長老効果
ミンデルが言っていることを 全部できていたら世話ないわけで
実際ほど遠かったりします。
特に自分の子供に対しては
悪さをしたときなど 大目玉を食らわしてきました。
「長老」はどうしたんだ え。
おい ちょうろう!
なんだい 目玉おやじ。
でもですね。
今日の授業で やるべきこととやらないことを見極める
成り行きを見守る ということが 少し見えた気がしました。
本当に毎日が新しい。
ミンデルの言うとおり 毎日が「未知のもの」である。
何が起こるかわからない。
当たり前ですが
一日たりとも マニュアルどおりに行く日はない。
体系的な授業というのは 必ず年間スケジュールがあり
その日やるべきことは あらかじめ決まっていますが
必ず何か予期せぬ出来事があります。
生身の人間だからね。
人数が多ければ多いほど それをコントロールしようなどと思うことは
限りなく不可能に近い。
授業の前後にも これまたいろいろある。
でも 「結果がどうなるかは 私たちの責任ではありません」
と 『人生の地図』の著者 キャロル・アドリエンヌが言っている通り
自分が描いた ただ一つの結果を出す のではなく
十分準備をしたら 後はその瞬間の流れにまかせる プロセスに従う
全体を見渡して大局的な動きをとる
そう意識しただけで だいぶ違った。
それだけで かなり今日は気が楽だった。
自分の息子のいるクラスでは
子供は お母さんだと思って 自由にやろうとし
甘えた態度をとったり クラスメートにエラそうにしたりします。
親としての責任と 先生としての責任に板ばさみになって
身のフリに苦慮しており…
今日もそういう局面があったのですが
ただ感情的に息子を怒って終わる ということがなく済みました。
これは傍から見れば なんてことないことかもしれないが
われわれ親子にとって大きな一歩だ…。
息子にとっては自分は 「親+先生」という2重の抑圧者に違いない。
先週 あまりの態度の悪さに怒ったところ あとで
「おかーさん 親じゃない!親っていうのは もっとやさしいもんだよ!」
と 叱られた。
確かに… しつけと愛情って 両立しないらしいですから…。
子供の頃 母はいつも怒っていると思っていましたからね~。
そのまんまになってる自分に 非常に自己嫌悪を感じております。
家に帰ってきてからも
ご飯の支度をしなくては 何あれこれそれしなくては
と あくせくするのをやめてみる。
お互い 自分たちが食べたいものを作るやり方なのだが
ばっちゃが 全く夕食の準備をしていない。
はてどうしたものか?
よくあるパターンは 「やらねば」という自分のプレッシャーに負けて
目が回って 気疲れして当り散らす というものだが![]()
この 「すぐやらない」というのが とてもよかった。
一人になる時間を少し作ってから
とりあえず 簡単にできてみんなが食べられそうなもの何品か用意すると
ばっちゃがおもむろに
「わ 今日 食わねー気になってらんだばって
見だっきゃ おいしそうだな。」
(今日は食べないつもりだったけど 見たらおいしそうだ)
と言った。
そこでやっと状況が読めてきたのだが
表情がいまひとつさえないので
「疲れたべ?」
と 訊くと
実は 職場で気になることがあったらしく ブルーになっており
食欲がいまひとつわかなかったらしいが みんなで食べたのだった。
「状況を見渡し 流れに沿いながら 未知のものに従う」
今日の線 意外といいんでねべが?
と 振り返る。
そして
D・ピート『賢者の石』ことですが
以前ここに取り上げて 中途半端になっていましたが
やっぱり 説明するほど理解できなかったのです。
でも今回『紛争の心理学』を読んで 初めて腑に落ちた。
『賢者の石』に書かれている「創造的停止」とは
「何もしないのでもなく 状況にとっさに反応するでもない
沈黙と行動の一瞬の隙間を利用する」
というものだったが
それが具体的に どう利用するのかわからない。
でも 『賢者の石』で物理学の歴史を概観した後で行き着いた
私たちがこれからの時代とるべき行動「創造的停止」とは
ミンデルが『紛争の心理学』で言っている「長老」の資質にある
「やるべき時と 何もしない方がよい時を見極める」
ということにつながる。
そして 創造的停止を使えば どういういい方向に向かうのか
ということも 詳しくミンデルが説明してくれている。
その点において
この二つの本を一緒に読むと よりよくわかる気がします。
「指導者は知っている。長老は 学ぶ。」
何でも知っていなくっちゃ いい先生や親じゃないんだ
と 追いつめなくともよい。
せば!
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