先日の「グルメさわだレポート」
明鏡欄に投稿したのが 載りました。
結構送ってから日が経ったので
「またボツかよ…」
と あきらめていたのです。
そしたら今日の夕刊に載っているぢやないか。
「おお!」
と 家事の手を止めて読み
一種の感慨にふけっていたところ 一本の電話が。
サタさんご本人からでした。
わざわざありがとうございました。
制限550字では収まりきらない魅力の持ち主です。
宣伝すると お断りする方が多くなるのでしていないということですが
みなさまも機会がありましたらぜひ。
約2年ぶりにまた明鏡に送ってみようと思ったのは
サタさんに 伝え切れなかったことがあったので。
そして
明鏡欄にもときどき
「世の中が悪いから 子どもを産み育てる気がおきない」
とかという投稿があるが
とにかく「世の中が悪い」という不平はもう聞き飽きた。
そんなことを言っているヒマがあったら
ゴミの一つでも拾ったほうが よっぽどすばらしい。
自分から積極的に良くしていこう という行動によって
良い世界がつくられる。
それをサタさん(と ご主人)は伝えている と思ったので
思い切って。
澤田サタさんの半生をつづった「マイウエー」という記事が
去年 新聞に7回ほど連載されました。
青森県にゆかりのある人物が 自分を語る形式で
さまざまな分野で活躍されている人が取り上げられています。
まず 彼女がいま弘前市内に住んでいるということに驚き
「英語に興味をもったことが その後の人生を左右した」
という内容に ぐいぐい引き込まれました。
いつかその 一日一組をもてなすという場所に行ってみたい
と思い 記事を切り抜いてありました。
先月だったか 土手町を車で走っていたところ
サタさんを見かけました。
右折しようとした私の車の前を渡ろうとしていたのですが
先を譲ったので 軽く会釈をされて颯爽と歩いて行かれました。
新聞の写真と同じ姿だったので(当たり前)
「あ サタさんだ」
と 一人でびっくり。
弘前ガイドブック「TEKUTEKU」の今号に
サタさんのインタビューが載っていたので
2・3度立ち読みしていたのですが
これは「行け」ということだな
と 察知し
お友だちを誘って ついに訪問が叶った
というわけです。
夢は温めておくものですね。
サタさんのご主人 「報道写真家 澤田教一」という方は
戦争の悲惨さを伝えながら
いつかはその戦争があった村が平和になった時に訪れて
写真を撮りたいと願っていたそうです。
いつも思う「平和」という言葉ですが
世界の平和は 自分ひとりの心の平和から始まって
家族の平和
地域の平和
国の平和
そんでやっと世界の平和…
だから自分ができることは
まず自分のことだね。
イライラしたり 怒りっぽくなったら
「今なんで腹が立っているのか」
と自分を客観的に見たり
子供の頃の環境を振り返ってみたり
そういう 心理学的な内省をすること。
お母さんがにっこりすれば 家族の平和につながる。
そして 世代間のギャップに圧倒され
押したり退いたり けんかしながらも
同居家族とそれなりに仲良くする(笑)。
それができたら今度は
近所の人と挨拶する。
気づいたときしかやらないが ごみを拾う。
共有している場を時々きれいにする。
そうすると なんだかご近所と仲良くなる。
私がやっているのはそこまでです。
あとは 教室に来る子どもたちと
お母さんたちと いっぱい話すこと。
または親戚を時々尋ね お土産なぞを持参し
懐かしい話をする。
そうすると それぞれの人が
実は少しずつ自分であることに気がつきます。
「自分になる」ともいえる。
特に今年は
久々に会った親戚と話して
実は伯母たちが 趣味で詩を書き続けていたり
ピアノを続けていたり
いとこが 絵を描くのが好きで 飾っていた
…などということがわかり
なぜ自分が日記を書き続けていたり
音楽や美術に興味があるのかを垣間見たように思われました。
「みんなが少しずつ自分」
そういうことをこれからも地道につづけよう。
あと
「Always 3丁目の夕日」なんかを見たり
前から子どもと見ていた「未来少年コナン」を見るにつけ
平和って
そこにあぐらをかいていちゃ 維持できないんだな
日々戦って勝ち取っていくんだな
と つくづく思わされるんですよ。
なんだか 平和というお題目がでかいですが
(先日息子が買ったダイソーのおもちゃも タイトルがでかい。
その名も「宇宙セット」
NASAの宇宙飛行士と 宇宙探査機 ロケットのセット
これで105円。「宇宙」が105円て!)
あと
「スキマ」がないとだめなんじゃないか
30年代の様子をよく特集したりしていますが
何か 満たされていない「隙間」がありますよね。
土地にしても 家や家具や服装にしても
満足しきっていない空間がまだある。
だから
ちょっと不便だとか 足りない というところを
今はわざわざ作っておく必要があるんじゃないかなと。
まるで『求めない』や
『ハコミセラピー』の中にある「空間」の話と同じなんですがね。
「老子は『からっぽであること』と『存在しないこと』をとても勝ちあるものとして大切にしました。それは 肯定的な概念なのです。存在しないことは とても役に立つのです。
ひとつの車輪には たくさんの輪止めがあるけれど 車が動くのは まんなかに穴があるからだ。粘土でつぼをつくるけれど 内側にからっぽのところがあるから 役に立つのだ。(『ハコミセラピー』P24)」
これを文字で表現するのは難しいんですが
「遊び」の部分 なにもない部分というのを
自分に残しながら 仕事をしていこう
と 思うようになりました。
2007年はそういう年であったことよ。
来年からは
「外国」ということにもっと積極的にアプローチしたい。
ただ旅行ということだけじゃなく。
先日自分の中で 具体的目標を掲げてみました。
時間がかかっても やるよ。
いつもながら
えらそうに書いているが 葛藤の日々
ではでは また
せば!