何を隠そう 今日は田臥くんの誕生日
です。
(誰も隠してませんが)
いや~ めでたい
ファンたるもの このことを避けていられようか?
いや いられない(反語)
怪我の具合はどうなんでしょうか。
今シーズンは 鳴りを潜めている よっぺぎ…
ヒュ~(秋風)
田臥くんの足が治ったら 応援しに行くことも考えよう。
田臥くんの出ない試合を見るなんて
イチゴののっていないショートケーキと同じ 味気ないわッ!
↑イメージが貧困
本題
2.All for one, one for all. 一人は万人のために 万人は一人のために
これ 久々に復活することになった 三谷幸喜監督によるNHKの人形劇
『三銃士』に出てくる 有名なフレーズ
何かで 以前に見ていたんだけど
わからなくなってしもうた~
おそらく エンデ もしくは 友愛関係
ごめんね そーりー
3.意識の気化
意識の三態というべきか。
人間の意識が 物質であって
固体・液体・気体という物質の三態のように 変化するのではないか
という疑問っす。
ちょっと前に 山で遭難しかけたお話を聞きまして。
ご本人の了解を得ましたので 書きますと
その方は 山で一人歩くうち 煙(霧)にまかれてどこにいるのかわからなくなり
道に迷ってしまった。
その時 自分が周囲と同化した体験をした。
そのことをご本人は 「自分が拡散した」と言い表している。
自分が 自分を取り巻く全てのもの 岩や石や空気 霧であり
自分は 自分であって自分ではない
でも その感覚はとても幸福感に満ちていて
なんだ こんなにこの世は美しくすばらしいものだったのか
今までの世界には戻りたくない
というものだったそうです。
この状況は ユングが自伝で語っている
石に座っているエピソードを彷彿とする。
10才くらいまでのユングは、1人でいる時に庭の古壁の前に突き出た石に座り、想像の遊びに耽っていた。そこにずっと座っていると、私と石がどこかでつながっていて、私が石の上に座っているが、一方で石である私の上に彼ユングが座っているという感覚も生まれてくる。学校に行く私も私だが、いつも私は石として庭にじっとしてもいる。どちらも自分だが、どっちが本物なのだろうか。イエスの暗黒面は、幼いユングにとってあまりに強力でなす術がなかった。しかしこの石は 内なる他者の役割を引き受けてくれる対象となった。この石との遊びは 「私」という存在が私1人で成り立っているものではないことを自身の経験の中に受け入れていくことのできる入り口だったという。(山中康裕『知の教科書 ユング』、講談社、2001年3月10日。P17-8)
夢 瞑想 踊りなど通常ではない意識「変性意識」時に感じられる体験には
ピーク・エクスペリエンス(オリンピック選手などが緊張が最高潮に達する本番に あるいは サーファーが波のチューブの中で感じる時間が止まったような 時間間隔の欠如。右脳体験の最たるものであるところの「絶頂体験」)
先日紹介したフリー・ライダーのスティーブ・亀田さんが極限状態で見る幻覚
など 本当に興味深いものがあるよね。
このお話には 続きがあって
その知人は 歩いている先に 看板が裏向きに立っているのを発見した。
その看板の表側を読むと
「この先入るな」のようなことが書かれてあった。
つまり 歩き回って「拡散した」界隈は 入ってはならない領域だった。
な~んと。
いうなれば異界の入り口 『千と千尋の神隠し』を思い出すね。
また彼の方は とても幸福感に満ちたその感覚をしばらく覚えていたが
残念ながら 今はもう思い出せないのだとか。
「異界での意識の分散」 とても興味深い。
木村秋則さんほかの神秘体験と
リサ・ランドール博士の異次元の仮説やラズロ博士の理論と
多分に重なると思う。
<異界での意識の分散と神秘体験>
木村さんは 「龍」を目撃した瞬間
周りにいた人が動かなくなった と言っているが
私たちが普段感じている「時間感覚」というものが通用しない あるいは
全く違った時間の概念?=異次元があるのかもしれない。
また 物質が固体・液体・気体の三態に変化するように
もしかしたら人間の意識も形態が変化して
分散したり固まったりするんじゃないかと思ったんだよね。
もしかして 普段私たちが生活している明晰な覚醒状態のときは
意識の形態は 固体か何かで
夢や瞑想などの変性意識状態のときは
意識が気化?して 体から抜け出せるのではないか?
例えば死ぬときに 意識が気体(のように?)になるんじゃないか?
だから 臨死・死後 トランス状態のときは 意識の形態が変化して
体から抜け出したために
自分を頭上から眺めていた というような体験が報告がされているのでは。
あるいは 先の方のように 道に迷うという一種の変性意識状態のときに
空中に拡散されたと感じたんじゃないか。
どの体験も 幸福感に満ちていて
「今までの世界には戻りたくない」と感じているところが
共通しているしね。
岩や石など どんなに硬いものでも
物質は素粒子からできていて 振動しているというよね。
意識も実は そうなんじゃないかという疑問。
亡くなった人が 千の風になるというのは
ウソじゃないような気がする。
形態の変化のメカニズムは わからない。
熱が関係している?
よく臨死体験を記した本に 「体が熱い」という表現を見たりする。
寝るときは体が温かくなるしな。
このことを「意識の気化」という風に考えて 検索したら
「ヌース理論」というものがヒットした。なんじゃ?
この理論がいいか悪いか本当かウソかはまったく未知の世界なんだけども
ちょっとサイトを覗いただけだが
素粒子の正体が 人間の意識だ ということを言っているらしい。
ただ ヌーソロジーグッズなるものもあって
どうもこの 精神世界プラス商業主義がいただけない。
なんでこうなっちゃうんだろう?
物理学博士のリサ・ランドールも 原子核を構成する素粒子のなかに
この世界から姿を消すものがあるという矛盾にぶつかったが
私たちの世界を取り囲む別の次元があると仮定すると
矛盾が解決することに気づいたそうだ。
今 見てきた「異界での意識の分散」と
ランドールの提唱する「異次元に姿を消す素粒子」
というミクロの世界を もう少し比較したいと思う。
続く