2008/07/09

長老効果

ミンデルが言っていることを 全部できていたら世話ないわけで

実際ほど遠かったりします。

特に自分の子供に対しては 

悪さをしたときなど 大目玉を食らわしてきました。

「長老」はどうしたんだ え。

おい ちょうろう!

なんだい 目玉おやじ。


でもですね。

今日の授業で やるべきこととやらないことを見極める

成り行きを見守る ということが 少し見えた気がしました。


本当に毎日が新しい。

ミンデルの言うとおり 毎日が「未知のもの」である。

何が起こるかわからない。

当たり前ですが

一日たりとも マニュアルどおりに行く日はない。

体系的な授業というのは 必ず年間スケジュールがあり

その日やるべきことは あらかじめ決まっていますが

必ず何か予期せぬ出来事があります。


生身の人間だからね。

人数が多ければ多いほど それをコントロールしようなどと思うことは

限りなく不可能に近い。

授業の前後にも これまたいろいろある。


でも 「結果がどうなるかは 私たちの責任ではありません」

と 『人生の地図』の著者 キャロル・アドリエンヌが言っている通り

自分が描いた ただ一つの結果を出す のではなく

十分準備をしたら 後はその瞬間の流れにまかせる プロセスに従う 

全体を見渡して大局的な動きをとる 

そう意識しただけで だいぶ違った。

それだけで かなり今日は気が楽だった。


自分の息子のいるクラスでは

子供は お母さんだと思って 自由にやろうとし

甘えた態度をとったり クラスメートにエラそうにしたりします。

親としての責任と 先生としての責任に板ばさみになって

身のフリに苦慮しており…

今日もそういう局面があったのですが

ただ感情的に息子を怒って終わる ということがなく済みました。

これは傍から見れば なんてことないことかもしれないが 

われわれ親子にとって大きな一歩だ…。


息子にとっては自分は 「親+先生」という2重の抑圧者に違いない。

先週 あまりの態度の悪さに怒ったところ あとで

「おかーさん 親じゃない!親っていうのは もっとやさしいもんだよ!」

と 叱られた。

確かに… しつけと愛情って 両立しないらしいですから…。


子供の頃 母はいつも怒っていると思っていましたからね~。

そのまんまになってる自分に 非常に自己嫌悪を感じております。


家に帰ってきてからも 

ご飯の支度をしなくては 何あれこれそれしなくては

と あくせくするのをやめてみる。

お互い 自分たちが食べたいものを作るやり方なのだが

ばっちゃが 全く夕食の準備をしていない。

はてどうしたものか?


よくあるパターンは 「やらねば」という自分のプレッシャーに負けて

目が回って 気疲れして当り散らす というものだがcoldsweats01

この 「すぐやらない」というのが とてもよかった。

一人になる時間を少し作ってから

とりあえず 簡単にできてみんなが食べられそうなもの何品か用意すると

ばっちゃがおもむろに

「わ 今日 食わねー気になってらんだばって 

見だっきゃ おいしそうだな。」

(今日は食べないつもりだったけど 見たらおいしそうだ)

と言った。


そこでやっと状況が読めてきたのだが

表情がいまひとつさえないので

「疲れたべ?」

と 訊くと

実は 職場で気になることがあったらしく ブルーになっており

食欲がいまひとつわかなかったらしいが みんなで食べたのだった。


「状況を見渡し 流れに沿いながら 未知のものに従う」

今日の線 意外といいんでねべが?

と 振り返る。


そして

D・ピート『賢者の石』ことですが

以前ここに取り上げて 中途半端になっていましたが

やっぱり 説明するほど理解できなかったのです。

でも今回『紛争の心理学』を読んで 初めて腑に落ちた。

『賢者の石』に書かれている「創造的停止」とは

「何もしないのでもなく 状況にとっさに反応するでもない

沈黙と行動の一瞬の隙間を利用する」 

というものだったが

それが具体的に どう利用するのかわからない。


でも 『賢者の石』で物理学の歴史を概観した後で行き着いた

私たちがこれからの時代とるべき行動「創造的停止」とは

ミンデルが『紛争の心理学』で言っている「長老」の資質にある

「やるべき時と 何もしない方がよい時を見極める」

ということにつながる。

そして 創造的停止を使えば どういういい方向に向かうのか

ということも 詳しくミンデルが説明してくれている。


その点において

この二つの本を一緒に読むと よりよくわかる気がします。


「指導者は知っている。長老は 学ぶ。」

何でも知っていなくっちゃ いい先生や親じゃないんだ

と 追いつめなくともよい。


せば!

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2008/07/07

A・ミンデル『紛争の心理学』 4

<長老(エルダー)は指導者(リーダー)以上の力を持っている>

長老と指導者の違いについての記述がある。

ここは一部を抜粋してお伝えする。


指導者は多数派を好むが 長老はみんなの味方をする。

指導者はトラブルを見ると それを止めようとするが 長老はトラブル・メーカーが何かを教えてくれようとしていると捉える。

指導者は正しくあろうとして骨を折るが 長老はすべての中に真実があることを示そうと試みる。

民主的な指導者は民主主義を支持する。長老はそれも行うが また独裁者はゴーストにも耳を傾ける。

指導者は自分の仕事をうまくこなそうとするが 長老は他の人たちにも長老になるよう促す。

指導者は賢くあろうとするが 長老は自分自身の考えを持たず 自然の出来事にしたがう。

指導者は知っているが 長老は学ぶ。

指導者は行動しようと試みるが 長老はなるがままにまかせる。

指導者は戦略を必要とするが 長老はその瞬間から学ぶ。

など。P219


これらの「他者への援助に携わる際に必要な 

特別な気持ちや態度のことを「メタスキル」と呼ぶ。P218

長老スタイルの共通点は 

「物事を自然の流れに任せる」

「やるべき時と 何もしない方がよい時を見極める」

というものだ。


「指導者が勝つための戦略を練るのに対し 長老は他者を認め 彼らの生徒になる。指導者は問題だけに焦点を当てるが 長老は気持ちにも焦点を当てる。指導者は人々を変えようとするが 長老はあるがままに人々を受け入れる。指導者は 未来とはどの政党が政府の第一党になるか次第だと考える。長老にとっては 未来とは 未知なるものの表れを可能にできるかどうかによる。そのため 誰かの支配や成功ではなく 明白な意見と潜在的な意見の相互関係に焦点を当てる。

根深い社会的衝突が表現され 対立者がそれぞれ自分の意見を述べ 問題が明らかになったとき 長老はプロセスに任せる。」P225

もちろん ほったらかしではなく リードするときもあるが

未知のものに従う模範になればよいのだそうだ。


知り合いの方で 小学校の先生をされている方がいます。

校長先生がすばらしいのだそうです。

引用させていただきます。

「学力テストの分析。普通は、できなかったところをチェックして、対策を立てなさい、という。ところが、うちの校長は、良かったところを見つけなさい。できが良かった問題を分析していくと、それは、先生方の授業にたどり着く、と。そしてその授業をもっともっと伸ばしていきなさい。ということだった。」

この他にも 指導課が学校に来る数日前に

「お客さんが来るから、子どもたちに、挨拶をしっかりするように、という指導を直前にはしないでください」

とのお達しが出たが 日頃の態度が試される ということらしい。

また 朝の会議などでは 

暗い話題も取り扱わなければならないこともあるが

校長先生は おちゃらけて明るく見せ 

一日の職員の士気を高めるのだそうだ。

これまでの「校長先生像」とは異なり 

発想が逆であることに その小学校の先生は驚き 

「スゴイ!」と思われたのだとか。


前述の「長老の特徴」と照らし合わせてみても

こちらの校長先生はある意味 「タオイスト」ではないか

という気がしています。

タオ(地球上で最も古い-紀元前600年頃-書物の一つ『道徳経』)

この中にあるように

古代中国の長老の概念は 私たちが一般的に考える

西洋的なリーダーシップの思考を覆すものである と

ミンデルも言っている(P228)。

それは 「手放す勝者」と呼ばれるのだそうだ。

まるで 加島祥造『求めない』 ですね。

「何もしないこととするべきことの深い洞察」

これは『賢者の石』のクライマックスに登場する「創造的停止」

という概念に通じるのではないか と思っている。


普段生活する中で「どうしたらいいんだろう?」と思っていたことに 

本を読むうちに 解決を見出す瞬間がある。

この本と校長先生の話は 出所が別々なのだが

この二つの出会いがあいまって 今まさに「ひらめいた!flair」状態

自分の中に小さな灯がともり 

行動にまた一つ指針ができたように感じる。

何度も読み返そうと思います。

みなさん 良い本と体験談を教えてくださってありがとうheart


せば!

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2008/07/06

A・ミンデル『紛争の心理学』 3

アメリカ独立で例をあげたような復讐の連鎖は 

私たちに身近な「犯罪」にも見られる。

「私たちにとっての『公平』なシステムは 単に無自覚であることが形になったにすぎない。犯罪学や精神病理学では 一般的に 復讐行為の原因を『犯罪者』の個人的な成育史に見出そうとする。私は このような見方を変更し 反社会的な行為をそれが起こった地域の社会的な文脈において理解することを勧めたい。『犯罪的な』行為は 刑務所のために使われている予算の一部を ランクについての教育にあてることで減らすことができるだろう。」P137

これなどは 最近起きた事件にも当てはまると感じる。

ミンデル自身を含む心理療法家については 次のように注意を促す。

「心理療法家は 暴力的な反応を『不適当』と分類する社会的な味方について 自覚的でなければならない。主流派の文化的仮定に基づいた診断は 人種差別あるいは性差別 虐待的な権力 威信 安全 特権である。心理学や精神医学が社会的な自覚を持たない限り 若者や女性 貧しい女性や有色人種 高齢者 ゲイやレズビアン 『犯罪者』 そして実質的な虐待に苦しんでいる人々は見下され続けるだろう。周りの世界が変化することは必要なく 彼らは自分で問題を解決しなければならないと捉えられている。こうして心理学は諸問題を軽減するのではなく 悪化させている。」P158

新聞の明鏡欄を読むと 

社会や親に不満があるからといって無差別に人を殺すとは何事か

という叱責が多く寄せられている。

識者の見解も色々読むが いまひとつ納得がいかない。

亡くなられた方や遺族の気持ちを慮るのは当然だが

どだい 私たちはその人たちと同じ土俵上にいないから

事件が何たるかを語る立場にもいない。

第三者である私たちが今やることは 犯人探しではなく

自分たちは今 そしてこれからどうするかということだ。

<ワールド・ワークが目指すもの 「深層民主主義」>

抑圧者・犠牲者から解放された社会は 明確・意識されることのないまま支配してきた「亡霊※」の存在をはっきり意識し 解放する過程をつうじて生まれてくる。同時に困難を避けず 明確な自覚による内的成熟と多様な力の自然成長を深めつづけることを決意し 悪をも成長の糧にする方法を身につけた個人が生まれる。こうしてタオの運動や身振りとともに生きる共同性や個人のあり方を ミンデルは「深層民主主義」と呼ぶ。

(※「亡霊(ゴースト):たいていの文化は 社会関係における抑圧や支配を成り立たせる根拠でありながら しかもかくされ 無意識になっているポイントを持っている。そういう存在をミンデルは「亡霊(ゴースト)」と呼んでいる。例えば 旧ソ連解体後のKGBは存在しなかったにもかかわらず 東ヨーロッパの人々は治安警察やスパイを恐れた。P22)

物質と精神の対立を超えた社会や文化 深層民主主義というアイデアには 東洋の伝統とともに アメリカンネイティヴの源泉から汲み上げられた霊感が溢れている。困難から逃げない タフでしかも繊細な配慮と自覚に満ちた魂の戦士たちを生み出す。そういった作業の一環として ワールドワークは位置づけられている。

そうして到達する個人のあり方を ミンデルは「長老(elder)」と呼ぶ(28-29)。

<長老(elder)>
深層民主主義のヴィジョンは ユングやそれ以前にさかのぼる様々な霊的な伝統(タオやアメリカン・ネイティヴなど)が蓄積してきた叡智に直接つながり さらに未来に向けて実現する意味を持つ。そうして到達する個人のあり方を ミンデルは「長老(elder)」と呼ぶ(26-29)。

長老の特徴は とても参考になる。

「教育」に関係のない人は誰もいない。

誰もが自己教育によってしか成長できない。

今日会う人 どの人に対しても

こちらからの働きかけ 言い換えればそれも一つの教育的な態度であり

それによって 返ってくる反応が全く異なる。

てなわけで次回 チョーロー特集で最終回(たぶん)。


つづく

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2008/07/05

A・ミンデル『紛争の心理学』 2

プロセス指向心理学のワークは 

ワールド・ワーク(自覚の政治学)と呼ばれ

コミュニティの自覚を高めることを促す。

具体的に どうやってが進められるのか。

大まかな流れは以下の通りである。


1番目 文化をふくめた多様性を徹底して尊重することである。

文化が一つになるのではなく 多様な文化を選べることが進化の意味だとワールドワークは考える。文化を「選ぶ」ということは いったんはその外部に出ること それを超えているという越境性を すでに意味している。文化の多様性については 主流派の文化に属した政治学者だけが 一方に押し付ける社会では 貧困なヴィジョンしか生まれない(P21-22言い換え引用)。

2番目 力の不均衡に対する鋭敏な自覚をたもちつづけることである。

物理的・経済的な力 霊性など人間はさまざまな側面において その全体的な統一として存在している。それぞれの側面において 個人がどれだけの力を持っているかは違う。そういう力の違い―特権(ランク)」に対して無自覚なら 問題を引き起こし 乱用につながる

どの個人も自己の中に 多層的な力の違いから生まれる痛みや傷をもっている。それを支配や抑圧を正当化する言い訳として使っている。自己の中には 犠牲者と抑圧者の両方が常に存在している。復讐への欲求の炎がおさまらなければ 他者への思いやりや慈愛は生まれない。自己の内部の犠牲者と抑圧者を解放することなしに 世界の平和はない(P22-23同)。

3番目 トラブルを避けない。
ワールドワークの焦点は 個人や集団の対立や緊張の根源にある力の差異 その無自覚な乱用から生まれる自己の内部の抑圧者と犠牲者の解放にある。実際の現場は 怒りや復讐 差別の表現に満ちることになるが そういう感情や偏見を明晰に自覚し 解放することが大切である。

むしろ あからさまな差別を口にする人物が よい友人になることが多い。切り捨てられた感情を取り上げ 自己を燃やす感情の炎の中にとどまることによって 変容が生まれる。それ以外に 対立と困難から新たな共同性を創造する方法はない。

どんな困難な状況にあっても 逃げ出さない。自覚をたもちながら その場にいつづける。必要なら 休みを取り 自己の内面をチェックしながら 炎が燃え尽き 錬金の業が成就するまですわりつづける(P25-26同)。

以上。


う~む 

他者の目線から見た自分の行動を客観的に見ながら 

互いに持つ抑圧者と犠牲者を自覚する。ハードだsweat02

「衝突は共通点を生む」というセルジオ・越後の言葉を思い出す。

平和にあぐらをかくのではなく 日々平和を勝ち取る 

といったことにも思いを巡らす。


また ミンデルはアメリカ人だからか

アメリカの歴史に照らし合わせて 例を示すことが多い。

他国の歴史を非難するより先に 自国の例を ということだろう。

例えば アメリカの独立とは 全員にとって公平なものではなく

主流派にとって有利に働くよう設定されていた。

だから アメリカの白人男性は イギリス支配で受けた屈辱を

有色人種と全ての女性にも与えることになる という

誰にでも抑圧者と犠牲者が存在する構図を提示している。


つまり 戦争に負けた日本は

自分たちができない裕福な暮らしをしていたアメリカという国に

もしかしたら 復讐しようとしてきたのではないか。

負け犬とか負け組 という言葉も 

「戦争に負けた日本」から脈々と続いていて

経済至上主義が頭打ちになったいま 復讐の矛先が国内に向き

格差社会の富裕層に対して 仕返しをしようとしている という

共食い状態なのではないか という気がする。


ミンデルは 奥さんのエイミーと共に

紛争の絶えないアイルランドや

ロサンゼルスの低所得層居住区域などへ赴いた。

それらのエピソードは 凄まじい。

時には脅されたり罵られしながら 状況が全く進まない中で

ファシリテーターであるミンデル夫妻は 

自らが白人の典型だという抑圧者の部分を指摘され

さらけ出しながらも 徐々に周囲と調和を図り

本人たちがようやく 自分たちのために動き出す様子が描かれている。


「親どういうしつけしてるんだ」

「今のわげものなってねー」

「問題視されている側だけが頑張ればいいんだ わんだぢ関係ね」

というような風潮が蔓延しているが

主流派に属さない 周辺に追いやられた人々にとっては

そういう言動自体が「ランク」による 無意識の傲慢な態度に違いない。


プロセス指向心理学では

行動を促すファシリテーターでさえも特権を持つ主流派であり

それを施される側によってあぶりだされ 自覚することによって

相手と近づけるということをよく例証している。

問題を起こすテロリスト側だけではなく

一人ひとりの自覚が求められているし

これは自分を含めたみんなの問題なんだ ということが

よーくわかった。


つづく

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2008/07/04

A・ミンデル『紛争の心理学』

隠れユンギニアンIさんがおススメしてくれた本です。

図書館で借りてきて 一気に読みました。


<ミンデルさんて どんな人?>

A・ミンデル『紛争の心理学-融合の炎のワーク』 講談社現代新書 2001/9/20。an abridged translation of Arnold Mindell “Sitting in the Fire”(Lao Tse Press, 1995)

「著者のアーノルド・ミンデルは 卓抜な直感と理論的知性を兼ね備えた世界的に著名な臨床心理学者である。はじめユング派の臨床心理学者として訓練を受けた後 さらにその洞察を徹底させ『プロセス指向心理学(Process-Oriented Psychology)』と呼ばれるきわめてユニークな理論と実践の体系を構築するにいたった。」P8

初めミンデルは 物理学者を経てユング心理学分析家となったが

その用語である「影」を使わないようになった と言っている。

それは 西欧側に立った価値観に基づく用語であり

光は白人を 影は黒人を連想させるから なのだそうだ。

また 心理学者というものは 概して人の尊敬を集める。

だがそれは一方で 癒す者と癒される者 という上下関係も意味する。

そうではなく 彼が提唱するプロセス指向心理学では

「ファシリテーター(facilitator 促す者)という言葉を用いる。

このようにしてミンデルは 

「どの人間も必ず 犠牲者と加害者である両方の側面を持っている」

ことをあげ 意識下に上らせることを強調している。

一方が力を乱用することによって 他方が劣等感を感じ 

あらゆる暴力を引き起こしていると考えるからだ。


<主流派と周縁に追いやられた者という構図>

あなたが 有色人種ではなく 白人であったら

あなたはまず 主流派にいることになる。

同様にして 女性よりも男性が

ゲイや両性愛者よりも 異性愛者が

貧しい国と富める国 従業員と上司 子供と両親…というように 

主流派とそうではない周縁に追いやられた人々が必ずいて

主流派は特権があることに優越感を感じ 

そうではないものは劣等感を覚える構図が存在する。

白人が有色人種の人々を忘れるのは 人種差別からだけではなく 教育システムが完全に西洋中心的だからである。異性愛者がゲイなどいないかのように振舞うのと同様 男性は女性を否定していることに無自覚である。健康な人々は 健康ではない人々の傷を理解できない。親は子供が「発達段階」を通過すると思っている。文化がこのような態度を教え 押しつける。P86(言い換え引用)

自分が劣ると感じる者は復讐しようとし

抑圧者に対して団結し デモや暴動 市民的不服従

果ては革命が引き起こされる。

犯罪やテロなどの あらゆる暴力も含まれる。

この復讐は 特権を有する人間にも防衛できない力となる。


<ランク(個人のもつ力の違い)を自覚する>

このような衝突は みんなのものであり

これらは「ランク(個人のもつ力の違い)」と呼ばれる。

心理的ランクは 他者に苦しみに対する自覚を抑えつけ 他者を「犠牲者」として見下すことを促す麻薬である。それは 自分たちが他者の問題を乗り越えたと思い込ませる。私たちは 不利な立場の人々の問題に対して無関心で それに対して距離をとる。エゴが私たちを孤立させる。…ランクは私たちを気持ち良くさせる麻薬である。自分がランクの上にのっていることは忘れられやすい。気持ちよくなるためには ヘロインと同じで 次第に多く必要となる。そして習慣を支えるために 他者の幸福や環境から盗むようになる。最終的には 他者がそれを持つことが出来なくなるから 暴動を起こすのである。(P87-88)

ランクに無自覚だと 態度に傲慢さとなって表れるなどの支障をきたす。

(意図されているメッセージを「第一シグナル 

されていないものを「ダブルシグナル」といっている)。

自分のことを棚にあげて…とはよく言ったものでcoldsweats01

人のことはよく見えるが 自分は無意識に行動していて見えない。

この「自分を意識化する」ということがポイントらしい。

「自分が自分が」と言いたくなる「エゴ(自我)」が強くなったとき

「今 私は こう思っている」と高いところから自分を冷静に見る

あらゆる「瞑想」という行に通じる。

それは ヨガやシュタイナー教育などでも推奨していることである。

著者はプロセス指向心理学を

物理学と 「タオ(道)」と呼ばれる東洋の叡智と ユング心理学から

ヒントを得て その理論と実践体系を構築したが

「とくに仏教のヴィパッサナ(直観)瞑想法から多くを学んだ」P11

ということである。


<闘争を減らすために>

さてさて ミンデルによれば

本質的にランクは悪くなく 乱用を避けられないわけではない。

「自分のランクを自覚すれば 自分だけでなく 他者のためにも活用できるのだ」P88

自覚している者は 謙虚でありながら 自己肯定感も持つ。

ランクを自覚することは 一般的に闘争を減らす。

(子供たちや臨死期の人々は ランクを超越している。)


そのために ワールドワークという「変化と成長を促す」グループ作業を行う。

具体的な内容については次回。

つづく

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2008/06/30

桐島家の人々

先日の「ふしぎ発見」に 桐島ローランドが出ていた。

桐島洋子のご子息で 桐島かれん 桐島ノエルの弟 ですね。

小学校6年生のとき 桐島ローランドのファンだった私は

初めて動いてしゃべる彼の姿を見て 感慨深く思った。

いや 江角マキ子と結婚したときも驚いたが

声がとても低くてびっくりした。

ほほう そういう声だったのですか!

という感じ。


子供の頃は 桐島ローリー と名乗っていた。

たしか歳は一つか二つ上で 日本語名を 桐島舵 と言ったと思う。

(同様にして 桐島かれんは「渚」 ノエルは「澪」だったと思う)

我が家の母上が かつて桐島洋子の本を何冊か持っていて

その中に

『マザーグースと3匹の子ぶたたち』というのがあった。

桐島洋子は 

籍を入れないままアメリカ人パートナーとの間に子どもをもうけたが

この本は 作家として多忙な日々を送っていた彼女が日本を飛び出し

3人の子どもとともに 1年間イーストハンプトンで休暇を過ごした時のもの。

この 遠い異国での体験を読んだ小学生は

外国で暮らす ということに また憧れを抱いたのだった。


でもそこは子どもなので 写真で見るアメリカにうっとりしたり

ハロウィーンなどの文化や 学校行事の違いを楽しく読んだだけだった。

大人になってから読み返したら

これは ウーマン・リブ(Women's Lib' 女性解放運動)に目覚めた女性の本だ

ということに気づいた。

母にそれを申したら

「そのために読んだ」

というようなことを言っていたと思う。


そこへ 当時買った 明星 とか 平凡に

↑あまりの懐かしさにめまいが…

桐島ローランドが 東京キッドブラザーズでデビューしたことが書かれていたため

ちょっとしたファンに陥った というわけだ。

(ついでに キッドブラザーズにいた柴田恭平も好きだった 笑)


桐島洋子『聡明な女は料理がうまい』や『淋しいアメリカ人』

も 興味深い。

結婚される会社の先輩に 『聡明な…』を贈らせてもらったこともある。

レシピの他に 料理にまつわるエピソードや

世の中への批判がピリッと効いていて 痛快です。

『淋しいアメリカ人』は 

性解放と称してフリーセックスに走るアメリカ人たちを追ったルポ。

夫婦交換やその類のパーティに潜入する件に驚きます。


著書の中にちりばめられた

「snobが嫌いだ」 

「大学より社会で実地」

「若いと見られて喜ぶ日本人女性は未熟だ」

といった 「傾向に流されまい」とする言動に圧倒されたこともありましたが

今の彼女は 

環境問題 スピリチュアリズム ホリスティック医療などへの関心も深めている

とのことで

いつも時代の先を行く女性が どんな活動をされているのか気になります。


せば!

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2008/06/27

『おしいれのぼうけん』

去年の9月ごろ 子どもが幼稚園から借りてきた本。

ちょうど3連休ということで 遠出をしたときでした。

この本を携えて行ったところ

返すまでに合計7回読んだという記録を持つ

息子の大好きな絵本なのです。

年末に ダイエー『宮脇書店』にて購入

何度も繰り返して読んでいます。


ふるたたるひ たばたせいいち 『おしいれのぼうけん』


さくらほいくえんには こわいものが ふたつ あります。

ひとつは おしいれで

もう ひとつは ねずみばあさんです。

押入れは 言うことをきかない子どもが入れられるお仕置きの場所。

ねずみばあさんは 人形劇で使う ねずみのおばあさん。

ある日のこと

園児のあきらとさとしは お昼寝の時間に騒いでいたので

押入れの上の段と下の段にそれぞれ入れられてしまった。


人形劇でねずみばあさんの役をやっている「みずの先生」は

「押入れの外で反省する」

と言ったさとしの言葉も聞かず 閉じ込めてしまったため 

さとしは猛反発。

どの子どもも 怖くなって すぐ「ごめんなさい」と言うのに

なかなか謝らない。子どもと先生の根競べ。


その内 押入れの壁のシミが ねずみばあさんのように見え

押入れの壁の木目から出来たトンネルをくぐり

さとしとあきらは 押入れの不思議な世界へと飛び込んだ。


そんな風にして 奥へどんどん入っていった二人は

ねずみばあさんや 子分のねずみたちに追いかけられ

「食べてしまうぞ」「ねずみにしてやるぞ」

と脅されながらも 

最後まで自分たちを曲げません。

この物語は 

さとしとあきらの成長物語のように描かれていますが

実は 水野先生の物語でもある というところが見物です。


先生は 実は若い新米教師のようで

ベテランの先生とのやりとりも描かれており

子どもたちへの接し方を勉強している途中 ということが伺えます。

とにかく 悪いことをしたら 押入れに入れてしまう。

入れてしまえば 子どもたちは暗いところが怖いので

謝らざるをえない。

それが 次のようなところからもわかります。


「しばらくすると せんせいは おしいれからこどもをだします。でてきたこは いいます。『せんせい ごめんね。」ああ だしてくれてよかったと みんなはほっとします。『ごめんね』と いってくれてよかった と みずのせんせいも ほっとします。」


「子ども」という未知の生き物に どう対処していいかわからない 

ある意味 子どもが恐怖だった先生が

怖がって権威を振りかざしている自分に気づき 成長していく。

つまり 自分を苦しめているのは 外側の人間や環境ではなく

自分だったと気づくところが この本の醍醐味のように思われます。


物語はとても多面的で

見る人の角度によって 同じ物語でも違うように見えてくる。

物語には 寛容 親切といった「善」から

嫉妬 残酷 裏切り といった「悪」まで

あらゆる性質の登場人物が現れる。

それは 一つ一つが自分に潜在的にある性質であり

それを 物語を通して体験することによって 自分の物語になる。

今 この瞬間からでも自分を支えてくれる。

例えば 息子にとっては 「さとし」という人物が自分であるように

私にとっては 水野先生が 自分であるように。


息子がこの本を初めて読んだ時 クライマックスのシーンで 

「この本すごいよ!」

と叫びました(笑)。

ねずみばあさんという 「恐怖に打ち勝とう」とする姿が

子どもにとっては 勇気を奮い立たせるものに映るのだ と思います。

さとしのセリフは 必ず自分で読むしね。さとしに なりきっている。

一緒に読んでいて面白い。


ちなみにこの本

初版が1974年11月1日と古く

我が家にある本は なんと178刷(2007年7月20日)です。

全77ページで読み応え十分 世代を超えた人気の一冊 

ぜひご覧下さい。


せば!

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2008/06/25

プロセスが大事だね

暗門を歩きながら ふと思った。

最後の滝まで行けたかどうか より

途中ですれ違う人と 道を譲り合いながら 

ありがとう すみませんと挨拶を交わしたり

いい景色や水のせせらぎ聞こえるの中で お弁当を食べて

いい景色だ とか おいしい と気持ちを共有するという過程の方が

ずっと大事だな。


私たちは モノを作るプロセスをお金で買っているけど

そういう過程を省くということは あまりイイことじゃない。


オモチャなんかは 完成されたものを買うが

子どもは 買ってしまったとたんに飽きる。

子どもに限らず 

私たちは買って満たされるかというと 逆に飢餓感が増す。

途中経過を見ていないと どんなに手間がかかっているか見えない。

でも 作るプロセスを自分で経たもの

例えばプラモデルやブロックで作った物は 大事にする。


ボタン一つで湯が沸く というのも同様で

薪を取ってきて割って 熱い思いをして焚く作業をしないから

どんどん贅沢になる。


野菜や家畜が育つところを見ないで

商品として並べたものをお金を出して買うと

生き物を食べているという感覚が鈍って ぞんざいに扱う。

鳥インフルエンザや狂牛病は 自然の揺り返しだ。


子育てとか 教育に関係するものは全てプロセス重視

人と比べて いかに優れているかを点数だけでは決められない。

「星の王子さま」が物語で言っている

数字は資本主義社会で差異を区別するために便利だから使っているだけ。

その人が どれくらい積み重ねたのか 前よりどのくらい進んだのか

それを見守っている人がいることは とても大事だ。

結果だけを見て 周囲に拒絶されることによって

どれだけ犯罪が増えることだろう。

2千年もの間 

拒絶された者が愛情を得ようとして 暴力を生み

果ては世界をも征服しようとする

と 神話や伝説が伝えてきたのに 事情がまったく変わらない。


人間が育つ モノが作られるというのは 時間と手間がかかる。

過程を省くこと スピードは 暴力を生む。

シュタイナー教育では 子どもに「『早く』と言ってはいけない」と強調する。

夢の中にいる(意識と無意識の境がない)子どもというものは

「早くしなさい」と言われると その一面だけが意識的になり

人間形成に負荷がかかるからだという。


「はぐくむ」という気持ちが大切だな。

人間を育て モノを作るというのは 忍耐が要る仕事

できれば一緒に楽しみながら。

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2008/06/17

『ひとつめのくに』

せなけいこ『ひとつめのくに』

せなけいこの おばけ絵本シリーズの一冊。

『おばけのてんぷら』が有名ですが これもオツな逸品です。


昔あった見世物小屋のお話。

インチキな商売をしていた見世物師は 

お客が来なくなったので

ある日 噂に聞いた「一つ目小僧」を捕まえようと出かけた。

江戸から百里 大きな木の下に一つ目の女の子が一人いた。

見世物師はその子を捕まえるが 

大声を出したので 沢山の人が追いかけてきて

見世物師は捕まってしまう。

連れて行かれたお奉行所で見たのは

お奉行様も侍も百姓も みんな目が一つしかない「ひとつめのくに」だった。


目が二つあることが普通だと思っていたら大間違い。

一つ目の国があるんです。びっくり~。

多数派と少数派の構図とは このように単なる立場の違いにすぎない。

優越感とは 一方的な価値観を押しつけてみた結果なのだ

と おばけが教えてくれました。


確かに

アメリカンサイズの中に行けば

日本で靴のサイズで困っている私などは 「普通サイズ」なのであって

特に気に病むことなどないのだった。


一人っ子だろうが 津軽弁だろうが 外国にいようが 障害があろうが

「私はいつも私」by片岡義男 


『ひとつめのくに』 見世物師の運命やいかに

最後も圧巻です。こちらもぜひご覧下さい。


せば!

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2008/06/16

『とべ バッタ』

息子の幼稚園時代には たくさんの絵本を借りてきて

おかげで私もたくさんの本に出会い 勇気をもらったものです。

その中でも 特に気持ちを揺さぶられたものを紹介します。


田島征三『とべ バッタ』

危険を恐れて 葉の影に隠れて暮らしていた「バッタ」は

いつも「何か起きるかもしれない…」とおびえていた。

びくびくして生きているのがイヤになったバッタは

天敵のたくさんいる 葉の表へと飛び出し

クモやヘビを圧倒しながら ついに使うことのなかった羽を使って飛ぶ。

初めて飛ぶぶざまな姿を 蝶やトンボに笑われても

自由になったバッタは なりふり構わず飛び続け

ついに大切なものにたどり着くのだった…。


「失敗するんじゃないか 人に嫌われるんじゃないか」

という 「何かを失うことへの恐れ」

それを見事打破してくれる一冊です。

著者の大胆な「絵」と お話の展開があいまって

短いですが ひきつけられます。

機会がありましたらぜひ 図書館や本屋でご覧下さい。


バッタに尊敬のまなざしshine 

ぶざまでも 失敗してもいいから 飛んでみる価値はある!


せば!

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2008/06/14

変化の時代

タイトルがでかいですが…


ジェームス・レッドフィールド『人生を変える力 第十一の予言』では

主人公が 中国当局の目をかいくぐりながら

チベットの理想郷 シャンバラ(シャングリラ)を目指す。

シャンバラは 地球に実在する高度に発達した文明で

そこは 通貨のない世界であるが 欲しい物が全てにいきわたる。


「現代のマトリックス それは資本主義だ」

(『星の王子様を哲学する』)という通り 

物を売って利益を得る というシステムが

今までの様にうまく回らなくなってきている

そういうことは 末端の自分にも 感じる。

労働力の対価として 給料を得ていると思っているが 実は

得た利益は 分配されるのはなく 経営者のものになるというカラクリ

納得いかね~


しかし 

いつの時代も 世の中のせいにしない人がいるものだよ。

ターシャ・チューダー とか 宮沢賢治 ツルネン・マルティさんとか 

資本主義の真っ只中にあって 物を買うのではなく 作るという生き方

時代に翻弄されるのではなく 自分で選ぶ ということは大事なことだな。


自転車に乗ってみて 気がついたが 同士がたくさんいる。

「ツーキニスト」といわれる 自転車で通勤する人が増えているそうだ。

そして「ガソリン代がういた」と ささやかな歓びを感じるのだとか(笑)。

自分の気持ちを代弁してくれているようだ…

まさに 「足で稼ぐ」究極のエコで しかも風邪知らず。一粒で3回おいしい。

家族の中でも 自転車で盛り上がっている。


物価は上がったが ではもっと働けば金が入るのか?

いや そういうわけでもない。

同じ予算で どうやりくりするか。

そう思う人は 自分だけではないらしい。


「食料品などの値上がりについて 婦人之友社(東京)社長の千葉君子さんは「お金の使い方を考えると同時に 自分の暮らしを見つめなおすきっかけになる」と受け止めている。」5月 東奥日報

これだ!


具体的には

1.ていねいに家計簿をつける

2.決めた年間予算の中でやりくりする

3.クリーニングに出さず 家で洗える衣服を着る

4.近くなら車に乗らない

5.買い物の回数を減らす

6.食材を使い切る

7.缶詰 乾物を生かす

8.チラシに惑わされない買い物をする 例えば買い置きがあるのに 安い日だからといって買いに行かない

だそうです。

千葉社長は

「忙しい現代人は ついつい手間暇を惜しみ 食べ物も含めて割高な既製品に頼りがちだ。…子どもにも賢明さは伝わり 多少失敗しても食べてくれる。千葉さんは 『目に見えない部分も含めた生活の質が何より大事。それを支えるのはやはり手作りということだと思います。』」

と 主張しています。

発想の転換 というかね

お金が足りない と思うのと 

その分 手作りして豊かに過ごせる と思うのでは

天地の差がある。


これに関連して ちょっと前の「民族が語るあおもり」という記事に

こんなことが書いてあったよ。

「よく言われるのは 家庭生活でお金を使うことはめったになかったということです。現代のように労働が金銭で図られ それによってモノを買って生活するのではなく 家族が生業や家事などの役割を分担しながら身体を使って働くことで日常生活が成り立っていたのです。」東奥日報5/27

これぞ「通貨のない世界」 じゃないのかsign02

と 目からうろこ状態。


「企業戦士になって病気になり 天地療養して スローライフに目覚めた」

幸せになるために お金を稼いでいるはずなのに

本末転倒になっている現実

これ もう10年ぐらい前に見た 忘れられない番組。


何が豊かなのかを見直すということは ずっとずっと言われていることだけど

ガソリン高騰の今 もうやるしかないところまで来た「時代の過渡期」

次の段階へ進んでいるような気がします。


今日も足で稼ぐぞ

↑涙ぐましい


せば!

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2008/06/01

落ち込むこともそりゃあるわけです。

こんばんにゃ。cat

今日はどんな一日でしたか?

私は


「やっとすくい上げた砂が 指の隙間からサラサラと流れてしまい

もがけばもがくほど 足をとられる流砂に巻き込まれた」


気分です。

…わ わかりにくっ

↑絵に描いたようには 実際いかないもの そう言いたかった。


そんな今の状態にピッタリの助言が。

「自分自身や人生に起きる出来事に好奇心を抱きなさい。世間の八法(仏教でいう 人間が現世で行ったり着たりする苦と楽 損と得 非難と称賛 名誉と不名誉のこと)の状態に反射的に反応するのではなく むしろうまく利用していくためには好奇心を養う必要があります。どのような出来事も 後になってみなければいいか悪いかはわからないものです。この真実を思い浮かべるとき 自分の思い描いたとおりに人生を動かすことは絶対にできないので 何とか状況をコントロールしなくてはというあせりもなくなります。好奇心を持って 起こった出来事に対して 自分がどのような感情を抱いているのか 情報を集めてみましょう。」『人生の転機』P318-9

先週また2年前に買った『人生の転機』を全部読み返してみたのですが

見るたび励まされる本です。

恐怖から身を守るのではなく 人生に転機が訪れたときには 頭にどんな考えがよぎっているのか気づくようにする。事態は理由があって発生する。状況を受けいれ 精一杯生きよ。人生の流れにどっぷりつかっていれば チャンスが自然に生まれてくる。流れに逆らわず 偏見を抱かず チャンスの到来に向けて準備を整えよ。今という瞬間が大きな力を持つ(P320-21言換引用)。

そう著者は読者を鼓舞します。

始める前に確実な結果を求めず まず気分がよくなることをしよう。

また 自分が期待する一つだけの結果に執着していては

好機を逸する。

状況がよくなるまでには 人生が三転四転することもある。

遠くにビジョンを見据えて 

今目の前に起きていることだけに気を取られないようにしよう。

これらのことを 全566ページに渡って語りかけ

いろいろな方法を提示してくれています。

「気分のイイこと」ね。

Follow your bliss…という キャンベルの言葉 そのものだね。


「…ほっとするいいお知らせがあります。それは 結果がどうなるかは私たちの責任ではないということです。完璧な人間に成長しなければ 新たな分野に乗り込むことはできないということはありません。私たちに実行できるのは この世の中で自分の身に降りかかってくるあらゆる事態に対処し 自ら前進していく心構えを養うことなのです(P381)。」


明日がある。


せば!

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2008/05/28

「書く」ひとの定義

「作家とは人間の条件を描く芸術家であり その条件を知るためにはまだ自分が経験していない道の年齢を苦労しながら通り抜けていかなくてはならないと教えています。冒険をして経験の幅を広げることで 人間とはどういうものかがわかっていくようになるでしょう。…作家として大成するための最も確実な手段は つねに何かに関心を抱いていること そして長生きすることという簡単な二カ条です。」   Writers are the artists that express qualities of human. In order to see that qualities, they must struggle to go through the unexperienced path. You will find what human beings are by taking the chance and broaden your experience. ... There are certain ways how to become a successful writers; have always interest in something and live a long life.P312

キャロル・アドリエンヌ『人生の転機』 When Life Changes or You Wish It Would--How to Survive and Thirve in Uncertaing Times--

自分の座右の銘『人生の転機』 これには さまざまな人間がどうやって 国の体制 宗教 モラル 親の価値観など すべての既成概念からはずれた本当に自分が望んでいる人生「左側の小道」を生きるようになったか が描かれている。

体験談を載せている人の多くが 本業の活動の傍ら 詩や小説など 「書くこと」に目覚めていくのがおもしろい。それに関連して この本の著者は 若い人間が小説を書くのに時間がかかるのは当然だ と言っている。それは まだ経験したことのないことを想像して書かなくてはならないからであり 90歳の人間がその人生の最高傑作を書くのは 不思議ではない としている。


「作家とは人間の条件を描く芸術家である。」

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2008/05/23

200805171237000
いろいろと日々みなさんと話す中で たくさん発見があります。

気づいたことを つれづれと。


自分がこういう人なんだ とさらけ出すことによって

離れていく人があるかもしれない

そういう恐れは だれにでも 多少なりあると思います。でも

「自分が生き方を変えることによって 今まで親しかった人が離れていく

それは別に悲しむべきことではない 本当に必要な人は 留まる」

と 『人生の転機』(キャロル・アドリエンヌ)で言っているように

全てが悪いことではなさそうです。


本当の自分と向き合うことって 恐ろしいですね。

他人を悪者にして自分が悪くないことにしたい 逃げようとしている自分 

つい先日 そういう自分に改めて気がついて 胃が痛くなりました。

「人生にどんなことが自分に起きるか」

ではなくて

「起こったことに対して 自分がどう反応するか」

それが大事なのだそうです。

直接謝ったほうがもちろんいいのですが そういう勇気も機会もないので

自分を奮い立たせて 謝るために紙にしたためることにしました。

その結果 相手に嫌われたとしても しょうがないな と

いい意味で 開き直りました。


ポストに手紙を入れた瞬間 胸のつかえがとれたように感じました。


いつも 自分の外側に原因があるのではなく 自分の内側に答えがある。

『スター・ウォーズ』の中で 主人公ルークが

敵ダース・ベーダーが父親であることを知り 苦しみます。

そんな苦悶する中 父親を倒すところを想像する場面がある。

戦って倒れたダース・ベーダーのマスクがとれると 

それはなんと 自分なのでした。


「ついに本当の敵がわかった。それは 自分自身だ

(Now I found my real enemy. It is me , myself.」

(ジェラルド・G・ジャンポルスキー『ゆるすということ』Gerald G. Jampolsky “Forgiveness” THE GREATSET HEALER OF ALL P123)

どこまでできるかわかりませんが とりあえず

「あなたが抵抗するものが存在し続ける(It will exist what you resist.)。 」

というユングの言葉通り 自分と向き合うことにしませう。


ダース・ベーダー だすー

せば!

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2008/05/10

『村上春樹 河合隼雄に会いにいく』 自己治療のための芸術表現

200805061449000
親戚のりんご畑から撮りました。

岩木山の雪解けも中腹まで進み 緑になってきました。

畑を通っていく風にあたって 間近に迫る山を見ていると

とても気持ちがよかったです。

ちまちまと ここで精神論を語っているのが

ある意味アホらしくなる瞬間がある。

時々 自然の中に身をおいて体を動かし

額に汗する ということが 

とても自分に必要だと思います。


そんな頭でっかちの自分にピッタリのこの本には

一口で言い表せない面白さがある。

あまりにも自分のツボをついた内容で 書ききれない。

たとえば

「自己治療と小説」

「物語をつくる・物語を生きる」

「物語と身体」

「宗教と心理療法」

などなど。


そのなかでも 第二夜 無意識を掘る“からだ”と“こころ”

この中にある「物語と身体」では 次のようなやりとりがある。

村上春樹は 小説を書き始めるまでは 自分の体にそんなに興味を持っていなかった。しかし 小説を書いていると 身体的・生理的なものにものすごく興味を持つようになり 体を動かすようになる。すると 脈拍 筋肉 体形が変わり 同時に小説観や文体が変わっていく。

それにたいして河合隼雄は 身体の変化と 精神的なものの変化は 呼応して当然だという。たとえば 昔の文士たちは 言葉 精神の仕事をしているから 体は関係ないと 暴飲したりし 自分の体を無視したり軽蔑している。そういう意味で 身体性まで取り込んだ文体や作品ということまでは 昔の日本人の作家はあまり考えていなかったのではないか(P117-8参照)。

中学生の頃だったか

川端康成 芥川龍之介 三島由紀夫 太宰治が自殺したのを知って

なぜ作家たちは自害するんだろうな 不思議だな

と思ったことがあった。

河合先生の話は この問いに答えてくれるように思う。

人間は頭で考えた理想通りには行動できないし

生身の動物だから

腹もすいて眠くなるし 邪なことも考える。

そういう「悪い自分」に耐えられなくなるんじゃなかろうか。

堂々巡りから抜けられなくなるような。


そして この 「物語と身体」部分では

心理療法の一つ「箱庭療法」について こう語られる。

村上春樹が 箱庭療法について訊ねる。箱庭にも つくりばなし的なものと 身体が入っているストーリーとの違いはあるのか と。それに対して河合隼雄は 箱庭療法についてのエピソードを語る。講習会でものすごくきれいな花をいっぱい使ったような曼荼羅をつくった人がいた。でも それを見てもぜんぜん感動しない。その人は 箱庭療法というのは 曼荼羅をつくらねばならないものだと思ってつくっており その人の中から出てきていなかった。病のある人が箱庭をつくると 素人目にも なんとなくわかる。

ところが ふつうに暮らしている人がそれらしく置いたものは おもしろくない。いわゆる正常 健常といわれる人は 逸脱のないものを置く才能をもっている。朝起きて 会社へ行って 仕事して 帰ってくる それは ある種の才能であるのだという。

方や村上がまた訊く。人間は病んでれば だれにでも物語をつくる能力が 潜在的にはあるということなのか。

河合先生曰く 人間はある意味では全員病人であると言える。だが 病んでいる人もそれを表現する力がないと形にならない。疲れや恐ろしさが出るばかりで 物語にまでなかなかなってこない。

最後に二人は 芸術家などクリエートする人間はだれでも病んでおり 表現という形にする力=健常さを持ち合わせなくてはならない とし 以下のように結論づける。

河合 「芸術家の人は 時代の病とか 文化の病を引き受ける力を持っているということでしょう。ですから それは個人的に病みつつも 個人的な病をちょっと超えるということでしょう。個人的な病を超えた 時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで その人の表現が普遍性を持ってくるのです。」P121-7

ちょっと前にある方と 

お互いジョニー・デップが好きだという話で盛り上がりました。

彼女のジョニー・デップ観は

「俳優をやっていなかったら ドラッグか何かで破滅してるような人だ」

というものでした。

色々な人間を演じられるのは 神経が繊細だからであって

傷ついたり辛い思いを敏感に感じ取れるからだ。

人間に興味があり 観察眼が育つから

俳優として優れている。

そういう 嫌な部分の自分を演じることが

人に認められて 「それでいいよ すばらしい」

と誉められるから 生きていられるのだ

そういうことも おっしゃっていました。


前にもここで ジョニー・デップのインタビューを取り上げて

語録をまとめたことがあったのですが

彼が長髪にしているのは 顔を隠すためであり

神経質で イライラした行動をよくとる

と 本人も言っていました。

こんなインタビューを受けるような時には

人前でタバコを吸わなければ身が持たないようで

しょっぱなから「いいですか?」と吸い始めた。


村上河合対談や ジョニー・デップの人となりを見るにつけ

「何が普通か」というのは 非常にあいまいな観念だ と思う。

会社勤めをするという 逸脱のないことをすること

それも一つの才能だし

人付き合いが苦手で 引っ込み思案だ

とか そういう否定的に受け取られがちな性質も

実は才能の一つなんだ

いつでも その時の自分というものを受け止めて

何とか生きていくことはできるんだな

自分を上手に活かすような 「アピールする方法」

そういうものが大切なんじゃないか

と 思いました。


Oさんのところで教えてもらった ヘンリー・ダーガー

この人の創造の世界には 

上手とか下手とか そういうものを超えて

彼の内側から出てきた

表現せざるをえなかった真に迫る何かがあるのだ と思います。

彼の芸術性を「こうだ」と いまここで自分が語るより

興味のある方は ぜひご覧になり

ご自分で何かを感じ取ってみてください。


ブログをこうやって書くのも

書かなくては身が持たない現実があるから だな。


せば!

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2008/05/07

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』

前にも取り上げた

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』という本

今の自分にピッタリきます。

チャーリィは陽気な32歳。生まれながらの知的障害者だ。パン屋で働き、夜学に通う。そんな彼に「頭をよくしてあげよう」と科学者からの突然の申し出があった。未知の、危険な実験の被験者になるのだ。しかし、チャーリィは喜んで手術のため入院する。同じ実験を、白ネズミのアルジャーノンも受けていた。やがてIQが185にまで高まり、超天才となったチャーリィは自我が強まり、知識欲も旺盛になり、人々を驚かす。だが、驚くべき天才ネズミとなったアルジャーノンは、急速に知能が後退していく。はたして、チャーリィは?(Amazon)

白痴である男性が手術によって知能を獲得し

それまでは 知らないことで幸せだったのが

知ることによって不幸になることもたくさんある と知る。

知能指数があがり 天才になった彼は

人から賞賛される代わりに 感情的には痛い代償を払う。

自分をバカにしてきた隣人がいることや

自分の稼ぎをごまかしてきた人を知り 失望する。

それもつかの間 

また男性は 何も知らない間抜けな元の自分に戻る。

でも 幸せになる。


これって 読んだ当初には気がつかなかったけど

無意識の状態から 

意識が極度に一面化した状態になって

また戻る過程なんじゃないのかな。

無意識→意識→無意識

子ども→大人→老人

retard→天才→retard

いろんな喩えが秘められているんだな と思った。


ダニエル・キイス やるな。


前に「東京オアシス」と題して

書きたいことをイイだけ吐露した記事に

「田舎をさらけ出したときの 店員の蔑んだ目つき」

と書きました。


やっぱり そういう「差別」を感じている隣人はいるものです。

そうでしょう あるでしょう。

ごく少ない海外体験ですが 外国は特にあからさまです。

日本にいると まったく無頓着だった「差別」に敏感になる。

でも そういう体験をすると

自分でもやっちゃいかんな という気にはさせられる。

自分の行動を鏡で映されて ハッとするような。

無意識が意識化されるんだな。


以下は 主人公チャーリーが

働いていたパン屋をやめさせられそうになり

食い下がるシーンです。

「ジンピイは私をじろりと睨みつけ 烈しく首を振った。『気にさわるやつだな」と彼は大声で言った。『地獄へ行っちまえ!』そう吐きすててくるりと背を向け びっこを引きながら立ち去った。

万事がこの調子だった。たいていの人間がジョウやフランクやジンピイと同じように感じているのだ。私を嘲笑することができるかぎり 私をさかなにして優越感にひたっていられる しかし今では白痴に劣等感を感じさせられている。私のめざましい知的成長が彼らを萎縮させ 彼らの無能さをきわだたせているのだということが私にもわかりはじめた。私は彼らを裏切ったのであり 彼らはそのために私を憎んでいるのである。『アルジャーノンに花束を』P117)

この

「私を嘲笑することが出来るかぎり 私をさかなにして優越感にひたっていられる」

という一文に ガーンとショックを受ける。

都会の人間が田舎の人間を見るとき

欧米人がアジアの人間を見るとき

男性優位社会では 女性に

大人が子どもに

自分の中にあるすべての劣等感を打ち消すための差別。

自分にもあります。


ここは市内なので

ちょっと市内からはずれたところの人を

「田舎の人」と言いますからね。

東京に行ったら全員「青森県人」という一くくりなのにね。

しかも 平成の大合併で 

近隣の市町村は住所が同じになってるしね。

結局そういう「境界」は 人間の頭の中にしかないんだ。


U-turn(なつかしい)の土田さんが

自分は「大宮出身」であって

「埼玉出身」と言われるのを毛嫌いしていますが

まさにそういう体験をしたことがある。

かつて私のことを「青森さん」と呼ぶ人がいて

私は「弘前」なんだと 強調したことがありますもんね(笑)。

どっちだって同じだろ!と 他県の方はおっしゃるだろう。

確かにそうなんだけどさ。

田舎者 と見られたくないからですよ。

青森というカテゴリーに 十把一絡げにされたくない。

「ダサい」と思われたくない。

でもおそらく 関西に住む人たちも

「関西人」はこうだ と言われたら イヤじゃないでしょうかね。

「関西人」という言葉さえも 差別的に感じる人もいるでしょう。


埼玉って いいとこですよ。私は好きです。

前に住んでいたところに行ってみたい。

東京に行く新幹線の中から 食い入るように見てました。

土田さん 今は「さいたま市出身」と言われて ムッとしてるかな…。coldsweats01


せば!

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2008/05/06

『チルチンびと』とエコ

住まいは、生き方 地球生活マガジン『チルチンびと』2008年5月号
「ナナムイびとの暮らし(なんのこっちゃ※) 佐原・時を味わう町家カフェ 埼玉県ゆずの木保育園」

初めて買ってみました。

副題が「小さな木の家」という とっても魅力的なものだったので。

私が住みたいとつねづね思っているところ

それは 平屋の小さな家 です。

小さいもの それが自分サイズ。

ずっと前 私が軽自動車から降りてきたところを見たある子どもが

「でっけーな」

と 言ったことがあったのだけど 

小さいものが好きなんです。どしてもこしても。


これまでも 折にふれて

小さいこぢんまりとしたものが心地よい

ということを書いてきました。

たとえば職場

企業の中で たくさんの人の中で働く ということが

どうも居心地悪い。

教室の形態もそうだけど 

「狭い範囲を深くやる」ということが向いている。


前置きが長くなりやしたが…


小さな木の家 という特集 敷地30坪でのびやかに暮らす だって。

「ステキ!」

埼玉県のゆずの木保育園 てとこが載っていました。 

寄居町という 秩父の方にある場所で 私も大好きです。

みんなで野菜を育てて 包丁もって料理して 山歩きをして

体を動かして もりもり食べる。

親も子も育つ環境 と謳っていて いいなあ。


あと北海道の「北の住まい設計社」という家具屋さん。

経営者のご夫婦は 

若い頃に勤め先の 安く早く という家具作りに幻滅して退職。

これから どう生きるか と自分たちに問いかけ

夫婦でフィンランドにホームステイし

「パンやビールを手作りしたり 何代にも渡って家具や食器を使う生き方」

「結婚式で 奥さんが手作りの料理やケーキを取り分ける姿に感動」

したのだそうだ。


私たちは お金を使って何かをする ということに慣れすぎている。

家を建てるでも 結婚式でも 何でも

「お金を払わされている」気がする。

mortgage (住宅ローン)って 死ぬまで払う金なんだとさ
(morL死ぬ+-tuus過去分詞語尾+gage誓約)

いかに長く多くお金が入ってくるように仕向けるか

という構図だよね。


買い物とは 本質を見抜く力を試される行為だな。

『影響力の武器』では 

それまでまったく売れなかった商品が

間違って一桁多く値段をつけたとたん よく売れた

そういう結果が出ている。

一桁少なく じゃなくて 多くですよ。

「高い」=「価値がある」=「一目置かれる」

という 「他人からよく思われたいという気持ち」を

私たちは買っているらしい。

最先端のものは 高く売れるが

少し古いものは 値段を下げないと売れない。

「一番新しい」という人の考えが モノに価値を与える。

人の「価値観」は変わるが

本当はいつ買ったとしても その「物」自体は変わらない。

流行を追いすぎない 普遍的な形と

本当に着心地がよい 良い素材 それさえあれば足りる。

↑ヒガミです


会社というのは 

いかに安い原材料で 物をたくさん売り

金を回し続けるかということがポイントなので

かっこいいモデルが雑誌ではいていた

「限定」○着 数万円のジーンズを

みんなが買ってくれれば 万歳なのです。

Crazy!

一人前の給料取りならば それも可能だろう。

別に買えないこともない値段かもしれない。

単なる作業着 本質つまり材料は安い。

ただ「デザイン」「ブランドライセンス」「広告宣伝費」

その他モロモロに 金がかかっている。

そんなものに お金はかけたくない。

だからと言って

ケミカルウォッシュのジーパンをはこう

と言っているわけではありません。

ある程度でよい。


諸事情が重なり 

ちょっと前から車で仕事場に行くのをやめて 

自転車にしています。

子どもも送り迎えがいらなくなったし

運動にもなるし 空気も汚さないし

自転車って いいな。

折りしもガソリン高騰という時期

家計にもやさしいし おいしすぎる。

200805051708000
実は 自覚はなかったのですが

よっぴって エコ だよね

そう言って 友人がステキな水筒をくれました。

水筒…ほかにもっと こじゃれた言い方があるかもしれんが…

(ムダなことがイヤな合理主義 なんだと思う。

「気持ち」を語るわりに 冷たい人間…)

塗り箸を出すレストランもありますよね。

最初からそうすりゃいいんだよ マイ箸なんていわずに。


いずれにしても

エコ と スピリチュアルには 段階がある。

あまりに進んだ「エコ」と「スピリチュアル」を目の当たりにすると

私でも ビビります。

貧乏くさいとエコの見極め 

いずれにしても何かを買う前には 

持っている物をまた整理してみよう。


せば!

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2008/05/03

人生の地図 -物語 3-

スタインベックが『エデンの東』を書くずっと前に

『赤い子馬』という短編を書いたのだが

それは『エデンの東』の習作というべきもので

主題や構成が酷似しており 4つの短い物語から成る。

2つ目の作品『大連峰』の冒頭で

主人公のジョーディという少年が 

小鳥に石を投げて殺してしまうシーンがあり

彼はそれを親たちに見られれば叱られると知っていて 隠す。

「どうだ。とうとうやっつけてやったぞ」彼は言った。 死んだ小鳥は 生きているときにくらべて ずっと小さく見えた。ジョーディは 何かとがめられるようなかすかな苦痛を胃の腑に感じた。それでナイフを取り出し 小鳥の首を切り落とした。それから腹を裂き 羽を切り離した。そして最後に ばらばらになった小鳥の死体を茂みの中へ投げすてた。彼は小鳥のこともその命のことも まるで気にかけなかった。だが 自分が小鳥を殺すところを見たならば おとなの人がなんと言うか はっきりわかっていた。それを考えると われながら自分が恥ずかしくなってきた。彼はいっさいの出来事をできるだけ早く忘れ どんなことがあってもけっして口に出すまいと心にきめた。(『赤い子馬』P67)」

われわれ大人は

そういういたずらを やみくもに「ダメ」と言わないほうがいいらしい。

うーむ これは難しい。

見ないようにしよう。見なけりゃいい。(そういう問題か?!)

子どもは大人の知らない小さな秘密を持って当然なのだそうだ。

机の一番上の引き出しの鍵は

子どもが持ったほうがいいそうです。

そうじゃないと 部屋全体にカギをかけることになるのだとか。

 
このジョーディ少年は 一連の作品を通じて 

トリックスター(いたずら者)から 次の段階へ成長する。

4つ目の作品『開拓者』の中では

年老いた母方の祖父が いつも開拓時代の話ばかりするので

辟易