なものに裏づけしているところがある。

旅に出た夫婦は リチャード・バックの本を旅のお供にしていて

その一節が 物語の中にも引用されている。

図書館で バックの本を借りようとしてなかったもの

この本に出会うため 

と バックやこの本の著者バンバーレンなら言うかもしれない。


現代社会で 顕著に見られるようになった

「豊かさのためにあくせく働いて 病気になる」という現象は

一つの重要な示唆だ。

先のイギリスの元捕虜の話や

原爆の実験に関わったアメリカ兵の体験談などを聞くにつけ

国家や会社など「体制」の中にいるものは その豊かさを享受し

その外にいるものは システムの犠牲になっているという構図

群ではなく 個として存在することの重要さを

文学に携わるものは 形は宗教であれ 小説・詩・劇・映画であれ

当事者にわからない 隠された形「オカルト」として 残している。

それを 私たちは読み解いて実践していく必要がある。

あくせく働くという

「やりたくないことを やらされている」のはなぜなのか

立ち止まって考える必要がある と感じた。

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2009/02/26

田口ランディ『パピヨン』 さんじゃらっと

おはようごすー。

どしちゃ~?

先日の記事で 記事数1000件になっていた。

驚き。


ここ数日 本を読みまくる。

田口ランディ『パピヨン』 おもしぇがった。

エリザベス・キューブラー・ロスが見たという 

ユダヤ人収容所の壁に描かれた無数の蝶の絵を探しに出かけたが

実際には どこにも蝶の絵など無かった。

ロスが生涯研究し 臨床に携わった死の過程を追い続けている内に

酒乱で暴力を振るい続けてきた父親の介護と看取りに直面する。

最後に ロスが見た蝶とはなんだったのかに迫る というもの。

新聞の書評を見て これは と思い 読む。


田口ランディ よくぞここまで書いて下さった…。

家族の歴史と 自分と家族との葛藤

ほんとに 誰も避けて通れないことだな と。

父親と向き合うことは 自分と向き合うこと

個性化の過程を 父親の看取りをすることで成し遂げつつある

その記録の一部始終なんだけど

誰にでも今でも起こっていて体験している物語だ と感じた。


ロス、ユング、アーヴィン・ラズロー

変性意識 元型 哲学の統一理論といったことにも

さらっとだけど触れている。

パピヨン(蝶)のモチーフが 全体を通して出てくるのだけど

「死」と「蝶」の象徴がまた興味深い。

全体が「ユング」で読める。


田口ランディは 

作家にならなければ身が持たなかった ということを 

作品の中で言っているが

村上春樹や谷川俊太郎が 夢を小説や詩で表しているため

夢を見ないと言っているように

田口ランディも 作家になって本を書かなければ 

自分が生きられない部分を引き受けられない ということだろう。

だから書く。


痛くても痛いと言わない世代だと ガマンして

頑として譲らない父親との葛藤

どっかで聞いた話だな…


先日 高尾慶子を読んでいたところだが

田口ランディの本名も けい子らしい。

ラジオ徹底英会話の主人公も 2月のトピックの中ではKeiko。

実生活でも ケイコさんという方とお話して

けいこ続きなのだった。


ついでに「蝶」は 田臥くんの家の家紋らしい。

↑マニアならではの情報

何でも訊いてください。

時間があったら そのうち『パピヨン』を詳しく。

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2009/02/23

高尾慶子『イギリス人はかなしい』と『やっぱり イギリス人はおかしい』

Cocolog_oekaki_2009_02_23_07_43

金曜日の夜は ひどい天気でしたね。

雨で道路がテカテカになり

突風であおられて ツルツルとすべる。

ま 前に進めないぢゃないか!

あまりの風の強さに 笑いが。

旦那は 会社の帰りに 道路で横転している大型車を見たそうです。

週末も けっこう雪が積もりましたsnow

「これから 冬が始まるんだ」

と 思うくらいに。

ハア~。


そしたら昨日 テレビの中継で 

東京では梅が満開になっている様子がcherryblossom

ありえないcrying

言ってもしょうがないことですが

また 毎年のことですが

早く春にならんかな…


高尾慶子『イギリス人はかなしい』

同『やっぱり イギリス人はおかしい』

を読んだ。

高尾慶子 井形慶子 も一人 何とかケイコさんという

3人の「ケイコ」の本を読むと

イギリス社会の 上流階級 中流階級 労働者階級がわかる

ということだった。

2作の前に『イギリス人はおかしい』という出世作があるが

これは未読。


高尾慶子さんは 1942年生まれで 自分の親世代にあたる。

72年イギリス人音楽家と結婚 82年離婚

ロンドンで 日本人女性では唯一人のプロのハウスキーパーとして登録されている。


一口に言って 痛快な本です。

思ったことを ポンポーンと書いている。

出会ったトンチンカンな人々に

「言うべきことを言っている」というべきか。

(歯に衣着せぬ というが これがそうだな

と思っていたら

プロフィールに 同じことが書いてあった。)

たとえば

「…アメリカ人がどんなに英国に対してナイーブかわかるというもんだ。英国にはいないのに アメリカには WASPといって 胸を張っているおめでたいのがいるらしい。ホワイト アングロサクソン プロテスタントなんて 北極の白熊みたいなもんじゃないの。」『イギリス人はかなしい』P205

北極の白熊…!

アメリカはイギリスに引け目を感じている

WASPは アメリカで生き残っていくための階級差別だ

ということを ポンポーンと言ってしまう この勢いのよさ。

でも 全体を読むと 特定の国や人間に対するただの悪口ではない 

と感じられる。


『イギリス人はかなしい』

目次を見ただけでも おもしろいよ。

「日本で一番無作法なのは老人だ」

「政府がカタをつけないから若い世代まで恨まれる」

「悪意に満ちた英報道が日本では「歓迎」に化ける」

フムフム


この生活が当たり前だと思って生活しているから 全くわからないことが 

外国から日本を眺めると こう見えるのか

日本のいいところ悪いところもが見えてくるな と感じる。


私事ですが

かなり前にアメリカ人男性と話したとき

彼の父親が軍人だったという話の流れで 戦争の話になってしまった。

「戦争体験を引きずっていてもいけない 

それを超えて次の段階に進まないといけない」

と言いたかったのだが

日本人が フィリピン人に対して行ったことに対して

これから 忘れる(forget)どころか 世代を超えてどんどん憎しみが強くなる

と言われたのだった。

原爆を落とした国に そんなことは言われたくないと思ったのだけど

それは 彼もよくわかっているだろうと。

外国人と 政治と戦争の話はしない方がいい ということが頭をよぎり

悔しいながらも その場を納めたのだった。

でも 納得してはいないので 今まで悶々と火種がくすぶっていたが

高尾さんの本を読んで 

自分の中で 何か腑に落ちるところがあった。


これらの本は 著者個人の意見を率直に述べて 

体験をエピソードにしたものらしいが

確かに エッセイのように軽く読みやすいけど

世界が 理想の社会を作ろうとして戦争をした その後始末と今後の展望

が 書かれてあるし

昔からある階級社会と 今の実力主義社会

資本主義 社会主義 という国家体制から比較できる

と思う。


<戦争の後始末>

著者がイギリスで 天皇・皇后夫妻のパレードを見た というところ。

日本人に虐待された元捕虜のイギリス人と関係者が

それを妨害しようとしていた というくだりで

日本軍の元捕虜の話し相手をするボランティア(!)をしている

若い男性「東くん」とのやりとりがある。

「彼らはお金が欲しいんです。個人からの慰めよりお金が欲しいんです。ホームズさんの(ホームズ・恵子:元捕虜にボランティア活動をし 女王から勲章を受けた)個人的な好意を受け取り 許してしまったら 日本という国から慰謝料が取れない。そこで 日本人は残虐だった とがんばらねばならないんです。」
「たしかに日本陸軍は残虐なことをしたんです。でも 戦争を知らないぼくなんかから見ると 『ザ・サン』などの下層階級相手のタブロイド新聞で 日本の首相が国家の威厳も何も捨てて謝る愚をおかすくらいなら 意地でも慰謝料をと あの年齢でがんばっている元捕虜の方々にまとまったお金を渡して 早くカタをつけたほうが ずっと国家の威信のためになると思うのですがねえ……」(『イギリス人はかなしい』P30

元捕虜の方々に対して行った残虐な行為も生々しく書かれていて

想像を絶する。

しかしここでは 戦争そのものが狂気であるため 彼らが受けた仕打ちだけでなく

なぜそういう事態になったかについて話し合い解明して 相互理解もありえる

と 東くんが語ったとある。

ここを読んで そういえば従軍慰安婦のときも補償をめぐって同じことが起きた

と思い出す。


さらには 彼と同行したボランティアの仲間が

イギリスが インドやアフリカ 中国に対して行ったことについてどう思うか

と訪ねたら 

そんなことは大昔のことだと ものすごい勢いで食ってかかって怒られた。

「彼らもやったことは忘れて やられたことしか覚えていないんですよ」『イギリス人はかなしい』P30

こうなると 堂々巡りになってしまうが

とどのつまり 著者と東くんは

政治家は この問題を盾に 駆け引きを行っていて

元捕虜の過去の苦痛より 今の投資を重要視していることを指摘し

国家のために犠牲になったのは 元捕虜の人たちだと言っている。


『やっぱりイギリス人はおかしい』の方により詳しいが

さらには日本側で加害者意識を持って 戦後努力をしている永瀬先生

という方にも言及している。


<一人戦後処理を行っている 永瀬隆先生>

永瀬隆先生は 旧日本軍の憲兵隊通訳をしていた。

戦後 タイ クワイ河平和基金の設立や 慰霊などの福祉活動を続けてきた。

自分が実際に手を下していたわけはないが

捕虜軍人に対して ひどいことをした側にいた という後悔の念を強く持ち

彼らとの和解を試みる。

「笑ってこらえて」でも 数年前に放映されましたが…

私も見ました。

元捕虜との和解 と一口に言っても 一朝一夕にできることではない。

でも この方は忍耐強く続けた。

さまざまな努力をされる中で ようやく和解の兆しが見えたとき

「お腹の中から 黄色いモヤモヤっとした煙のようなものが出て行ったのが見えて その瞬間私は 『許された』と感じた」

という体験談を語っていたが

これが本当のspritual体験だ。

関わりのあった元捕虜だった方が

高齢の上病床に臥せっていて もう会うことは叶わなかった。でも

電話か何かのやりとりで 永瀬先生が

“See you next world.”

来世で会いましょう と言っていたのがとても印象的だった。


また 元捕虜軍人だったというウィリアム・ローズ氏は

次男の娘が日本人だという。

「生きて英国へ帰っても日本と日本人を絶対に許さないと思いました。まさか息子の嫁に日本人を持つとか 日本を再訪するなんて考えもしませんでしたよ。でも これでよかったと思います。墓場まで怒りをもってゆくわけに行きませんから。あれは戦争だったのだとあきらめることができました。」(『やっぱりイギリス人はおかしい』P276

forgetではなくてforgiveなのだろうか と思えてくる。

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2009/02/20

河合隼雄『縦糸横糸』―象徴的に一度死ぬ

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「愛情のおすそ分け」 ありがとうございました。
                                                                                                                                       
昨日は 一度もパソコンを開けず

No PC day 情報をシャットアウトする日にした。

+なめていた風邪が悪化したので じっとしていた。

最近気持ちが「陰」に傾きがちなので

こんなときは じたばたしないで やるべきこと

=風邪を治す&お仕事 だけに集中する。

実際 自分のことだけに集中できるという環境は

ありがたいことだ。

色々な人に助けてもらった。

できないので 手伝ってください

と 素直に言える練習をさせるために具合が悪くなった

と 解釈する。

風邪よ ありがとう

(く くるしい)


心にずっとひっかかっていることがあるんだな。

そんなときは 自分をリセットするために

一度象徴的に 死ななければならない と 

河合隼雄先生なら言うかもしれない。


先生が言うことにゃ

長い人生の中には 

学校を休みたくなる 仕事をやめたくなる  鬱 自殺したくなるなど

それまで生きがいを感じていたことに全く興味が無くなるという

今までのやり方では通らない時期が 何度かある。

その時期を乗り越えた人を目の当たりにしたことがあるが

その時 器が大きくなり 人間が一回りも二回りもでかくなるらしい。

それらの危機にあった人は 

象徴的に「死ぬ」ということを経験するのだそうだ。

「死ぬ」ことによって 新しい自分に生まれ変わる。

だから その時に本当に死んでしまっては 

人生の醍醐味が味わえず もったいない と。


「実際に死なずに 象徴的に死ぬということが大事」


そういえば 手塚治虫『ブッダ』にも

「一度死になさい!」

と 犯罪者として後悔している人間に

ブッダが叫ぶシーンがあったな。


河合隼雄『縦糸横糸』を あっという間に読む。

おやじ狩り 援助交際 子育て 個人主義時代 米・銃乱射事件 JCO臨界事故 介護保険法

などなど 1996-2003までに起きた出来事について

河合先生の視点で問題提起をしている。

普通 これらについて書いたものを読むと

犯罪の低年齢化など 問題点をただ叩いて嘆いて終わるか

この先どうなるのかといった不安をあおるような書き方が多い。

でもこの本は そんな社会でも 一人ひとりがどういった心持で過ごすか

外側で起きている出来事に反応するのではなくて

内なる平和をどう築くか ということを語っている。


いろいろと気になる箇所があって 例によって本が付箋だらけになったが

特に 現代人の姿を こんな風に表しているところがひっかかる。

「外からのはたらきかけを待つというと 何か他に心を配っているようだがさにあらず ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。」
「常に外とのつながりを求めつつ自己中心的である姿は 自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく態度とは全くの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ まずさは その根本に自分の内面とのつながりの無さ ということがある。自分自身が切れてしまっている。自分の内界と切れてしまっているので 何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。」P244

内界が切れたもの同士の姿を 河合先生は 

「根が切れた木が 互いに枝を絡み合わせることによって やっと立っているのに似ている」

と言っている。

時には テレビや携帯電話を禁止する週間を設けて 

自分やお互いに向き合う時間や空間をもてばよいとのこと。


ということもあり 実際に昨日一日 パソコンを開けないでいたが

ちょっと辛抱がいった。

テレビはぜんぜん見なくても平気なんだが

おそらく ブログに依存しているところがあるのかもしれない。

ブログのやり方について 少し考えようかと思う。


今までやっていたことをやめてみる

今までだめだと思っていたことをやってみる

一度(象徴的に)死なせていただきます。

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2009/02/16

白洲次郎『プリンシプルのない日本』―外国を知れ―

ごめんね ジロー♪

白洲次郎 おもしろい。

1.世界はどんどん狭くなっている。その内に 外国という意識もなくなれば 戦争もなくなるかもしれない。しかし 一度戦争が起きたら一気に全滅になる。お互いをよく知り合わないと 科学の進歩に間に合わない。もっと外国を知ろうという意欲を起こせ。P157

2.「何時でも本当のことを言うべし。」弱肉強食は世の常だが 結局押さえつけられるとしても その前に言うことだけは言わなくてはならない。P137

ということを 一貫して言っている。

プリンシプルについては

「プリンシプルはなんと訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。日本も ますます国際社会の一員となり 我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人と付き合うには すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級などは 総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたきこまれたものらしい。小林英雄が教えてくれたが この教育は朱子学の影響によるものとのことである。残念ながら我々日本人の日常は プリンシプル不在の言動の連続であるように思われる。」P217

急激な欧米化によって 行動指針がなくなった日本人。

だからこれからどうする?ということなんだが

白洲次郎が これらの記事を文芸春秋に投稿した50~60年代から

今も同じことを問われているんだな…

「日本も明治維新前までの武士階級などは 総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたきこまれた」

という一節を読むと

ちょっと前に流行った 藤原正彦『国家の品格』を思い出すよね。

武士道精神の復活。

これと 新渡戸稲造『武士道』も同じ時期に読むが 覚えていない。

sweat02


白洲次郎の本には

自分たちが生まれる前の 「戦後」と言われた時期の日本のことが書いてある。

「占領ボケから立ち直れ」とか

「借り物民主主義から脱却しよう」など。

小熊英二『日本という国』(よりみちパン!セ)

お得意のジュニア向けの本ですが

3年位前に読んでそれっきり… 自分にありがちdog

これを読んで 復習でもするか。


いま変換が 「復讐」になった。

普段こっちを使っているらしい。


小熊英二『日本という国』 目次

第1部 明治の日本のはじまり

    第1章 なんで学校に行かなくちゃいけないの

    第2章 「侵略される国」から「侵略する国」へ

    第3章 学歴社会ができるまで

第2部 戦後日本の道のりと現代

    第4章 戦争がもたらした惨禍

    第5章 占領改革と憲法
  
    第6章 アメリカの<家来>になった日本

    第7章 これからの日本は


「外国を知ろうとする意欲を起こす」

これは 自分がやっていることの裏づけをしてくれた

と 心強い。

同時に読んでいる本の著者 河合隼雄は

人種を超えて 私たちの無意識が根底でつながっているという

ユング心理学の分析家だったが

その集合無意識の存在は 

外国を知ろうとすることは 自分たちを知ることにつながる一端を示すね。

「外国を知る」が 自分のテーマのように感じてくる単純な人間です。


これも3年位前の話だが

4年3か月かけて自転車で世界1周をした 坂本達さんの講演会に行ったことがあった。

生活の安定か 夢か で揺れ動いた時期もあったが

自転車レースに出たり コツコツと準備をして

結局 人生の賭けに出て 世界1周に踏み出した ということだった。

その時 自分も英語で身を立てようとしている時で 

著書にサインをしてもらう際に

「今日のお話を聞けて心強く思った」と 伝えると

坂本さんがどういうつもりで言ったのかは知らないが

「いや~ 国際交流向きの顔をしていらっしゃいますよ!」

と 元気よく言ってくれたのだった。

どういう顔だろうか…japanesetea

でもまあ その一言が 

今の自分を支えてくれる1つの要因になっています。


達さん おかげで元気でがんばっています。

ありがたや~

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2009/02/13

田舎モノの戯言

子供が風邪ひいて 学校を休んでおった。

祝日に遊んで 登校日に休んでって…


病院に行って 待合室の本棚から

丸谷馨『ようこそフランス料理の街へ』をめくる。

弘前市内のフランス料理店を紹介したこの本に

おととしの暮れに伺った「ぐるめさわだ」が載っている。

そしたら夕刊に 小島一郎展の初日に 

沢田サタさんが見えていた との記事。

小島一郎 写真… どこかできいたような

でもわからず ずっとなんだったっけ なんだったっけと思ってきて

あ そうか 沢田教一が勤めていた店が 小島写真機店だった

と やっと気がつく。

「もやっとdespair」 が 「スッキリhappy02」にshine


小島写真機店をルーツに写真の道に分け入った二人。だが 小島は北海道取材の後 体調を崩し急逝。沢田は戦火が拡大したカンボジアで銃弾に倒れた。小島一郎三十九歳 沢田教一三十四歳。短すぎる生涯だった。

照明を落とした会場でベンチに腰を下ろし ほおを寄せ合うように話しこんでいた弘子さんとサタさん(※)。回顧展を見終え同じベンチに座っていると 二人がどんな会話を交わしていたのか ふと知りたくなった。(東奥日報夕刊2009/2/12)

(※小島一郎氏の奥様と 沢田教一氏の奥様)


チェ・ゲバラ 小島一郎 太宰治など 

39歳で亡くなっている人物について よく見聞きする。

近々39になる身として 気の引き締まる思い。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

ずっと前の話ですが

全国各地から集めた選りすぐりのトマトの専門店

というのが 雑誌で紹介されていたのを見ました。

青山(他にもある)にできたという高級トマト専門店

形も色も様々なトマトがショーケースにズラ~リ 

うやうやしく鎮座している。

田舎モノには この光景が非常に奇異に映る。

土があれば 家庭用に無農薬で元気なトマトが育って食べられる。

親戚の畑では 収穫し切れなくて そのまま生らせっぱなし

タダでいいから 持っていけというぐらいなのです。

『となりのトトロ』でサツキが

「おばあちゃんの畑って 宝の山みたい」

というシーンがあるが

それは 金がないと思われがちな田舎の

本当の豊かさを示しているようにも感じる。


都会とは 極度に脳化した世界だと言われるが

何でもお金で得るシステムになっていて

細かい一つ一つに 余計な金を払わされている。

手の込んだ調理 セレブな雰囲気 3つ星の店という頭の中の満足

新鮮で真においしい素材なら 

どこぞの高級店でいくらした ということをわざわざ言わなくても

食べればわかる。

どこの会社の 肩書きは何で 何大学出身の と言わなくても

この瞬間の行動を見れば 一目瞭然。


いやいや お金がある人は 買えばよい。

単なるヒガミです coldsweats01

生産者も 現金収入になるしな。


ただ

人がつくった価値観を買うよりも 作る過程も楽しめ 収穫もできると

お財布にも環境にもやさしい…

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2009/02/11

2009弘前雪燈籠祭り そして

200902111420000
息子殿が行こうというので。

おととしの今日 やはり雪燈籠祭りに行ったらしい。

写真があるでのう。

今年は(も?)雪が少なくて 土が見えていた。

これでは 遠方から来たお客さんはがっかりだ。

天候は仕方ないのかもしれないが…

200902111346000
お約束の チューブですべり台。

一回やっただけで 息子殿は早くも退散。

最初からジャンボフランクフルトに目を奪われ 食べる。

昼ご飯を食べてきたばっかりだというのに ご満悦。


すべり台も楽しいんですが

メイン会場入り口ふきんの坂にあった「八甲田丸」なる船

これ 子供たちに大人気だったよ。

雪像を黙って見るより

みんな 登ったり体験できるものが好きなんだ。

ぜひ メイン会場にこれを!


昨日だったか 本屋に行ったら

白洲次郎『プリンシプルのない日本』という本と目が合い

「プリンシプルのない」という言葉に 「あ」

あの 白いTシャツにジーパンで イカした格好

気になる。

さっき NHKで白洲次郎のドラマが入ると宣伝が。

いま私は 白洲次郎の風。

まず1回目は 2月28日(土) 9時から。

NHKのホームページによると 

英国仕込みの紳士道をプリンシプルと呼び、日本で初めてジーンズを履き、近年「日本一カッコいい男」と呼ばれ、注目を浴びている真のリベラリスト白洲次郎。

辞典には principle  信条 主義とあるね。


& ちょっと前に 手塚治虫『ブッダ』を読んだせいか

本屋に行くたび 『アドルフに告ぐ』と目が合う。

「アドルフ」とは ただならぬタイトルだなと

ヒットラーに 何を告げるのか?

3月には トム・クルーズ『ワルキューレ

“Mamma Mia!”の前に予告が入り これもヒットラーつながり

国のためではなく 良心のために戦うとして

ヒットラー暗殺計画「ワルキューレ」を遂行するという話

良心のために戦う これも一つのprincipleじゃなかろうか?


「集団は 月が近づいたとき 世界の飢餓の記憶など 独自の記憶を持っている。集団そのものの歴史の記憶 たとえば 破壊 戦争 移民 憎悪 恐怖の感情 これらは 関係しあっている。P79-80

宗教とは 集団感情であり これは教会の神父たちによってはっきりと理解されている。…群衆とは 単純に集団であるが 人間単位の性質によって群衆の性質を判断しようとすると 人間を細胞単位の研究によって理解しようとするのと同じくらい確実に失敗する。

戦争の間 われわれはおそらく世界の歴史における最大の集団を抱えた。もしわれわれが より大きな単位の研究を捧げることができれば 集団行動の可能性を判断し 集団の変わりやすい性質を予測できるだろう。

フン族によるヨーロッパ侵略について 人間単位には説明をつけられない。フン族は 一夜にして破壊集団と化し 別の世代には再び羊飼いになったが タタール人に侵略された。我々は マヤ族が突然移動したわけを 人間単位の中に見つけられない。アッティラやチンギス・ハーンも同様に移動したというが 彼らは単に運動の代弁者だっただけである。ヒットラーは ドイツにおいて集団を作ったのではなく 単にそれを解釈しただけである

さて 人間単位の無意識には キーとなっているメカニズムがある。ユングはそれを第三者と呼ぶ。それは 集団のてっぺんに挿入された差込みであり その時人間は 集団における個単位のアイデンティティを失う。」P80(Steinbeck A Life in Letters)


Hitler did not create the present phalanx in Germany, he merely interprets it.P80

ヒットラーは ドイツで集団を作ったのではなく  単に集団(感情)を解釈しただけ

それが あの出来事の引金になった と。

つまり 一人ひとりが 自分の中にある「独裁者」を認識することが大事だ

みんながやっているから 命令されたから ではなくて

本当に自分がやりたいことかどうかを考えろと

それが principleか?


4月には 県立美術館で「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展

とても楽しみです。

半径50キロ圏内で 大いに楽しむ…

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2009/01/30

再読 手塚治虫『ブッダ』

Cocolog_oekaki_2009_01_29_20_02
手作りのチーズケーキをいただきました。

とてもおいしゅうございました。

ありがとうございました。

しかも おそらく旦那と息子と私にということで 3切れあったのですが

ほんとに2・3口でパクッと 一切れずつ 食べてもうた。

(言い訳すると 一口サイズだったので…)

今 「写真とって ブログに載せるんだった」と 気づいたりして

チャンチャン 


なんだか知らないけど 

その日は 授業中にだんだん疲労感が増してきて 口が回らなくなり

No.3(Number three)というべきところを

「なんばーしりー」だったか「そりー」だったか

いぱだすけだいいがだしてまった。

↑煙にまく

何とか最後まで終わらせるものの 

終わった後 このまま寒い夜に歩いて帰れそうにない…と

みんなで食べるはずのそのチーズケーキをむしゃむしゃとほおばり 

エネルギーを得て 無事帰る。

…ごめんよ みんな。

黙ってよっと。coldsweats01


ここ2・3日で 手塚治虫『ブッダ』12巻を読み返す。

10年位前に読んだときとは 感じが違う。

『ブッダ』には 親子のつながりを感じさせるエピソードが多く

身につまされる。


なぜ身分があって その身分を作った人間が苦しむのか

という問いかけには

王と奴隷出身の侍女との間に生まれた王子の話を。

王子が自分の出生の秘密について苦悩し

面子を保つため 母親をむごたらしい死に追いやらねばならなくなる。

誰もいなくなったところで 自分のした仕打ちと身の上を呪い

母親の亡骸にしがみついて 懺悔するシーン

ふとんの中で読んで泣く…crying


他には 人は死んだらどうなるのか 

死ぬまでどうやって生きたらよいのか という問いかけには

20年後に息子に殺されるという予言をされた王の話が語られる。

また 殺人という大罪を犯してきた人間が その先どう生きればよいのか

など など。


ブラフマン(梵天)と悟りを開く前のブッダ(シッダルタ)とのやりとりで

ブラフマンはこう話す。

「宇宙というのはな 大きな大きな生命なんじゃ。宇宙という大きな生命のもとから無数の生命のかけらが生まれ この世界のありとあらゆるものに生命をふきこんでおる……だから虫でもゾウでも人間でも花でもみんなもともと同じ仲間じゃ。」

「生命には形がない。もちろん上も下も 左右もない そして 過去もいまも未来も関係ない…これを見ればわかるじゃろう?」(6巻P96-7)


命とは 宇宙(神)とは 

マジメな話を 時にはユーモアにあふれる絵と 

興味深いエピソードでぐいぐいひっぱる。

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2009/01/27

『チルチンびと 薪ストーブカタログ』

200901261152000
暖炉がある生活 いいですねえ。

これは 鰐comeにある暖炉。

お客さんが 「え 本物の火?」

てな感じで しげしげと見つめていきます。

キャンプをしたときに みんなで

焚き火セットで延々と薪を燃やしていたことを思い出す。

元上司で 会社のゴミを焼くのが すごーく好きな方もいました。

火が燃えているのを見るのが好きだ とか言って

なぜ でしょうねえ。

火を見ると チーズや餅 パンでもなんでも焼きたくなる。


チルチンびと 2009年1月号(52号)は

「薪ストーブカタログ」でした。

以前 本屋で見かけて

「あ これは欲しい」

と思いつつ 本を買いすぎているので 自重した。

そしたらやっぱり 買っちまった。


実際に 薪ストーブを使って生活している一般の方や

薪ストーブ料理なんかも紹介されています。

暖炉販売の代理店が運営する

暖炉のあるカフェ メイプルガーデンも載ってます。

ステキだねえ~。


弘前にも 薪ストーブの店があるんですよ。

前から気になっていた建物 一体何屋?

そしたら 材木屋さんのストーブ部門だった。

かさい材木店 薪ストーブ事業部

行ってませんが 気になる店です。


前に「チルチンびと2008年5月号(48号)小さな木の家」

てのも買いましたが

自分の中では

「小さな木の家に暖炉」

これかと存じます。

立派できっちり整っている 新しい家ももちろんいいんですが

個人的に 未完成なところも残っていて

まだご夫婦が DIYで作っているよ

壁も自分で 珪藻土を塗っちゃうよ

てな感じの 温かい家が好きです。

庭には畑があって

わらはんどが わらわらと遊びながら

お母さんが傍らで野菜を作る というような。

軌道修正を迫られるような 想像図ですが…


食べ物が作れれば 究極的には喰っていける

そんなことを 旦那と話す。

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2009/01/15

『English Zone―新アメリカを担うリーダーのスピーチ』から 今年の目標

Cocolog_oekaki_2009_01_15_07_58
なんでも オバマさんのスピーチ本が売れているそうで

それを買った人は

彼の演説を聴くと 勇気がわいてくる

と思ったのだとか。

そりゃぜひ聴いてみたい

と ミーハーな自分は考えた。

よくも悪くも アメリカというものに 興味が尽きない。


どーれどれ と思って 宮脇書店へ。

オバマ本が けっこうある。

CNN English Express編 生声CD付き [対訳] オバマ演説集 (単行本)

というのを目指していったのだが

見つけられないので English Zoneを。


とりあえず 1回聴いてみたが…

この演説は 勝利宣言時のものだが

「大統領選に立候補してからはますます時間が取れなくなり スピーチの原稿は主に20代後半から20代前半の若手からなるスピーチライターのチームの助けを借りて用意していた。」P23

全部自分で考えたものじゃない ということです。

だいたい 演説する人はそうかもしれない。

勇気はまだわいてこない。


オバマさんは 初の黒人大統領ということで注目されているけど

実は「ケニアからの留学生の黒人男性と カンザス州出身の白人女性の間に生まれ」た。P23

系統が黒人奴隷ではなく 話す英語も白人の話す英語と同じだ

というところが ポイントなのだそうです。


私たちには ピンとこないところだが

黒人と白人の間に生まれた者はmulatto

mulattoと白人の混血はquadroon

quadroonと白人の混血をoctoroonと呼び

純血の白人とは 区別されている。

隔世遺伝により 突然黒人の肌の色が何代目かに出ると

昔は修道院に入れて 家系にいないものにした

ということもあったらしい。

そういう意味で オバマさんが大統領に選ばれたというのは

意義深いんだな と 考えてみる。


アメリカは 欧州の一部という側面を持っているらしいね。

貴族社会からの脱却を目指して

勤勉と蓄財で立身できるという 希望と理想を持って建国された。

人類が2000年かけて築いてきたこと

つまり 言語の獲得から 農業・最先端の科学まで 

移植して350年足らずという脅威のスピードでやってきた。


解放の論理が行き過ぎて 今この不況(途中かなり省略)

これから日本はどうすんのと

そんで一地方の末端の人間は どうすんのと 思うわけです。

広告一つ出すにも 身銭を切るわけですから

そこは よくよく考えます。


とりあえず アイスランドの顛末を見ても

お金がお金を生む とか

「楽して儲けよう」ということは 今後うまく働くなるだろうと。

専門家ではないので よくわからんがね。

小市民は 給料を稼ぐ

これしかないでしょう。

そういう当たり前のことを アメリカ経由でやっと納得した次第です。

疲れる…


これからは おそらくブータン指向

国民総生産より国民総幸福

ジェームス・レッドフィールド『人生を変える力』に登場する

ヒマラヤのシャングリラ(理想郷)

願えば叶う「通貨のない世界」に向かうのがよい。

国民総生産<国民総幸福=

お金を稼ぐことと 日々の小さな喜びのバランスをとる

「子どもが小さい内は 一緒にいるのも自分の役目」

それが オバマスピーチから学んだことですdash

“Yes, we can. ”←とってつけてみる


以上 テレビからのにわか知識満載でお送りしました。

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2009/01/11

勝間和代『起きていることはすべて正しい』

Cocolog_oekaki_2009_01_09_23_18
正月の間に 勝間和代さんがテレビに出ていたのを偶然見た。

その時 現在の日本経済と社会状況を

「今起きていることは すべて起こるべくして起こっている」

と まず受け入れて これからどうするかを論じていた。

それが 実にわかりやすく爽快だった。

誰が悪い どしてこんな世の中になったと嘆いてどうする。

そしたら 同じようなタイトルで本を出していたので つい立ち読みし 

ぐいぐい引き込まれる。


収入の多い少ないは別としてsweat02 

自分のやっていることは 人生初の「自営業」であり 

これまでのように 会社に行けばお金がもらえる給与所得者とは違う。

ここ数年の目標は 英語の技術に加え「ビジネス感覚」をつけること

これがなかなかどうして 難しいthink

つまり 広告・宣伝・営業の仕方 

あるいは経営者としての力量を上げる方法など

今まで全くやることのなかった分野がたくさんあり

自然とそういう情報に体が向くのだった。

「もっと英語力をつける+経営術を学ぶ」

これ2009年も目標 がんばりマッス。


勝間和代『起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術―』 ダイヤモンド社 2008年12月19日。


今 たくさんの精神世界 スピリチュアル 心理学 宗教

の 本が出回っているけど

それを実際に 日常生活にどう活かすのか

人生にどう役立てたらよいのかは 本人に任されている。

当たり前といえば 当たり前ですが…

この本は セレンディピティ 神経言語プログラミング

といった用語も出てくるが

女性が家庭を持ちながら いかに仕事をこなし 

しかも人間性をも高めていくかを

資産 技術 人間関係 決断などの方法によって説明するという

自己啓発の分野に入るので

スピ+現実感覚があって 興味もわくし わかりやすい。


まだ読んでる途中だけど 目をひいたのが

「特に 結婚・育児・家事では 自分でコントロールできない人たち すなわち配偶者や子どもたちと いかに生活を一にして調和するか ということを学ぶことができます。仕事だったら利害関係とか その他の関係があってわかりやすいのですが 家族は生活がすべて一緒で逃げられないのです。(P52)」

そのとーりだね…crying

逃げられない関係「家族」の中で 上手に関係性を築いていくと

成功体験がたくさん起きていく(同)のだとか。

家族は小さな社会 というわけだね。


著者は 学生結婚をしていて

大学在学中の21歳に出産 現在その長女が高校3年生

全部で3人の娘さんがいる。

自分より1つ年長なだけで 高校3年生の子供がいることに

まずビックリ

プロフィールを見ただけも 

仕事と家庭での その出来事の密度の濃さに圧倒される。


「運をつかむ勝間式4つの技術」

と副題にもなっている技術を

実在の他会社 読んだ本 勤めた会社での経験など

豊富でわかりやすい情報を元に紹介していく。

読者はその技術を元に 一つずつステップを踏んでいくわけだが

そのステップの中に 「アサーティブな振舞いを身につける」とある。

「Assertive…Having or showing a confident and forceful personality

自信があり 説得力ある人柄の印象を持っていること または示すこと」

「アサーティブな振舞い」とは「相手も自分も大事にする自己表現の技術」P303

「…アサーティブの技術を私は『気持ちのよい自己表現』と呼び変えていますが 相手をたたきのめさずに 中長期的な関係を築き 自分の言いたいことを言いながらも また握手できる関係といったイメージ」P308

これはコヴィー『7つの習慣』にあった 

相手も自分も勝つ win-winの法則ではないかー

この どちらにとっても有利な交渉 というのは

普段 自分の子どもと接していても 大いに役立つ。

お母さんはHOME WORKSを見たいが 子どもは中三のオモチャを見たい

というときなんか もうassertiveなしにはできない芸当。

特にこの長期の休みには アサーティブしまくりです。

なんじゃそりゃ

しかし 実際に仕事でも 結婚や同居生活でも 

お互いにとっていい方法を探るというのは 一番必要だな。


勝間さんはとにかく 

今私たちを取り巻いている環境は

大事なこととそうでないことが混ぜこぜの状態であるが

たった1%の本質を見抜き やり通すために

必要のないことはやらない はっきり断ることが必要だ と言う。

それを「捨てる」と表現しているが

この見切りをつけることの大切さを 一貫して主張している。

それを傲慢に見せないだけの魅力を持った人間にもならなくてはいけない

と言っているところがミソ。

ヒエーッshock

このサジ加減は 難しいよね。

能率一辺倒では 人は育たない ということか。


でも 勝間さんの イイことはイイ ダメなものはダメという

ハッキリと歯切れのいい書き方が気持ちよい。

しばらく読みすすめることにしよう。

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2009/01/09

『ハートで感じる英文法』

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大西泰斗 ポール・マクベイ『ハートで感じる英文法』 NHK出版 2008年2月10日。

NHK3ヶ月トピック英会話 という番組があるが

ときどき見ている。

ハートで感じる とはよく言ったもので 説明がましくない。


番組から生まれたこの本 とても変わっている。

まず 口語体に近い文体で書かれていて 親しみやすい。

感覚的に英語を捉えようとしていて 絵・写真つきで一目瞭然。

例えばP171で さまざまな「見る」という単語を紹介しているが

一口に「見る」と言っても 

gaze, stare, glance, glimpse, peep, peer, eye, spot, glare

と言ったモノがずら~り

それを 著者の一人マクベイさんの顔写真入りで 

どういう「見方」をするのかを説明。

ここ たんげもおもしぇーよ。

glare―怒りに燃えて 睨みつける では

写真の顔に annoyマークが描かれていたり

peep 覗き見する では

ブラインドから チラッと目だけがのぞいていたりと わかりやすい。

ユーモアに富んでいる。


その他 on, above, overの違い a(n), theの違いなど

自分たちが学校で習った文法とは ちょっと違った切り口で説明している。

よく言われることだけど

自分が知っていれば 人に説明したり教えられるかというと 違う。

この本は きっと役に立つ。

頼りにしているぜ~

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2008/12/18

よゆーです

Cocolog_oekaki_2008_12_18_20_27
息子作「まるぼ」


たかどのほうこ『へんてこもりにいこうよ』に出てくるキャラクターで

仲良し4人組が動物しりとりをしていたところ

「ま」のつく動物が思い当たらず 

苦しまぎれに「まるぼ」と言ったところ

こんなへんてこな動物が本当に現れたという。

やかんのような形をしています。


上手だねえ 上手だねえ

と親バカになって褒め 保存しておく。


ただこの 『へんてこもりにいこうよ』

いいんだけどさ

いつもと違った場所から森に入ったら

異界へ紛れ込んだ という

ちょっとどこかで聞いたことがあるような

2番煎じ的なイメージがぬぐえない絵本。

飽くまでも 自分の感想に過ぎませんが…

素直に物語を楽しめよ。


みなさん いかがお過ごしですか。

年末なんで 目の前の仕事を淡々とこなしております。

何も考えず 次々と 淡々と。

ああ余裕だなあ~。

気持ちにもお金にも時間にも 全て余裕だわ。

sweat02

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2008/12/13

イハレカアラ・ヒューレン 櫻庭雅文『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』

200812131340000ゆーきーの降るまーちをー 

わわわわーnote

弘前公園の外堀で 枯れ木残らず花が咲くcherryblossom

久々で びっくらこいた。


今日は サンタクロースになりまして

方々に買出しに行っておりました。

手に入れたかった「ブツ」のサイズが売り切れていて

(ブーツではありません)

もしやと思い 違う店に行ったらまだ残っていたのだった。

shineかなりツイテるねfuji

サンタの面目躍如。


本を読んだよ。

ちょっと 普通の人が読むと ?となる本。

イハレカアラ・ヒューレン 櫻庭雅文『みんなが幸せになるホ・オポノポノ』徳間書店 2008年11月25日。

第1章「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています」たったそれだけの言葉で、誰にでも、いますぐに、ホ・オポノポノの奇跡が起こる!過去の記憶をクリーニングしてゼロの地点に立つことができれば、あらゆる問題は自然に解決される。自由で、豊かな人生を約束するホ・オポノポノのすべてがここに。「BOOK」データベースより

第1章 思うように生きられないのは過去の記憶が原因だった

第2章 本当の人生を取り戻して自由に 豊かに 幸せに生きる

第3章 潜在意識をクリーニングしてあるがままに生きる方法

第4章 人類がこれまで背負ってきた悩みはすべて解消できる

付 録 ホ・オポノポノで開いた素晴らしい人生の扉


これも先のピカソと横尾忠則談義と同様

かつては宗教がやっていたことを

今は科学がやっていることを 別の角度から言い表そうとしている

のか?

ざーっと読んだところをば一つ。


人生がうまくいかないのは

自分の潜在意識にある記憶によって あるいは

これまでの祖先の記憶(地球の記憶も含む)に

私たちの行動が影響されているため。

そういう「思い込み」のようなものを クリアにすることから始める。


しかし

ブルーのボトルに入った水を太陽に当てて飲む

など いろいろな飲食に関する情報や

呼吸法といった いろいろなクリーニングの方法が書かれているのだけど

なぜ ブルーのボトルで太陽に当てなければならないのか

という裏づけが全くない。

突然それが出てきて とにかくそれがよい と。

こういう書き方は 好きではない。

『水は答えを知っている』が エセ科学だとして叩かれていたが

そうなりかねない。


<相手に問題がある と思っている自分の思い込みを消す>

ただ 全部理解できないけど 大事なことが書かれていると感じる。

教育長 医科大学学長 精神科医 などを経てきた著者(ヒューレン)は

犯罪を犯した精神障害者施設に赴いた体験を 次のように語る。

「私はひたすらクリーニングをしつづけましたが 誰も治したり癒したりはしていません。ここが大切なところです。私の中にある記憶を手放しただけなのです。」P38

何かを施すのではなく 

精神に異常をきたし 犯罪を犯した者に対する自分の思い込みを消す。

「ホ・オポノポノは 自分の潜在意識の記憶を消去して本当の自由を手に入れ 本来の姿 あり方をを取り戻す方法です。これは 誰か別の人の悩みや苦しみを解決する場合も同じです。あくまでも 自分自身の中の記憶を消去するのです。」P66

相談やセラピーをする場合も

「相談しに来る相手の中に問題があると思って対処しているかぎり 真の問題解決は望めません。」P67

というところが とても興味深い。

ふつうセラピストは患者の悩みに対するアドバイスをするが

ホ・オポノポノでは 悩みの内容をいっさい聞く必要がないらしい。

…。

この辺は 読んですぐ納得できる内容でもないので 

実行して経験するしかない。


<「誰か」ではなく 「自分」のことを為す>

世の中には anybody everybody somebody nobodyという4種類の人間がいる。

必ずやらなくてはならない大切な仕事があったとすると

その仕事は誰でも(anybody)できるから 誰か(somebody)がやるだろうと思い

誰も(nobody)やらなかった。

みんな(everybody)誰かがやってくれると思っていた。

つまり どこかで100%自分の責任だと考える人がいなければ

問題は何ひとつ解決しない。

何か問題が起きると 国や政治や 「あいつのせい」など 

自分には責任のない言い方をするが 違う 

さまざまな失敗や過ち 病気や事故も こうやって起きている 

と言っている。P39


このことは 著者が初めて語っていることではないね。

養老孟司が「問題は外にあるのではなく あんたの問題だ!」と一喝するのも

Lord of the Ringsで 小さなホビットのフロドが世界を救えたのも

哲学者 物理学者 音楽家であるアーヴィン・ラズローが 

小さな蝶の羽ばたきが 

地球の裏側に到達する頃には台風にまでになるという「バタフライ効果」をあげて

私たち一人ひとりが行動することが大事だ と諭すのも

小さな存在の一人ひとりが 自分の仕事を全うすることによって

物事が成就することを示しているからだろう。

「しかし私は 多くの人たちに この世で起きていることは100パーセント自分の責任だということを伝えなければならないと思っています。みんな 原因は外にあると思っていますが すべての原因は自分の中にあるのです。」P162-3

養老先生ぽい。


<自分をゼロの状態にするということ>

また

「インスピレーションを受けているときというのは ゼロの状態です。記憶は知識をもたらし それによって欲求が出てきたり行動を起こしたりしますが インスピレーションを受けているときは考えずに自然に行動します。」P171

という部分は

先の横尾忠則が『深い河をさぐる』で言っていた

「頭で考えないようにして描いているときは 交信している状態で

彼らの波動が 横尾忠則の身体を通して 絵に表現されていく。

エゴがなく 直観だけで描くと どんどん描ける。」

と通じるね。

「こうしなければ ああしなければ」という状態は

それまでの経験や知恵といった「記憶」に左右されているということだからね。


全体を通じて主張している「全部を自分の問題だとして捉える」

ということが 

具体的に何かをするというよりも 自分をゼロにする

というところがポイントだと思う。


<「無」 「真空」 「ゼロ」>
先のラズロー博士は「無」に関連して こう言っている

The field of cosmic consciousness they experience is a cosmic emptiness-a void. Yet, paradoxically it is also an essential fullness. Although it does not feature anything in a concretely manifest form, it contains all of existence in potential. The vacuum they experience is a plenum: nothing is missing in it. It is the ultimate source of existence, the cradle of all being. It is pregnant with the possibility of everything there is(ErvinLazlo Science and the Akashic Field --An integral Theory of EverythingP155).

(前述の)彼らが体験した宇宙意識とは 宇宙の空白「真空」である。しかしながら 逆説的にそれは本質的な充満でもある。だが それを具体的にはっきりとした形で特徴付けることはできない。彼らが体験した真空は充満であり すべてのものを生み出す場である。そこにあるすべてのものの発展の可能性を宿している(アーヴィン・ラズロー『叡知の海・宇宙―物質・生命・意識の統合理論をもとめて』P155。

この一説の後に 「無」(void)という宇宙意識は

ヨガなど深い瞑想をするものが体験するとも言っているが

座禅をしたときに 「無我になり 周囲と同一化しなさい」

と言われたことを彷彿とする。

というわけで この本にある ホ・オポノポノ ということが 

突拍子もない次元の世界ではない気はする。


<読み終えて>

ハワイ関係の癒し本 他には

ポール・ピアソール『ハワイアン・リラックス』

サージ・カヒリ・キング『ハワイアン・ヒーリング』

を読んだけど

キングの本が 自分にはしっくりくる。

これは 西欧とハワイのシャーマン「フナ」の考えや手法

二つの違いや関連性を説明してくれているので わかりやすい。

その伝えたいことを何も知らない人に対して 

体系だててわかりやすく伝えることは大事だな。


ホ・オポノポノについて ヒューレン博士のサイトがあります。

「誰の責任なのか?」という部分など

私たちが知っている言葉でわかりやすく書いていたので

参考まで。

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2008/12/09

パスタランチと横尾忠則談義

200812081210001
スペース・デネガにあるリストランテ・ダ・フェリード

ここ行ってきた。

ランチは アラビアータかアサリのパスタ ラザニア

あと1品くらいあったかな?これから1つ選べる。

コーヒーかスープがついて900円です。
200812081210000
トマト味のパスタが好きなので アラビアータで。

かなりスパイシーで おいしかった。

シェフは外国人男性なのだけど

ネットで見ていたら チュニジアの方らしい。

アフリカ大陸っすね。

いつも食べる トマトパスタとは違うけど

これはこれでうまい。


学生の頃 外国人教師の住む寮にお邪魔して

ミートソーススパゲティをみんなで作って食べたことがあった。

その時も先生が

「日本のミートソースは甘すぎる。私たちが食べるソースは 甘みが入らない」

と言っていた。

市販のケチャップを使わずに 確かトマトの水煮か何かを使って作ったが

慣れないせいか 酸味と塩味だけで一味足りないように感じた。

でもアメリカ人の先生は 「これが自分たちが食べている味」と言っていたっけ…

20年前のお話でございます。

フェリードのアラビアータは 

スパイシーかつ甘みも入ってるように感じた。


食後に 泡立ちも本格的なエスプレッソをずずいと。

話に花が咲き デザートも頼む。

ランチを食べた人は 300円でデザートが食べられます。

チーズケーキ ティラミス クリームキャラメル アイスクリームから

同行した方はティラミス 自分はチーズケーキをいただく。

シェフの発音がとてもよくて Crème caramelが聞き取れず

何度も聞き返すの巻。ごめんなさい。

チーズケーキにかかっているブルーベリーソースは

少しバルサミコ酢が入っているからスッパイよ

と言われたけど ぜんぜん平気~

大しためがったじゃ~。


<ピカソとチャネリングについて>

今日の話題は ピカソ

同行した方のご主人が見に行ったというので

うんちくはないが 今東京に来ているピカソの絵が見たいよね

の 話になる。

ピカソは 生涯に7人の女性と関係して 2度結婚

3人の女性との間に 4人の子ども

その死後に自殺した女性が2人…


ピカソと言えば思い出す~♪ 

横尾忠則が遠藤周作『「深い河」をさぐる』の中で

「ピカソやロダンの周囲にいる女性が チャネリングの役目をしていた。チャネラーはエネルギーを受ける。」

と言っていた。

だから 女性を被写体として描いているだけではなくて

何か大いなる存在に触発された女性を通じて 芸術活動を行っていた。


前にも書いたけど 

横尾忠則はこの本の中で チャネラーが訪ねてきたことを告白している。

「絵を描く行為自体が つまり自己表現の実践だということを感じ出したとき ある人が『あなたに宇宙からのメッセージを伝えたいという存在が 私にコンタクトしてきている』と言って 現れたんです。」P159

続いて以下のように話は進む。


彼は2年間週3回 1回に6時間というカリキュラムに従う。

物質・家族・社会的地位・財産への執着から自由になることから始め

その人たちを通して 天使と宇宙界の波動を受けながら絵を制作した。

頭で考えないようにして描いているときは 交信している状態で

彼らの波動が 横尾忠則の身体を通して 絵に表現されていく。

エゴがなく 直観だけで描くと どんどん描ける。

絵を見る人は 絵から天使界や宇宙界の波動を受けて

自然に霊性が開く。


霊性は 肉体と魂を連結させる鎖で

肉体の想念と 魂が本来もつ宇宙原理に基づいた想念を統合させる役目をする。

つまり 絵画表現とは 見る人に宇宙の波動を与え 霊性を高めさせる。

うーむ 天使界とか宇宙界というものがピンとこないが

霊性や宇宙原理という言葉は 

神話学やユング心理学に出てくるので 考えてみる。


現代に生きる私たちは 

正しくこうあるべき ~すべき といった道徳観念に縛られているが

神話や古典文学は 

例えば「こうすれば正しい」といった 意識が一面化した状態から

意識と無意識が一体化した「十全」の状態へと戻す役割を果たす

と言われている。

意識=善 無意識=悪 とも言い換えられ 

意識と無意識 善と悪の調和は その人間の霊性を取り戻す

らしいや。


<ドリーム・コンタクト>

横尾忠則は ドリーム・コンタクトといって

眠っている間に霊体を導き shipと呼ばれるUFOに乗る宇宙人が夢に現れる

と言っている。

そして 波動が合うと 写真にも写る…

もうこの辺は理解不能だが 何とかわかろうと試みる。

ユングに言わせると

私たちが「UFOだ!」と言って騒いでいるものは

時代や場所が変わると「ご来仰だ!」とか「天使だ!」

に なったりするらしい。

その場所の文化に沿ったもので 言い表されているだけであって

UFOもご来仰も天使も 

もしかしたらその光っている科学現象も同じことだ と。

宗教は集団感情 芸術は集団の財産

芸術家とは 集団の代弁者である


とスタインベックも言っているけど(A Life in LettersP80)

横尾忠則に起こった「チャネリング」にも通じる

的を射た表現だと思う。


<テレパシーについて>

『「深い河」をさぐる」の続きpigブヒ

男より女が受信能力が強く 男は送信能力が強い。

つまり表現能力を持つ。

女は受信したら 愛という媒介を通して 男性に伝えるのが

宇宙本来の姿として理想的である。

宇宙は対立する両極の概念で全て構成される。

光と影 +と- 男と女 など。


この辺の対立物なんかはもう ユング心理学と同じだよね。


<チャネリングについて>

チャネリングを否定している人でも 知らないうちに受信したり送信している。

自発的なものを優先させる。

内発的衝動に従うのが宇宙的であり それが人生でもある。

自分の意志と努力で描いた とか 自分が自分が と思うと

彼らの送信にバリアをはる。

描かせてもらった どこからか来た と気づけば 

その 気づきが向こうに伝わり 

波動を送りやすいパイプができる。

創作する者の方が素直に感じ 理解する。

以上です。


横尾忠則の この宇宙との交信話をうさん臭く思っていた

作詞家の阿久 悠が

紙に図か何かを書いて当てる テレパシーを受け取る遊びをしたところ

全部言い当ててしまった。

テレパシーを信じていない と言いつつも

誰しも少なからず 送ったり受け取ったりしているということに感じ入った彼は

ピンクレディーの「UFO」という曲を作詞した

というエピソードが語られている。

おもしぇ~。


<おまけ>

さてさて 横尾忠則もドリームコンタクトをしているということで

実は「こんな夢を見たnight」という話になった。

同行した方が

アメリカはサウスダコタ州にあるマウント・ラシュモア

断崖に彫られたアメリカ史上4人の大統領の顔が

話しかけてくる夢を見たそうだ。


ヒーヒッヒッヒ バシッバシッ
Cocolog_oekaki_2008_12_08_17_02

ちなみに調べたら モデルは

建国の父ワシントン 憲法の父ジェファーソン 奴隷解放の父リンカーン 

そしてテディベアの父 セオドア・ルーズベルトの4名 だそうです。

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2008/11/07

不況と紅葉

リーマンブラザーズ破綻 世界kabuyasu状況が続き

オバマさんが大統領になったのに 株価下落

研修でも その一連の経済状況の話から始まって

今日の新聞一面には

ふぇろさぎで ある会社が倒産して解雇200人とある。

不況もかなり身近な話題だな と思わせられる。


しかし ターシャのように 目まぐるしい世界の変化はどこ吹く風

とばかりに 自分の生き方を貫く人もいる。

さて どうしたものか…


先日たまたま弘前公園の周りを走ったら それは見事な紅葉だった。

「嫌なことが頭を巡るときは 美しい花々に目をやる」

という ターシャの教えを思い出し とりあえず公園へ向かってみる。


日曜日の朝刊で紹介されていた

ブライアン・フェイガン『千年前の人類を襲った大温暖化』

「ヨーロッパの人々は おそらくは気候変動など気づきもせず 一方でネーティブ・アメリカンの先祖たちは 豊かな土地を失ったにちがいない。」(東奥日報11/2)

ヨーロッパの人々が新天地を求めてアメリカにわたったのは

経済的なことや 宗教的なこと 思想的なこと ではなくて

気候の変化によって 不作になったから

つまり 腹が減ったから なのか?!

という疑問がムクムクとわき ついでに図書館へ。

あった。弘前図書館 あんたはエライ。

おかげで 2520円ういだじゃ。

 
以前読んだ丸山茂徳『地球温暖化論に騙されるな!』

これは 地質学者が書いたもので

今回の『…大温暖化』は 人類学者によるもの。

どちらも人為的な地球温暖化論に一石を投じる内容で

比較して読むのも いとをかし。


あとは ちょっと前息子殿がテレビで

「数十万で宇宙旅行に行けるようなロケットを作っている日本人」

とかいうテレビ番組を見たらしく ロケットや宇宙の話をするので

ジュニア向けの図鑑 学研『宇宙』 岳陽舎『地球と宇宙の本』

を借りる。

また

「タイムマシーンがあったら 人間がいつできたか見たい」

と言った 変なお母さんは

どう考えても 平成12年にはもう人間はいたよな

と思ったので 

そのあたりにあったちくまプリマー新書 

松井孝典『われわれはどこへ行くのか?』

のタイトルにひかれて ついでに借りる。


松井孝典 元NASA研究員 

現在 東大大学院新領域創成科学研究科教授

舌がもつれる

専門は 惑星物理学・アストロバイオロジー。

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この本 おもしろいよ。

絵っこ描いであって 漢字にルビ振ってあって

しかしながら 宇宙の起源 人間の起源

江戸時代までの人間圏と 明治以降の人間圏

地球生命と 地球環境の歴史 などという壮大なテーマを 

わかりやすく書いている。


仕事なので とっとと本を借り 足早に景色を眺めて帰る。

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手前のもみじの赤と 向こうの桜葉のオレンジ すばらすぃ。

「公害やいろんな恐ろしいことがあっても やはりこの世はとても美しい。」byターシャ

明日は雪マークがついていたが ゆっくり見に行けるかな…?

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2008/10/30

『ターシャ・テューダーの世界-ニューイングランドの四季』

ターシャ・テューダー&リチャード・ブラウン 相原真理子訳『ターシャ・テューダーの世界-ニューイングランドの四季』 文藝春秋 2007/2/20。

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また 自分の予期しないステキな本をお借りした。

貸してくれた方は これを方々に貸しているらしく

「ちょっと年季が入ってきたけど」と言っていた。

自分がいい と思ったものを みんなに貸してあげるって

ステキなことだね。

かく言う彼女も この本を どなたかからいただいたのだそうだ。

そんな 不思議なめぐり合わせの本

まさに 今日のメッセージにふさわしい。


ターシャは 

アメリカ バーモント州にある

広大な敷地にある手作りの家に一人で住んだ絵本画家で

今年6月に没した。

1800年代に作られたアンティークの洋服を着て

四季折々に咲く花を植えて楽しみ

糸をつむいで機を織ったり 

文明化されたわれわれから見れば 不便な生活を望んで生きている

一見 そんなふうにもみえる。


自分がターシャ・テューダーなる人物を知ったのは

いつだったか 母がNHKで特集された番組を録画していて

すごくステキだからぜひ見て と言って見せてくれたのが初めだった。

鳥の丸焼きを暖炉で作っていて

一日かけてじっくりと 油をときどきかけたり くるくると廻しながら焼き上げる。

その時間が 料理をおいしくさせる と言っていた。

お孫さんや その彼女に

そこかしこにある植木鉢などを移動させたり

けっこう人使いが荒いcoldsweats01

花に囲まれて 絵を描いて暮らしている という優雅さよりも

気骨ある昔かたぎな人物とお見受けした。


この本は そんな彼女を裏打ちするような内容であり

また 彼女の文学に精通する部分を垣間見ることができる

発見の多いものだ。

季節ごとのすばらしい庭の写真が載っている大型本で

見ごたえ十分だけど

それと同じくらい 彼女の信条が心に響くね。


カメラマンのリチャード・ブラウンは 序文にこう寄せている。

「ターシャが子供の頃の夢を実現できたのは 強い意志と揺ぎない決意のおかげだ。彼女は大好きな作家のひとりであるジョージ・バーナード・ショーの言葉を 生き方の指針にしてきた。『正確にはおぼえていないんですけど』と 彼女は打ち明ける。『でも要するに 自分のおかれた環境について不平を言う人は多いけれど 成功する人は自分で環境をつくってしまうということね」P8

前にもここに 書いたことがあるんだけど

彼女の 国家の体制にも 主義主張にも動じない生き方は

宮沢賢治の生き方に通じるし

彼が「諸君に与える言葉」として残した次の宣言を彷彿とする。

「その時代に強制され、引き入れられ、奴隷のように忍従するのではなく、自分たちの新しい時代を作れ。わけのわからない衝動から動く世界。その世界を素晴らしい、美しい世界に構成せよ。」

彼女や宮沢賢治のこの言葉には 強くひきつけられるものがある。

自分の外側のことをただ嘆くのではなく

「公害やいろんな恐ろしいことがあっても やはりこの世はとても美しい。」P48

と言っていて

嫌なことが頭をめぐるときは 美しい花々にすぐ目をやるのだそうだ。


世の中に流されない生き方をしていた彼女は

この本の中でも 商業主義に毒された世界を揶揄していて

その言い回しには全く遠慮がない。

さまざまな本の原作に親しんだため ウォルト・ディズニーがそれらを

「安っぽい映画に仕立て上げた」ことに不満を感じていて 

訴えられるべきだと言っている。

「ディズニーは新約聖書まで漫画にしかねませんね。」P20


あるいは

球根植え機 という 女性向けの園芸用品

これは小さな穴をひとつずつあけていくものらしいが

「実にばかばかしい代物です」P24
 

とバッサリ。

ターシャは 頑丈なシャベルを使って大きな穴をいくつか掘り

その中に球根を何個も入れる。

そのほうが花が咲いたときにみごとだという。

そんなものを買わせられるよりも シャベルで穴を掘ればすむことだ

お金を使わせられるのもばかばかしい といったところか。

好きなものとそうではないものを よく選んでいる。


でも 昔ながらの生き方は そんなロマンチックなものではなく

みんなバラ色のレンズを通して 自分を見ているが

「マーク・トウェーンが言ったように わたしたちはみな月と同じで だれにも見せない秘密の部分を持っているのです。」P111

自然の中に生きているので 害獣とも格闘していて

つかまえたモリネズミという ドブネズミよりも大きいものを

暖炉の火にほうりこんで 火葬にした とある。

たくましい…


彼女の住んだ場所は

1年のうち3ヶ月間だけが雪がふらない という寒冷地だが

その季節ごとの花や紅葉の美しさが目を引く。

もう我が家などは お盆を過ぎて日がどんどん短くなってくる頃から

「わ~ 雪降って来るじゃ~ イヤだな~」

とよく嘆いているが もったいない話だ…。

それは もっとも聞きたくないことの一つで

どうにかして 冬を楽しく過ごしたい と常々思っている。

この本は 暖炉やクリスマスなど 冬ならではの楽しみにも触れているのがよい。

雪かきはムダだ と言っているしね。

しかしこの場合 車に乗らないことが前提だな…。

冬も夏のように 便利にすごそうとするのが そもそも違うんだろうな。

彼女の域に達するには もっと時間がかかりそうだ。


でも 本格的にこのような生活を始めたのは 離婚後50を過ぎてかららしく

自分らしく生きていくことに 遅いも早いもないように思われる。

華美ではないけど 手仕事や畑仕事をしながら 

世間ではなくて 自分がよいと思ったことをやる生活。

夢をあたためようではないかー。

「もしわたしに人生哲学のようなものがあるとすれば それを一番よくあらわしているのはヘンリー・デイヴィッド・ソローの次の言葉です。『自信をもって自分の夢へ向かって進み 自分が思い描いたような人生を生きるように努力すれば 予想外の成功がえられるだろう」これが私の信条です。これは真実です。私の人生はこの言葉に集約されます。」P136

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2008/10/28

名もなき日々

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どーもー。


藤原新一『黄泉の犬』の中で

「アメリカがそうだな。あんなに暗く寂しい国はない。だからあんなに明るい。私はこれまでいろいろな民族を見てきたが この地球上で一番明るくて寂しい人類を見たのはカリフォルニアのディズニーランドの野外舞台で踊っていたエアロビクスのインストラクターだね。」P100

とあるが

躁状態と鬱状態は常に隣り合わせ

明るくふるまった後は 過剰に暗くなる。

「明るすぎるのはうつ病の前駆症状」「明るかった分だけ落ち込むんです。」(100)

そうそう どーんとね。

そうやって 心がバランスを取ろうとする。

だから 動いた後は静かに過ごすのがよい。


というわけでもないが 本を読む。

今パラパラとめくっている本は

岩宮恵子『思春期を巡る冒険-心理療法と村上春樹の世界』
村上春樹 河合隼雄『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』
ジェラルド・G・ジャンポルスキー著 大内博訳『ゆるすということ』

どれも去年買った本。

特に『村上春樹…』は 知人が『ノルウェイの森』を読んだ と言っていたので

また気になって 見ているらしい。


目に付いた箇所を拾ってみる。

「殺すことによって癒される人

村上 僕はいまゲイリー・ギルモアという実在のアメリカの連続殺人者の物語(のようなもの)『心臓を貫かれて』を訳したのですが この人はまさにそうだった。作者(ゲイリーの弟)は 彼がどのようにして殺人者になったというプロセスを 百五十年前の先祖にまでさかのぼって 書き起こして検証しているのですが これを読むと『人間の心というのは このような遠い縁にまで追いつめられてしまうものか』と深く考え込んでしまうくらいのはげしい説得力があります。ものすごい本です。」(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』P170-1)

この『心臓を貫かれて』という本 読んでみたいと思う。


その人間を決めるのは血縁ではなく 行為だ

つまり 「資質ではなく選択だ」

というのが

あらゆる宗教の経典や神話 古典文芸が伝えるところ。

ハリー・ポッターも

敵ヴォルデモートと同じ資質を持っていることを案じて

校長先生に相談するよね。

先生は その人間が何たるかを決めるのは資質ではない 選択だ

と言う。


村上春樹が書いてあることを読むかぎり

ゲイリー・ギルモアという人は 血と環境によって殺人者になった

ということだろうか。


これまでそうやって生きてきたからといって

これからもそのままでなくともよい という行為の選択

言うは易いが なかなかできそうでできるものではない…。


ま いーか ←いい加減

たんげも髪伸びだはんで じゃんぼ刈ってくるじゃ。

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2008/10/09

田辺あゆみ 写真=藤代冥砂『もう、家に帰ろう』

田辺あゆみ 写真=藤代冥砂『もう、家に帰ろう』 ロッキング・オン

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もう最近は もっぱらこれがお気に入りだと言う方が

大事なこの本を貸してくれました。ありがとうございます。

見ていくうちに 泣けてくるのだそうです。

本屋に行って 自分で読みたい本を見つけるのもいいですが

こうやって 自分の意図しないところからやってくるモノや本との出会いには

何かあるような気がします。


写真家の藤代冥砂が モデルの田辺あゆみと出会って結婚し

毎日の何気ない瞬間や 旅行先での様子を納めたこの一冊

どんな感じかな?


まず表紙の写真

「あみ」こと 田辺あゆみが 

ベッドの上でボーっとパンをかじっている瞬間で

一瞬 闘病生活体験記か何か と思った。これが第一印象。

目に特徴がある人で 愛想がない。


中をよく見ていくと 「あみ」の百面相

低血圧で朝に弱い「あみ」が 思いっきり腹を出して伸びている瞬間や

旅館で浴衣を着て食事し 機嫌が悪いのか睨みつけているところ。

旦那さんのビキニの海パンを スェットの上からはいていたり

花粉症で サングラスにマスクをして怪しい格好をしている。

かと思えば パリのファッションショーでランウエイを颯爽と歩き

モデルの一線で活躍している様子が映っていたりと 忙しい。

だいたい一人しか映っていないけど

これは家族の肖像画 という気がしてくる。


個人的に好きなのは

雷おこしの看板から顔を出しているところ 

(カミナリ様の顔に穴が開いていて 記念撮影できるようになっている)

どう見ても いらなくなったヤツを道路わきに寄せてものらしく

日陰でひっそりしゃがんで顔を出している感じがおかしい。

藤代さんのコメントも「なにもいうことなし」も いい感じ。


あと 水着姿も美しい「あみ」さんがチェアに寝そべっている写真に

「彼女より長く生きたい」

セブ島でこっちを珍しく微笑みながら見ている写真には

「あみが微笑むときが多いことを願う」

と書いてあるところが印象に残る。


モデルの世界で華々しく生きているかと思えば 

朝に弱くて花粉症 動物や植物がすごく好き

そんないい所も悪い所も全部ひっくるめた奥様が大好き

と言っているように感じる。


本の最後あたりに

「正気とは行為を伴いつつ人生を闘いなしに生きることだ とクリシュナムルティは言った。この美しい言葉を 私のからだに入れるのをもう少し待とう。私にはまだ狂気を手名づけながらの闘いが必要だ。」

とある。

いま読んでもピンとこないが

「クリシュナムルティ」なる人物が インドの宗教的哲人であることを

初めて知る。

自分の中で 何かが始まりそうな気がする。


家族の肖像

そういえば どっかに出かけたときにしか 写真を撮らないな。

かっこ悪いけど 日常の何気ない一コマもいいものだな

と思わせられる。

意外にも 家族を感じる一冊だった。

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2008/09/26

艱難汝を玉にす

わっくわっくー させてよ~♪

フウフウフウフウ

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あ~ どすべ いよいよ試合が近づいてきて

喜びのあまり卒倒して鼻血ブー状態

とっくに平常心ではございませぬ。

ドラえもんよろしく 足が宙にういております。

見かけたら頭からheart04が出てるかもしれませんので

あしからず。


うむ 「田臥くん」で検索してくる人も日に日に増えとる。

全世界の田臥くんファンの皆さん

元気ですか?

「今日の田臥くん」をキーワードにして検索して

ここに来てくれた方がいますね。

こちらは「今日のメッセージ」ですよ オシイ!笑

しかし 今日の田臥くんて いいタイトルだな。

確かに 毎日知りたいもんな。

↑言わせておこう


では 今日の田臥くん+今日のメッセージにふさわしい

このことをお話しようではないか。


今日 店でラーメンを食べていたらですね

あまりにゆっくり食べていたので 

どんぶりをさげられてしまったんです。

それも エプロンを付けた朝青龍たちに…。

横綱二人がのっしのっしやってきて 黙って器を。

テーブルには他に 仮面ライダー電王をやった人とか

芸能人らしき人が座っていました。

がっかりしていたら なぜか田臥くんが来て

バスケのファンクラブの雑誌をくれました。

ラーメンを食べられなくて かわいそうだと思ったらしい。


そんなステキな夢を見た…。

夢かよ

続きは しかふぇられねーな。フッsmoking

でもあまりの喜びに 目が覚めてしまい

なかなか寝付けずにモンモンとしていたら 白々と夜が…。


しかしこの 有名人が何人か出てきた夢のせいか

朝起きて 布団の中で ふとひらめいた。

「人の前で何かを表現するということは

時に恥をかいたり傷ついたりするけど

それをやった人は 人間が磨かれる。

だから 常に表現する者は光っている」ということ。


“They all seemed to have such sparkiling personalities.”

芸能人や芸術家たちの集まるパーティに行ったら

みんなきらめく個性を持っているように見えた

NHKのテキストにあった一文が印象に残っていたこと。


悩みを同世代に聞いてみる参加型番組「イチゴイチエ」

フリーターからなかなか抜け出せない24歳の女性が

同い年で起業した女性の店のビラまきを街頭で手伝い

時に「うるさい」と言われながらも 最後までやりとげたのを見て

人前に立つと批判もされるが 必ず応援してくれる人もいるし

他人という鏡があって初めて 自分が磨かれると思わされたこと。


ピアノコンクール入賞者の演奏会に行って

ただ漫然と習うのではなく 技術を磨いて

それを人前で発表する場を設けることの大切さを教えてもらったこと。


など

いろいろなことをここしばらく見ていたら

そんなことが浮かんだのだった。


「オーラがある人」といいますよね。

オーラという言葉も あまり使いたくはないのだが

残念ながら 自分にははっきりとオーラが見えるわけではないが

確かに イキイキとして輝いている人はいる。


実は 自転車とかで走るとき

ゆっくり邪魔されない 裏道を通るのが好きなんです。

それに今日気がついた 笑

いつも裏道街道まっしぐらでいいのかよ と

人生真っ向勝負しろよ 自分!


別に舞台に立ったり試合に出なくても

自己表現をするというのは 毎日やっている。

何を食べるか どう思うか 何を着るか という選択

大事にしたい。


「人間は皆 生まれながらのセールスパースンだ」ナポレオン・ヒル

セールスとは モノを売ることだけではない。人間は一人残らず 生まれつきのセールスパースンなのだ。なぜなら 生まれたそのときから自分自身を売り込まなければならないようにできているからである。まず自分の母親に 泣き叫ぶことによって 自分の欲求不満を売り込む。その代価はミルクだ。あるいは真新しいオムツかもしれない。こうして一生 あなたはセールスパースンそのものなのである。」(『思考は現実化する』P318)


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2008/08/25

河合隼雄『ケルト巡り』

今日から学校が始まった…crying

夏休みは 
1.暑い
2.子供とがっぷり四つ
3.親戚も休みなので 人の出入りが多くなる
4.自分も休みになると 必然的に人と長く一緒にいる

あらゆる手段を講じたのだがsweat02 功を奏さず。

この長期の休みの間 いかに家族と衝突しないかが課題。

周囲に流されないで 自分の時間を作ればいいんだよな。


さて つい2日ほど前 

田臥くんが1ヶ月の沈黙を破って ブログを更新していた。

サマーリーグに参加する と言ってからその後音沙汰なし

どこを見ても 何も書いていないので どしてらんだべ~?

いや 便りのないのはいい便り 

などと思っていたところ

「まだ行き先は決まっていない」 とあるけど

近況を知って 喜ぶ自分。


前置きが長くなりやした。


夏休みの間 何冊か本を読みましたbook

河合隼雄『ケルト巡り』 日本放送出版協会 2004/1/30。

アーサー王好き+ユング心理学好きの人間には 

ヒジョーにうれしい一冊。


今の日本は大きな過渡期にあり

そのエアポケットに落ちた人は不可解な事件を起こし

被害者も出ている。

河合先生は 今の日本社会が参考にすべきものを 

アイルランドのケルト文化と

ネイティブ・アメリカンのナバホ族の文化に見出します。


ネイティブ・アメリカンのナバホ族は

すばらしい文化を持ちつつ 近代文明に負け廃れてしまった。

日本は それを取り入れつつ 自国の文化を保たねばならない。

日本人はナバホ族の二の舞にならないためにも

日本的なものを土台にしつつ 

現代人としての欧米的知恵や文化(個人主義 合理主義)

と関わっていかなければならない。

日本的な土台とは たとえば季節の祭り 伝承行事を

形式だけではなく 心が弾むように環境づけるのだそうだ(124-5 203-4)。

ケルトへの旅では 

ヨーロッパの人たちも アイデンティティを持ちつつ

ドルイド教への関心の高まりなど

アイルランド的な価値観をとりいれようとしていることがわかったのだとか(199)。


先月借りた河合隼雄作品集を通じて主張していた

「死んだらどこへ行くかを知っている人は 動じない」

ということが この本にも書かれていた。

旅をするのに目的地を知らない人は 

あてもなくさまようだけだ と言っている。

最後はそこに行き着くらしい。

そこで

「いま村上春樹やよしもとばななの著作は かつて川端康成が『東洋の不思議な国』を知るために読まれたのとは違い 現代の生活のために いまを生きるために読まれている。世界の人々にリアリティをもって迎えられているのである。つまり彼らの著作は普遍性を持つ現代のおはなしであり いわゆる近代的自我を中心にして書かれたものではなく。この二人は無意識的なところに入り込んでいく力を持ち そかもそれを物語にする力を持っている。そうして生み出された作品は世界の人々に対して意味を持ってくる。」(205)

かつては 困難に対する回答は

宗教が引き受けていたが

今は「小説や映画 音楽」といった芸術作品が

ヒントを提供する時代だ(205) と言っている。


「無意識に入り込む芸術作品」

が キーワードです。

これ 今日のメッセージ と思います。

「日本は戦争に負け 経済的に欧米に追いつこうとした。そのため どうしてもお金中心に行動してきた。しかしそろそろ金儲けはひと休みして コンサートくらい…」(206)

だそうです。

大手を振って コンサートへ行こう!

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2008/08/02

ローラン・プリューゴープト『アルファベットの事典』

昨晩更新した内容は 夜=陰にふさわしく 

攻撃的な内容だった。そーりー。

今は 朝=陽 なので 気分も明るい。すがすがしい!

&書く内容も 明るくなりそうです。


『アルファベットの事典』 これは大当たり。

パラパラとめくって おもしろそうだったので借りてみたんだけど

ただアルファベットについて書いてあるだけ じゃなかった。

英語日本語問わず 語源に興味があり

気に入った言葉のものは メモしたりするが

この『アルファベット事典』は 

「言葉」の先にあった「文字」の起源を探っていて

それはそれは奥深い。

久々に未知の領域に目を開かせてくれた本です。

ローラン・プリューゴープト『アルファベットの事典』 創元社 2007/8/20。 ローラン・プリューゴープト 1964年生まれ。パリ市立工芸専門学校卒業。1989年からフリーランスのグラフィックデザイナー 書家 画家として活躍。

著者のまえがきには 

一つ一つの文字が時代によってどんな意味を持ち

どんな形を持っていたのかを知りたいと思ったが

辞書にはそういうことは 書かれていない。

その空白を埋めようと 

古書学 歴史学 音声学 グラフィックアート 秘教 哲学 など

様々な本に分散されていた情報にあたった

とある(P2-3)。


著者によれば

これらは隔たっているようで 実は同じ目標を目指している。

手(仏main)という言葉の由来を考えると

人間(仏humain) 人(英man) 知性・精神(ラテンmens)

が 現れる。

脳と目と手の 「肉体と精神の基本的な相互作用」

それが「書く(仏écrire)」という行為なのだそうだ。

人間の本質的なもの たとえば

意識や 気分 気質などが刻み込まれた美しい秘密

それが 文字というもの らしい(3-5)。


この本は

まず 文字の歴史を概観した後

アルファベットを構成している線 角など形態を分析し

最後に一つ一つのアルファベットを詳しく見ていく流れになっている。

そしてなんと 形態分析には 「チャクラ」という項目がある!

まさか アルファベット事典に チャクラが出てこようとは 驚きッす。


チャクラとは サンスクリット語で「車輪」を意味し

背骨にそって並んだ7つの主要なチャクラが

車輪のように回転していることからこの名がついた(39)。

7つのチャクラにはそれぞれ決まった器官がいくつか対応し

…中国人や日本人が「気」と呼んでいる生命エネルギーが

チャクラを通じてバランスよく体内を巡ることによって

健康が保たれる(40) のだそうだ。


発音に関係する器官を示す 顔の側面断面図が載っていて

歯茎 くちびる 舌先 歯などが図解されている。

これはよく音声学の本に出てくるので覚えがあるが

この音声学的なこととチャクラが なぜ並行して表記されているのか。


それは まず

「声を出すには体のいろいろな部分を振動させる必要がある」(38)

のであり

たとえば「Nam-Myo-Ho-Ren-Ge-Kyo(南無妙法蓮華教)は

それを唱えると身体のエネルギーが強まる「マントラ(真言)」であるが

ヒンデゥー教や仏教には このような神聖な音節や文句が存在する。

文字Aは それを唱えるだけで最初のチャクラから最後のチャクラまで

振動させると言うマントラ「AUM」の最初の音にあたっており(49)

音(振動)と人間の健康を司るチャクラの活性化が

密接につながっていることを強調したいからだ ということがわかる。


関連して

「日本では『言霊』(音の霊)の働きが人間の身体や心や精神に影響をおよぼすといわれ ひとつひとつの音が特別な意味をもっていると考えられている」(97)

と延べられている。


また 「色」の項目では 色の持つ「振動」という側面を取り上げ

「振動を通して 色と 体の部分と アルファベットの文字との間に微妙な対応関係がつけられるのだ(アルファベットを発音するにも 発声器官の振動が必要になる)。

白色光とみなされる太陽光は プリズムを通ると 赤外線と紫外線の間にある7つの基本色に分解される。赤 橙 黄 緑 青 藍 紫。これらの色は波長によって決まる(波長が長いほど振動数が少ない)。」(42)

として

色とチャクラの対照表が載っている。

これには 

たとえば 紫-霊性他-チャクラ頭頂部-音名シ-母音m 

という細目が記され 色ごとにずらりと並んでいる(43)。


おもしろい!

今まで 宗教の経典や古典文学などには 秘密があると思っていたが

文字自体が もう秘密だらけなのね。

そんでもって 南無妙法蓮華教 という あの

よくわからない漢字だらけの言葉には 

言葉の意味よりも 発する音そのものに意味があったんだな~。

唱える側のチャクラが活性化されるんだったら

今度一緒に言ったらどうなの これ。

おりしも!子供に届いたでんじろう先生の理科実験のビデオに

黒い場に塩をまんべんなくまいて 「あー」とか「うー」と声をかけると

なんと その塩が振動して移動し 場に模様が描かれる様子が映っている。

それはもう お約束どおりにびっくりしたのだった。

声によって 二重丸になったり 花の模様になったり

もっと複雑な花形になったり 本当に子供と同じく

「えー!」って 大喜び。笑

つまりは 何気なく発している言葉が振動して

自分の体を響かせて

さらには 周囲にもそれが伝わっている という

言葉という音が物理的に影響を及ぼす という現実があるわけやね。

これってやはり茂木健一郎『すべては音楽から生まれる』を

裏づけする内容になるんじゃないか という期待がふくらむ。


そんなわけで 

朝から書き始めたこのブログ

何と 家事や外出の合間にちょこちょことやっていたら

ぜんぜんはかどらず

今 もう午後11時を過ぎております。

それでも書く…。

一人の時間がとても大事です。


せば!

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2008/08/01

久々に ハズレ

今日は図書館に本を返してきた。

で また借りてきてしもうた。

4冊のうち 現代小説の文芸批評のようなものを借りたのだが

読んでいて気分が悪い。

気分が悪いような本をなぜ借りてきたのか

そっからおかしい。


本は読むが 小説はほとんど読まない。

なので 今の音楽と同じくらい内容はわかってないが

とりあげられている作家をあげると 

綿矢りさ 舞城王太郎 角田光代 桐野夏生 石田衣良 辻仁成 宮部みゆき 村上龍 町田康 阿倍和重 柳美里 小川洋子 山田詠美 浅田次郎 金原ひとみ 片山恭一 平野啓一郎 村上春樹 重松清 などなど。

いろいろな作品の一部抜粋だけを垣間見ただけだが

なんでもありの描写に かなりショックを受ける。

誰のとは言わないが

暴力と性描写の履き違えた表現の自由には 言葉を失う。


これは 映画にもいえる。

ポニョが始まる前のレビュー あれも恐ろしいものがあった。

子供向けの映画の前に なぜコワイ映画の宣伝をするのか

理解に苦しむ。

一緒に来ている大人に対して宣伝したいんだろうが 

子供にどんな影響を与えるのか わかっていない。

子供たちは キャー!と言ったり もう帰る帰る と涙声になっていた。

何でも表現すりゃいいってもんじゃない。


この本を批評している批評家たちは 

対談形式によって 作品の反論をしているのだけど

その口の悪さにも 腹がたつ。

老人を「年寄り」 子供を「ガキ」と呼び

「綿矢りさの『純文学』ブリッコ」

などなど 書くのもイヤになる。

自重していただきたい。


それを読んでいる自分もどうなのかという疑問が…

踊る阿呆に見る阿呆 というやつだな。

チラッと見ただけで 借りたんだが

二度と借りないぞ。

↑よくわからん

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2008/07/31

やけに眠いワケ

こんばんはー。

元気っすか~?


あのですね 最近やけに眠いんですよ。

ここ一週間ずっと 寝る前に一度 

ソファーで記憶がなくなります。

あら なんでだべ?体力が落ちたのか?

夏だから?

いやいや きっと子供が夏休みだからだflair

と 気がつく。


普段は 子供が学校に行っている間に 

マイペースで準備しているが

夏休みの間は 

幼稚園時代と違って 「預かり保育」というありがたい制度もなく

スキマを縫って 仕事の準備をし

家に人が帰ってきたら すかさず教室へ。

たったそれだけの違いなのですが…。

必然的に 自分の時間が削られ

ブログも 大した内容の更新もできずにおります。

延長した図書館の本も 結局大してあのあと読めてない。

明日返しに行くだけになってしまった。


今日は今日で

「プールに行きたい」

と 前々から行っていた息子殿の願いを叶えようじゃないか

と 親心を発揮したのはいいが

やはり 時間がピチピチになってしまい

結局最後は なかなか帰ろうとしない子供にイライラが募るという。

おかーさん仕事なんだから プールは休みの日にね

と数日間は言っていたのだが…。

ま 今日はこれでいーか。

もう 仕事のある日は 遊びに行かないぞー。

よーく わかった。


プールで会った知人にも

「夏休みね~ お母さんは学校の方が楽だもんね~」

と 同情され 苦笑

しかし 休み前に どうやって仕事するんじゃ?!

と 思っていたが

きっちり決めないで その時の流れに任せてみたらば

まあ これがよかった。

きちんと今日は 何時から何時までどこで預かって

というスケジュールにすると

それからちょっとでも外れると みんながパニック状態になる。

それはいかん と。

何事も 絵に描いたように 予定通りには行かないのだ。

その時の状況で 友達と遊んでみたり 実家へ行ったり

一緒に教室に連れて行って 準備してみたり

という方が うまくいく。

先の ミンデル『紛争の心理学』にあった

「指導者は戦略を必要とするが 長老はその瞬間から学ぶ」

とか

「指導者は計画に従うが 長老は神秘的な未知なる川の方向性を尊重する」

P219

といったことが思い出される。


でも結局は 実家と じっちゃばっちゃの連携プレーで

今週も何とか乗り切れそうッス。

あとは 子供も自分で遊ぶようになったので

前と違って 楽になった と思う。

みんなありがとう×100


明日からねぷたです。

今日は雨のため 町内運行は中止でしたが

晴れたらいいね。


Raindrops are falling on my head♪


せば!

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2008/07/28

音楽と脳

200807281504000
明日 祖母の命日なのですが

明日はいろいろと用事があるので 今日行っておこう

ということになり

今日墓参りに行ってきた。


8月に入ると 伯父の命日があるが

伯父は ひまわりが好きだったので よく飾る。


祖母は 息子が生まれる1ヶ月くらい前に亡くなった。

お葬式やら何やらで とても慌しく過ぎた暑いさなか

息子は生まれた。


おばあちゃん おじちゃん おかげ様で元気です。


帰りに実家に寄ると

母が『ゆうゆう』という 50代から読む雑誌を見せてくれた。

脳科学者 茂木健一郎のコラムが載っていて 

それがとてもおもしろかったので ご紹介します。


<音楽と脳の関係>

音楽は脳をマッサージするらしい。

音楽を聴いて喜びを感じるときの回路は

食べたり飲んだりしたときに感じる本能的な喜びの回路と

共通であることがわかっているのだそうだ。

音楽を聴くと 脳は喜びを感じてドーパミンを放出し

さまざまないい働きを脳に引き起こす。P123


また 音楽を聴くことは 耳をすますことである。

鳥のさえずりや風の音 言葉も音楽の一部であり

それらに耳をすます態度が身につくと

人の内面にも耳をすますことができるようになる。

すると内面や内面の変化もわかるようになり

相手との関係も変わってくるのだそうだ。P124

「“聴くこと”とは 自分の内面にある いまだ形になっていないものを表現する行為に等しいですね。外界の音に耳をすますことは 僕にとって創造的に生きるうえでの大いなる糧です。いかに耳をすませられるか 人生は その勝負にかかっているともいえますね。」P124


言葉が音楽である という視点も とても興味深い。

「言葉は意味ではなく リズムや音といった感覚的なものに負う部分も多い」P125

のだそうで

確かに 授業で文法をああだこうだと指南するよりも

耳で聴いて反復練習したり

音楽に乗って 歌ったり口ずさんだものの方が 身になる。


茂木健一郎『脳と仮想』のレビューに

その著書が非常に文学的だと書かれていたが

文学とは 「未知の世界を表現するという芸術だ」とある作家も言っていて

腑に落ちるところがある。また

聴くことが 自己の内面に耳をすます入り口である と語るところなんか

宇城憲治「気を通すためには 耳をすます」

シュタイナー「没我的傾聴」

ベートーベン「音楽とは高次の知識への入り口である」

あるいは ヨガなどの瞑想といったあらゆる精神世界に通じており

科学が精神世界を裏打ちしてくれている。

科学と 哲学・宗教・心理学の接点に 脳科学があることを示している

そんな風に見えます。


確かに 茂木健一郎という人物は

ただの秀才じゃないな と感じるのです。

会ったことないのでわかりませんが…

養老先生と虫取りして遊んでそうな そういうイメージがある。

『ゆうゆう』の中でも 茂木先生が

これからは記憶力や暗記力による 点数が良い秀才よりも

コミュニケーション力と創造力に長けた人間が活躍する

と言っていて おもしろい。


これらのことは

茂木健一郎『すべては音楽から生まれる』PHP新書に詳しいらしく

さっそく本屋に寄ったのだが 売っていなかった!

いらねぐ 息子がDVDを借りることになってしまった(笑)。

ま いーか。


前に取り上げたミンデル『紛争の心理学』などでは

物理学的視点と心理学や精神世界などの観点から総合的に

人間の行動を捉えるべきだとし

大局的な見方で 行動すべき時としない時の判断をする

その重要性が語られている。

プラス「聴く」ですか~。

「聴く」って やたらに行動するのではなく 周囲の状況を見る

ということにもなるので

大局的な視点を持つことに つながっているかもね。


「すべては音楽から生まれる」

すごいネーミング。

もし読んで新しい発見があったら またお伝えします。


ぜば!

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2008/07/17

河合隼雄 著作集

きなーも おもしぇー日だった。

(昨日も おもしろい日だった)

今日もおもしろい一日になるといいな。


7月3日に 図書館で河合隼雄著作集を4冊借りた。

これらの著作集は 専門的な論文ではなく とても読みやすい。

目的はミンデル『紛争の心理学』だったが

5冊まで借りられるので 目についたものを。

『河合隼雄著作集第Ⅱ期 神話と日本人の心 6』

『同 日本人と日本社会のゆくえ 11』

『同 臨床教育学入門 5』

『同 多層化するライフサイクル 9』


今日も新聞の見出しに 事件を知らせる文字が躍っていたが

(正確に言うと 旦那が見たのを聞いただけだが)

そういう事件に やみくもに反応して 

恐れたり 厭世観を抱いたりしない。

それでは ただ外側で起きていることに 翻弄されているだけだ。

何かしら 心に太陽を持つための工夫が必要なんじゃないか

と 思う。

ミンデルによる プロセス指向心理学が目指す

「長老」の特徴の中には

「独裁者やゴーストに耳を傾ける」

「問題を起こすものが 何かを教えてくれている と考える」

というものがある。

ユング心理学の根底にも こういった「問題視される側」の目線が

常にある。

河合先生の本を読むと 勇気が湧く。


例えば 『日本人と日本社会のゆくえ』には

(阪神淡路大)震災と一体感的人間関係 

「援助交際」というムーブメント

地下鉄サリン事件が教えること

という項目がある。

「援助交際」で 身売りをして金を稼ぐなど 考えられない

バカでねが?で おしまいではなく

それは 日本人全体へのムーブメントなのだそうだ。


今の日本の家族は 家族ごっこになっていて

平和を装っている。

本当は 思春期の子供は さなぎの中で劇的に変化している。

だが 今の親はわけしり顔でふるまうので

思春期の荒れを 反抗という形で受け止められない。

だから 一旦外に出すと 暴力や売春という凄まじい形になる。

援助交際をする少女たちは 無意識のうちに

「のんきに生きている場合じゃないよ」

と 現代社会の盲点を揺るがすような現象を起こしている

と 著者は言っている。


家族だけが能率的になっているのではなく

日本人は金持ちになり 人間関係を金に換えて生活しており

スーパーでは 愛想や駆け引きなく 買い物ができる。

そうではなくて 著者は

「人間がほんとうに生きるためには そんな能率一辺倒でいいのだろうか。下手をすると冥土行きの新幹線に乗ったような人生になってしまって 途中の景色を味わわず 目的地についてしまうのではないだろうか。せっかく生まれてきた自分を精一杯生かそうと思うのなら 喜怒哀楽すべてを味わう経験が必要である。無駄なように見える家族間のゴタゴタや ナンセンスのような喜びなどによって われわれは生きることをしているのではなかろうか。」P123

と 教えてくれる。

「冥土行きの新幹線」ね…。

うまいこというね。

毎日 失敗した とか ちょっとうれしい!と思うことが

実は生きること なんだな。

じゃあ 毎日のイザコザも 実は大切なのかもな。


また まえがきとして こんなことが書いてあった。

日本と日本文化のゆくえを考えることは 多くの人にとっての関心事となっている。そのことを特に感じさせられるのは 現在の日本の社会状況に憂うべきことがあまりに多いという事実である。

例えば 相つぐ少年事件 中学生の5千万円恐喝事件 人を殺してみたかったという殺人事件 17歳の少年のバスジャック事件と続いている。短絡的に殺人を犯しているのが特徴的である。これまでにはあまり生じていいない事件なので 与えるショックも実に大きい。

一般の人たちが感じることは 現代の若者の恐ろしさ ということだろう。ここで『対策』ということになるが 多くの人が『モラルの低下』を考えるのではないか。もっと積極的に『罰』を加える必要性を考え 少年法の改革などへと進むかもしれない。P188言い換え引用


そして著者は 次のように同輩を導く。

モラルの低下を嘆き 最近の若者を責める人は

昔の日本のよさが アメリカの影響で失われつつある

と 考えるのではないか。

しかし 実は

バスジャックをした少年が行った冷酷な仕業は

日本陸軍が中国における非戦闘員たちになした残虐行為に通じる。

若者に対して批判や攻撃を一方的に加え
 
同年輩の「仲間」と嘆きあって楽しんでいる人は

そのような若者を育ててきたものの責任というのを

考えなくてもいいのだろうか と指摘し

「ものごとが動き出し大勢がきまると 確固とした判断がないままにズルズルとそれに従ってしまう。ここでやめるべきだという決意ができない などという態度は まさに昭和陸軍の御得意といっていいほどである。」

と 断罪している。

だから 現在の日本の若者のみを問題と考え

道徳教育をしっかりしろと主張する人には

戦前に「修身」教育をたたきこまれた日本人が

戦争中にどんなことをしたかよく考えてほしい と言っている。


私たちが 先代に物申すのでは つっぱねられるが

同世代の方が たしなめてくれていることは心強い。

河合先生は そういう人たちをやっつけているのではなく

誰か一人がいなくなればよいとか 正すべきなのではなくて

みんなが考えて行動する時だ と教えてくれている。


全部の著作を読み通してはいないが

河合先生は どの項目においても

人間が起こす問題は 欲(食欲 消費欲 性欲 睡眠欲など)に通じ

結局つまるところ 日本人を含む人間全体が

「どこからやってきて 死んだらどこにいくのか」

という 根源的問題に対して無意識にさまよい

目の前にある「モノ」を 盲目的に欲しがっている と指摘している。

老人になって 気品があり せかせかしていない生き方は

全ての人間が「かくありたい」と願う姿であり

そのような老人(長老といえるかもしれないが)は

「自分が死んだら ご先祖様になる」

ということを 確信しているのだそうだ。

そして 先祖になる というのは

その民族に代々受け継がれてきた物語「神話」が

体の隅々に行き渡っていて

周囲の全てのものが その神話の登場人物として

今も息づいている。

だから 何が起きても 動じないし

死んだとしても 行き先がわかっているので 心配がない。


だが 

科学万能を信じた現代人は 神話を失い

日本人も欧米に追いつけ追い越せで 盲目的に進んできて

根がなくなった。

日本人としての生き方 文化が希薄になってきた結果

私たちは 日本の神話を失った。


だから今 心理学なのかもしれない。

ユングは 神話や古典文学に登場する人物に

共通の要素があることに気がつき

老賢人 太母 トリックスター 影 という元型を提唱する。

こういった「神話の機能」を知り 物語を自分にあてがうことで 

表面的に 一時的に人を安心させるだけではなく

根本的に癒すのだそうだ。


また 先の「死んだらどこにいくかを知っている」老人と関連して

「死」を司る宗教を 日本ではうさんくさがるが

日本人の感覚だけではなく 人間全体に通じるものとして

宗教を考える時期でもある と言っている。


一口で 河合先生の著作を言い表すことはできないけど

人生を高いところから展望するような地図 

だと思う。

自分がどこにいるのか 模索するだけではなく

ここですよ と教えてくれる安心感があります。

貸し出し期間 延長しよっとcoldsweats01


せば!

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2008/07/09

長老効果

ミンデルが言っていることを 全部できていたら世話ないわけで

実際ほど遠かったりします。

特に自分の子供に対しては 

悪さをしたときなど 大目玉を食らわしてきました。

「長老」はどうしたんだ え。

おい ちょうろう!

なんだい 目玉おやじ。


でもですね。

今日の授業で やるべきこととやらないことを見極める

成り行きを見守る ということが 少し見えた気がしました。


本当に毎日が新しい。

ミンデルの言うとおり 毎日が「未知のもの」である。

何が起こるかわからない。

当たり前ですが

一日たりとも マニュアルどおりに行く日はない。

体系的な授業というのは 必ず年間スケジュールがあり

その日やるべきことは あらかじめ決まっていますが

必ず何か予期せぬ出来事があります。


生身の人間だからね。

人数が多ければ多いほど それをコントロールしようなどと思うことは

限りなく不可能に近い。

授業の前後にも これまたいろいろある。


でも 「結果がどうなるかは 私たちの責任ではありません」

と 『人生の地図』の著者 キャロル・アドリエンヌが言っている通り

自分が描いた ただ一つの結果を出す のではなく

十分準備をしたら 後はその瞬間の流れにまかせる プロセスに従う 

全体を見渡して大局的な動きをとる 

そう意識しただけで だいぶ違った。

それだけで かなり今日は気が楽だった。


自分の息子のいるクラスでは

子供は お母さんだと思って 自由にやろうとし

甘えた態度をとったり クラスメートにエラそうにしたりします。

親としての責任と 先生としての責任に板ばさみになって

身のフリに苦慮しており…

今日もそういう局面があったのですが

ただ感情的に息子を怒って終わる ということがなく済みました。

これは傍から見れば なんてことないことかもしれないが 

われわれ親子にとって大きな一歩だ…。


息子にとっては自分は 「親+先生」という2重の抑圧者に違いない。

先週 あまりの態度の悪さに怒ったところ あとで

「おかーさん 親じゃない!親っていうのは もっとやさしいもんだよ!」

と 叱られた。

確かに… しつけと愛情って 両立しないらしいですから…。


子供の頃 母はいつも怒っていると思っていましたからね~。

そのまんまになってる自分に 非常に自己嫌悪を感じております。


家に帰ってきてからも 

ご飯の支度をしなくては 何あれこれそれしなくては

と あくせくするのをやめてみる。

お互い 自分たちが食べたいものを作るやり方なのだが

ばっちゃが 全く夕食の準備をしていない。

はてどうしたものか?


よくあるパターンは 「やらねば」という自分のプレッシャーに負けて

目が回って 気疲れして当り散らす というものだがcoldsweats01

この 「すぐやらない」というのが とてもよかった。

一人になる時間を少し作ってから

とりあえず 簡単にできてみんなが食べられそうなもの何品か用意すると

ばっちゃがおもむろに

「わ 今日 食わねー気になってらんだばって 

見だっきゃ おいしそうだな。」

(今日は食べないつもりだったけど 見たらおいしそうだ)

と言った。


そこでやっと状況が読めてきたのだが

表情がいまひとつさえないので

「疲れたべ?」

と 訊くと

実は 職場で気になることがあったらしく ブルーになっており

食欲がいまひとつわかなかったらしいが みんなで食べたのだった。


「状況を見渡し 流れに沿いながら 未知のものに従う」

今日の線 意外といいんでねべが?

と 振り返る。


そして

D・ピート『賢者の石』ことですが

以前ここに取り上げて 中途半端になっていましたが

やっぱり 説明するほど理解できなかったのです。

でも今回『紛争の心理学』を読んで 初めて腑に落ちた。

『賢者の石』に書かれている「創造的停止」とは

「何もしないのでもなく 状況にとっさに反応するでもない

沈黙と行動の一瞬の隙間を利用する」 

というものだったが

それが具体的に どう利用するのかわからない。


でも 『賢者の石』で物理学の歴史を概観した後で行き着いた

私たちがこれからの時代とるべき行動「創造的停止」とは

ミンデルが『紛争の心理学』で言っている「長老」の資質にある

「やるべき時と 何もしない方がよい時を見極める」

ということにつながる。

そして 創造的停止を使えば どういういい方向に向かうのか

ということも 詳しくミンデルが説明してくれている。


その点において

この二つの本を一緒に読むと よりよくわかる気がします。


「指導者は知っている。長老は 学ぶ。」

何でも知っていなくっちゃ いい先生や親じゃないんだ

と 追いつめなくともよい。


せば!

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2008/07/07

A・ミンデル『紛争の心理学』 4

<長老(エルダー)は指導者(リーダー)以上の力を持っている>

長老と指導者の違いについての記述がある。

ここは一部を抜粋してお伝えする。


指導者は多数派を好むが 長老はみんなの味方をする。

指導者はトラブルを見ると それを止めようとするが 長老はトラブル・メーカーが何かを教えてくれようとしていると捉える。

指導者は正しくあろうとして骨を折るが 長老はすべての中に真実があることを示そうと試みる。

民主的な指導者は民主主義を支持する。長老はそれも行うが また独裁者やゴーストにも耳を傾ける。

指導者は自分の仕事をうまくこなそうとするが 長老は他の人たちにも長老になるよう促す。

指導者は賢くあろうとするが 長老は自分自身の考えを持たず 自然の出来事にしたがう。

指導者は知っているが 長老は学ぶ。

指導者は行動しようと試みるが 長老はなるがままにまかせる。

指導者は戦略を必要とするが 長老はその瞬間から学ぶ。

など。P219


これらの「他者への援助に携わる際に必要な 

特別な気持ちや態度のことを「メタスキル」と呼ぶ。P218

長老スタイルの共通点は 

「物事を自然の流れに任せる」

「やるべき時と 何もしない方がよい時を見極める」

というものだ。


「指導者が勝つための戦略を練るのに対し 長老は他者を認め 彼らの生徒になる。指導者は問題だけに焦点を当てるが 長老は気持ちにも焦点を当てる。指導者は人々を変えようとするが 長老はあるがままに人々を受け入れる。指導者は 未来とはどの政党が政府の第一党になるか次第だと考える。長老にとっては 未来とは 未知なるものの表れを可能にできるかどうかによる。そのため 誰かの支配や成功ではなく 明白な意見と潜在的な意見の相互関係に焦点を当てる。

根深い社会的衝突が表現され 対立者がそれぞれ自分の意見を述べ 問題が明らかになったとき 長老はプロセスに任せる。」P225

もちろん ほったらかしではなく リードするときもあるが

未知のものに従う模範になればよいのだそうだ。


知り合いの方で 小学校の先生をされている方がいます。

校長先生がすばらしいのだそうです。

引用させていただきます。

「学力テストの分析。普通は、できなかったところをチェックして、対策を立てなさい、という。ところが、うちの校長は、良かったところを見つけなさい。できが良かった問題を分析していくと、それは、先生方の授業にたどり着く、と。そしてその授業をもっともっと伸ばしていきなさい。ということだった。」

この他にも 指導課が学校に来る数日前に

「お客さんが来るから、子どもたちに、挨拶をしっかりするように、という指導を直前にはしないでください」

とのお達しが出たが 日頃の態度が試される ということらしい。

また 朝の会議などでは 

暗い話題も取り扱わなければならないこともあるが

校長先生は おちゃらけて明るく見せ 

一日の職員の士気を高めるのだそうだ。

これまでの「校長先生像」とは異なり 

発想が逆であることに その小学校の先生は驚き 

「スゴイ!」と思われたのだとか。


前述の「長老の特徴」と照らし合わせてみても

こちらの校長先生はある意味 「タオイスト」ではないか

という気がしています。

タオ(地球上で最も古い-紀元前600年頃-書物の一つ『道徳経』)

この中にあるように

古代中国の長老の概念は 私たちが一般的に考える

西洋的なリーダーシップの思考を覆すものである と

ミンデルも言っている(P228)。

それは 「手放す勝者」と呼ばれるのだそうだ。

まるで 加島祥造『求めない』 ですね。

「何もしないこととするべきことの深い洞察」

これは『賢者の石』のクライマックスに登場する「創造的停止」

という概念に通じるのではないか と思っている。


普段生活する中で「どうしたらいいんだろう?」と思っていたことに 

本を読むうちに 解決を見出す瞬間がある。

この本と校長先生の話は 出所が別々なのだが

この二つの出会いがあいまって 今まさに「ひらめいた!flair」状態

自分の中に小さな灯がともり 

行動にまた一つ指針ができたように感じる。

何度も読み返そうと思います。

みなさん 良い本と体験談を教えてくださってありがとうheart


せば!

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2008/07/06

A・ミンデル『紛争の心理学』 3

アメリカ独立で例をあげたような復讐の連鎖は 

私たちに身近な「犯罪」にも見られる。

「私たちにとっての『公平』なシステムは 単に無自覚であることが形になったにすぎない。犯罪学や精神病理学では 一般的に 復讐行為の原因を『犯罪者』の個人的な成育史に見出そうとする。私は このような見方を変更し 反社会的な行為をそれが起こった地域の社会的な文脈において理解することを勧めたい。『犯罪的な』行為は 刑務所のために使われている予算の一部を ランクについての教育にあてることで減らすことができるだろう。」P137

これなどは 最近起きた事件にも当てはまると感じる。

ミンデル自身を含む心理療法家については 次のように注意を促す。

「心理療法家は 暴力的な反応を『不適当』と分類する社会的な味方について 自覚的でなければならない。主流派の文化的仮定に基づいた診断は 人種差別あるいは性差別 虐待的な権力 威信 安全 特権である。心理学や精神医学が社会的な自覚を持たない限り 若者や女性 貧しい女性や有色人種 高齢者 ゲイやレズビアン 『犯罪者』 そして実質的な虐待に苦しんでいる人々は見下され続けるだろう。周りの世界が変化することは必要なく 彼らは自分で問題を解決しなければならないと捉えられている。こうして心理学は諸問題を軽減するのではなく 悪化させている。」P158

新聞の明鏡欄を読むと 

社会や親に不満があるからといって無差別に人を殺すとは何事か

という叱責が多く寄せられている。

識者の見解も色々読むが いまひとつ納得がいかない。

亡くなられた方や遺族の気持ちを慮るのは当然だが

どだい 私たちはその人たちと同じ土俵上にいないから

事件が何たるかを語る立場にもいない。

第三者である私たちが今やることは 犯人探しではなく

自分たちは今 そしてこれからどうするかということだ。

<ワールド・ワークが目指すもの 「深層民主主義」>

抑圧者・犠牲者から解放された社会は 明確・意識されることのないまま支配してきた「亡霊※」の存在をはっきり意識し 解放する過程をつうじて生まれてくる。同時に困難を避けず 明確な自覚による内的成熟と多様な力の自然成長を深めつづけることを決意し 悪をも成長の糧にする方法を身につけた個人が生まれる。こうしてタオの運動や身振りとともに生きる共同性や個人のあり方を ミンデルは「深層民主主義」と呼ぶ。

(※「亡霊(ゴースト):たいていの文化は 社会関係における抑圧や支配を成り立たせる根拠でありながら しかもかくされ 無意識になっているポイントを持っている。そういう存在をミンデルは「亡霊(ゴースト)」と呼んでいる。例えば 旧ソ連解体後のKGBは存在しなかったにもかかわらず 東ヨーロッパの人々は治安警察やスパイを恐れた。P22)

物質と精神の対立を超えた社会や文化 深層民主主義というアイデアには 東洋の伝統とともに アメリカンネイティヴの源泉から汲み上げられた霊感が溢れている。困難から逃げない タフでしかも繊細な配慮と自覚に満ちた魂の戦士たちを生み出す。そういった作業の一環として ワールドワークは位置づけられている。

そうして到達する個人のあり方を ミンデルは「長老(elder)」と呼ぶ(28-29)。

<長老(elder)>
深層民主主義のヴィジョンは ユングやそれ以前にさかのぼる様々な霊的な伝統(タオやアメリカン・ネイティヴなど)が蓄積してきた叡智に直接つながり さらに未来に向けて実現する意味を持つ。そうして到達する個人のあり方を ミンデルは「長老(elder)」と呼ぶ(26-29)。

長老の特徴は とても参考になる。

「教育」に関係のない人は誰もいない。

誰もが自己教育によってしか成長できない。

今日会う人 どの人に対しても

こちらからの働きかけ 言い換えればそれも一つの教育的な態度であり

それによって 返ってくる反応が全く異なる。

てなわけで次回 チョーロー特集で最終回(たぶん)。


つづく

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2008/07/05

A・ミンデル『紛争の心理学』 2

プロセス指向心理学のワークは 

ワールド・ワーク(自覚の政治学)と呼ばれ

コミュニティの自覚を高めることを促す。

具体的に どうやってが進められるのか。

大まかな流れは以下の通りである。


1番目 文化をふくめた多様性を徹底して尊重することである。

文化が一つになるのではなく 多様な文化を選べることが進化の意味だとワールドワークは考える。文化を「選ぶ」ということは いったんはその外部に出ること それを超えているという越境性を すでに意味している。文化の多様性については 主流派の文化に属した政治学者だけが 一方に押し付ける社会では 貧困なヴィジョンしか生まれない(P21-22言い換え引用)。

2番目 力の不均衡に対する鋭敏な自覚をたもちつづけることである。

物理的・経済的な力 霊性など人間はさまざまな側面において その全体的な統一として存在している。それぞれの側面において 個人がどれだけの力を持っているかは違う。そういう力の違い―特権(ランク)」に対して無自覚なら 問題を引き起こし 乱用につながる

どの個人も自己の中に 多層的な力の違いから生まれる痛みや傷をもっている。それを支配や抑圧を正当化する言い訳として使っている。自己の中には 犠牲者と抑圧者の両方が常に存在している。復讐への欲求の炎がおさまらなければ 他者への思いやりや慈愛は生まれない。自己の内部の犠牲者と抑圧者を解放することなしに 世界の平和はない(P22-23同)。

3番目 トラブルを避けない。
ワールドワークの焦点は 個人や集団の対立や緊張の根源にある力の差異 その無自覚な乱用から生まれる自己の内部の抑圧者と犠牲者の解放にある。実際の現場は 怒りや復讐 差別の表現に満ちることになるが そういう感情や偏見を明晰に自覚し 解放することが大切である。

むしろ あからさまな差別を口にする人物が よい友人になることが多い。切り捨てられた感情を取り上げ 自己を燃やす感情の炎の中にとどまることによって 変容が生まれる。それ以外に 対立と困難から新たな共同性を創造する方法はない。

どんな困難な状況にあっても 逃げ出さない。自覚をたもちながら その場にいつづける。必要なら 休みを取り 自己の内面をチェックしながら 炎が燃え尽き 錬金の業が成就するまですわりつづける(P25-26同)。

以上。


う~む 

他者の目線から見た自分の行動を客観的に見ながら 

互いに持つ抑圧者と犠牲者を自覚する。ハードだsweat02

「衝突は共通点を生む」というセルジオ・越後の言葉を思い出す。

平和にあぐらをかくのではなく 日々平和を勝ち取る 

といったことにも思いを巡らす。


また ミンデルはアメリカ人だからか

アメリカの歴史に照らし合わせて 例を示すことが多い。

他国の歴史を非難するより先に 自国の例を ということだろう。

例えば アメリカの独立とは 全員にとって公平なものではなく

主流派にとって有利に働くよう設定されていた。

だから アメリカの白人男性は イギリス支配で受けた屈辱を

有色人種と全ての女性にも与えることになる という

誰にでも抑圧者と犠牲者が存在する構図を提示している。


つまり 戦争に負けた日本は

自分たちができない裕福な暮らしをしていたアメリカという国に

もしかしたら 復讐しようとしてきたのではないか。

負け犬とか負け組 という言葉も 

「戦争に負けた日本」から脈々と続いていて

経済至上主義が頭打ちになったいま 復讐の矛先が国内に向き

格差社会の富裕層に対して 仕返しをしようとしている という

共食い状態なのではないか という気がする。


ミンデルは 奥さんのエイミーと共に

紛争の絶えないアイルランドや

ロサンゼルスの低所得層居住区域などへ赴いた。

それらのエピソードは 凄まじい。

時には脅されたり罵られしながら 状況が全く進まない中で

ファシリテーターであるミンデル夫妻は 

自らが白人の典型だという抑圧者の部分を指摘され

さらけ出しながらも 徐々に周囲と調和を図り

本人たちがようやく 自分たちのために動き出す様子が描かれている。


「親どういうしつけしてるんだ」

「今のわげものなってねー」

「問題視されている側だけが頑張ればいいんだ わんだぢ関係ね」

というような風潮が蔓延しているが

主流派に属さない 周辺に追いやられた人々にとっては

そういう言動自体が「ランク」による 無意識の傲慢な態度に違いない。


プロセス指向心理学では

行動を促すファシリテーターでさえも特権を持つ主流派であり

それを施される側によってあぶりだされ 自覚することによって

相手と近づけるということをよく例証している。

問題を起こすテロリスト側だけではなく

一人ひとりの自覚が求められているし

これは自分を含めたみんなの問題なんだ ということが

よーくわかった。


つづく

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2008/07/04

A・ミンデル『紛争の心理学』

隠れユンギニアンIさんがおススメしてくれた本です。

図書館で借りてきて 一気に読みました。


<ミンデルさんて どんな人?>

A・ミンデル『紛争の心理学-融合の炎のワーク』 講談社現代新書 2001/9/20。an abridged translation of Arnold Mindell “Sitting in the Fire”(Lao Tse Press, 1995)

「著者のアーノルド・ミンデルは 卓抜な直感と理論的知性を兼ね備えた世界的に著名な臨床心理学者である。はじめユング派の臨床心理学者として訓練を受けた後 さらにその洞察を徹底させ『プロセス指向心理学(Process-Oriented Psychology)』と呼ばれるきわめてユニークな理論と実践の体系を構築するにいたった。」P8

初めミンデルは 物理学者を経てユング心理学分析家となったが

その用語である「影」を使わないようになった と言っている。

それは 西欧側に立った価値観に基づく用語であり

光は白人を 影は黒人を連想させるから なのだそうだ。

また 心理学者というものは 概して人の尊敬を集める。

だがそれは一方で 癒す者と癒される者 という上下関係も意味する。

そうではなく 彼が提唱するプロセス指向心理学では

「ファシリテーター(facilitator 促す者)という言葉を用いる。

このようにしてミンデルは 

「どの人間も必ず 犠牲者と加害者である両方の側面を持っている」

ことをあげ 意識下に上らせることを強調している。

一方が力を乱用することによって 他方が劣等感を感じ 

あらゆる暴力を引き起こしていると考えるからだ。


<主流派と周縁に追いやられた者という構図>

あなたが 有色人種ではなく 白人であったら

あなたはまず 主流派にいることになる。

同様にして 女性よりも男性が

ゲイや両性愛者よりも 異性愛者が

貧しい国と富める国 従業員と上司 子供と両親…というように 

主流派とそうではない周縁に追いやられた人々が必ずいて

主流派は特権があることに優越感を感じ 

そうではないものは劣等感を覚える構図が存在する。

白人が有色人種の人々を忘れるのは 人種差別からだけではなく 教育システムが完全に西洋中心的だからである。異性愛者がゲイなどいないかのように振舞うのと同様 男性は女性を否定していることに無自覚である。健康な人々は 健康ではない人々の傷を理解できない。親は子供が「発達段階」を通過すると思っている。文化がこのような態度を教え 押しつける。P86(言い換え引用)

自分が劣ると感じる者は復讐しようとし

抑圧者に対して団結し デモや暴動 市民的不服従

果ては革命が引き起こされる。

犯罪やテロなどの あらゆる暴力も含まれる。

この復讐は 特権を有する人間にも防衛できない力となる。


<ランク(個人のもつ力の違い)を自覚する>

このような衝突は みんなのものであり

これらは「ランク(個人のもつ力の違い)」と呼ばれる。

心理的ランクは 他者に苦しみに対する自覚を抑えつけ 他者を「犠牲者」として見下すことを促す麻薬である。それは 自分たちが他者の問題を乗り越えたと思い込ませる。私たちは 不利な立場の人々の問題に対して無関心で それに対して距離をとる。エゴが私たちを孤立させる。…ランクは私たちを気持ち良くさせる麻薬である。自分がランクの上にのっていることは忘れられやすい。気持ちよくなるためには ヘロインと同じで 次第に多く必要となる。そして習慣を支えるために 他者の幸福や環境から盗むようになる。最終的には 他者がそれを持つことが出来なくなるから 暴動を起こすのである。(P87-88)

ランクに無自覚だと 態度に傲慢さとなって表れるなどの支障をきたす。

(意図されているメッセージを「第一シグナル 

されていないものを「ダブルシグナル」といっている)。

自分のことを棚にあげて…とはよく言ったものでcoldsweats01

人のことはよく見えるが 自分は無意識に行動していて見えない。

この「自分を意識化する」ということがポイントらしい。

「自分が自分が」と言いたくなる「エゴ(自我)」が強くなったとき

「今 私は こう思っている」と高いところから自分を冷静に見る

あらゆる「瞑想」という行に通じる。

それは ヨガやシュタイナー教育などでも推奨していることである。

著者はプロセス指向心理学を

物理学と 「タオ(道)」と呼ばれる東洋の叡智と ユング心理学から

ヒントを得て その理論と実践体系を構築したが

「とくに仏教のヴィパッサナ(直観)瞑想法から多くを学んだ」P11

ということである。


<闘争を減らすために>

さてさて ミンデルによれば

本質的にランクは悪くなく 乱用を避けられないわけではない。

「自分のランクを自覚すれば 自分だけでなく 他者のためにも活用できるのだ」P88

自覚している者は 謙虚でありながら 自己肯定感も持つ。

ランクを自覚することは 一般的に闘争を減らす。

(子供たちや臨死期の人々は ランクを超越している。)


そのために ワールドワークという「変化と成長を促す」グループ作業を行う。

具体的な内容については次回。

つづく

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2008/06/30

桐島家の人々

先日の「ふしぎ発見」に 桐島ローランドが出ていた。

桐島洋子のご子息で 桐島かれん 桐島ノエルの弟 ですね。

小学校6年生のとき 桐島ローランドのファンだった私は

初めて動いてしゃべる彼の姿を見て 感慨深く思った。

いや 江角マキ子と結婚したときも驚いたが

声がとても低くてびっくりした。

ほほう そういう声だったのですか!

という感じ。


子供の頃は 桐島ローリー と名乗っていた。

たしか歳は一つか二つ上で 日本語名を 桐島舵 と言ったと思う。

(同様にして 桐島かれんは「渚」 ノエルは「澪」だったと思う)

母が かつて桐島洋子の本を何冊か持っていて

その中に

『マザーグースと3匹の子ぶたたち』というのがあった。

桐島洋子は 

籍を入れないままアメリカ人パートナーとの間に子どもをもうけたが

この本は 作家として多忙な日々を送っていた彼女が日本を飛び出し

3人の子どもとともに 1年間イーストハンプトンで休暇を過ごした時のもの。

この 遠い異国での体験を読んだ小学生は

外国で暮らす ということに また憧れを抱いたのだった。


でもそこは子どもなので 写真で見るアメリカにうっとりしたり

ハロウィーンなどの文化や 学校行事の違いを楽しく読んだだけだった。

大人になってから読み返したら

これは ウーマン・リブ(Women's Lib' 女性解放運動)に目覚めた女性の本だ

ということに気づいた。

母にそれを申したら

「そのために読んだ」

というようなことを言っていたと思う。


そこへ 当時買った 明星 とか 平凡に

↑あまりの懐かしさにめまいが…

桐島ローランドが 東京キッドブラザーズでデビューしたことが書かれていたため

ちょっとしたファンに陥った というわけだ。

(キッドブラザーズにいた柴田恭平も好きだった 笑)


桐島洋子『聡明な女は料理がうまい』や『淋しいアメリカ人』

も 興味深い。

結婚される会社の先輩に 『聡明な…』を贈らせてもらったこともある。

レシピの他に 料理にまつわるエピソードや

世の中への批判がピリッと効いていて 痛快です。

『淋しいアメリカ人』は 

性解放と称してフリーセックスに走るアメリカ人たちを追ったルポ。

夫婦交換やその類のパーティに潜入する件に驚く。


著書の中にちりばめられた

「snobが嫌いだ」 

「大学より社会で実地」

「若いと見られて喜ぶ日本人女性は未熟だ」

といった 「傾向に流されまい」とする言動に圧倒されたこともあったが

今の彼女は 

環境問題 スピリチュアリズム ホリスティック医療などへの関心も深めている

とのことで

いつも時代の先を行く女性が どんな活動をされているのか気になります。


せば!

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2008/06/27

『おしいれのぼうけん』

去年の9月ごろ 子どもが幼稚園から借りてきた本。

ちょうど3連休ということで 遠出をしたときでした。

この本を携えて行ったところ

返すまでに合計7回読んだという記録を持つ

息子の大好きな絵本なのです。

年末に ダイエー『宮脇書店』にて購入

何度も繰り返して読んでいます。


ふるたたるひ たばたせいいち 『おしいれのぼうけん』


さくらほいくえんには こわいものが ふたつ あります。

ひとつは おしいれで

もう ひとつは ねずみばあさんです。

押入れは 言うことをきかない子どもが入れられるお仕置きの場所。

ねずみばあさんは 人形劇で使う ねずみのおばあさん。

ある日のこと

園児のあきらとさとしは お昼寝の時間に騒いでいたので

押入れの上の段と下の段にそれぞれ入れられてしまった。


人形劇でねずみばあさんの役をやっている「みずの先生」は

「押入れの外で反省する」

と言ったさとしの言葉も聞かず 閉じ込めてしまったため 

さとしは猛反発。

どの子どもも 怖くなって すぐ「ごめんなさい」と言うのに

なかなか謝らない。子どもと先生の根競べ。


その内 押入れの壁のシミが ねずみばあさんのように見え

押入れの壁の木目から出来たトンネルをくぐり

さとしとあきらは 押入れの不思議な世界へと飛び込んだ。


そんな風にして 奥へどんどん入っていった二人は

ねずみばあさんや 子分のねずみたちに追いかけられ

「食べてしまうぞ」「ねずみにしてやるぞ」

と脅されながらも 

最後まで自分たちを曲げません。

この物語は 

さとしとあきらの成長物語のように描かれていますが

実は 水野先生の物語でもある というところが見物です。


先生は 実は若い新米教師のようで

ベテランの先生とのやりとりも描かれており

子どもたちへの接し方を勉強している途中 ということが伺えます。

とにかく 悪いことをしたら 押入れに入れてしまう。

入れてしまえば 子どもたちは暗いところが怖いので

謝らざるをえない。

それが 次のようなところからもわかります。


「しばらくすると せんせいは おしいれからこどもをだします。でてきたこは いいます。『せんせい ごめんね。」ああ だしてくれてよかったと みんなはほっとします。『ごめんね』と いってくれてよかった と みずのせんせいも ほっとします。」


「子ども」という未知の生き物に どう対処していいかわからない 

ある意味 子どもが恐怖だった先生が

怖がって権威を振りかざしている自分に気づき 成長していく。

つまり 自分を苦しめているのは 外側の人間や環境ではなく

自分だったと気づくところが この本の醍醐味のように思われます。


物語はとても多面的で

見る人の角度によって 同じ物語でも違うように見えてくる。

物語には 寛容 親切といった「善」から

嫉妬 残酷 裏切り といった「悪」まで

あらゆる性質の登場人物が現れる。

それは 一つ一つが自分に潜在的にある性質であり

それを 物語を通して体験することによって 自分の物語になる。

今 この瞬間からでも自分を支えてくれる。

例えば 息子にとっては 「さとし」という人物が自分であるように

私にとっては 水野先生が 自分であるように。


息子がこの本を初めて読んだ時 クライマックスのシーンで 

「この本すごいよ!」

と叫びました(笑)。

ねずみばあさんという 「恐怖に打ち勝とう」とする姿が

子どもにとっては 勇気を奮い立たせるものに映るのだ と思います。

さとしのセリフは 必ず自分で読むしね。さとしに なりきっている。

一緒に読んでいて面白い。


ちなみにこの本

初版が1974年11月1日と古く

我が家にある本は なんと178刷(2007年7月20日)です。

全77ページで読み応え十分 世代を超えた人気の一冊 

ぜひご覧下さい。


せば!

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2008/06/25

プロセスが大事だね

暗門を歩きながら ふと思った。

最後の滝まで行けたかどうか より

途中ですれ違う人と 道を譲り合いながら 

ありがとう すみませんと挨拶を交わしたり

いい景色や水のせせらぎ聞こえるの中で お弁当を食べて

いい景色だ とか おいしい と気持ちを共有するという過程の方が

ずっと大事だな。


私たちは モノを作るプロセスをお金で買っているけど

そういう過程を省くということは あまりイイことじゃない。


オモチャなんかは 完成されたものを買うが

子どもは 買ってしまったとたんに飽きる。

子どもに限らず 

私たちは買って満たされるかというと 逆に飢餓感が増す。

途中経過を見ていないと どんなに手間がかかっているか見えない。

でも 作るプロセスを自分で経たもの

例えばプラモデルやブロックで作った物は 大事にする。


ボタン一つで湯が沸く というのも同様で

薪を取ってきて割って 熱い思いをして焚く作業をしないから

どんどん贅沢になる。


野菜や家畜が育つところを見ないで

商品として並べたものをお金を出して買うと

生き物を食べているという感覚が鈍って ぞんざいに扱う。

鳥インフルエンザや狂牛病は 自然の揺り返しだ。


子育てとか 教育に関係するものは全てプロセス重視

人と比べて いかに優れているかを点数だけでは決められない。

「星の王子さま」が物語で言っている

数字は資本主義社会で差異を区別するために便利だから使っているだけ。

その人が どれくらい積み重ねたのか 前よりどのくらい進んだのか

それを見守っている人がいることは とても大事だ。

結果だけを見て 周囲に拒絶されることによって

どれだけ犯罪が増えることだろう。

2千年もの間 

拒絶された者が愛情を得ようとして 暴力を生み

果ては世界をも征服しようとする

と 神話や伝説が伝えてきたのに 事情がまったく変わらない。


人間が育つ モノが作られるというのは 時間と手間がかかる。

過程を省くこと スピードは 暴力を生む。

シュタイナー教育では 子どもに「『早く』と言ってはいけない」と強調する。

夢の中にいる(意識と無意識の境がない)子どもというものは

「早くしなさい」と言われると その一面だけが意識的になり

人間形成に負荷がかかるからだという。


「はぐくむ」という気持ちが大切だな。

人間を育て モノを作るというのは 忍耐が要る仕事

できれば一緒に楽しみながら。

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2008/06/17

『ひとつめのくに』

せなけいこ『ひとつめのくに』

せなけいこの おばけ絵本シリーズの一冊。

『おばけのてんぷら』が有名ですが これもオツな逸品です。


昔あった見世物小屋のお話。

インチキな商売をしていた見世物師は 

お客が来なくなったので

ある日 噂に聞いた「一つ目小僧」を捕まえようと出かけた。

江戸から百里 大きな木の下に一つ目の女の子が一人いた。

見世物師はその子を捕まえるが 

大声を出したので 沢山の人が追いかけてきて

見世物師は捕まってしまう。

連れて行かれたお奉行所で見たのは

お奉行様も侍も百姓も みんな目が一つしかない「ひとつめのくに」だった。


目が二つあることが普通だと思っていたら大間違い。

一つ目の国があるんです。びっくり~。

多数派と少数派の構図とは このように単なる立場の違いにすぎない。

優越感とは 一方的な価値観を押しつけてみた結果なのだ

と おばけが教えてくれました。


確かに

アメリカンサイズの中に行けば

日本で靴のサイズで困っている私などは 「普通サイズ」なのであって

特に気に病むことなどないのだった。


一人っ子だろうが 津軽弁だろうが 外国にいようが 障害があろうが

「私はいつも私」by片岡義男 


『ひとつめのくに』 見世物師の運命やいかに

最後も圧巻です。こちらもぜひご覧下さい。


せば!

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2008/06/16

『とべ バッタ』

息子の幼稚園時代には たくさんの絵本を借りてきて

おかげで私もたくさんの本に出会い 勇気をもらったものです。

その中でも 特に気持ちを揺さぶられたものを紹介します。


田島征三『とべ バッタ』

危険を恐れて 葉の影に隠れて暮らしていた「バッタ」は

いつも「何か起きるかもしれない…」とおびえていた。

びくびくして生きているのがイヤになったバッタは

天敵のたくさんいる 葉の表へと飛び出し

クモやヘビを圧倒しながら ついに使うことのなかった羽を使って飛ぶ。

初めて飛ぶぶざまな姿を 蝶やトンボに笑われても

自由になったバッタは なりふり構わず飛び続け

ついに大切なものにたどり着くのだった…。


「失敗するんじゃないか 人に嫌われるんじゃないか」

という 「何かを失うことへの恐れ」

それを見事打破してくれる一冊です。

著者の大胆な「絵」と お話の展開があいまって

短いですが ひきつけられます。

機会がありましたらぜひ 図書館や本屋でご覧下さい。


バッタに尊敬のまなざしshine 

ぶざまでも 失敗してもいいから 飛んでみる価値はある!


せば!

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2008/06/14

変化の時代

タイトルがでかいですが…


ジェームス・レッドフィールド『人生を変える力 第十一の予言』では

主人公が 中国当局の目をかいくぐりながら

チベットの理想郷 シャンバラ(シャングリラ)を目指す。

シャンバラは 地球に実在する高度に発達した文明で

そこは 通貨のない世界であるが 欲しい物が全てにいきわたる。


「現代のマトリックス それは資本主義だ」

(『星の王子様を哲学する』)という通り 

物を売って利益を得る というシステムが

今までの様にうまく回らなくなってきている

そういうことは 末端の自分にも 感じる。

労働力の対価として 給料を得ていると思っているが 実は

得た利益は 分配されるのはなく 経営者のものになるというカラクリ

納得いかね~


しかし 

いつの時代も 世の中のせいにしない人がいるものだよ。

ターシャ・チューダー とか 宮沢賢治 ツルネン・マルティさんとか 

資本主義の真っ只中にあって 物を買うのではなく 作るという生き方

時代に翻弄されるのではなく 自分で選ぶ ということは大事なことだな。


自転車に乗ってみて 気がついたが 同士がたくさんいる。

「ツーキニスト」といわれる 自転車で通勤する人が増えているそうだ。

そして「ガソリン代がういた」と ささやかな歓びを感じるのだとか(笑)。

自分の気持ちを代弁してくれているようだ…

まさに 「足で稼ぐ」究極のエコで しかも風邪知らず。一粒で3回おいしい。

家族の中でも 自転車で盛り上がっている。


物価は上がったが ではもっと働けば金が入るのか?

いや そういうわけでもない。

同じ予算で どうやりくりするか。

そう思う人は 自分だけではないらしい。


「食料品などの値上がりについて 婦人之友社(東京)社長の千葉君子さんは「お金の使い方を考えると同時に 自分の暮らしを見つめなおすきっかけになる」と受け止めている。」5月 東奥日報

これだ!


具体的には

1.ていねいに家計簿をつける

2.決めた年間予算の中でやりくりする

3.クリーニングに出さず 家で洗える衣服を着る

4.近くなら車に乗らない

5.買い物の回数を減らす

6.食材を使い切る

7.缶詰 乾物を生かす

8.チラシに惑わされない買い物をする 例えば買い置きがあるのに 安い日だからといって買いに行かない

だそうです。

千葉社長は

「忙しい現代人は ついつい手間暇を惜しみ 食べ物も含めて割高な既製品に頼りがちだ。…子どもにも賢明さは伝わり 多少失敗しても食べてくれる。千葉さんは 『目に見えない部分も含めた生活の質が何より大事。それを支えるのはやはり手作りということだと思います。』」

と 主張しています。

発想の転換 というかね

お金が足りない と思うのと 

その分 手作りして豊かに過ごせる と思うのでは

天地の差がある。


これに関連して ちょっと前の「民族が語るあおもり」という記事に

こんなことが書いてあったよ。

「よく言われるのは 家庭生活でお金を使うことはめったになかったということです。現代のように労働が金銭で図られ それによってモノを買って生活するのではなく 家族が生業や家事などの役割を分担しながら身体を使って働くことで日常生活が成り立っていたのです。」東奥日報5/27

これぞ「通貨のない世界」 じゃないのかsign02

と 目からうろこ状態。


「企業戦士になって病気になり 天地療養して スローライフに目覚めた」

幸せになるために お金を稼いでいるはずなのに

本末転倒になっている現実

これ もう10年ぐらい前に見た 忘れられない番組。


何が豊かなのかを見直すということは ずっとずっと言われていることだけど

ガソリン高騰の今 もうやるしかないところまで来た「時代の過渡期」

次の段階へ進んでいるような気がします。


今日も足で稼ぐぞ

↑涙ぐましい


せば!

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2008/06/01

落ち込むこともそりゃあるわけです。

こんばんにゃ。cat

今日はどんな一日でしたか?

私は


「やっとすくい上げた砂が 指の隙間からサラサラと流れてしまい

もがけばもがくほど 足をとられる流砂に巻き込まれた」


気分です。

…わ わかりにくっ

↑絵に描いたようには 実際いかないもの そう言いたかった。


そんな今の状態にピッタリの助言が。

「自分自身や人生に起きる出来事に好奇心を抱きなさい。世間の八法(仏教でいう 人間が現世で行ったり着たりする苦と楽 損と得 非難と称賛 名誉と不名誉のこと)の状態に反射的に反応するのではなく むしろうまく利用していくためには好奇心を養う必要があります。どのような出来事も 後になってみなければいいか悪いかはわからないものです。この真実を思い浮かべるとき 自分の思い描いたとおりに人生を動かすことは絶対にできないので 何とか状況をコントロールしなくてはというあせりもなくなります。好奇心を持って 起こった出来事に対して 自分がどのような感情を抱いているのか 情報を集めてみましょう。」『人生の転機』P318-9

先週また2年前に買った『人生の転機』を全部読み返してみたのですが

見るたび励まされる本です。

恐怖から身を守るのではなく 人生に転機が訪れたときには 頭にどんな考えがよぎっているのか気づくようにする。事態は理由があって発生する。状況を受けいれ 精一杯生きよ。人生の流れにどっぷりつかっていれば チャンスが自然に生まれてくる。流れに逆らわず 偏見を抱かず チャンスの到来に向けて準備を整えよ。今という瞬間が大きな力を持つ(P320-21言換引用)。

そう著者は読者を鼓舞します。

始める前に確実な結果を求めず まず気分がよくなることをしよう。

また 自分が期待する一つだけの結果に執着していては

好機を逸する。

状況がよくなるまでには 人生が三転四転することもある。

遠くにビジョンを見据えて 

今目の前に起きていることだけに気を取られないようにしよう。

これらのことを 全566ページに渡って語りかけ

いろいろな方法を提示してくれています。

「気分のイイこと」ね。

Follow your bliss…という キャンベルの言葉 そのものだね。


「…ほっとするいいお知らせがあります。それは 結果がどうなるかは私たちの責任ではないということです。完璧な人間に成長しなければ 新たな分野に乗り込むことはできないということはありません。私たちに実行できるのは この世の中で自分の身に降りかかってくるあらゆる事態に対処し 自ら前進していく心構えを養うことなのです(P381)。」


明日がある。


せば!

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2008/05/28

「書く」ひとの定義

「作家とは人間の条件を描く芸術家であり その条件を知るためにはまだ自分が経験していない道の年齢を苦労しながら通り抜けていかなくてはならないと教えています。冒険をして経験の幅を広げることで 人間とはどういうものかがわかっていくようになるでしょう。…作家として大成するための最も確実な手段は つねに何かに関心を抱いていること そして長生きすることという簡単な二カ条です。」   Writers are the artists that express qualities of human. In order to see that qualities, they must struggle to go through the unexperienced path. You will find what human beings are by taking the chance and broaden your experience. ... There are certain ways how to become a successful writers; have always interest in something and live a long life.P312

キャロル・アドリエンヌ『人生の転機』 When Life Changes or You Wish It Would--How to Survive and Thirve in Uncertaing Times--

自分の座右の銘『人生の転機』 これには さまざまな人間がどうやって 国の体制 宗教 モラル 親の価値観など すべての既成概念からはずれた本当に自分が望んでいる人生「左側の小道」を生きるようになったか が描かれている。

体験談を載せている人の多くが 本業の活動の傍ら 詩や小説など 「書くこと」に目覚めていくのがおもしろい。それに関連して この本の著者は 若い人間が小説を書くのに時間がかかるのは当然だ と言っている。それは まだ経験したことのないことを想像して書かなくてはならないからであり 90歳の人間がその人生の最高傑作を書くのは 不思議ではない としている。


「作家とは人間の条件を描く芸術家である。」

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2008/05/23

200805171237000
いろいろと日々みなさんと話す中で たくさん発見があります。

気づいたことを つれづれと。


自分がこういう人なんだ とさらけ出すことによって

離れていく人があるかもしれない

そういう恐れは だれにでも 多少なりあると思います。でも

「自分が生き方を変えることによって 今まで親しかった人が離れていく

それは別に悲しむべきことではない 本当に必要な人は 留まる」

と 『人生の転機』(キャロル・アドリエンヌ)で言っているように

全てが悪いことではなさそうです。


本当の自分と向き合うことって 恐ろしいですね。

他人を悪者にして自分が悪くないことにしたい 逃げようとしている自分 

つい先日 そういう自分に改めて気がついて 胃が痛くなりました。

「人生にどんなことが自分に起きるか」

ではなくて

「起こったことに対して 自分がどう反応するか」

それが大事なのだそうです。

直接謝ったほうがもちろんいいのですが そういう勇気も機会もないので

自分を奮い立たせて 謝るために紙にしたためることにしました。

その結果 相手に嫌われたとしても しょうがないな と

いい意味で 開き直りました。


ポストに手紙を入れた瞬間 胸のつかえがとれたように感じました。


いつも 自分の外側に原因があるのではなく 自分の内側に答えがある。

『スター・ウォーズ』の中で 主人公ルークが

敵ダース・ベーダーが父親であることを知り 苦しみます。

そんな苦悶する中 父親を倒すところを想像する場面がある。

戦って倒れたダース・ベーダーのマスクがとれると 

それはなんと 自分なのでした。


「ついに本当の敵がわかった。それは 自分自身だ

(Now I found my real enemy. It is me , myself.」

(ジェラルド・G・ジャンポルスキー『ゆるすということ』Gerald G. Jampolsky “Forgiveness” THE GREATSET HEALER OF ALL P123)

どこまでできるかわかりませんが とりあえず

「あなたが抵抗するものが存在し続ける(It will exist what you resist.)。 」

というユングの言葉通り 自分と向き合うことにしませう。


ダース・ベーダー だすー

せば!

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2008/05/10

『村上春樹 河合隼雄に会いにいく』 自己治療のための芸術表現

200805061449000
親戚のりんご畑から撮りました。

岩木山の雪解けも中腹まで進み 緑になってきました。

畑を通っていく風にあたって 間近に迫る山を見ていると

とても気持ちがよかったです。

ちまちまと ここで精神論を語っているのが

ある意味アホらしくなる瞬間がある。

時々 自然の中に身をおいて体を動かし

額に汗する ということが 

とても自分に必要だと思います。


そんな頭でっかちの自分にピッタリのこの本には

一口で言い表せない面白さがある。

あまりにも自分のツボをついた内容で 書ききれない。

たとえば

「自己治療と小説」

「物語をつくる・物語を生きる」

「物語と身体」

「宗教と心理療法」

などなど。


そのなかでも 第二夜 無意識を掘る“からだ”と“こころ”

この中にある「物語と身体」では 次のようなやりとりがある。

村上春樹は 小説を書き始めるまでは 自分の体にそんなに興味を持っていなかった。しかし 小説を書いていると 身体的・生理的なものにものすごく興味を持つようになり 体を動かすようになる。すると 脈拍 筋肉 体形が変わり 同時に小説観や文体が変わっていく。

それにたいして河合隼雄は 身体の変化と 精神的なものの変化は 呼応して当然だという。たとえば 昔の文士たちは 言葉 精神の仕事をしているから 体は関係ないと 暴飲したりし 自分の体を無視したり軽蔑している。そういう意味で 身体性まで取り込んだ文体や作品ということまでは 昔の日本人の作家はあまり考えていなかったのではないか(P117-8参照)。

中学生の頃だったか

川端康成 芥川龍之介 三島由紀夫 太宰治が自殺したのを知って

なぜ作家たちは自害するんだろうな 不思議だな

と思ったことがあった。

河合先生の話は この問いに答えてくれるように思う。

人間は頭で考えた理想通りには行動できないし

生身の動物だから

腹もすいて眠くなるし 邪なことも考える。

そういう「悪い自分」に耐えられなくなるんじゃなかろうか。

堂々巡りから抜けられなくなるような。


そして この 「物語と身体」部分では

心理療法の一つ「箱庭療法」について こう語られる。

村上春樹が 箱庭療法について訊ねる。箱庭にも つくりばなし的なものと 身体が入っているストーリーとの違いはあるのか と。それに対して河合隼雄は 箱庭療法についてのエピソードを語る。講習会でものすごくきれいな花をいっぱい使ったような曼荼羅をつくった人がいた。でも それを見てもぜんぜん感動しない。その人は 箱庭療法というのは 曼荼羅をつくらねばならないものだと思ってつくっており その人の中から出てきていなかった。病のある人が箱庭をつくると 素人目にも なんとなくわかる。

ところが ふつうに暮らしている人がそれらしく置いたものは おもしろくない。いわゆる正常 健常といわれる人は 逸脱のないものを置く才能をもっている。朝起きて 会社へ行って 仕事して 帰ってくる それは ある種の才能であるのだという。

方や村上がまた訊く。人間は病んでれば だれにでも物語をつくる能力が 潜在的にはあるということなのか。

河合先生曰く 人間はある意味では全員病人であると言える。だが 病んでいる人もそれを表現する力がないと形にならない。疲れや恐ろしさが出るばかりで 物語にまでなかなかなってこない。

最後に二人は 芸術家などクリエートする人間はだれでも病んでおり 表現という形にする力=健常さを持ち合わせなくてはならない とし 以下のように結論づける。

河合 「芸術家の人は 時代の病とか 文化の病を引き受ける力を持っているということでしょう。ですから それは個人的に病みつつも 個人的な病をちょっと超えるということでしょう。個人的な病を超えた 時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで その人の表現が普遍性を持ってくるのです。」P121-7

ちょっと前にある方と 

お互いジョニー・デップが好きだという話で盛り上がりました。

彼女のジョニー・デップ観は

「俳優をやっていなかったら ドラッグか何かで破滅してるような人だ」

というものでした。

色々な人間を演じられるのは 神経が繊細だからであって

傷ついたり辛い思いを敏感に感じ取れるからだ。

人間に興味があり 観察眼が育つから

俳優として優れている。

そういう 嫌な部分の自分を演じることが

人に認められて 「それでいいよ すばらしい」

と誉められるから 生きていられるのだ

そういうことも おっしゃっていました。


前にもここで ジョニー・デップのインタビューを取り上げて

語録をまとめたことがあったのですが

彼が長髪にしているのは 顔を隠すためであり

神経質で イライラした行動をよくとる

と 本人も言っていました。

こんなインタビューを受けるような時には

人前でタバコを吸わなければ身が持たないようで

しょっぱなから「いいですか?」と吸い始めた。


村上河合対談や ジョニー・デップの人となりを見るにつけ

「何が普通か」というのは 非常にあいまいな観念だ と思う。

会社勤めをするという 逸脱のないことをすること

それも一つの才能だし

人付き合いが苦手で 引っ込み思案だ

とか そういう否定的に受け取られがちな性質も

実は才能の一つなんだ

いつでも その時の自分というものを受け止めて

何とか生きていくことはできるんだな

自分を上手に活かすような 「アピールする方法」

そういうものが大切なんじゃないか

と 思いました。


Oさんのところで教えてもらった ヘンリー・ダーガー

この人の創造の世界には 

上手とか下手とか そういうものを超えて

彼の内側から出てきた

表現せざるをえなかった真に迫る何かがあるのだ と思います。

彼の芸術性を「こうだ」と いまここで自分が語るより

興味のある方は ぜひご覧になり

ご自分で何かを感じ取ってみてください。


ブログをこうやって書くのも

書かなくては身が持たない現実があるから だな。


せば!

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2008/05/07

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』

前にも取り上げた

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』という本

今の自分にピッタリきます。

チャーリィは陽気な32歳。生まれながらの知的障害者だ。パン屋で働き、夜学に通う。そんな彼に「頭をよくしてあげよう」と科学者からの突然の申し出があった。未知の、危険な実験の被験者になるのだ。しかし、チャーリィは喜んで手術のため入院する。同じ実験を、白ネズミのアルジャーノンも受けていた。やがてIQが185にまで高まり、超天才となったチャーリィは自我が強まり、知識欲も旺盛になり、人々を驚かす。だが、驚くべき天才ネズミとなったアルジャーノンは、急速に知能が後退していく。はたして、チャーリィは?(Amazon)

白痴である男性が手術によって知能を獲得し

それまでは 知らないことで幸せだったのが

知ることによって不幸になることもたくさんある と知る。

知能指数があがり 天才になった彼は

人から賞賛される代わりに 感情的には痛い代償を払う。

自分をバカにしてきた隣人がいることや

自分の稼ぎをごまかしてきた人を知り 失望する。

それもつかの間 

また男性は 何も知らない間抜けな元の自分に戻る。

でも 幸せになる。


これって 読んだ当初には気がつかなかったけど

無意識の状態から 

意識が極度に一面化した状態になって

また戻る過程なんじゃないのかな。

無意識→意識→無意識

子ども→大人→老人

retard→天才→retard

いろんな喩えが秘められているんだな と思った。


ダニエル・キイス やるな。


前に「東京オアシス」と題して

書きたいことをイイだけ吐露した記事に

「田舎をさらけ出したときの 店員の蔑んだ目つき」

と書きました。


やっぱり そういう「差別」を感じている隣人はいるものです。

そうでしょう あるでしょう。

ごく少ない海外体験ですが 外国は特にあからさまです。

日本にいると まったく無頓着だった「差別」に敏感になる。

でも そういう体験をすると

自分でもやっちゃいかんな という気にはさせられる。

自分の行動を鏡で映されて ハッとするような。

無意識が意識化されるんだな。


以下は 主人公チャーリーが

働いていたパン屋をやめさせられそうになり

食い下がるシーンです。

「ジンピイは私をじろりと睨みつけ 烈しく首を振った。『気にさわるやつだな」と彼は大声で言った。『地獄へ行っちまえ!』そう吐きすててくるりと背を向け びっこを引きながら立ち去った。

万事がこの調子だった。たいていの人間がジョウやフランクやジンピイと同じように感じているのだ。私を嘲笑することができるかぎり 私をさかなにして優越感にひたっていられる しかし今では白痴に劣等感を感じさせられている。私のめざましい知的成長が彼らを萎縮させ 彼らの無能さをきわだたせているのだということが私にもわかりはじめた。私は彼らを裏切ったのであり 彼らはそのために私を憎んでいるのである。『アルジャーノンに花束を』P117)

この

「私を嘲笑することが出来るかぎり 私をさかなにして優越感にひたっていられる」

という一文に ガーンとショックを受ける。

都会の人間が田舎の人間を見るとき

欧米人がアジアの人間を見るとき

男性優位社会では 女性に

大人が子どもに

自分の中にあるすべての劣等感を打ち消すための差別。

自分にもあります。


ここは市内なので

ちょっと市内からはずれたところの人を

「田舎の人」と言いますからね。

東京に行ったら全員「青森県人」という一くくりなのにね。

しかも 平成の大合併で 

近隣の市町村は住所が同じになってるしね。

結局そういう「境界」は 人間の頭の中にしかないんだ。


U-turn(なつかしい)の土田さんが

自分は「大宮出身」であって

「埼玉出身」と言われるのを毛嫌いしていますが

まさにそういう体験をしたことがある。

かつて私のことを「青森さん」と呼ぶ人がいて

私は「弘前」なんだと 強調したことがありますもんね(笑)。

どっちだって同じだろ!と 他県の方はおっしゃるだろう。

確かにそうなんだけどさ。

田舎者 と見られたくないからですよ。

青森というカテゴリーに 十把一絡げにされたくない。

「ダサい」と思われたくない。

でもおそらく 関西に住む人たちも

「関西人」はこうだ と言われたら イヤじゃないでしょうかね。

「関西人」という言葉さえも 差別的に感じる人もいるでしょう。


埼玉って いいとこですよ。私は好きです。

前に住んでいたところに行ってみたい。

東京に行く新幹線の中から 食い入るように見てました。

土田さん 今は「さいたま市出身」と言われて ムッとしてるかな…。coldsweats01


せば!

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2008/05/06

『チルチンびと』とエコ

住まいは、生き方 地球生活マガジン『チルチンびと』2008年5月号
「ナナムイびとの暮らし(なんのこっちゃ※) 佐原・時を味わう町家カフェ 埼玉県ゆずの木保育園」

初めて買ってみました。

副題が「小さな木の家」という とっても魅力的なものだったので。

私が住みたいとつねづね思っているところ

それは 平屋の小さな家 です。

小さいもの それが自分サイズ。

ずっと前 私が軽自動車から降りてきたところを見たある子どもが

「でっけーな」

と 言ったことがあったのだけど 

小さいものが好きなんです。どしてもこしても。


これまでも 折にふれて

小さいこぢんまりとしたものが心地よい

ということを書いてきました。

たとえば職場

企業の中で たくさんの人の中で働く ということが

どうも居心地悪い。

教室の形態もそうだけど 

「狭い範囲を深くやる」ということが向いている。


前置きが長くなりやしたが…


小さな木の家 という特集 敷地30坪でのびやかに暮らす だって。

「ステキ!」

埼玉県のゆずの木保育園 てとこが載っていました。 

寄居町という 秩父の方にある場所で 私も大好きです。

みんなで野菜を育てて 包丁もって料理して 山歩きをして

体を動かして もりもり食べる。

親も子も育つ環境 と謳っていて いいなあ。


あと北海道の「北の住まい設計社」という家具屋さん。

経営者のご夫婦は 

若い頃に勤め先の 安く早く という家具作りに幻滅して退職。

これから どう生きるか と自分たちに問いかけ

夫婦でフィンランドにホームステイし

「パンやビールを手作りしたり 何代にも渡って家具や食器を使う生き方」

「結婚式で 奥さんが手作りの料理やケーキを取り分ける姿に感動」

したのだそうだ。


私たちは お金を使って何かをする ということに慣れすぎている。

家を建てるでも 結婚式でも 何でも

「お金を払わされている」気がする。

mortgage (住宅ローン)って 死ぬまで払う金なんだとさ
(morL死ぬ+-tuus過去分詞語尾+gage誓約)

いかに長く多くお金が入ってくるように仕向けるか

という構図だよね。


買い物とは 本質を見抜く力を試される行為だな。

『影響力の武器』では 

それまでまったく売れなかった商品が

間違って一桁多く値段をつけたとたん よく売れた

そういう結果が出ている。

一桁少なく じゃなくて 多くですよ。

「高い」=「価値がある」=「一目置かれる」

という 「他人からよく思われたいという気持ち」を

私たちは買っているらしい。

最先端のものは 高く売れるが

少し古いものは 値段を下げないと売れない。

「一番新しい」という人の考えが モノに価値を与える。

人の「価値観」は変わるが

本当はいつ買ったとしても その「物」自体は変わらない。

流行を追いすぎない 普遍的な形と

本当に着心地がよい 良い素材 それさえあれば足りる。

↑ヒガミです


会社というのは 

いかに安い原材料で 物をたくさん売り

金を回し続けるかということがポイントなので

かっこいいモデルが雑誌ではいていた

「限定」○着 数万円のジーンズを

みんなが買ってくれれば 万歳なのです。

Crazy!

一人前の給料取りならば それも可能だろう。

別に買えないこともない値段かもしれない。

単なる作業着 本質つまり材料は安い。

ただ「デザイン」「ブランドライセンス」「広告宣伝費」

その他モロモロに 金がかかっている。

そんなものに お金はかけたくない。

だからと言って

ケミカルウォッシュのジーパンをはこう

と言っているわけではありません。

ある程度でよい。


諸事情が重なり 

ちょっと前から車で仕事場に行くのをやめて 

自転車にしています。

子どもも送り迎えがいらなくなったし

運動にもなるし 空気も汚さないし

自転車って いいな。

折りしもガソリン高騰という時期

家計にもやさしいし おいしすぎる。

200805051708000
実は 自覚はなかったのですが

よっぴって エコ だよね

そう言って 友人がステキな水筒をくれました。

水筒…ほかにもっと こじゃれた言い方があるかもしれんが…

(ムダなことがイヤな合理主義 なんだと思う。

「気持ち」を語るわりに 冷たい人間…)

塗り箸を出すレストランもありますよね。

最初からそうすりゃいいんだよ マイ箸なんていわずに。


いずれにしても

エコ と スピリチュアルには 段階がある。

あまりに進んだ「エコ」と「スピリチュアル」を目の当たりにすると

私でも ビビります。

貧乏くさいとエコの見極め 

いずれにしても何かを買う前には 

持っている物をまた整理してみよう。


せば!

続きを読む "『チルチンびと』とエコ"

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2008/05/03

人生の地図 -物語 3-

スタインベックが『エデンの東』を書くずっと前に

『赤い子馬』という短編を書いたのだが

それは『エデンの東』の習作というべきもので

主題や構成が酷似しており 4つの短い物語から成る。

2つ目の作品『大連峰』の冒頭で

主人公のジョーディという少年が 

小鳥に石を投げて殺してしまうシーンがあり

彼はそれを親たちに見られれば叱られると知っていて 隠す。

「どうだ。とうとうやっつけてやったぞ」彼は言った。 死んだ小鳥は 生きているときにくらべて ずっと小さく見えた。ジョーディは 何かとがめられるようなかすかな苦痛を胃の腑に感じた。それでナイフを取り出し 小鳥の首を切り落とした。それから腹を裂き 羽を切り離した。そして最後に ばらばらになった小鳥の死体を茂みの中へ投げすてた。彼は小鳥のこともその命のことも まるで気にかけなかった。だが 自分が小鳥を殺すところを見たならば おとなの人がなんと言うか はっきりわかっていた。それを考えると われながら自分が恥ずかしくなってきた。彼はいっさいの出来事をできるだけ早く忘れ どんなことがあってもけっして口に出すまいと心にきめた。(『赤い子馬』P67)」

われわれ大人は

そういういたずらを やみくもに「ダメ」と言わないほうがいいらしい。

うーむ これは難しい。

見ないようにしよう。見なけりゃいい。(そういう問題か?!)

子どもは大人の知らない小さな秘密を持って当然なのだそうだ。

机の一番上の引き出しの鍵は

子どもが持ったほうがいいそうです。

そうじゃないと 部屋全体にカギをかけることになるのだとか。

 
このジョーディ少年は 一連の作品を通じて 

トリックスター(いたずら者)から 次の段階へ成長する。

4つ目の作品『開拓者』の中では

年老いた母方の祖父が いつも開拓時代の話ばかりするので

辟易していた家族が描写される。

煙たがられ 過去の栄光にすがる悲しそうな祖父の姿や 

その前作の中で命の尊さを垣間見るうちに 

少年の中に優しい気持ちが育っていく。

つづく

(人生の地図 物語4・5 については 

期間限定とし 削除しました。5月9日記)

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2008/05/01

人生の地図 -物語-

スマイル スマイル200804231038000


大平健『診察室にきた赤ずきん-物語療法の世界-』

これはおもしろい。

「むかしむかし、あるところに…」まさか精神科を受診して、昔話や童話を聞かされるなんて誰も思ってもみなかっただろう。でも、患者たちの当惑はすぐ驚きに変わる。そこに繰り広げられるのは自分の物語なのだ。悩みを抱えた心の深層を「赤ずきん」「ももたろう」「幸運なハンス」「三びきのこぶた」などで解き明かす、ちょっと不思議で、ほんとうは不思議じゃない12話の「心の薬」。内容(「BOOK」データベースより)

問題の渦中にいると

自分がどういう行動をとっているのか まったく見えない。

外界の出来事にただ反応し 無意識に動いている。

それを「あなたは今こうなっていますよ」

と 見せることで 意識的になる。

こんなアホなことをしていたのか…と正気になる。

「無意識を意識することが 問題を解決する」

という例は たくさんある。

前世療法 あれも「本当かどうか」は別として

自分を客観的に見せてくれるから 治るんじゃないか

と 考えるようにしている。

じゃないと あまりにも信じがたい症例なので。


ちなみに 何度でも書くが

『エデンの東』を読んだとき 

自分はまさにこのパターンだな と思った。

『エデンの東』に限らず 物語の構成には主題があって

それが昔からずっと同じものが繰り返されているにすぎない。

『エデンの東』にある主題は 

聖書にも 『アーサー王の死』にも 

『ローマ建国史』 『ダフニスとクロエー』

『ギリシア神話』 『トリスタンとイゾルデ』にもある。

ろーまけんこくしって?

そんな質問は受け付けません。

つづく

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2008/04/24

分かち合おう

200804230910000
お隣さんから お花をいただきました。

ちょっとしたことなんだけど

なんだか とても幸せな気分shine

「ステキッ!」


さてさて。

弘前市内には

アイヌ語 と思しき地名がいくつかあります。

学校時代に数人の先生方がしかへでくれたが

たとえば有名なところで

「小比内(さんぴない)」

「撫牛子(ないじょうし)」

とかね。

県内には「ナイ」とつく地名がたくさんありますが

「沢」という意味らしいですな。

あと 前にも書いたことがあるが

「大鰐(おおわに)」

も 「オ・アニ」というアイヌ語に由来していて

「深い谷」という意味なんだそうだ。

となると 秋田県の阿仁町なんかも

「谷」?


「日光」という場所がありますよね。

あれも「フタラ」というアイヌ語が語源で

「笹」という意味なんだそうです。

「フタラ」に当て字をして「二荒」と書いたのが

「にっこう」と読むようになり

今の漢字「日光」におさまったのだとか。

確かに日光には 笹がたくさん自生しているな

だからなのか!

と 合点する。


そういう語源とか 人間のルーツを探るのが面白くて

昨年末に

吉田金彦編『日本語の語源を学ぶ人のために』

という本を 本屋で見かけ 衝動的に買ってしまいました。

日本語は文字をもたなかったので

輸入した漢字を 音に当てたんだよね?

専門家ではないので つっこまれると困りますが…

外国の言葉と日本語は 

まったく共通性がないようで

実は通じているところがある。

特に ポリネシア語と日本語の共通点は面白い。


ポリネシアとの共通といえば

アカシック・レコードという言葉があります。

アカシックレコード (Akashic Records) は、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。多くの場合、宇宙空間それ自体にその(一種の)記録がなされると考えられており、そのためサンスクリットで「空間」「宇宙」「エーテル」を意味するアカシャ (Akasha) とも呼ばれる「アカ」という言葉も 色々な国で共通するものらしい(Wikipedia)。

ポリネシア圏にも「アカ(aka)」があって

「エーテル体」という概念らしい。

「…アカというのは 肉体の 目に見えない複製のようなものであり 肉体とおなじ空間を占めていて 基本となるパターンを提供しているものなのだ(サージ・カヒリ・キング『ハワイアン・ヒーリング』P135)」

ここまでくると スピリチュアルに嫌悪感を持つ人は

イヤになってくるかもしれないが

基本的には 火のないところに煙は立たない

と考えるので

ちょっと変わっているな と一見思えたとしても

どんな説にも どんな人の言葉にも

多少の真理が隠されている と思っています。


アイヌ語の話に戻りますが

世間にはやはり アイヌ語の地名に興味を持つ人がいて

実際に訪ね歩いて 解釈を試みた方がいます。

菅原進『-エミシの国の-アイヌ語地名解(北東北県版)』

岩手県内在住の著者は 

中学校教員を退職してから北東北3県を回り

アイヌ語系古地名の収集と解釈に取り組んだそうです。

例えば

「岩木山」は

「カムィ・イワク・イ」

(「ク」は 小さい文字で表記されている)

意味は

「神・住みたまう・所」。

「青森」は

「アウン・モィ」

意味は

「内に入り込んでいる・入り江」

と 解釈できるそうです。

(東奥日報より)


またある時 こんな記事も読みました。

辞典を長い年月をかけて編纂した男性について

この方は 本当に小さい頃から辞典に興味があり

人生の選択をする際には必ず

自分がやりたい「辞典」に関わることを選んできたそうです。

辞典編集のチャンスが来たときに飛びつき

編纂した大辞典が世に出回ったときの歓びを語っていました。


また 大学院の研究論文をやっている女性ですが

ある作品の翻訳が 一部分であることに気がつき

一念発起して 全訳にとりくみ 

出版したという記事も読みました。

この人にしても 

退職してから アイヌ語をフィールドワークによってまとめた人

辞典編纂を長年夢見た人も

自分にしかできないことを生涯の仕事にして

それを知らなかった人たちに伝えることができる

そういう仕事ができるのは すばらしいことだな

と 思います。

「それまで知られていなかったことを 世に知らしめる」

それは 自分だけに知識を納めておくのではなく

みんなで分かち合うこと

それが ずっと心に残っています。

これからも

「これはみんなとシェアしたい」

と思うことがあったら 

私も書こう と思います。

そういう仕事を 自分も見つけることができたら

とてもしあわせです。


せば!

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2008/04/21

新川田譲監修『心理カウンセラーをめざす人の本』

新川田譲監修『心理カウンセラーをめざす人の本』 成美堂出版 2008/3/20

この本読んでよかった。

いままでずっと 

「心理学に興味がある」

と自覚してはいたものの

いったい どんな種類があるのか

それに興味がある自分は何なのか

字と図で一目瞭然

「こうですよ」

と 見せてくれるような内容になっている。


前にも書いたことがあったけど

どの仕事もそうであるように

人に何かを教える仕事というのも

ただ技術的なことを習得して伝える

それだけでは できないというのが実感です。

一人の人 その日一日あった出来事

教室に来る直前の出来事

家族 友だち 先生 その他

いろいろな関わりの中で教室にきて

「さあ 英会話をやりましょう」

と マニュアルどおりにやろうとしても

まったく進まないこともある。

教育心理学の分野を 一応研修でやりますが

そんなね 一朝一夕にはうまくいかないものです。

生身の人間ですからね。 

その人が態度に見せない心の状態

うれしいのにうれしくない態度をとってしまう とか

そういう 心理的な洞察ができると

私たちは 相手に対して寛容になれる

と 思います。

多少は。


目次はこうなっています。

1.心をケアするってどんな仕事? 2.社会が求めているカウンセラー 3.カウンセリングの基本を学ぼう 4.心理学がわかる基礎用語 5.カウンセラーの仕事の実態 6.カウンセラーへのインタビュー 7.カウンセラーの資格 初級編 8.カウンセラーの資格 上級編 9.知っておくべき心理学の分野いろいろ 10.学会 大学 一覧


10-5分もあれば すぐ読めます。

とても読みやすい字体と内容です。

そして 専門的なことのほかに

コラムが充実している。

ここが書きたかった。

「必見!映画で心理学」というコーナー

これ見てびっくり

これまでに 自分が好んで見てきた映画が

たくさん載っている。

ははーん 心理学的な映画が好きだったのね

と 腑に落ちた次第です。


「ビューティフルマインド」

「グッド・ウィル・ハンティング」

「恋愛小説家」

「息子の部屋」

「普通の人々」

「パッチアダムス」

見たよ見たよ~

「普通の人々」(The Ordinary People)

なんてのは かなり古い映画だよね。

これ 20年くらい前 学生時代に見た。

監督 ロバート・レッドフォード。

ある家族の兄が事故で亡くなり
 
弟が情緒不安定になる。

セラピーを受けるに従って

両親がそれぞれに抱えていた問題が

浮き彫りになる。

この本には

「個人の病理は その家族全体の病理である」

とありますが 

家族の支障が子供に表れる という点は

教育するものが心得ておくべき重要なポイントだ

と感じています。

その子供ひとりが 好きで登校拒否になったり

ひきこもったりするわけではないよね。

その人一人だけが直ればいい

わんだぢは 関係ない

という ご都合主義に

私は強く反対します。

社会の病理も 弱者に表れる という意味で

今のわげ者 なってねー

とか

とんでもない犯罪が起こっているのを見て

「親 悪いんだ」「しつけなってねんだ」

とか

犯人探しをするのも不毛だ。

これは 私たち一人ひとりの問題だ。


つづく

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2008/03/17

Win-Win 自分も勝って相手も勝つやり方

200803121418000
今日もさまざまな地域から見てくださり ありがとうございます。

雪解けの津軽から お送りします。


最近 毒舌全開 ですが

すべて私の心の裏返しです。


昨日あまりにいろいろなことがありすぎました。

仕事だったので プロに徹しようと思い

平静を装って なんでもないように明るく振舞いましたが

家に戻ると 虚脱感に襲われ

意識的に動きすぎたため 反動がきたのか

頭と体が一致しないことをしていたためか

不登校の子供よろしく 体が動かなくなりました。

ご飯も食べずに横になり

早々と寝たにもかかわらず 

夜中に目が覚めてずっと眠れなかったのですが

明け方 突然ナッチャンれらで函館に行こう!

という夢を見ていたところ

目覚ましに起こされた というわけです。

自分が大変だということをアピールをする人の心理状態

もう丸裸ですが 書い投稿。


『7つの習慣』によれば 

人には4つのタイプ

win-win, win-lose, lose-win, lose-lose

があり

私はlose-winタイプになるらしい。

自分が負けて 相手が勝つ。

そういう心理状態を持っている。

なので 人に譲りすぎて 後で後悔する。

あるいは 人に弱みを握られ 操作される。

ま いらねぐ じょっぱる時もありますがね。

(:余計なところで 強情をはるときもある)

私がじょっぱるときは 本当に 心底 

もうこれ以上譲れないときです。

一応 「反応的な人間」を脱皮するべく

感情的にならず いったん状況を判断しようか

という理性も チョbit働いているようだ。


しかしながら

今回は理不尽だなと感じたので

自分の意思を紙に書いて送ることにしました。

言うときゃ言います。

これでもううまくいかないなら 進退を考えます。

そんなわけで

一つ一つ 昨日起こったことを 

今日整理していました。

新しいアイディアと方法で

また新年度 やってみようとは思っています。

そういう 希望を述べられるまでに回復…

昨日っきゃもう きよしのズンドコだったじゃ

「どん底」

ま 疲れたときは 

おいしいものを食べて~

よく寝て~

自分にご褒美をあげればいいのさ。

私は休まなければならない。


旅に出ます 探さないで下さい

といえたら どんなにステキだろうかshine

計画しようか。

(ノってきた)

昨日「ときに本能に従え」と書きましたが

その時はおそらく 

win-lose 自分が勝って相手が負ける

という構図になるかもしれません。

最近 自分にとっても相手にとっても両方イイwin-win

これだ

と思っています。

『7つの習慣』の著者も それを主張しています。

先の自分の意思を書いた手紙も 

こちらを主張するだけでなく

相手にとっても 自分にとっても大切だと思われるもの

それを書いてみました。

win-winが 

本能に従う動物としての一面と精神性をもった人間の

取りうるべき選択

今の時点では そう思われます。


みなさんは 壁を突破するとき 

どんな手段をとられますか。


せば!

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2008/03/13

椎名誠『波のむこうのかくれ島』

コーヒーね

楽しみがあるというのは いいものです。

いい豆が手に入ったときはうれしくてね。

私なんかは 通でもないのに「コナ」を買って

あれは 深煎りの苦い豆なんだけど

「おお~ ハワイだ~」

などと 悦に入っていたものです。

でも惰性で飲んでいるところもあったのね。

口寂しいから タバコを吸うような。

頭痛もおさまったことだし このままやめてもいいかな と思います。

でも それが苦痛になればまた やります。笑

みなさんが楽しんでいることを揶揄するつもりは

毛頭ございません。

自分が何を選ぶか だね。


英語を教えているなどというとね

もう イメージが先行してしまって

肩で風を切って歩いているような 

キャリアなイメージをもたれたりします。

まさか そんなわきゃないですよ。

本人を知っている人はご存知の通りです。

普通に会社勤めをしているほうが よっぽど稼げます。

まったくこの嫁は 勉強道楽もいいところだ

と 思われているかもしれません。

結局 英語がやりたいんだな。

やりたいことを やらせてもらっている 

という自覚をもって 日々精進いたします。


そんなわたくしですが

スーツを着ている人よりも 作業着の人に惹かれます。

実家の父は スーツを着て仕事をしてましたが

別にそれが 「まね(だめ)」 ということではなくて

作業着を着て 汗して働いている人を見ると

すげーな!と思ってしまいます。

工場見学とか 大好きです。

軽トラで作業着のわげもの(わかもの)を見ると

かっこいいな などと思う

作業着フェチ?


椎名誠『波のむこうのかくれ島』

これ去年の夏に買いました。

宝島 小笠原諸島 対馬島 硫黄島 竹島 など

日本の島をめぐって撮った写真とエピソードの本。

おもしろいです。

水納島(みんなじま)というところが好き。この島に住んでいるのは 81歳の宮国岩松さん 奥さん 三男(43) 四男(41) 五男(36)のたった5人。著者の椎名誠さんは 一軒家の空き家を借りて別荘気分だ と書いている。

「島で暮らしていくのにまずいちばんに求められるのは なんでもできること。三人とも普通 大型特殊 船舶一級の免許 大工 溶接 左官などの基礎技術をもっている。五男の重信さんは 牛の人工授精の技術を学び 資格をとった。兄弟の育てる牛の優秀性には その技術も大きく貢献しているようだ。P174)

今もし 天変地異などが起こったら 生き残るのはこういう人たちだ

と 思う。

戦争でも起こって 貨幣の価値がなくなったら

お金をたくさんもっていても 何もできない。

食べるものも買えない。

田畑を持って 自給自足している人が生き残る。

英語なんか教えていられるのは 社会が平和だからであって

生きていくのに必要な 命強さ たくましさは 

こういう なんでもやらねば生きていけない状況にいる人たちにある

と 思う。


その点じっちゃは 生き残るね。

なんでもできるからな。

ないものは自分で作るしな。

修理も「お金がかかる」といって 全部自分でやるしな。

私がお遊びで畑や菜園をやっているのを見て

「あめーんだね」

と せせら笑ってるからな 笑

じっちゃが実家で作っている米を食べているのです。

残念だが それは本当のことなので 反論できない。


しかしながら

いつの時代も 今の世の中で生きていくしかないんであって

平和で社会が安定するほど 仕事は細分化され 専門化が進む。

それでも

管理する側の仕事がえらいんだ 

ブルーカラー ホワイトカラー で差別化するような風潮と 

それにすっかり感化されている自分。

作業着で汗して 外で働いている皆さんを見ると

いい子ぶった言い方に聞こえるかもしれないが

冗談抜きで お疲れ様 といつも思うね。

いつもインテリで通っている人が

アウトドアになると全くだめで

逆に イキイキと何でもやろうとする人もいるよね。

どっちもできるといいんだろうな。


でかい図体(態度?)とは裏腹に 小さいものが好きで

平屋の一軒家 とか 車 とか

仕事も会社よりも 小さな事務所とか 店が落ち着くのは

一部のことだけをやるのではなくて

全体的に少しずつ自分が関われることを求めているから かもしれん。


会社勤めが苦痛で 

小さなお店や事務所 塾や教室で嬉々としてきたけど

今度は「島」に住んだりして…


せば!

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2008/01/27

第2回ヨガ祭り

お疲れ様でーす。

友人たちを引きつれて 第2回ヨガ行ってまいりました。

今日のヨガのポイント

1.「立つ時 足の裏の支える3つの点『親指の付け根 小指の付け根 かかと』が大事である。両足で6点だけが 地球とつながっている。

地球っすか。

スーパーマーケット 「ユニバース」くらい スケールでかいね。

2.「ダライ・ラマなど スピリチュアル的に有名な人物はいつも微笑んでいる。苦しい と思うことも 微笑むことで乗り越える。」

3.呼吸が乱れたら 早くたくさん吸おうとするのを 意識的にゆっくりしてみる。その方が 早く整えられる。

4.骨盤は 疲れやストレスなどがたまる場所である。そこを意識的に開く動きをして 解放してあげるとよい。

5.現代は 立ちっぱなしか座りっぱなしなど 同じ姿勢を続けていることが多い。猫背で体が縮こまり 体が十分に呼吸できていない。そこで 意識的に 胸やのどを開く動きをする。またうつ伏せになって お腹に圧をかけて呼吸し背中やあばらを開く。


2回やって時点で思うのは ヨガって型より呼吸法だな ということ。

のどや 胸を大きく開放して チャクラを開く と言っていた。

チベット体操も 呼吸法とチャクラを開く動き かと。

太極拳も そうかなと。

人間が呼吸する回数というのは 地球の歳差周期と同調しているらしい。

ちらっと これまたジュニア向けの物理の本で ずっと前に見たね。

だから 早くなりすぎると 宇宙と合ってないわけだから 不調になる。

そんな風に思う。


スピリチュアルって 基本的に

頭で考えていることと 体が欲することを統一することなのでは

と 思いつく。

こうしたらイイ と 頭で考えてわかっていても

体が動かないということは いっぱいある。

学校に行かなくちゃ 仕事しなくちゃ

こうしなけりゃ ああしなけりゃ

でも体はコッチコチ

そんな時 本当はやらなくてもよい。

頭だけで動こうとしていて でも体はやりたくない。

体に変調をきたして 病気になる。

やりたいことをやればよい。


ちなみに

歩けない人を歩かせたり

燃料を給油することなく飛行機を飛ばし続けるなどの奇跡を起こし 

救世主と崇められた リチャード・バック『イリュージョン』の登場人物は

「ぼくたちは皆 やりたいことはなんでも自由にやってかまわないんだ」

と言った。

「やりたいことをやれというけど 働かなくちゃ生きていけないし 仕方なくやらなくちゃいけないことがある」

と 苦しんでいる人々の反感を買い

非業の死を遂げるのだった。

やりたいことと やらねばならないことのバランス

そこを自分で考えろ ってことだな。


ねむっ

あーたもヨガに参加してみませんか?

せば!

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2008/01/15

Calamvs Gladio Fortior

ばりばりばりばり~!

↑家事をバリバリにこなす音

今日はノリに乗っているぜー!

もう教室の準備も 洗濯も 夜ご飯も全部OKだぜー!

(メニューは聞かないように)


先日の

「雑貨屋で売っているもので全部そろえると疲れる」というコメント

続きがあります。

バイト先の社長は

「実用的なものと 半分くらいずつがちょうどいい」

と言っていました。

自分がやると どうも中途半端で 統一感がない気がする。

センスがいまいち…


昨晩 幼稚園の文集の原稿を12時まで書いていました。

その前までは 『賢者の石』をやっていたのだけど

は 明日から幼稚園だった!と思い出し

3度目の締め切りでようやく今朝提出した。

別に出さなければ出さなくても良いのだが

これまでのパターンとして

綱引きで1人足りないんだけど でない?

原稿出す人少ないんだけど 出さない?

の連絡がくるので

卒園だし 幼稚園の先生方に感謝をこめて出すことにした。

字が雑になって 最後はどんでもかんでもになってしまった…

いーね。コンテストでねんだはんで。


さっき プレジデントを買うつもりが 思ったよりつまらなく

隣に積んであった本を買ってしまった。

文藝春秋編『日本の論点(The Issues for Japan)』

おそらくこないだの 自分でも悶々としていた疑問に

答えてくれる内容だと思う。

↑どんな批評・非難にも 論破する構え

理論武装

どんだけ毎日文句つけられてるんでしょうか…

いや ただ一つのメディアを真に受けて

首相が悪い!

とか

親の教育が悪い!

という批評があまりも多すぎる。おかしいと思う。

主にじっちゃ(笑)

これ読んで 平行して賢者の石(できんのか)

そんなコワイお嫁さんとは 同居したくないね。

テレビや新聞で あーだこーだ言っているけど

本当にそうなのかどうか 

自分で考えたり 調べたり 体験してから

「やっぱり本当に悪いんだな」と納得したい。

お値段2900円

高いか安いか

服を買うよりずっと安いから いいことにしよう。


せば!

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2007/12/15

荒井良二―子どもの領分

おはようございます。

ここ数日のモットーは

「ケチケチすんな!」

でした。

サンタクロースになった気分で

方々に配りまくっております。

(何かを)

みんなの笑顔が見たい

今年もどうもありがとう

という一心です。

(さもさもいい人のような印象を受けた方

いいことだけここに書いていますので お間違いのないよう)


えー。

先日の荒井良二さんのお話の中で

書ききれなかったことがあります。

それは 子どもについて。

彼は 子どもという存在を賞賛していています。

子どもたちを対象にしたワークショップを定期的にしているが

とても自分がかなわないような 斬新な発想が見られるそうで

「おまえら天才だ!」

と 打ちのめされておりました。

そうやって 自分も刺激を受けているのだそうです。

子どもたちのやりとりの中でのエピソードに こういうのがありました。

あるとき 荒井さんが描いた絵を見た少年が

「その下書きの線 消した方がいいよ」

と 言った。

それは下書きではなくて 堂々の清書だったのだけど

そう言ってもらえて とてもうれしかったそうだ。

(そこが荒井さんのすごいところ)

なぜなら その少年は 自分を同等かあるいは

下に見ているのだとわかったから。


荒井さんが絵を描いているときにも

「大人だよな~…」

と 絶句しているシーンがあって

ストーリーを結末までもっていこうとする大人の自分と

戦っている様子が伺えました。


だいたい私なんかは

子どもたちにつっこまれないように予防線を張って

えらそうなフリをしたりしますがね…

先日もある方とこの荒井良二語録を語り合っていたところ

相手の方が 荒井さんと全く同じように

「子どもと接するときには 犬に序列があるように

自分が一番下であるように心がける」

とおっしゃっていたのが とても印象的でした。

そうでなければ 子どもは心を開かない。

服装とか 肩書きとか おせじとか

そういうことを子どもは解さない。

もう肌で 感覚で 見ただけで

この人はどういう人かを見抜く というわけです。

「本質」を見抜く子どもの能力…うーむ。


ずっと前「お気に入り」に入れていたあるブログでのことです。

そのブログの主は 書いてある内容から察するに

おそらく 自分よりもずっと年配の男性の方で

大学で教える仕事をしているようでした。

ある時

「実は小心者で うまくできるかどうか内心ドキドキしているが

大人数の生徒の前では 私はさも模範的な教授であるかのように

エラそうにふるまっている」

ということが書かれたときがあった。

意外なことに少し驚きつつも 親しみを感じました。


本当の自分 子どもの自分というのは

ずっと奥に隠してあるんですよね。

だから 子どもの自分をひき出そうとしている荒井良二という人は

本当の自分と向き合おうとしているように思えます。

子どもの世界の扉をノックしたいものです。

余談ですが 先日の

「子どもの自分をひき出す」
「体をまず喜ばせる」
「先を考えない=大人の自分と戦う」

といった 荒井良二語録はまさに

精神世界で語られていることであって

こないだ ちょびっとやってみたヨガでも

全く同じことを実践しているわけです。

そういうことを考えると

「全ての神話は、人間の経験を改めて語ったものである。」
The whole legend is a retelling of human experience. Steinbeck, A Life in Letters

ということが本当なんだな と思わされる。

だから 神話や伝説 口承の昔話を読むと

これはまさに 自分に起きていることと同じだ!

と励まされたり

勇敢に立ち向かっていく主人公を見て 勇気を奮い立たせたり と

自分の物語になっていくのだろうと思います。


次回この 「自分の物語」について書こうと思います。


子どもの世界~♪


せば!

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2007/12/13

「プロフェッショナル―仕事の流儀 荒井良二」

行動しながら考える

年末のモットーです。


どっどど どどうど どどうど どどう

怒涛の年末佳境に入ってきたよ~

教育テレビ 日本語であそぼ ぢゃないかって?

つっこみありがとう…

自分でつっこまなきゃ!

ドンドンドンドン ガラガラガラガラ

(鳴り物)

怒涛を音楽で表現してみました。


「いや 私には余裕があります。

経済的に 心理的に 時間的にも。」


もし 「忙しいな」

と感じたらば

決して「忙しい!」

とか

「目が回りそうだ!」

などと 口走ってはいけない。

必ず「こうなりたい」という状態を口にする。

たとえ あなたが借金で首が回らなくても

「金がない!」

などと口が裂けても言ってはならない。

「お金がどーんどん入ってくる!」

と 言うべきである

…そうです。

簡単だし 誰にもめやぐしない(迷惑にならない)ので

やってます。

これはいい自己暗示です。


壊れ気味のつぶやきはこれぐらいにせよ。


おどでな(おととい)

NHK総合「プロフェッショナル―仕事の流儀」を見ました。

絵本作家 荒井良二さん 

これは絶対みたい!と思い

携帯の「TO DO」に登録 無事見ることができたのだー

(でなければ 忘れて寝るタイプ)


日本人で初めてアストリッド リンドグレン記念文学賞を受賞した

という 2005年の新聞記事を 切り抜いてあります。

「日大芸術学部卒業 イラストレーターとして活躍 1990年に絵本デビュー。『うそつきのつき』で小学館児童出版文化賞 『なぞなぞのたび』でボローニャ国際児童図書展特別賞 『森の絵本』で講談社出版文化賞絵本賞を受賞した。50歳」

「小学校一年のとき 学校に行かず 家で絵ばかり描いていた。親や先生に理由を問い詰められ 自分もわからなかった当時の気持ちがよみがえる。『今はかつての六歳の僕に元気を出せよと言いながら そのままでいいんだよ ゆっくりでいいんだよと伝えたい」

「ゆっくりでいいんだよ」

いいですねえ。ここがいいな と思って 切り取ったんですがね。


テレビでは 

もともと絵本に興味があってやっていたが

人まねを脱出できず苦しんでいた時期があったことや

食べるために始めたイラストレーターで 徐々に活躍し出したが

人の意向に沿って描く仕事の仕方で 神経をすり減らし

夜眠れない めまい 食べられなくなる 自律神経失調症になった

と言っていました。

ところが ある時転機が訪れ 

編集者の一人に「絵本」を描かないかと誘われた。

そこで

「子供の頃の自分が喜ぶものを描いてみよう」

と 思い立ち

『ユックリとジョジョニ』を創る。

これを 1991年に世界的な絵本の新人賞である

「キーツ賞」にを日本代表として出展してたちまち注目を浴びた

という経緯が語られました。

スタジオでも ホストの茂木健一郎が用意した

「ホープフルモンスターがやってきた」

という 言葉にちなんだ絵を 即興で描いていらした。

「ホープフル」という言葉を聴いたとき まず

「日の出」と「にわとり」が浮かんだ ということで

できあがりは いろんな色の中に

朝日とにわとりを抽象的に描いた絵になっていました。

茂木さんに

「まとめようとすると まとめちゃいけないという作業に入って

両方がせめぎあっている」

と 指摘されていました。

これが 番組を通じて登場する

「子どもの自分」と「大人の自分」

のせめぎあいに発展していきます。


まず荒井家の台所には 顔の描かれたポットや冷蔵庫が

たくさん並べてありました。

それは しかめっ面している「大人の自分」に

「まあまあ リラックスしなよ」

と 語りかけてくれるものなのだそうです。

そして 荒井氏は日々散歩に出かける。

それを「日常じゃーにー」と言っていた。

私も「日常を旅する」と ここに書いたことがありましたが…

私の場合 それはそもそも岡本太郎が

「毎日生まれる」

と 表現していたことに感化されているのです。

あの ギロギロした目で 毎朝庭を観察して

日々発見をしていた様子を テレビで見たことがあります。


それと全く同じように 荒井良二という人も

道路を挟んだ2本の電信柱に

たくさんくもの巣ができているのを見て

「クモのトンネル」

と 言ったり

緑の茂みの暗がりにじっと目を凝らして

「ブラックホール」

と 表現していました。

カメラマンは 退いていました…。


彼が絵本を創るとき

主人公がいて ストーリーを最後まで引っ張っていく

という描き方をしていませんでした。

一枚一枚 ひらめきを少しずつ描いていって

どんどんそれが 違うものに変化していき

設定のない 予想もつかない絵になる様子が何度も映りました。

折れた芯だけの色鉛筆などをわざと使ったりしていたのですが

それに対し 茂木さんの

「不自由な道具に脳が反応する」

と 的確なお言葉。

正しい姿勢で 長い鉛筆を持っていながら

「自由に描け」

というのは できないのだそうです。


ところで 左右脳の機能差は

左半球―産出的 分析的 記号的 理性的 論理的 抽象的 場面独立的
右半球―受容的 全体的 音楽的 感情的 直感的 具体的 場面依存的

というのがあるそうですが

子どもの自分と 大人の自分のせめぎあい

というのは 

こういう「右脳」と「左脳」のせめぎあいなのかな?

と 感じました。

ここにも 「自分の中の双子」がいるんだね。

コリン・ウィルソン『アトランティスの遺産』でも

左脳の中に閉じ込められた現代人のことが強調されていましたが

その著者が指摘している通り どちらか一つ ではなくて

左と右のバランスをとることが大切だな

と 思った次第。


荒井良二語録をお届けします。


「寄り道しないと自分の本領が発揮できない」

「情熱のヘタクソ あの人を喜ばせたいという熱意のあるヘタは『あり』」

「自分の絵本を見ることで その人が『ノックされている』ことを望む」

「子どもの自分をひき出す」

「体をまず喜ばせる」

「先を考えない=大人の自分と戦う」

「生みの苦しみの中で『困難な道の向こうにいる 新しい自分』に会う」

そして最後に

「プロフェッショナルとは 

『プロであることをどれだけ忘れてそれに没頭できるか』」

である

サンキュー リョウジ~

(ちかしい)


せば!

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2007/11/17

キャロル・アドリエンヌ『人生の転機』 ふたたび

キャロル・アドリエンヌ著 住友進訳『人生の転機』(When Life Changes or You Wish It Would--How to Survive and Thrive in Uncertain Times--)主婦の友社 2006/2/20。

ちまたに さまざまな成功哲学本があふれ

あれもこれも読んでみたい

という衝動に 時たま駆られながらも

この本は 見えるところに置いておいて

必要になったら取り出して確認する 

私の「処方箋」です。

第1章 いつ どこで何がどう変化していくのか

第2章 変化には何らかの目的があることを信じなさい

第3章 冒険の精神を見つけろ

第4章 プラスのエネルギーに従え

第5章 ビジョンを保つ

第6章 答えが出てくるのを待ちなさい

第7章 プロセスを信頼する

第8章 自分を進化させなさい

第9章 マスターする

第10章 心を開き 今を生きなさい

第11章 持ちつ持たれつ

第12章 恐怖に対処する

第13章 前進する

第14章 繁栄していく

第15章 神秘の推移を進んで受け入れる―愛情 喪失 死

この本の 物理的・精神的な繁栄の両面から

アプローチしているところが 好きです。

参考図書もたとえば

ジェームズ・レッドフィールド『聖なる予言』『第十の予言』

ディーパック・チョプラ キャンベル ユングの言葉など

なかなかのラインナップでございます。

できればもうちょっと 

それぞれの人物の体験談(読み物として面白い)ところと

実践的な方法(実際にやるときのチャート)紹介を分けると

なお役に立つな と 勝手に思っている。

566ページあり 読むたびに発見があります。

変化の地図や 成長のプロセスなど

自分の今おかれている状態が どういうものかを

俯瞰的に見ることもできます。

だから

その時々に起こる変化に動揺したり

狼狽するだけでなく

大きな流れの中で 今自分がどこにいるのか

それを 高い場所から眺められるようになっている。

それがこの本の魅力です。

私たちは

やるべきことを全部終わらせてほっとするのではなく

死ぬまで常に変化があり

ひたすらそれに対応していく。

その対応用の引き出しを増やしていく。

それが人生

せ らヴぃ

(知っていること総動員)

今回 自分で これは と思った箇所は 

37歳のトランスパーソナル心理学のカウンセラー

チンタ・ゴンザレス・カビルのエピソード。

デトロイトの中流家庭に生まれ

母親はイギリス系アメリカ人

父親はメキシコ人

自分は心理学に興味があったが

親戚一同から 医者 弁護士 エンジニア

といった専門職について 経済的に自立しろといわれて育った。

(そういわれて育つ人も また多いとある)

家族の圧力に屈し 工学部に入ったものの

心身ともに疲れ 試験を落としてしまう。

その後は自分をとりもどし 数年間 

文化人類学とトランスパーソナル心理学を研究

シャーマニズムにも情熱を注いだ。

神秘主義の研究もし 大学院に進みます。

そのとき

「国際的大都市で暮らし セミナーやワークショップを開いて対症療法や補完医学を世の中に広めたい」

という目標を掲げ 五年後に実行します。

「私の人生のテーマは メキシコ人の父とイギリス系アメリカ人の母から生まれたことに始まり つねに異なる世界の橋渡しをすることでした。現在 関心を抱いているのは 文化 ヒーリング 超常現象のいずれの分野であれ 私たちが現実だと考えている世界の境界線をさらに広げていく本を書くことです。」P288

このように 

降りかかってきた(ように 本人には思える)不幸も

実は 本当の自分を知るきっかけとなって

それがいずれは 

社会における自分の役割を知ることにつながり

人の助けとなることを模索していくようなエピソードが

たくさん載っています。

ある人は 貧困から立ち直って シェルターを作り 

バイセクシャルである苦悩から 性教育に献身したり

学習障害をもつ息子のために 自分で教える道を見つけます。

訳者のあとがきにもあるように

「多くの人々の人生の転機の話を読むことで この激しく変化する時代を生き抜く勇気や希望が湧き 困難な状況にも柔軟に対処していけるようになる」

「この苦しみはほんとうの自分を見つけ出すためのチャンス」P565-6

なのでしょう。

これからも 自分の進む道を模索しよう。

せば!

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2007/11/15

自分に正直になる

「これからの人生を生きていくためには、何者かにならなきゃいけないんだ」と思い立って、村上龍さんの『13歳のハローワーク』を書店で立ち読みしたんです。そこで「作家」について解説しているページに、こんな文章を見つけました。

「服役囚でも、入院患者でも、死刑囚でも、亡命者でも、犯罪者でも、引きこもりでも、ホームレスでもできる仕事は作家しかない。(中略)もう残された仕事は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい」。

(「日本ラブストーリー大賞」インタビューより 引用)

このブログの管理画面を開くと 右上に

「クリックしてくれ」

といわんばかりに 

「ココログ小説連載開始!」

とあったので 行ってみた。

そこに 「ラブストーリー大賞」を受賞した 

上村 佑 なる人物のインタビューが載っていた。

「昭和31年生まれの50歳。コピーライター、ゲーム制作、

キャリアコンサルタントなど、さまざまな職を経験した後、

初めての小説執筆に挑戦。」

とある。

先のインタビューに

「追い詰められたとき 本当の自分にあう」

ということを感じ J・K・ローリングを思い出す。

「これ以上なにも失うものはないと悟ったのは 赤ん坊を抱えたシングルマザーとなり 職に就けるあてもなく 貧困のどん底から這いあがれる見込みもないほどに追いつめられたときだった。あの物語を書いてみよう。生活がこれ以上ひどくなることはありえないし もしだめとなったら また教師か秘書の仕事に戻ればいい。会社勤めをしてきらいな仕事でいい給料をもらうより 収入は少なくとも 物書きでいられるほうが どれだけ幸せか。」

『ハリー・ポッター誕生 J・K・ローリングの半生』P244

これを買ったのも ちょうど卒業するあたりだったか

独立しようとしているときだったか。

当時の仕事・生活状態を打破しなくては

という衝動に駆られたときだった。

人間いつまでも 同じではいられないものだよね。

「変化を起こさないと これ以上耐えられないぞ

 苦しいままだぞ」

という合図がある。

意味なくイライラしたり 怒りっぽくなる。

悲しくなる といった 感情が表れる。

(わたしは最近もそういう時期です)

そういう時は 一人の時間を作って

自分と対話し 

考える時間が必要なのだそうです。

「変えたい」

という気持ちになるとき

私はキャロル・アドリエンヌ『人生の転機』を読みます。

というわけで

次は あのすばらしい『人生の転機』 を もういちど。

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2007/11/04

加島祥造『求めない』

加島祥造『求めない』 小学館 2007/9/9。

「こういうの 読むでしょ」

と言って 貸してくださった方がいらっしゃいました。

ありがとうございます。

そのとーりです。


この本の著者は 

1993年に「老子」に出会って以来 

さまざまな角度から「タオ」を模索しているそうだ。

この「タオ」は 自分の中のキーワードの一つなので

あたってます。

わのキーワード

ユング 道教(老子) シュタイナー 

その他モロモロ


加島祥造という人は英文学が専門で

元々大学の先生をしていたそうだ。

それが

「私は英米文学から『老子』のタオイズムに転じたし

生活は大都会から伊那谷に移って 家族から離れた

独り暮らしとなった。それまでの西洋的合理主義と

都会人的心性から一変して 少しずつ自然と交流する

タオイストになったわけです。」P181

1923年生まれといいますから 84歳ですかね。

白髭をたてて 風貌もどこか仙人ぽい。


あっという間に読みました。

これをお借りするときに私はこう言いました。

自分の中で 

どこかで読んだ「手離す」ということが ずっと残っている と。

でも 「手離す」ということはかなり難しいことだよね

人にあげたつもりでも それを大事にしているかどうか気にするし

人に「こうしてほしい ああしてほしい」という要求は

必ずするものだよね 

という話になりました。

しかし

自分が今「こうならねばならない」と執着していることに気づくと

自分を客観的に見ることはできますね。

そういう意味で 「求めない」=「手離す」ということを意識するのは

自分に必要なことだな と思っているのです。


ま そういいながら 日々葛藤…


<「求めない」とは 他者を生かすこと>

付箋をつけたとこを引用してみます。

「求めない―

すると君に求めているひとは 去ってゆく

求めない―

すると君に求めないひとは 君とともにいる」P56-57

求めない―

するとしばしば求めたら来なかったことがやってくるよ

(ただし すぐにではない あなたの忘れたころにだよ)P104

「求める」から「求めない」に入ったとき

数々の可能性がひらけるんだ―

求めないで静かにいる それがこの世に安らぐことだP130-131


そして この本の核心はここにあるのでは と思う。

「花は虫に交配を求める

虫は花に蜜を求める

花と虫はお互いに求めあうことで

互いを生かしている

それは片方だけが「求める」ことじゃないんだ

…共存とは

「求めあう」ことじゃなくて

互いに「与えあう」ことなんだ。

片方だけが求めるとき

相手を傷める―

奪うからだ。」P163-4

「他者のために生きる」という主題は

英雄譚に常套的なものだね。

聖杯探求ということだよ。

それが タオ(道)なんだ。


<求めるとどうなるか>

ユングは 

タオとの合一の境地である道家の修行法の書

「太乙金華宗旨」に強い関心をもっていた。

そんで R.ヴィルヘルム 『黄金の華の秘密』で

ヨーロッパの読者のための注解を書いたんだよね。


ユングの蔵書がたくさんあって

その思想が作品に表れているといわれているスタインベックは

聖書の中にある 「兄弟殺し」の主題

(神である父親に拒絶されたカインは 

愛されている弟アベルを殺す というもの)

つまり 拒絶された者が復讐するという

「度重なる罪と復讐の 人間の暗い構図」だとして

『エデンの東』に再現した。

その中で 

「拒絶された人は

愛情を得ようとして世界を征服しようとしたり

弱い動物を傷つけて復讐する」 

というくだりがあるんだけど

タオにある「求めない」態度と

人間の暗い構図にある「求める」態度が

まさに相反するものだな

きっとスタインベックはそれを知っていたな

と気づく。

それに

英米文学から『老子』のタオイズムに転じて

西洋的合理主義から一変したタオイストになった

加島祥造という人とスタインベックが符合するようにも思う。


もっというと

最近読んだシュタイナーの本

大村祐子『シュタイナ-教育に学ぶ通信講座シリ-ズ

「子どもの暴力」をシュタイナ-教育から考える』

に載っていた「暴力の5段階」

その人間の暗い構図である「拒絶と求める態度」

同じだね。

1.攻撃的な衝動
 
2.衝動の明確化

3.周囲への失望

4.暴力への自己陶酔

5.別の人格への同一化

とくに 暴力への自己陶酔で

周囲の大人から拒絶されていると感じた子どもは

「復讐」したいと感じるようになり

人が叱られているのをみて喜んだり

動物が殺されているのを見て快感を味わう というところ。

別の人格への同一化というのは

神の使いだといって他人を暴力で裁いたりするらしい。

そういう犯罪は往々にしてある。

それがスタインベックのいうところの

度重なる罪と復讐の暗い構図だな と。

つまるとこ 自分ののキーワード

ユング 道教(老子) シュタイナーはつながってるんだな

ということがわかった。

それが収穫だった。

いつかそれをまとめたいと思う。


今日のは覚書というべきか

単なる感想に近い。

反論されたら 論破するほどの裏づけもないので

あしからず…


そんなわけで

自分は求めないことが求められ

求めるこどもには 与えることが求められているわけです。

↑早口言葉で言ってみへ

心して仕事しよう。


せば!

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2007/09/13

『大人の切り紙のほん』

200709130825000

へーい みんな~ 元気でやってるか~い?

インチキな明るさで迫ってみました。

お元気?


とつぜんですが 切り紙ってご存知?

小さく折りたたんだ紙を切って モチーフを作るもの。

これ とても楽しいよ!


切り紙 と意識していたわけではないが

4年ぐらい前に とつぜん「ハワイアン・キルト」のモチーフを

折り紙で切って作ったことがありました。

見よう見まねで モンステラや パイナップルのモチーフを切り

今も壁にはっつけてます(注:はってあります)。

縫うのは時間がかかるが

切るのはあっという間だからね。

自分に向いている。


つい何日か前にも 子どもと切り紙をして遊んでいました。

息子は 形がつながらず 全部切れてしまった と言って

「おかーさん 手伝って~」と はさみを持ってきました。

切っているときには 予想も出来ない形が できます。

広げるときのワクワク…

単純な遊びですが なかなかどーして

おもしろい。


そしたら昨日 本屋で「大人の切り紙」という一連の本を発見。

3冊くらいありましたが

とりあえず基本を網羅した 矢口加奈子『大人の切り紙のほん』

を買いました。

花や葉っぱ 数字 ろうそく りんご ビン…

何でも一枚の紙からできる。

すてきー!


切り紙ではありませんが

よく ホーム・ワークスなどの雑貨屋に

カーテンのように長い切り絵が置いてあります。

それこそ カーテンにしてもいいだろうし

ランプシェードにしてもいいらしい。

それが実にすてきな逸品なのですよ。

植物のモチーフだったと思います。

ただ お値段が1万円以上…


以前 sucreさんとこで 切り絵の飾りを紹介していましたね。

アンデルセンが切り絵をやっていたとか

そういう話題もありました。

写実的な絵もいいのですが 

ただの陰影をかたどった切り絵というものに

なんだかとても惹かれます。

なぜ!?


切り紙をして出来上がった「切り絵」

これは一種の曼荼羅でしょう。

出た。

見ていて飽きない形です。


いろんな色を使って作る というのもすごくいい。

マルチ・ボーダーが好きなんですが

店で パック詰めされていない色とりどりの果物や野菜を見ると

その色に圧倒されて

なぜかにっこり笑みがこぼれる私…

とにかく いろんな色ってのがいい。


画鋲も いまアクリルのカラフルなのが売ってますね。

同じ色じゃなくて 2・3色入っているやつ。

あれ使ってます。

ちょっと変則的で 統一感を保ちつつ 微妙に色違いということ

そういうのがステキだなと思い

ちょっと不ぞろいになった椅子が置かれているカフェなんかを見ると

嬉しくなります。


変わっちゅ~


そのうち 切り紙をそえてお手紙を出そうと思います。


United Colors of Benetton

せば!

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2007/09/12

自分を取り戻す

リンドバーグ「海からの贈り物」が

自分のとっておきだとして

サントリー次世代研究所部長の佐藤由美子氏が紹介している。

その本がどんな本であるかは 今日は置いておいて

家事 育児 仕事 嫁課業 それぞれにがんばっているあなたへ

この文を贈ります。


日々がんばっている 女性の皆さまへ

「…実力以上に仕事に背伸びをし

仕事と子育ての両立で綱渡りのようなギリギリの暮らしであった。

自分を見失いそうになったあのころ

アン・モロウ・リンドバーグが貝に託して自らの思いをつづった

「海からの贈り物」に出会った。

…仕事も家事も際限がない。

自分だけが大変なことをしているような錯覚に陥ることだってある。

母親として生きることは褒められるが

一人の時間を持つことには後ろめたさが付きまとう。

一人の時間を持つことは 自分を取り戻し 

周囲とのよい関係を結ぶためにこそ必要なのだ。

彼女のそのメッセージが 忙しくてもいつもよき母親でありたいと

無理をしていた私の背中をそっと押してくれた。」

(東奥日報 9/9記事)


一人の時間を大切にしようね。

せば!

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2007/08/31

遠藤周作『ほんとうの私を求めて』

ご訪問アリガトウございます。

たまに「ギックリ」ネタ 以外のことも載せたいのですが

今の私は ギックリ中心に生きているので 

「腰を落ち着けて」 ブログを書くこともできない。

ちょっとまえに書いたのがあったので アップしよっかな?


遠藤周作『ほんとうの私を求めて』

友人が 「2冊買ってたから あげる」といって くれたものです。

結婚している あーた。

結婚しているからこそ 恋愛という感覚を呼び覚ます必要があります。

じゃないと 

あまりにも「こうであるべき」理想像にとらわれて

旦那一筋 などと気張っていると

突然 若いツバメに奔ったりします。

それを防ぐために 遠藤周作は次のことを勧めています。

1.社交ダンスなど 配偶者以外の異性と踊る
2.それ以外にも 配偶者以外の異性と 趣味の場で交流を図る
3.今現在自分が置かれている立場と 全く違う人物を演じる

3は実際に 著者主催で素人の劇団を作り 1年ごとに俳優を募っていたようです。

遠藤周作は ユング心理学に傾倒していたところがあるので

自分が抑圧している性質を解放することが大切だ

ということを 著書でよく主張しています。

ここにもよく書くことですが

抑圧しすぎると ある時耐えられなくなって 

意識と無意識が逆転するのだそうです。

それで

「あんなにまじめだったあの人が…!」

ということになってしまう。

なので 適度にガス抜きをしましょう

と 遠藤先生はおっしゃっています。


主婦たちが 韓流スターに入れ込んだり

私のヨーに 田臥くん教を崇拝するのは

健全です。

↑言い訳


余談ですが

一緒に住まない「通い婚」や「事実婚」というのは

カップルを健全に保つと思う。


ちなみに昨日 隠れユンギニアンからお借りしていた

菅靖彦『心はどこに向かうのか―トランスパーソナルの視点―』

諸富祥彦『トランスパーソナル心理学入門』を読んだ。

思い出したんだけど 後者は前に図書館から借りて読んだことがあった。

前者は 初めてだけど これまで読んだ本のキーワードがてんこ盛り。

特に「現代の危機の深層」というところが 興味深い。

著者は アメリカにおける 両親の幼児虐待問題を取り上げ

何が「人を幼児への虐待へと駆り立てているのか」と問う。

そこで 神話学者 ジョセフ・キャンベルの『神々の仮面』から

人間の暴力性をうかがわせる 成人への通過儀礼の描写を引用している。

それは 乱交 殺人 人肉嗜食といったもので 狂気そのものである。

なぜ この野蛮な「死と再生」を体験をする必要性に 人間がかられるのか?

この問いの中に 霊性や宗教をめぐる問題の核心が隠されているそうだ。


続きはまたこんど。

人間て 奥が深いのう。


せば!

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2007/08/23

一夏の思ひ出―暗門 田んぼアート 賢者の石―

どうもどうも。

おかげ様で 元気ですよ!


わたくしイチオシの 

黒石市ほるぷ図書館と暗門の滝に行かれたという方が!

なんという フットワークの軽さ!ここに書いた甲斐がありました。


200708151222000実は私も 終戦記念日に暗門に行ったんです。

ところがっ

次の日 ギクッときちゃったもので ブログに書くタイミングを逸したのね。

わっはっは 

ワラってごまかす


その前の日にも 川で遊んできました。

川の水は どんな炎天下でも 冷たい!

ずっと 川の中にある大きな石に腰掛けて

足を浸しておりました。

至福のひとときでした。


また

200708191343000年々観光客が増えている 田舎館村の「田んぼアート」

これにも行ってきました。

もう 無料で解放するにも 限界じゃないでしょうかね?

能代カップを彷彿とさせる あの混みよう。

日曜日のせいかわからないけど

観光バスが乗り付けて 団体様のお着き

建物からはみ出るほど 長蛇の列でした。

こんなことも初めてだね。

「田んぼアイス」(田んぼとは無関係だそうです)
200708191355000

「足あとサブレ」(毎年必ず買ってしまう)
200708191403000

田舎館村役場は こんな感じです。
200708191405001

津軽地方は そろそろ夏休みも終了

たくさんの思い出ができた夏でした。

いがったいがった。


ついでに

今わたしがやっているまともなこと

それは

同士よりお借りしたD.Peat『賢者の石』を一通り読んで

「解説してね」

と 言われたことを思い出しつつ 抜書きしていること…

まだ5行くらい 笑

別に 言われたからやっているのではなく

自分のためにやっている。


人間 いつかは モノだけでは満たされないところに行き着く。

そして 哲学か宗教に 生きていく意味を見出そうとする。

ではなくて いま神秘主義と科学の接点を探る必要がある。

この混乱をきたしている地球に必要なのは 新しい秩序なのだ。

そして 新しい秩序とは 

それらの接点から編み出した「やさしい行動」をする ということ。

この「やさしい行動」というのが この本の核心で

どういうものかを詳しく解説してある。

自分が知らなかった新しい知恵だった。

いい本に出会った と思っている。


ちなみに

学界気鋭の物理学者が、相対性理論、量子論、カオス理論の彼方に かいま見たもの…それは、いにしえの人々が感じとっていた巨大な 生ける自然の姿であった。現代科学によって数学的抽象概念と なってしまった自然に躍動する生命の鼓動を聴きとり、 「知と創造を志向する自然」という新しいヴィジョンを提示する 「ポスト・モダンサイエンス」の書。内容(「BOOK」データベースより)

という 一冊です。

興味のある方は ぜひご覧下さい。

面白いので いつか ここで詳しく紹介したいと思いつつ

それは 途方もなく先のような予感。

特に 物理学方面のところが わっかりましぇーん。

しかし!

数学と物理に全く疎いわたしは

物理学者と数学者の話には 大変心を動かされることが多い。

疎い方面だからこそ なんだか大事なことを言っている気がして

その「気がして」というのが 何かを知りたくて

相変わらず ジュニア向けやら新書をパラパラとめくっているのであった。

この本は 読みます。

だから もうちょっと貸してください→それが言いたかった


せば!

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2007/08/06

野口 健『落ちこぼれて エベレスト』

黒石市温湯にある ほるぷ図書館で本を借りてきた。

吉川ちひろ『モントリオールの学校で―カナダ・スクールカウンセラー体験記』
他 カウンセリング エニアグラムなどの本 計4冊

子供用に

ささきまき『ねむいねむいねずみ』
せなけいこ『おばけのこもりうた』
アンデルセン『すずの兵隊さん』
グリム『ラプンツェル』
学研『空に星はいくつくらいあるの?』

以上です。

ほるぷは 大人向けに心理学やカウンセリングの本を置いているので

行くとよく借ります。

耳が痛い内容ばかりです。

でも それもいいかなと。


子どもは 佐々木マキ(ささきまき)シリーズが好きなので

今回も 適当に見当をつけて借りたら どんぴしゃだった。

彼は 遊ぶのに忙しいので 借りるのは私の役目だった…。

ほるぷは 子どもが何時間いても飽きない工夫がされていて

おもちゃや 木馬 ロフトなどがある。

いつも汗だくです。

ほんとは 長新太を借りたかったんだけど

見つけられなかったなあ。

弘前市立図書館は 長新太が充実してるよね。


本といえば

昨日は 野口健『落ちこぼれてエベレスト』を買ったよ。

どうも 冒険家の本が好きらしい。

自分が知らない場所に行って

色んな体験をしている人の話をきくのが ヒジョーに面白い。

坂本達

石川直樹

椎名誠

星野道夫

野口健

と きた。

『落ちこぼれて…』は

野口健が結構大胆な人間で

向こう見ずなところがあるのがわかる。

登山先の村で 一目ぼれをした女の子と結婚しちゃったり

友達と悪さをして 銃で鳥を撃ったり

間違って友達の足を撃って 吹き飛ばしたこと(!)など

それはそれは 変化に富んでいる人生を送っている。

自分のしてきた失敗や

「冒険だ」

と 思っていたことは 

彼にとっては 箸にも棒にも引っかからない。


そして

失敗したときに出会った人物や

両親を含む 周囲の人間たちの対応がすばらしい。

野口健という人の父親は 外交官で

いわゆるエリートに属する人間だが

お上に従う役人根性を嫌い

「肩書きに頼らない生き方」を貫いているという。

だから 赴任先の一つ イエメンにいたときも

外交官であることがばれないように 小型の自家用車で町を歩き

何が必要が 現地の末端の人々と対話を重ねたらしい。

また 自分の子どもが怪我で病院へ行ったとき

病院側が真っ先に対応してくれようとしたが

ここは あなたたちの国だし

もっと重病で緊急を要する人を先にしてくれ

と 後回しにさせたという。


「健 いい子ちゃんにだけはならない方がいい。

まず 自分で考えて 自分で決めたことは最後までやり通せ。」

とは その父親の言葉。


本人は 

登山清掃ということを世界に先駆けて行ったために

特に西欧の登山家からの嫉妬を買い

風当たりが強いことを嘆いているが

父上の言葉を胸に頑張っているのだろう と思う。


どの本を読んでも

著者のご両親という存在をなくしては語れない。

そんな風に思います。


あっつーけど がんばるべし。

も少しで お盆休みだしね。

ま リラックス リラックス。


せば!

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2007/07/26

『いま 子どもたちがあぶない!』

おどろ  フィッシュ

すてきに フィッシュ

おどろよ フィッシュ

まぶしい キッス

おくれでなぁ~いか~い♪

と いつも歌ってしまうのは なぜ。


200707231123000ども。

よっぴです。

昨日間違って コメント欄に「よっぴ」と書いた私。

よっぴって いくない?

なくなくない?

で しばらく よっぴで 行くことにした。

よろしゅうー(菅原文太風)


今月の初めに 幼稚園の本頒布で買ったのが

『いま 子どもたちが危ない』
『小児科に行く前に』
『おなかすいたね ペネロペ』

DE酢。

『いま~』は テレビなどのメディアと子どもの心の関係について

セミナーを行った際の実録本です。

「2005年米子で開催された中・四国こども文化セミナーで

小児科医 児童文学者 保育者たちが現場からの生の声を

通じて テレビ・ゲームが育児に与える影響を報告 検証。

子育てに関わる全ての人に知ってもらいたい現実がここに。」

(帯)

サイレントベビー 多動 言葉の遅れ 学級崩壊 

むかつく キレル 不登校 大人子ども 社会的事件の背景にあるものが

テレビを見ることや ゲームをし続けることによる脳疲労である。

ひいてはそれが 慢性的に熟睡できない状態になるのだそうです。

そうなると 子どもなのに「だるい」などの 病気未満状態

「不定愁訴」を訴えるようになる。

うーむ。


私事ですが。

かれこれ7年前

妊娠がわかったその足で本屋に行き

「買え」

と いわんばかりに鎮座していた

『赤ちゃんからのシュタイナー教育』

この一冊が 第一の育児の指南書となっております。

かわいらしい挿絵が どのページにもチョコチョコと載っていて

見るだけでも楽しいの。

テレビと子どもの関係を 魂の点からも探っていて

生まれたその日から 

テレビと子どもに 神経を尖らせてきました。

なので この『いま~』という本は ぜひ読みたいと思い

買ってみたのです。


神経を尖らしてきたというが

かえってその態度が 悪影響を及ぼしてやいないか と。

そう おっしゃるんですね。

ええ ええ そうでしょーとも。

電柱が高いのも

ポストが赤いのも

みんな わのせいだじゃ!

(これ 義父の決めゼリフ)


テレビって 受動的だよね。

情報を受けっぱなしで

こちら側の自発的な行動を促すものではない。

想像力を減退させるのだそうです。

テレビをいつも見ている子どもは

「何かおもしろいことなーい?」

と 人に訊くが

見ていない子どもは

自分で遊びを考え出すのだそうです。

その一節を読んだとき

私の心は決まりました。

テレビは 見る時間を制限すべし!

ぜってー!


生まれてみたらピーヒャララ

子どもの「テレビをもっと見たい」と

わたしの「テレビをもう消そう」という小競り合いが

続いております。

今のところ

見たいものを見たらば

テレビを消す

ということで お互い妥協しております。


かく言う私も

実家の母には テレビを制限されて育ちました。

今でも一週間のうち 自分が進んで必ず見る番組は

「世界ふしぎ発見」 のみとなっております。


そのわりの育ちブリですが…


主人も 主人の両親も

テレビには全く頓着しませんので

みっぱなし つけっぱなし…

ででんでんでんでん


なので

同居が始まって以来

子どもに

「残酷なシーンを見せない」

「見たいものが終わったら消す」

「ご飯のときは なるべく消す」

というのを 周知してもらうのに

なんどか 気まずぅ~い思いをしてきました。


だけどね。

ここは譲れませんよ

一歩も。

情報の垂れ流し

残酷なシーンの繰り返し

朝から 気の重くなるようなニュースは やめたい。

特に一日の始まりである 朝は

「今日もいいことあるぞー!」

と 思えるような

輝かしい瞬間であるべきだ。


全部 本の受け売りです。


前にも書いたけど

子どもは 意識と無意識の境があいまいなので

夢と現実の区別がない。

いつも夢の中にいる。

そういう存在に 大人が見るような映像を見せたら

アカンのです。


『いま 子どもたちがあぶない』の中では

メディアワクチンと称して

子どもに本を読み聞かせることを勧めています。


ケンカしても

いやなことがあっても

一日が終わる布団の中で

一緒に絵本を読みたいものです。


また

ノー・テレビ・デーという

テレビを見ない日を1ヶ月に1度設けることも推奨しており

このような環境を作るとすぐ

子どもたちは「次に何をしようかな?」

と 考えるようになるのだそうです。

「最近の子どもは…」

と 嘆くのは早い。


そういえば

子供の頃 祖母がお話をして寝かしつけてくれました。

いま思うと ありがたい話です。

おばあちゃん せんきゅー。

昨日も何となく 墓参りに行ってきた次第です。


余談ですが

お墓参り いいですよ。

気を静めるのに ふさわしい場所です。

お線香の匂いとか 花 鐘の音というのは

精神を統一させるように思います。


そんなわけで


特定の宗教には属してはいないが

頼まれなくても 趣味のように

墓参りに行っている わし。

そのうち 能代にある先祖代々の墓に

息子を連れて行こうと考えております。

6代前からのご先祖様と ご対面させにゃ ならん。


かなり脱線してもうた。

テレビと子どもの話だった…


せば!

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2007/07/04

ジェームズ・レッドフィールド『人生を変える力―第十一の予言』 2

第一の知恵に書かれている「偶然の一致」とは

ユングによって初めて アカデミックな視点で捉えられ

生み出された言葉「シンクロニシティ」のこと。

「ユングの定義によれば 体験者あるいは目撃者にとって

重要な意味を持つ偶然の出来事であり それによって一種の

覚醒 あるいは悟りといった感覚に近いものが得られる現象

ということになる。インスピレーション 霊感といった語感にも

通じるところがあるのかもしれない。また シンクロニシティは

一見何の関係もないような出来事や人間を

結びつけるものであり

それを体験するものは

その出来事が起きた理由を

理解することができないことが多い

(フランク・ジョセフ『シンクロニシティ』Ⅰ)。

また 一つのことに没頭し 熱中すればするほど シンクロニシティの

起こる確率は高くなり 頻度も増す と言われている。だから

私たちは 自分の興味があることに情熱を注ぐことによって

シンクロの連鎖によって 導かれるようになる(291)。

そして この体験をした人が一様に言うのは 

流れに身を任せる感覚というもので 

魂が安らぐ感覚を得る(310)。

シンクロニシティがもたらす最大の効能は 心の浄化である(312)。

10ある知恵のうち 

1 5 6 7 8は シンクロニシティについて書いてありますね。

だから シンクロニシティという概念を知っていれば 

この本を読むことに抵抗はないと思います。

著者がいわんとするところを 

まえがきを引用しながら考えてみると

いま 高エネルギー文明の末期症状で

このまま 科学・物質主義礼賛ではいかん 

と 私たちは気がついている。

その前に

自分ひとりは どういう生活をしたらよいのか。

まず 自分に正直になる。

心から やりたい と思うことに熱中する。

そうなると 周囲に配慮する余裕も出てくるので

自分の悪いくせを正し 他の人々に対して適切な行動規範に

のっとって行動する。

しかも 自らの心に正直であり続ける。

そうするうちに 周囲の意識が自分と同化してくるので

世界が見えてくる。

ということだと思います。

そこで初めて 「六ヶ所ラプソディー」や

「ガイヤシンフォニー」を ともに考えることが

できるというものだ。

おそらく私たちは

自分でこうしよう ああしようと

あんまり頑張らなくてもいい。

やらねばならないと「考えた」ことではなく

やりたい と「感じる」ことをやる。

起こった偶然の意味をよく考える。

また 直感的に感じたことを実践する。

流れに乗る。

そういう 直感を研ぎ澄ませるための

集中力を高める練習 たとえば 瞑想などを

1日5分でもするのが よいそうです。

お気づきかと思いますが

このブログ「今日の出会い」は 

シンクロを確認するブログでもある。

みなさんからメッセージをたくさんもらっています。

ありがとさんです。

せば!

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2007/07/01

「なぜ ガイヤシンフォニーが見たいか」―『人生を変える力』を中心として―(論文か?!)

「なぜ ガイヤシンフォニーが見たいか」

つづく。

と 期待させといて 

続きはどうしたんじゃ?!

と お思いのみなさん。

まことに 申し訳ない。

あの時 続きを書こう!と 自分の中で盛り上がっていたのだが

いざ パソコンに向かったら

「何書くがったんだっけ?」

What am I supposed to write?

あほか?

イメージでは 

ジェー