英雄の資質 聖杯探求

2008/06/27

『おしいれのぼうけん』

去年の9月ごろ 子どもが幼稚園から借りてきた本。

ちょうど3連休ということで 遠出をしたときでした。

この本を携えて行ったところ

返すまでに合計7回読んだという記録を持つ

息子の大好きな絵本なのです。

年末に ダイエー『宮脇書店』にて購入

何度も繰り返して読んでいます。


ふるたたるひ たばたせいいち 『おしいれのぼうけん』


さくらほいくえんには こわいものが ふたつ あります。

ひとつは おしいれで

もう ひとつは ねずみばあさんです。

押入れは 言うことをきかない子どもが入れられるお仕置きの場所。

ねずみばあさんは 人形劇で使う ねずみのおばあさん。

ある日のこと

園児のあきらとさとしは お昼寝の時間に騒いでいたので

押入れの上の段と下の段にそれぞれ入れられてしまった。


人形劇でねずみばあさんの役をやっている「みずの先生」は

「押入れの外で反省する」

と言ったさとしの言葉も聞かず 閉じ込めてしまったため 

さとしは猛反発。

どの子どもも 怖くなって すぐ「ごめんなさい」と言うのに

なかなか謝らない。子どもと先生の根競べ。


その内 押入れの壁のシミが ねずみばあさんのように見え

押入れの壁の木目から出来たトンネルをくぐり

さとしとあきらは 押入れの不思議な世界へと飛び込んだ。


そんな風にして 奥へどんどん入っていった二人は

ねずみばあさんや 子分のねずみたちに追いかけられ

「食べてしまうぞ」「ねずみにしてやるぞ」

と脅されながらも 

最後まで自分たちを曲げません。

この物語は 

さとしとあきらの成長物語のように描かれていますが

実は 水野先生の物語でもある というところが見物です。


先生は 実は若い新米教師のようで

ベテランの先生とのやりとりも描かれており

子どもたちへの接し方を勉強している途中 ということが伺えます。

とにかく 悪いことをしたら 押入れに入れてしまう。

入れてしまえば 子どもたちは暗いところが怖いので

謝らざるをえない。

それが 次のようなところからもわかります。


「しばらくすると せんせいは おしいれからこどもをだします。でてきたこは いいます。『せんせい ごめんね。」ああ だしてくれてよかったと みんなはほっとします。『ごめんね』と いってくれてよかった と みずのせんせいも ほっとします。」


「子ども」という未知の生き物に どう対処していいかわからない 

ある意味 子どもが恐怖だった先生が

怖がって権威を振りかざしている自分に気づき 成長していく。

つまり 自分を苦しめているのは 外側の人間や環境ではなく

自分だったと気づくところが この本の醍醐味のように思われます。


物語はとても多面的で

見る人の角度によって 同じ物語でも違うように見えてくる。

物語には 寛容 親切といった「善」から

嫉妬 残酷 裏切り といった「悪」まで

あらゆる性質の登場人物が現れる。

それは 一つ一つが自分に潜在的にある性質であり

それを 物語を通して体験することによって 自分の物語になる。

今 この瞬間からでも自分を支えてくれる。

例えば 息子にとっては 「さとし」という人物が自分であるように

私にとっては 水野先生が 自分であるように。


息子がこの本を初めて読んだ時 クライマックスのシーンで 

「この本すごいよ!」

と叫びました(笑)。

ねずみばあさんという 「恐怖に打ち勝とう」とする姿が

子どもにとっては 勇気を奮い立たせるものに映るのだ と思います。

さとしのセリフは 必ず自分で読むしね。さとしに なりきっている。

一緒に読んでいて面白い。


ちなみにこの本

初版が1974年11月1日と古く

我が家にある本は なんと178刷(2007年7月20日)です。

全77ページで読み応え十分 世代を超えた人気の一冊 

ぜひご覧下さい。


せば!

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2008/06/26

新しい自分

この間 サイクリングの途中 ころんだのですが 

coldsweats01

この後 自分に変化が起こりました。

確かにその時はびっくりするし しばらく痛い。

でも 別にいいじゃんか 怪我したって

何だってできる 思ったようにドーンと行け!

みたいな ふっ切れ方をした。

殻が壊れたような 爽快感がある。

だから 暗門に行った時も 

実は高いところに上ったり 即席の橋を何度も渡ったりと

高所恐怖症には ビビるポイントが結構あったのだけど

下を眺めて

「落ちたとしても 痛いが死なないな」

と 感じた。説明するのが難しいが…。

怪我の功名 というやつか。


よく教室の子どもたちや息子には 言うんですよ。

ワークの答えを間違ったりして落ち込んでいる時

間違っても恥ずかしくない

今日の失敗は明日の成功

と エラそうに(笑)。

そしたら なあに 自分じゃないかよ

転んじゃだめだ 大人たるもの颯爽とスマートに

と ビクビクしているのは おまえだろ

テストの点数5点下がったってうるさいのは 自分だろ。


息子に

「おかーさん転んだら スッキリした。転んでもいいんだってわかった。」

と 意味不明なことを申したら

「そうだよ 今日の失敗は明日の成功!」

と 言われました。

happy02

旦那は旦那で

病院で 顔にできたイボを チッソ凍結によって細胞を破壊し

今 かさぶたの様になっている。

(後日譚:ぽろっと取れて あらきれいさっぱり)

知り合いで 顔にできたイボ状のものが 実は癌だった と聞き

じっちゃが 病院さ行げ と言うのでね。

でも 単なる「老化」によるものだと言われたそうだ。 笑

そのかさぶたが自然に取れれば もうオシマイなんだとか。

これで顔相も変わるだろう。


いろんなことから

古い殻を破って 新しい自分になるという 「死と再生」の儀式

そんなことを ふと思った次第。

↑重いな

いやいや 毎日新しい自分 ですよ。

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2008/06/18

「聴こえない人生」を選ぶ

甲地由実恵さん(1973年生)という プロボディボーダー

通販雑誌のコラムに載っていて 初めて知りました。

2歳のとき 感音性難聴にかかり

両耳の聴力をほとんど失ったのだそうです。

そんな彼女は ご両親の方針で普通の学校へ通い

自宅で発音の訓練をすることで 話せるようになったのだとか。


ボディボードに出会った18歳の時の気持ちを こう語っています。

「海の中に入ることで 自然と一体になっている感じがする。音が聴こえなくても関係ない 海は私がひとりの人間としていられる場所。自分の居場所が見つかった気がしました。」(DHC『みんな げんき?July 2008  No.49 P19)

「ひとつめのくに」じゃないけど

人に「聴こえない」と覚られず 一人の人間でいられる場所

彼女にとって「ふつう」でいられる場所は 海だった

という衝撃。

それがただ大切なだけではないことが 次のことからもわかる。


20歳のときに 耳が聴こえるようになる手術をするかどうか

という決断を迫られたが

この 人工内耳を埋め込む手術をしたら ボードは続けられない

ということを知り 

由実恵さんは 自分らしくいられる「聴こえない人生」を選んだのだそうです。


その後 親元を離れて小笠原に行ったとき

「ここでは 全部さらけださないと生きていけない。そう思いました。全部をさらけ出すことで 自分で自分を受け入れて 弱い部分も好きになれた気がします。小笠原から帰ってくるときには 自信に満ち溢れて 補聴器も気にせず ポニーテールをゆえるようになっていました。」(同)

と思った。


全部をさらけだして 弱い自分を受け入れるっていうけど

なかなかできない。

ユングが言うところの 

影を受け入れることができたとき十全になるという 個性化の過程

それは一生かかってやる大仕事なのだけど

早くに自分を受け入れて進むということをやらざるを得なかった彼女は

人生のアドバンテージに立っている と思う。

人がうらやむような暮らしをしながら 

ちっとも幸せじゃないと思う人もいるわけで

短絡的に勝ち組負け組というなよ と。

もはや 人にどう思われているか とか よく思われたいとかじゃない。

それは 聴こえない人生をも選ぶという

「自分はどうしたいのか」

という 究極の選択をしていくことだ。

そんな 強烈なメッセージを受け取りました。


ちなみに

由実恵さんは 大好きな海への想いを

『虹を見上げて』(サンクチュアリ出版)という

フォトエッセイに綴っているそうです。

ニコリと笑った顔が とてもキュートな女性ですよ。


せば!

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2008/06/12

田臥くん がんばる

ナルニア スター・ウォーズと放浪していたところに 朗報

↑ラップ調に攻めてみようとしたが 後が続かない

田臥くんが ニュージャージー ネッツのサマー・リーグに参加するそうだ。

アメリカにわたって早6年 リーグに参加できない年もあったそうで

いがったいがった。

まだ登録されたわけではないけれど

結果はどうなるかは私たちの責任ではない

いまやっている 目標へのプロセス これが大事だね。

もうだめかもしれない とあきらめそうになるけど

そんな時 いつも田臥くんに励まされるように思うのであった。


Yo!scissors←むりやり

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2008/05/19

お気に入り 3 筋肉の躍動

昨日 テレビで『ナルニア王国物語』見ましたー。

C.S.ルイス原作の大ベストセラーを本格的に映画化したシリーズ第1作。第二次大戦下のイギリスで、ペベンシーの4兄弟姉妹が、疎開先の屋敷の洋服ダンスから、異世界の「ナルニア」へ入ってしまう。白い魔女によって100年の冬を強いられたナルニアで、彼らが英雄となるまでを、壮大なスケールと、めくるめく映像で展開していく。(Amazonより)

これまで見たことなかったのですが

どれー テレビさ 入るんだば 見でみるが 

と 思って。

やはり『ハリー・ポッター』以来 ファンタジーブームなんすかね。

『指輪物語』 『ゲド戦記』 『ナルニア王国物語』。

映画を見ていて 『指輪物語』みたいだな と思うシーンがあった。

指輪物語 J・R・R・トールキン と

ナルニア王国物語 C・S・ルイスは 親友だった とのことだよ。

フムフム。


『ナルニア』は7章まであり 

昨日の映画は「ライオンと魔女」というものだった。

4人の兄弟姉妹が ワードローブの中から ナルニア王国という異界へ入り

白い魔女に魅了された次兄を取り戻し 王国を救うべく 奔走する。

戦いのシーンがすごく迫力があって

白い魔女と一番上の兄貴の一騎打ちに もーうっとりdog

「かっこいい~!」

人間てさ 黙っている写真を見てかっこいいとかステキというより

ダンスとか スポーツとか動いている姿 だよな。

だから 筋肉番付とか(笑) バレエダンサーとか 田臥くんとかさ。

モデルとかにイマイチピンとこない。

モデルさんたちは 私にそんなこと言われたくないと思うけどさ。

わっはっは


5月21日(水) 第2章「カスピアン王子の角笛」公開だそうです。

行くべし。


せば!

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2008/05/03

人生の地図 -物語 3-

スタインベックが『エデンの東』を書くずっと前に

『赤い子馬』という短編を書いたのだが

それは『エデンの東』の習作というべきもので

主題や構成が酷似しており 4つの短い物語から成る。

2つ目の作品『大連峰』の冒頭で

主人公のジョーディという少年が 

小鳥に石を投げて殺してしまうシーンがあり

彼はそれを親たちに見られれば叱られると知っていて 隠す。

「どうだ。とうとうやっつけてやったぞ」彼は言った。 死んだ小鳥は 生きているときにくらべて ずっと小さく見えた。ジョーディは 何かとがめられるようなかすかな苦痛を胃の腑に感じた。それでナイフを取り出し 小鳥の首を切り落とした。それから腹を裂き 羽を切り離した。そして最後に ばらばらになった小鳥の死体を茂みの中へ投げすてた。彼は小鳥のこともその命のことも まるで気にかけなかった。だが 自分が小鳥を殺すところを見たならば おとなの人がなんと言うか はっきりわかっていた。それを考えると われながら自分が恥ずかしくなってきた。彼はいっさいの出来事をできるだけ早く忘れ どんなことがあってもけっして口に出すまいと心にきめた。(『赤い子馬』P67)」

われわれ大人は

そういういたずらを やみくもに「ダメ」と言わないほうがいいらしい。

うーむ これは難しい。

見ないようにしよう。見なけりゃいい。(そういう問題か?!)

子どもは大人の知らない小さな秘密を持って当然なのだそうだ。

机の一番上の引き出しの鍵は

子どもが持ったほうがいいそうです。

そうじゃないと 部屋全体にカギをかけることになるのだとか。

 
このジョーディ少年は 一連の作品を通じて 

トリックスター(いたずら者)から 次の段階へ成長する。

4つ目の作品『開拓者』の中では

年老いた母方の祖父が いつも開拓時代の話ばかりするので

辟易していた家族が描写される。

煙たがられ 過去の栄光にすがる悲しそうな祖父の姿や 

その前作の中で命の尊さを垣間見るうちに 

少年の中に優しい気持ちが育っていく。

つづく

(人生の地図 物語4・5 については 

期間限定とし 削除しました。5月9日記)

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2008/05/01

人生の地図 -物語-

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大平健『診察室にきた赤ずきん-物語療法の世界-』

これはおもしろい。

「むかしむかし、あるところに…」まさか精神科を受診して、昔話や童話を聞かされるなんて誰も思ってもみなかっただろう。でも、患者たちの当惑はすぐ驚きに変わる。そこに繰り広げられるのは自分の物語なのだ。悩みを抱えた心の深層を「赤ずきん」「ももたろう」「幸運なハンス」「三びきのこぶた」などで解き明かす、ちょっと不思議で、ほんとうは不思議じゃない12話の「心の薬」。内容(「BOOK」データベースより)

問題の渦中にいると

自分がどういう行動をとっているのか まったく見えない。

外界の出来事にただ反応し 無意識に動いている。

それを「あなたは今こうなっていますよ」

と 見せることで 意識的になる。

こんなアホなことをしていたのか…と正気になる。

「無意識を意識することが 問題を解決する」

という例は たくさんある。

前世療法 あれも「本当かどうか」は別として

自分を客観的に見せてくれるから 治るんじゃないか

と 考えるようにしている。

じゃないと あまりにも信じがたい症例なので。


ちなみに 何度でも書くが

『エデンの東』を読んだとき 

自分はまさにこのパターンだな と思った。

『エデンの東』に限らず 物語の構成には主題があって

それが昔からずっと同じものが繰り返されているにすぎない。

『エデンの東』にある主題は 

聖書にも 『アーサー王の死』にも 

『ローマ建国史』 『ダフニスとクロエー』

『ギリシア神話』 『トリスタンとイゾルデ』にもある。

ろーまけんこくしって?

そんな質問は受け付けません。

つづく

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2008/04/30

人生の地図 -遺跡-

急激に欧米の文化を吸収しようとした日本は

言語など文化背景を奪われた黒人社会と同じだ。

私たちには「根」がない。

子供時代にはこういうことがあり

青年を経て 大人になるまでに

こんなことがある

その後死ぬまでのイベントはこうだ

という知恵が薄れている。

それが 神話であり 宗教であり 

童話 物語といった文学であり

踊りや音楽 美術といった芸術なんだよ。

その土地に伝わる伝承に親しむことは

自分の人生をよく生きようとすることだ と思う。

文字がなかった文化圏では

後世に伝えたい重要なことを

踊り 刺青 地上絵 マウンドなど 色々な形で残した。

どっかのピラミッド型の遺跡の階段も

1年を表すと聞いたことがあるな。

調べたら「チチェン・イツァー」らしい。

「ピラミッドの階段は4面の91段を合計した364段に最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。wikipedia

4方向 

「4」とくれば 「四季」なんだな。

「52」とくれば 「1年」。

52というのは 人生52年を表すらしいね。

今はもっと長生きしてますが。


ネイティブ・アメリカンの種族の中に

地上絵を守ってきた者がいて

その意味を どこぞのフランス人に訊かれたが

それは門外不出の秘密であり

脅されても口外しなかったため

彼らは殺されてしまったのだとか。

現代になって その血を受け継ぐ人が

「祖先がアジアからベーリング海峡を渡って 

アメリカ大陸にやってきたという 

1万5千年の壮大な叙事詩だ」

ということを教え始めたそうだ。


モンゴロイド(黄色人種)の移動を見ると

環太平洋一帯に分布していますな。

南米チリの突端にいるヤーガン民族には 

一人あやとりなどの日本と同じ文化がある。

顔もよく似ている。

日本に「加納」「狩野」といった名前があるが

この語源は「カヌー」にあるらしいね。

「軽野」も「速い舟」という意味だそうだ。

伊豆の白浜神社も カヌーとかかわりがあるらしい。

最近知ったのだが 

こういうふうに ちょっとだけ知っていることを 

いいふりして話す人のことを

津軽では「おべさま」と言って 敬遠する。

津軽の三ふり

いいふり あるふり おべだふり

の一つ おべだふり(知ったかぶり)。

「おぼえているふり」ですな。

そっから派生した(のか?!)


でも みんなで「人生の地図」についてシェアしたいのだ。


つづく

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2008/01/17

自分で選ぼう

先月の末に 髪を切りに行きました。

担当の美容師さんに「グルメさわだ」に行ったことを話したところ

その方が「本当は写真家になりたかったんですよ」と 教えてくれました。

でも 写真の勉強というのは いかにせんお金がかかる

ということで あきらめたのだとか。

今も出かけた先で 写真を撮ったりもするが

ご主人の作品の方が 味があっていいものが撮れる。

自分にはどうも才能がないように思われるのだそうです。

…オドロキました。

その美容師さんは まず腕がいい。

そして こっちの要望を丁寧に聞いて

どういう風にこれから切るか とか

終わった後には これこれこういう風にしました

という かゆいところに手が届く説明をしてくれます。

とても信頼しているので もうこの人以外からは切ってもらいたくない。

ところが 本当は写真家になりたいという夢を抱いていたとはね。

でも 人が 本当にやりたかったことを話すとき

とてもイキイキして見えます。

それがすごく好きでーす。

なので 自分が本当に好きなことをしている人を見たり

その人の体験談を読んだり聞いたりするのが また好きなのです。

その最たるものが 田臥くんであって

文字通り 彼は私の「ヒーロー」なのです。

英雄は 一生聖杯に手が届かないが

その目指す高みに向かって努力していること自体が

聖杯そのものなのです。

たとえ 認められなくても。 


ジブリの映画に 『耳をすませば』 というのがありますね。

高校受験を控えた主人公の雫(しずく)は

進路を決めるときに 自分の本当にやりたい「作家」か

それとも 普通に高校へ行って大学へ進む道を選ぶかで 揺れ動く。

好きになった男の子が 自分のやりたいバイオリン作りを進路に決め

イタリアに下見に行ってしまいます。

その上 雫の母親は大学院に在学中で修士論文を書いていたり

勝気で家事でも何でもこなす大学生の姉は 自活するといって家を出ます。

どんどんみんなが自分のやりたいことを見つけて 実現している中で 

雫はとても焦り 一つ物語を書こう と心に決める。

受験前のテストで成績を落とした彼女

学校から呼び出され 心配した両親とついに向かい合い 

「自分を試すって決めたんだから 今やらなくちゃ」

と 宣言します。

心配しつつも 大学院生の母親は「身に覚えがある」と言い出し

黙って聞いていたお父さんも こう切り出します。

「雫がやりたいようにやらせてみようか。一つしか生き方がないわけじゃないし。だけどな 人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。誰のせいにもできないからね。」

図書館員のお父さんは ずっと図書館で調べ物をしている娘を見守っていました。

口少ないけど ここぞというときに子どもを信頼して「やってみろ」と言ってくれるお父さん

すばらしい!

物語の完成を見届けてくれる 雫の想い人のおじいさんもまた すばらしい。

いろいろな大人の目が 子どもの成長を見守ってくれているんだよね。

まさにこれを地で行く体験談を 昨日お聞きしました。

そっくりですね。つか このまま ですね!

子どもは 本当にやりたいことがあったら 反対されても何度も説得する。

親は 親心から当然サラリーマンや手堅く稼げる仕事を進めたいが

子どもの「失敗してもいいからやってみようという気持ち」を応援する。

先生も 生徒が自分で決めたことを応援する。

子どもが 自分で行為を選ぶ練習と

不安になったら そばで年長者が応援することと

そして 失敗したら励まして 次へつなげるようにすること。

これをいつも見せられているように思う 今日この頃です。

今気づいたけど 田臥くんのご両親や先生方も

まさにこうして応援してきているね。

せば!

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2007/11/07

他者のために生きる

先日の“Delfonix Fever”から1週間が経とうとしています。

いまだ外国の方々が 続々と訪問されているようです。

オランダ語 ドイツ語 スェーデン語…

やはり英語で書かれたは 世界を身近にする。

ジョン前田氏のブログを読んだ方が

自身のブログで こちらを紹介しているのも見かけました。

あるいは

“Purpose of life”

で検索をかけて こちらに来ている人もいらっしゃいます。

「人生の目的」という言葉には

人をひきつける要素があるんだなと あらためて思いました。

先のクリアファイルには こうありましたね。

“The purpose of human life is to serve,
and to show compassion
and the will to help others. ”
(人生の目的とは 奉仕することであり
そして他者を助ける気持ちと思いやりを見せることである)

“Life is an exciting business,
and most exciting when it is lived for others. ”
(人生とは エキサイティングな出来事である 
そして 他者のために生きる時が最もエキサイティングである)

「他者のために生きる」

「他者を助ける気持ちをもつ」

なんだかこれが キーワードのような気がしてきます。


最近我が家で 『未来少年コナン』を借りてみています。

小学生のときに リアルタイムで見たのですが 

毎週楽しみにしていたし 学校でも話題にした記憶があります。

息子も興味深く見ているようだし

われわれ親側も 懐かしい。

この物語はアレクサンダー・ゲイ『残された人々』が原作なのだとか。

初めの設定は 衝撃的です。

西暦2008年7月
核兵器を上回る威力の超磁力兵器による戦争で、
人類の大半が死滅した後、海面上昇によって多島海化した
世界における少年コナンと少女ラナの冒険を描く。」

来年の7月 ですな…。


内容は こうです。

コナンが活躍する舞台は、戦争でそれまで築かれてきた
高度な文明が破壊され、中世段階まで後退した世界である。
コナンの世界で文明らしさを代表するものとしてインダストリア
の三角塔が登場するが、人間が生んだ愚かなものの象徴と
して、この作品のテーマとかぶってくることになる。
人間はなぜ生きるのか?
人間にとって真の豊かさ、幸せとはどんな形なのか?
という永遠のテーマを観る者にさりげなく投げかけてくる。
Wikipedia

ここでも「人生の目的」がキーワードになってますね。

残され島という小さな島に 

「おじい」とたった二人で住んでいたコナン。

太陽エネルギーの秘密を知っている

重要人物ラオ博士の孫 ラナが 

島に漂着するところから 物語は始まります。

彼女をめぐって 大人たちが醜い争いをしていて

その島にも追っ手がくる。

追い払おうとした「おじい」は負傷し 

死に際にコナンにこう告げます。


「仲間を見つけろ。そして その仲間のために生きろ。」


英雄譚では 自分のためだけに力を使ったとき 

堕落するパターンがあります。

宮崎駿アニメにも常套な主題です。


未来少年コナンとは

未来であり 

現在にも見える状況であり

そして 過去にもあった出来事だよね。

だから いつの時代にも普遍的で

飽きさせない。


別に ジブリ礼賛というわけではないけれど

私は「英雄の資質」ということに興味があるし

英雄譚とは結局 私たち一人ひとりがどう生きるかを示す

先人のヒントだから

そのメッセージは読んだ方がいいと思ってるのでね。

「いや わっきゃ 勝手に生きるんだ」

と 遠回りしても

結局 歴史何千年の目には かなわない。

そんなふうに 文学には 私たちを導く役目があるけど

今はなかなか長い物語を 腰をすえて読むことがされない。

だから 文学をアニメで紹介している宮崎駿は エライ。


この時間は

「お忙し氏」とされる私に 突然降ってわいた自分の時間。

おかげで瞑想できました どうもありがとう。


現在過去未来~♪

せば!

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2007/09/08

挑戦者たれ

ども。

芸術家とアスリートの哲学には いつも学ぶことがある!

今日はまず さっきのNHK「一期一会」から!


土曜日の「世界ふしぎ発見」を 1週間の締めとして

心待ちにしている私は

そのあとの2・3時間を ここぞとばかりにテレビ漬けにする日がある。

NHKの「一期一会」という番組は

25歳以下の青年が 

自分とは違った価値観に生きている若者と会って

2・3日行動を共にし

時間を共有して 学びあうというもの。

これ おもしろいよ。


今日は

「毎日がつまらない高校生」×「バレーボールの強豪高校のエース」

という設定だった。

この バレーのエースの女子高生は

身長178センチ 目鼻立ちぱっちりの美人で

成績平均も 5段階評価の4.8だという 

文武両道を地で行く 非の打ち所のない人物であった。


方や 高校生活がつまらないという女性は

漫画家を夢見ていたが

高校になると 刺激しあう仲間もなく

目標を失っていた模様。

だが 全寮制でバレー漬けの日々を送っているエースと時間を共有する中で

自分が 逃げていることに気づく。

才能があるのかないのかを知るのが怖い。

だから コンテストにさえ送ったことがない。

人に 自分の描いたものを見せるのもいやだ。

「もし 才能がないと否定されたら どうしたらいいのか」

と エースに訊く。


エースのお答えは こうだ。

そんな 高いプライドは捨てて

挑戦者の気持ちで 最初からトライすればいい。

バレーでも 拾えなさそうな球を 自分が声をかけることで

誰かが拾ってくれることがある。

自分が行動することで 人を伸ばすこともできる。


自分がアタックできるのは

誰かがトスをあげてくれるおかげだし

感謝の気持ちも大切である。


すべては 自分からの働きかけがきっかけで

傷つくのを恐れていては 何も始まらない。

失敗してもいいから とにかく自分からやってみることが大事だ。

毎日真剣にやっていれば

「つまらない」なんて 言っている暇はないはずだ。


もう ぐうの音も出ません。

打ちのめされました。

そ そのとーりです!

ははー(ひれ伏す)。

親元を離れて 甘えを排除した中

自分の目指すものを極めようとする これらの人たちがいうことには

およそ否定することが出来ない 経験に裏打ちされた確信が満ちている。

↑くどい。

この人の言っていることは 田臥くんと同じだな と

おばさんは 思いました。


ふしぎ発見でも

パリで長年 壁画の修復をしている日本人画家が

念願かなって 自分の作品を壁画に残すことが許された。

70を過ぎたその方は

「希望を持つこと」

そのことを 日仏の若い学生にいつも言っているのだそうだ。

何十年もかかって叶う夢もあるのだから とね。


賢者の石か はたまた聖杯探求か

今日も芸術家&アスリート語録に完敗です。


せば!

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2007/01/23

負け犬になれないものは 勝者にもなれない

昼食をとりながら なにげなくテレビを見ていたら ある情報番組で「ラズベリー賞」について取り上げていました。最低の映画と俳優に贈られるこの賞の授賞式には 当然受賞者がこない。でも ある時オスカーも獲ったというある女優が 堂々と受賞され アカデミー賞で述べた挨拶のパロディーまでやった。なぜか?

それは 子どもの頃から母親に「負け犬になれないものは 勝者にもなれない」と言われてきたから だそうです。

これを見て 先日立ち読みした児玉光雄『トップアスリート 成功思考』という本を思い出しました。これは あらゆるアスリートの言葉をまとめた一冊。「松井秀喜、イチロー、ロナウジーニョ、中田英寿、タイガー・ウッズ、朝青竜など、56人のスーパーアスリートに学ぶ『成功の法則』(MARCデータベース」とある。

この本の最後に登場するのが 田臥くんです。著者もわかってるな~!「良いことも悪いことも受け入れる」という内容の見出しでした。ロスターに登録されなくても 失敗とは思わない。すべての経験が 後の成功につなげるための布石であるそうです。

タイガー・ウッズは 優勝するよりも多くのタイトルを失っている。でも ゲーム(試合)そのものを楽しんでいる。だから勝者にもなれるのだとか。ゲームを「人生」に置き換えても然り とは ある本の一節。

今日の失敗は 未来の成功

今日もがんばろう おー!

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2006/10/29

英雄の資質 田臥君編 4

こうしてみると 田臥君には もって生まれた優れた資質と 困難を克服していこうとする高い精神性を持ち合わせていることがうかがえます。エラそうに書きましたが わかりませんよ 会ったことないですから!でも たとえば今日 自分が人にあって どんな会話をして どう接するか。もっというと 自分がこれから どう生きていくかという「選択の方法」を 英雄の資質を考えることから学べるように思います。

つことで 田臥君 これからも応援しています。 おわり

「自分が望んでるような結果がでない時だってあるし、 思い通りにいかないことだってたくさんあると思います。(今の自分のように) でも!本当に大事ことは、そんな状況であっても腐らず、落ち込まず、諦めず、 自分のやっていることがいつか必ず実を結ぶと信じて、 目標を見失わずに毎日自分のベストを尽くすことなんじゃないかなって」 (10/22TABUSE YUTA オフィシャルサイトのメッセージ)

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2006/10/28

英雄の資質 田臥君編 3

(2)英雄誕生のこと
『アーサー王の死』において アーサーは 父であるイングランド王 ウーサー・ペンドラゴンと 母グェネヴィアとの間に生まれます。グェネヴィアはコーンウォールのティンタジェル公の妃だが ウーサーに見初められた。ウーサーは何とかして彼女を手に入れたいと思い 魔法使いマーリンの力で自分をティンタジェル公の姿に変える。ウーサーは思いをとげて アーサーを身ごもらせた…というのが 誕生の経緯です。キリストも 処女マリアから誕生するなど 英雄は 異常な妊娠によって生まれるというパターンがあります。

また 英雄は 身分を隠し 試練を通して他人の前で証明されるという実際の行為によって その英雄性を示すというパターンがあります。『アーサー王の死』では 「ガレスの話」に顕著です。ただ「生まれつきの高貴」というものは その人物の英雄性を増幅させる。つまり後天的に成長する精神性ではなく 生まれつき優れた資質を備えている ということも英雄性の一つといえます。田臥君が約3ヶ月にして歩き出したということは 生まれつき身体能力が高い証。ご両親の良い性質を受け継いだ血統者であるといえるでしょう。

(4)英雄の養育にまつわること〈父親を知らない英雄)
アーサーは 父ウーサーと魔法使いマーリンとの約束どおり エクター卿という養育者に預けられます。アーサーは 自分が王になるまで 自分の父親がイングランドの王であることを知らずに育ちました。「父親を知らない英雄」という主題は たくさんの神話や古典に共通していますね。現代の作品も この構造を踏襲しているものが多いです(『エデンの東』『スター・ウォーズ』『ハリー・ポッター』)。

田臥君もそうですが イチロー選手も 高校に上がる時点で 親元を離れ 優れたコーチに出会います。相撲なども 早い時点で親方に弟子入りさせる。親ではない優れた第3者に教育してもらうという(4)については 一考の余地があります。

アーサー王伝説の第一人者(たぶん)の先生に「キリストとアーサー王が 「父親を知らない英雄」であるということに 共通の背景があるでしょうか?」と訪ねたところ 「おそらくあるが それを論じるには文化人類学的考察が必要だ」と言われました。「父親を知らない」ということは 「実際に父親がいない」ということだけではなく 「高貴な血縁より 行為を重んじる」ことを象徴した表現であること。また 「優れた養育者に育てられる」というのは「親子間の甘えの排除」が目的の一つではないかと考えます。特に『アーサー王の死』は これらの主題を盛りこむことで 若い世代を教育していった経緯があります。奉公、寮生活など、自立を促す制度との共通点があるといえそうです。

(5)英雄が不死身の性質を獲得すること
スポーツ選手に怪我はつきもので オリンピック選手の体験談に よくこれに似た話を聞いたりします。また イチロー選手について 彼は高校2年の時に交通事故に遭い 投手から打者に変更せざるを得なかったそうです。怪我(困難)を克服して次の段階に進むということが 英雄の資質といえるのかもしれません。 つづく

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2006/10/27

英雄の資質 田臥君編 2

〈英雄に共通する10の主題〉
神話・伝説的英雄には 10のモチーフがあるといわれています。(1)英雄をもうける両親のこと(2)英雄誕生のこと(3)乳児である英雄の生命がおびやかされること(4)英雄の養育にまつわること(5)英雄が不死身の性質を獲得すること(6)最も普遍的な英雄的行為は、竜その他の怪物との戦いであること(7)英雄が、大きな危険を乗り越えた後、乙女を得ること(8)英雄が死者の国へ旅すること(9)英雄は、幼児に姿を消した場合、帰還して敵にうちかつこと(10)英雄の死のこと。(ヤン・デ・フリース「環境の表現としての神話的空想-ロイド・アリグザンダー」)

これらは『アーサー王の死』に顕著にあらわれるパターンですが 『ローマ建国史』『ダフニスとクロエー』『ギリシア神話』『トリスタンとイゾルデ』などにも ところどころ共通点があります(スタインベック『エデンの東』にもテンコ盛りです)。興味のある方は『物語要素事典』をご覧下さい。

さて!田臥君の英雄の資質について 
(2)英雄誕生のこと―生後3ヶ月で歩き始めた。
(4)英雄の養育にまつわること―15歳で親元を離れ 優れたコーチによって育てられた。
(5)英雄が不死身の性質を獲得すること―小学校2年生の時、骨折をしたが、練習を休まなかった。怪我をしていない左手でドリブルの練習をし、怪我が治る頃には右と同じ位ドリブルが出来るようになっていた。

え こじつけじゃないかって?いーのいーの。これらを一つ一つ考察してまいろ~。 つづく


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2006/10/26

英雄の資質 田臥君編

日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥君が なぜ現代の英雄なのか?いや もっとたくさん 海外で活躍するスポーツ選手がいるでしょう と お思いでしょう。ただ単に あたしゃあ田臥君のファンなんです。そんだけ。

田臥君の言葉で「全ての神話は、人間の経験を改めて語ったものである。」byスタインベック と申し上げましたが。神話は 単なる昔話や作り話ではなく 人間の体験の語りなおしである。ということは 私たちが今体験していることが 神話にすでに書かれている。私たちが神話や古典を読む意義は 自分の人生に向き合うことにあるといえます。

そこで 田臥君の体験も 神話の中にあるのではないか?という観点から 共通点を探り 私たちの明日への活力をもらおうではないか。そして プレシーズンが始まったNBAへの参加を心待ちにしている田臥君へ エールを送ろうじゃないか と考えています。 つづく

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2006/09/28

田臥君の言葉 3

田臥君 君は現代の英雄だ! ということで 「彼の言葉」と 主に『アーサー王の死』を絡めてお送りしている第3段。英雄=ヒーローとは 結果の失敗や成功の如何に関わらず 自己の精神性を高めようとする人物です。

「(シュートを)はずしたからだめだとか 全部うまくやらなければ 自分はチームに残れないとか そう色んなこと気にせずに、一所懸命やることだけを考える。はずれたら練習すればいい。」2004年11月27日(土)BS1 スポーツ大陸

<良いところも悪いところもある自分を認める>
他にも 当時の あるチームメイトについて「すばらしい」と認めています。でも 彼のようにはなれないので 自分のベストを尽くすだけだと述べていました。前にも田臥君の「本当の強さ」(2005/7/11記事)とは何か について 書きましたが 自分が未完成であることを認め だからこそ 次の選択が出来て 目標に向かえる。そのことに尽きると思います。

それは 今の私たちの生活にもすぐ応用できる考え方です。私たちは決して全部を100%うまくやらなくてもいい。いつもシュートを狙い続けて はずしたらすぐ 次のシュート。そして練習。つまり 今日の仕事がイマイチだったとしても 次の機会ために準備をして また良い仕事をしよう と切りかえる。田臥君曰く「機会を与えてもらって 良いパフォーマンスをする」。舞台は違えど 心構えは同じですよね。

NBAでは、長身でなければ不利かもしれないし 他の選手のようにはなれない。でも 自分は完全ではない と認めることによって 何をすべきかが見えてくる。それが 私には「神話における『英雄の成長物語』」そのものに感じました。あらゆる物語の英雄は、自分の中の愚かしい部分を認めているのです。

<神様だって 善と悪をもっている>
「神様」というのは いつでも慈悲ぶかい穏やかな存在だと思われがちですが 違います。ユングは 『ヨブへの答え』(1952)において 神にも人と同じく 「悪」の要素があると述べています。神は 一般に思われているような 救いの象徴 善の象徴としてのみの姿ではなく 善悪双方の要素をあわせ持つ全体であることを強調しているのです(山中康裕編『ユング』講談社、2001。P45)。

旧約聖書において 神の最初の名前は「エローヒム」という複数形の名詞で呼ばれていて 神なるものは男性的・女性的なもの両方を包含するという事実が認識されていました。このことは 創造主が一方的に慈悲深いだけでなく あらゆる対立物を体現する者であることを示しています(サリー・ニコルズ『ユングとタロット―元型の旅』秋山さと子 若山隆良訳。新思索社、2001。P532)。

全ての神話と宗教の教義は 人間が人格の全体性を取り戻す術です。影を自己に同化することでしか 人間は成長できません。それは 人格における「善と悪」に限らず 「成功と失敗」ということにも同じことがいえる。失敗することがあって 当然です。「男と女」「美と醜」「善と悪」この世の全ての物が 相反する側面を持った全体で構成されていることに気づくのは とても大切なことだと思います。

7年くらい前のことですが 私のことを「デビル」と言った生徒がいました。悪魔っぽいのだそうです。その時 とても気が楽になりました。私はべつに いつもやさしくてほがらかにふるまう必要がない。悪いところもある。「先生」というのは いつでも寛容な人にならなくてはいけない と とても不自由に感じていた頃でした。「そうだよ~ 実は悪い奴なんだよ!」と言ったら 本当にスーッとしたのです。その時から 生徒との関係が良くなったのでした。子供が悪いことをしたら 悪いことだと教えればいいんです。当たり前だけど。

<失敗するときもあれば 成功するときもある>
仮に子供が何かに挑戦したとします。その時 もしかしたら失敗するかもしれないし 成功するかもしれない。失敗した時 私たちはそれを その子供の全体の一部だと認めなければならない。失敗があるから 成功も巡ってくる。それが 全体というものだということを 許容してくれる環境が大切だと感じています。だから 私たちは 田臥君の成功と失敗の両方から何かを学ぶべきなのではないでしょうか。NBAの選手になったから「勝ち組」だとか また選手になってからも「故障者リストに入ったからだめ ロースターになったから良し」と 決して短絡的に捉えられません。

彼の輝きとその裏にある影を 自分のこととして昇華したとき 彼の英雄性が初めて自分の物語になるのだと思っています。

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2006/09/22

「目に見えない何かを直覚する」2

室町時代が中国文化が流入した混乱の時代だったとは。←無知 そして その時代に興った文化が 日本の伝統文化になっているということは 今の時代も新しい何かを生み出すための過渡期なのか?という希望がわいてくるように思います。西欧特にアメリカ追従から脱して 後の日本の伝統文化と呼ばれる 新しい何かを生み出せるのかもしれません。

「普遍的な霊性」とは何か
形や言葉では表わせないが 確かに存在する日本的霊性を自覚的にとらえる。さらに この「日本的霊性」を求めることは日本回帰ではなく 普遍性のある世界的なものなのだとも述べています。さて この栗田先生の言わんとする「普遍的な霊性」とは 一体何なのでしょうか。

「霊」と聞いてすぐピンとくるのは ここでも『アーサー王の死』です。アメリカの心理学者Wesley W. Stillwagonという人は 「アーサー王伝説における円卓の概念は 魂の探求であって これによって悪の概念を追い払い 個々の騎士を霊的経路に戻すことが可能である」と主張しています。

霊とはghostではなくspirit。「スピリチュアル」な探求が 歴史や人種や文化という時空を超えて 人間という種族全体に必要な作業である。だとすれば 様々な地域に存在する 同じ主題や構造をもつ神話や古典 それこそが普遍的な霊性の表れに違いありません。根っこで私たちがつながっている証拠です。英語だ日本語だ と壁を作っている場合ではない。叡智は自国の文化だけからは学べません。異文化に学び その周囲とのつながりを「感じる」「求めていく」ことが 私たちの霊性を深めていくのだと思います。

<Message for you>
このコラムの中にまた「目に見えないなにか」というキーワードが出てきましたね。『星の王子様』“Something important is invisible.”

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2006/09/21

「目に見えない何かを直覚する」

2006年9月17日(日)付 東奥日報記事に 作家で評論家の栗田勇先生のコラムがありました。東大出身で仏文学者から出発し 西欧文化への教養をふまえた日本文化論で知られる方だそうです。

現代は室町時代の混乱の再現である
栗田先生が主張されるのは 主に次のようなことです。明治維新以来の近代化でとり込んできた社会構造が 今一挙に崩れている。既成の社会が通用しなくなってきたが この狂乱の時代に生きる私たちには 学ぶべき歴史がある。それは室町時代であり 応仁の乱などで混沌とした時期をどう生きるべきかを考えた人が一休和尚である。

室町時代は 公家から武家へ権力が移り 武家も町衆との経済交流で崩れた。中国との貿易・交流で 日本の風習が中国風に変わっていった時代である。現代と同様に「文化の破壊と滅亡 勃発と攪拌の時代」であり 庶民が混乱したと述べています。

霊性に目覚め 新しい文化を生む
その混乱の時代に 一休寺の近くで 世阿弥の嫁婿である能の金春禅竹が教えを請うようになる。「狂」の時代を生き抜いた一休のもとから 後に日本の伝統文化となる能 連歌 俳諧 茶道が出るのだそうです。これらを筆者は「座の文化」と称し 一座を組むことで目に見えない何かが生まれてくる文化であると言います。引用しますと

「『精神と物質との奥に 今一つ何かを見なければならぬ。』その何かとは『霊性的直覚』だと鈴木大拙が書いています。大拙の考えに賛成です。精神とか物質とかではとらえられない何かが大切なのです。一休の周辺から誕生した座の文化。それが生み出す『目に見えない何か』こそが『日本的霊性』の姿です。」

現在起きている混乱は 表面的な言葉や形で社会を捉えることができないからである。近代を導入するために 政治 経済 哲学 宗教などを持ち込んだが それらで構造的に社会を考えることが機能不全に陥っている。でも その中でも普遍的なものを見つけなくてはならず それこそが「霊性的直覚」の力なのだと強調しているのです。 つづく

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2006/09/09

田臥君の言葉 2

田臥君 君は現代の英雄だ! ということで 「彼の言葉」と 『アーサー王の死』を絡めてお送りしております。英雄=ヒーローとは 結果の失敗や成功の如何に関わらず 自己の精神性を高めようとする人物です。

「少しでも何か出来るというチャンスがあるんだったら、ムリでもやってみる。やってみることが大事なんじゃないかということが、自分の中では大切にしてる部分。やらないで決めたくない。だから、やれるチャンスがある以上は、やりたい。これでいいとか、これで満足だ、と思ったら、人間としても、バスケットプレイヤーとしても成長できないと思っている。」2004年 11月27日(土)BS1 スポーツ大陸 

田臥君だけでなく どんな仕事をする人でも 自分はまだまだ発展途上だとして 切磋琢磨する人が 良い仕事を継続していますよね。それは アーサー王伝説を取り上げずとも わかることではありますが。『アーサー王の死』には キリスト受難の血を受けた「聖杯」を探すという 大きな主題があります。この聖杯とは 「自己」を象徴し 聖杯探求は 自分の精神性を高める人生の旅だ といえます。

このことを 『エデンの東』の著者スタインベックはこう言っています。

「(『アーサー王の死』の著者)マロリーの作中自己であるラーンスロットは、マロリーの欠点のせいで聖杯探求を成就できない。しかし、作家の自己を表す人物は探求を全うできなくとも、彼の種を宿し、彼の血を受け、その短所ではなく長所を抱く汚れなき息子ガラハッドには可能である。聖杯は目に見える杯ではなく、目に見えないただの前進するための約束にすぎない。本人は永遠に手が届かず、息子、孫へと受け継がれる(Steinbeck, A Life in Letters 553-4)。」

英雄はいつでも未完成。骨身を惜しまない態度を その探求を子孫に受け継ぐという形で 物語に象徴させています。

田臥君一人の体験は 脈々と今に受け継がれる伝説や神話と共通しています。もしかすると いま自分がここで体験している苦しさや悲しみ というものは 他の誰かが古の時代に体験したことかもしれない。そして この瞬間もどこかで 同じ気持ちの人がいる。そう考えると 気持ちがフッと軽くなるように思います。一人ではないことを 少しだけ実感できるから。それが 文学という芸術の役目です。だから 私たちは田臥君の態度にも 神話を含む文学 ひいては芸術全般にも 教わることが多いと思っています。

「好き」を追求しているヒーローは 世の中にもっといるとは思いますが わたしゃ田臥君のファンなので あしからず。まだまだやるよ。

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2006/09/04

田臥くんの言葉

えー お待たせ致しました ?自分の中で満足していた 田臥君からの珠玉のメッセージを 皆で分かち合おうジャナイカ。という気分です。

私ごとですが。2004年11月 田臥君が鮮烈なNBAデビューを遂げたあの時 自分は足掛け5年に渡る卒論を提出したところでした。なに5年?!ということは つっこまないでいただきたい。入学して12年が過ぎ 年2回の卒論指導を ナンと通算9回受けてやっと仕上げた。あまりの在籍期間の長さに 半分あきらめかけた時 やっとお許しがでたのです。そして 提出した後は その後の卒論試問があり 卒業できるかどうかが問われる関門でした。落とされることはないとはいえ 不安だったのです。

その研究は スタインベック『エデンの東』の中にある神話的な主題を探り それをユング心理学で読み解こう というものでした。その 「神話」というのは 聖書とか『アーサー王の死』などが含まれています。そういうキリストやアーサー王といった ある種の英雄伝というのは 単に1人の人間について語られたものではない。古今東西 同じ造りの脳をもつ人類ならば 皆に共通する主題を含む「集合的無意識」なのだということを ユングが提唱した。同じパターンがあるわけです。例えば父親がいないのは キリストとアーサー王に共通している。そういうパターン探しを『エデンの東』の中に探すという作業を ずっとやっていた。だから 頭に型がインプットされていました。

「全ての神話は、人間の経験を改めて語ったものである。」とは スタインベックの言葉です。私には NBAを目指している田臥君がインタビューに答える その一つ一つの言葉が まさに現代の英雄の言葉に聞こえました。

目指してこうしたい、と思ったらとにかくやってみる。無理でもやってみて、自分で決めて、取り組んでみたことでもしかして失敗するかもしれないし、うまくいくかもしれない。ただやってみなきゃわからないことですから。やらないでああしとけばよかった、こうしとけばよかったって、思うことはしたくない。

この人は 私に大切なことを教えてるな と 勝手に直感した。結果はどうであれ 最後までやってみろということだな と。卒業できるかどうか悶々としていたのが スッと納得できた。それから 私の田臥君教が始まったわけです。不定期ですが 今後もご紹介いたします。 つづく

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2006/06/26

「ニッポン チャ×3 北島康介選手 2」

今回もっとも印象に残ったのは 北島選手が子供の頃に通っていたスイミングスクールに 当時第一線で活躍していた選手が来たというエピソードだ。北島選手は 彼に一緒に泳いでもらうように頼んで 最後に握手をした。ペースを合わせてもらって泳いだその数年後 オリンピックの国内選考会で その選手と競い合い 北島選手が勝ったのだった。なんとドラマチックな展開。

これをきいて思い出すのは いろんな人が 憧れの対象を強く語っていることだ。草刈民代がバレエを始めたのは オリンピックでフィギアスケートを見たのがきっかけだった。単なる習い事ではなく 「舞台に立つプロになる」と考えていたそうだ。田臥君も 子供の頃NBAのビデオをすりきれるほど見て 「アメリカに行く」と思うようになった。そして北島選手も 目標とする第一人者と実際に一緒に泳いで 「オリンピックに出る」と決めた。ヴィジュアライゼーションという用語があるが まさにこれが自分のなりたい姿を想像して 引き寄せた結果だろうと思う。

これをまたまたユング心理学的にいうと 霊的経路が開けている ということになる(のか?)。この「霊的経路が開けている」というのは とても大事なことだと思っている。現代は これが開いていない「善と悪が一面化した状態」の人間が多い と心理学者たちも指摘している。「善と悪」を言い換えると 「意識と無意識」である。ヨーロー先生が著書で盛んに主張する 都会=意識 田舎=無意識 となる。つまり都会化した現代は「意識化している」という見解が ここでも一致する。

善が一面化(意識化)するとどうなるか。イイ子を装って 親のいうことを聞く子どもがいるとする。自分が生きられない 「影」の部分が強くなる。「影」は 本人が「悪い」と思っていることで この場合「親にそむいて遊ぶ」ということになる。それが耐えきれなくなった瞬間 影が暴走してしまう。それが 犯罪を引き起こしているという一面が 今まさに見られていると思う。つい数日前も そういう事件があった。「悪」を抑圧し続けるところに 必ず犯罪がある。以前アメリカの修道院で 少年を姦淫しているという事件があった。それに限らず「あんなにイイ人がなぜ」という事件がおきる。自制が過剰に求められると 影が相当攻撃的になるのでは と 常々思っている。

「あたしって いやなやつ」と認めると なぜかホッとするんだよね。ユングに言わせると 善というのはただ「悪を隠している状態」にすぎない。自分の中にある 生きられていない「影」を知ること。それを自分の「悪」だと認め 抑圧しないことが必要だと思う。

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2006/06/25

「ニッポン チャ×3 北島康介選手」

日本のアスリートを応援するTBSの番組。おもしろい。ほんとに アスリートといわれる人たちがしゃべることと言ったら 聖杯探求そのものだ~と いつも一人で感心している。

6月24日は 水泳の北島選手がゲストだった。司会の島田伸介氏もつっこんでいたけど 調子が悪い今 よくテレビに出る気持ちになったね。逃げないところがスゴイ と 勝手なイチ視聴者は思う。

サッカーのワールドカップでは 日本が敗退したけれど 中田英選手が「この負けを受けとめて 初めて次に進めると思う」とはっきり言っていた。これもまた 自分の弱さを正面から受け止めた時 初めて成長できるということを 示しているのんじゃないだろうか。それを元型的にいうと「英雄とは 善と悪をもちあわせている」「善と悪が並存している人間は「十全」である(つまり 善悪がある人間が普通である)」「自分に悪があることを認めてこそ 初めて善を選択できる」ということになると思う。

自分の弱さを認めるのは とても勇気が要る。でも それを乗り越える。そしてもし その次に勝った時は 北島選手は本当の英雄なんじゃないかと思う。それを見て 末端にいる自分も日々密かにがんばろうっと。

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2006/06/24

『アトランティスの遺産』後日譚(まだやるか)

トマス・マロリー『アーサー王の死』好き(どんな趣味じゃ)の自分にとって 『アトランティスの遺産』は 衝撃の1冊になった。人間に勇気を与える1冊が 『アーサー王の死』だとは…。でかいね 役割が!

『アーサー王の死』を知らなくても 私たちは『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』新しいところで『ハリー・ポッター』『ロード・オブ・ザ・リング』はよく知っている。これらの物語は 『アーサー王の死』の影響を受けていると言われている。

『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』の監督ジョージ・ルーカスは 神話学者のジョセフ・キャンベルに影響を そのキャンベルはユングの影響を受けたと言われている。つまり 大元はユングにあって ユング心理学でいう「元型」という神話のモチーフや物語の構造 人間関係のパターンが 映画なんかに応用されている。ユングなぞ知らん と言っていても 知らないうちにその象徴を見て 「すばらしい」「普遍的だ」と思っている(らしい)。

神話というのは 洋の東西を問わず 共通する事項がある。たとえば 『浦島太郎』のように 異世界に行き 3日たって戻ってきたら300年経っていた というのは常套的だ。この「3」という数字も 『シンデレラ』は姉妹の3番目 『3匹のこぶた』も同じことを3回繰り返す などなど 枚挙にいとまがない。

神話に話を戻すと 神話における「英雄が竜と戦って成長する」という物語のパターンは 私たちがたとえ竜と闘わなくても 普段の生活に実用できる虎の巻だ ということが言えると思う。それを実感したのは やっぱり田臥君