リサ・ランドール+若田光一『異次元は存在する』 日本放送出版協会 2007/05。
リサ・ランドール:ハーバード大学で 数式を使って物理の法則を研究する理論物理学者。
「1998年 ランドール博士に5次元時空研究のチャンスが訪れる。博士は当時 マサチューセッツ工科大学の教授として素粒子の共同研究をしていた。そしてこの研究で 原子核を構成する素粒子のなかに この世界から姿を消すものがあるという矛盾にぶつかる。なくなるはずのない素粒子が姿を消すのはなぜか。私たちの世界を取り囲む別の次元があると仮定すると 矛盾が解決することに ランドール博士は気づいたのだ。」P19
5次元て。
ドラえもんのポケットでさえ4次元だというのに
↑常にこのツッコミ
4次元より高い次元は 余剰次元と呼ばれ
その形がどのようなものかは 科学者の間でも議論があるそうだ。P9
私たちが住む3次元は バスルームのシャワーカーテンのようなものであり
私たちは カーテンにある水滴である。
私たちは 水滴がカーテンに張り付いて下に落ちていくように
3次元世界を移動することができる。
しかし 水滴がシャワーカーテンからバスルームにとびだすことができないように
私たちも 5次元や6次元などに飛び出すことはできない。
このように 私たちは 3次元という「膜 membrane」に張り付いている。P12-14
一塊のパンを スライス状にして 並べてみる。
5次元や6次元の世界は
パンの塊を何枚かにスライスした内の一つのように
3次元世界の隣に存在するのかもしれない。P14
その 異次元とやらを探るために
2008年に cern 欧州原子核研究機構で実験が始まった というが
どうなったんだべね。
<これを読んで 素人の素朴な疑問>
ランドールの述べるところの異次元が
ラズロのAフィールドとどう関わってくるのか。
体外離脱を研究したロバート・モンローのフォーカス・レベル(意識の階層)
との関わりは。
「水滴がカーテンを移動することはできても バスルームに飛び出すことはできない。」
でも 水蒸気になったら バスルームに飛び出せるだろう。
液体は 構成分子または原子の間隔がの間隔が気体より狭く かなり強い作用を及ぼし合っている。
気体は 流動性に富み 密度が低く 定まった形がなく 容器中ではその内部全体に広がる。
(三省堂スーパー大辞林)
物質は 実は量子化された波束に包まれたエネルギーなのであり(『叡智の海・宇宙』)P156
世界のすべては振動なのだ 同P221
とすれば
人間の肉体も物質であるから 量子化された波束に包まれたエネルギーであり振動している。
「世界のすべては振動なのだが 生きている者と死んだ者は周波数が異なるために分離されているのである 」同P221
であれば
死んで 周波数が異なるものへ変わった「私たち」は
水滴が水蒸気になるように 3次元の世界から飛び出すことができる
死んで3次元から飛び出した私たちは 異次元という死後の世界へ行く
と考えられないだろうか。
ランドールの言う5次元という世界は ラズロがいうところのAフィールドなのだろうか。
余剰次元は モンローの意識の階層か。
それらと UFO・宇宙人といった宇宙存在との関係は。
自分の想像では
これまでの読書体験などから
魂というものがあたかも 人間のように動き回って
霊媒師は 直接それらとコンタクトをとっているのか?
と思っていた。
エリザベス・キューブラー・ロスの著作群は
その事例の典型だと思うのだが
ラズロは
私たちが その死を悼む人とのコミュニケーションに入るときは その人と直接コミュニケートするのではなく その人の体と脳によって作られたホログラムをAフィールドのなかで読むのである
という。
では 霊媒師が
マスターと呼ばれるものと話して 知恵を授かるのも
自分の体と脳で作られたホログラムを Aフィールド上で読んでいる
ということだろうか。
また 霊を目撃した
ドッペル・ゲンガー現象で 生きている人の二重身を見た
宇宙人とコンタクトをとった
ということも 同様のことが言えるのだろうか。
それとも 別物であろうか。
<輪廻転生に関する 別な概念>
イリノイ州の Grief and Traumatic Loss Centerの所長
精神療法医のアラン・ボトキンは 3000名近くの患者に
ADC(After Death Communication 死後のコミュニケーション)を引き起こすことに成功したとし
ラズロはボトキンの著作から 次のADC体験の例をあげている。
マークは 自分が起こした交通事故によって
相手側の車に乗っていた人たちが亡くなってしまったため
深い悲しみと罪悪感にさいなまれ 2度も自殺を試みるまで追い詰められた。
ボトキン博士の誘導により ADC体験を試みたところ
亡くなった家族とコンタクトを取って和解し マークは重荷を下ろすことができた
というものである。
ボトキンによれば ADC体験は 錯覚や病理学的妄想でもない。
ラズロは このADC体験について 次のような興味深いことを述べている。
被験者たちが 故人と実際に会っているとすれば
死者が何らかの形で 別の次元の現実の中に存在することを示し
肉体の物理的な死後も 人間は存在しているということになる。
だが それは真実ではなさそうである。
より可能性の高い説明は “情報体としての宇宙”である。
自分が考え 感じ 知覚するというすべての体験を保存する
ホログラフィック・フィールドであるところのAフィールドに書き込んでいる
ということである。
私たちの脳は これらのホログラムの要素を読み出すことにより
脳死体験や変性意識状態の経験で現れる記憶の再生ができる。
他人のホログラムも読み出せるので 他人の体験も追体験できる。
P225-6言い換え引用
つまり 情報の場である宇宙のAフィールドは 宇宙に存在する万物の場であると同時に意識の場でもあるがこれが私たちを不死にしてくれる。これは 昔から考えられてきた不死とは異なる 現実的な不死である。これはまた 従来の意味での不死の証拠と解釈されてきた事実とも矛盾しない。…「前世の体験」は まったく真実味がないというわけではないが だからといってこのような体験が本当に前世に由来するものであるとは言い切れない。永遠の魂の顕現ではなく 永遠の情報の読み出しである 別の形の輪廻転生というものが存在するのである。」P228-9
この部分について 自分はこう考える。
私たちは 家族や友人を失ったとき 悲嘆にくれてしまう。
そんなとき 霊媒師が 死後も死者とコンタクトをとり
あるいは 自らがコンタクトをとれるようになった という現象が現れるとき
当然 私たちは それらの者が死んでもなお 私たちを見守ってくれている
と 思いたい。
自分たちが死んでも 無になるとは思いたくないし
亡くなるときに 先に死んだ愛する者が迎えに来てくれた
と思うのは 自然な感情だ。
死というものが未知で 不安だからだ。
魂が不死であり 永遠に存在するのではなく
単に Aフィールド上の永遠の情報の読み出しだ
と言われると 途方に暮れてしまう。
でもここで Aフィールドという概念が 大きな意味を持つだろうと想像するのは
人間の主観的な「感情」に左右されない 客観的な表現の方法だからだ。
臨死・死後体験 前世という 感情に傾きがちな分野を
他の科学などの分野とアカデミックに統合していけるのではないか
細分化されバラバラに研究を進めている全ての専門分野が壁を越えて 研究を共有することによって
新しい発見が期待できるのではないか という希望を与える。
それこそが ラズロ博士が40年間行っている研究であると考える。
もちろん 生きていることには感謝すべきだし
何かに生かされていると謙虚な気持ちをもち
人為が及ばない自然や宇宙の摂理を敬い 畏れるのも必要だ。
しかし 「神が 人間を作られたもうた」
という宗教的表現をするのは もはやシステムのひとつの「支配の方法」
洗脳を助長する側面を否めない。
メッセンジャーは メッセージそのものではなく 媒介である とよく言われる。
神様や教祖様が あなたを助けるのではない。
E・K・ロスが
「人生を本当に生きたかったら グルもバーバもいらない」
と言っているのは
すばらしい師や教祖などが 自分を救ってくれるのではなく
「全てはすでに内にある」
つまり 瞑想 夢 踊りなどを含む変性意識状態 精神病 臨死・死後体験
といった 常識に支配されない脳状態では
自分が直接 Aフィールドにあるこれまでのすべての情報にアクセスできる
それによって 大いなる叡智から自分で学ぶことができるからだ
と言えるのではないか。
ランドールとラズロの提唱する異次元とAフィールドは
魂や輪廻転生ということについて 新たな見方の1つを提示してくれた。
それでも 宇宙はまだ未知の世界である。
そろそろ 横尾忠則に登場していただこうかと思う。