
おはようごすー。
どしちゃーみんな?元気でら?
こちらは 子どもの熱も下がって 一安心。
先日 学校へ行く機会があったのですが
お母さん方のエキサイトしていることといったら…
なんでまあこうも お母さんというのは怒ってばかりなんすかね。
自分もその筆頭なんですが
デパートでガミガミ
学校行事でガミガミ
ガミガミガミガミ
さしねー!
笑
なぜ われわれお母さんは怒るのか。
母親稼業は 家で行われる。
家にいるということは なかなか気持ちを発散しにくい。
子どもといる時間が長いので 嫌な所がお互い目につく。
とりあえず親の権力を駆使して
「服をよごさない」「悪い言葉を使わない」
などと 子どもにガミガミ言う。
そしてそれが 真に子どもに受け止められないので また怒るという
悪循環を繰り返す と想像する。
ゲッソリ
考えようと思えば色々理由はあります。
怒っているよそのお母さんを見て いやな気持ちになるのは
自分の中にあるいやな部分を相手に見るから でしょうね。
自分もああやって怒ってるときあるんだろうな いやだな
てな具合に。
でも まてよと
なぜそんなに 子どもがやっていることに対して
もっというと子どもだけでなく 周りの人たちに対して腹がたつのだろうか?
いま目の前で起こっていることに対してだけ 本当に怒っているのだろうか?
と 心理学の本をかじった者は 何とか立ち止まってみる。
よく 育児書 子育てのアドバイスの本を読むと
叱るのではなく怒る それはよくない とある。
そんなことはとっくにわかってるんですよ フッ
それができないから こうして本を読んでるんぢゃないですか!
↑また怒る
このように 怒っている人たちというのは
スイッチが入って怒り出すと止まらない。
子どもが悪さをしたから と思い込んで怒っているものの
実は自分がどうして怒っているのか なぜ怒っているのかがわからない。
ガミガミやったあとで 険悪なムードになり自己嫌悪
どうしたらよいものかと マニュアル本をひも解いてみる。
でも こういう場合にはこうしたらよい という その場しのぎ的な
表面的なことしか書いていないことが多い。
対処療法ではなく 根本的な治療を求む!
いつでも 枝葉末節ではなくて 本質を知る本
専門家が書いた専門書が読みたい。
というわけで 再びエリザベス・キューブラー・ロスに登場していただく。
<怒りは 古傷があることを知らせるシグナルである>
ロス『ライフ・レッスン』によれば
怒りというのは 自然な感情であるが
私たちの社会では 怒ることが悪いことであると思われている。
しかし 自分が傷つけられている 欲求不満であるという警告として
正常かつ健全な反応である。
これを抑圧し 何も行動しないことが多いために
怒りがどんどんためこまれていくのだそうだ。
その「古い怒り」は 新しい怒りが起こったときに
さらに強い怒りに成長し表れる。
ちょっとしたことが 激怒にエスカレートする。P234
「怒りは 受けた傷に自分が何の対処もしていないことを知らせるシグナルである。」P234
<怒りは その人の人格ではなく 単なる感情にすぎない>
傷をためこむと 怒りが成長し
そのうち自分に怒りがあることも忘れ
怒りの感情とともに生きるのが当然となり
怒りが自己の一部となる。
自分を悪い人間だと思い始める。
「私たちは 自己のアイデンティティと古い感情とを分ける作業をはじめなければならない。」P235
<自分を裏切ったことにも 怒りを感じる>
また 自分の感情を犠牲にして 他人の機嫌をとろうとしたとき
自分を裏切ったことに怒る。
「自分にたいしてとるべき待遇をとらなかった相手にたいして怒ることがあるが じつは自分がしかるべき待遇をうける人間であることを最初に表明しなかった自分自身に怒っていることに気づいていないことが多い。」P235
なぜなら 欲求することは弱点だと思われてるからである。P235
「怒りを内部にむけていくと それはしばしば抑うつや罪悪感となってあらわれてくる。怒りが胸中で腰をすえてしまい それが過去のできごとにたいする印象を変え 現在のリアリティにたいする見解をゆがめる。そうした古い怒りはすべて 他者のみならず自己にかんする未解決のわだかまりとなって蓄積される。」P236
<怒りの背後にある恐れを見抜く>
子供の頃裏切られたことがあれば
今 デートに遅れてきた恋人に対して 単に約束を聞き違えたとは思わず
信用ならない人間だ と思い込むかもしれない。
これは 遅刻してきたから怒っているのではなく
相手に軽視されたら怖い と感じているから なのだそうだ。
このようにして
過去の傷がたまり大きくなると 現実をみることができなくなる。
怒るとは 背後に恐れがある とある。他に
「怒り……あなたがこなかったから怒っている。背後の恐れ……あなたにすてられるのが怖い。」
「怒り……あなたがあんなことをいっていたから怒っている。背後の恐れ……あなたがもう愛してくれなくなるのが怖い。」P241-2
自分の恐れに直面するより 怒っているほうが簡単だが
相手は怒りにうまく応答しないため 問題は解決しない。
相手は怒りより 恐れに反応する。
仕事ができない部下を怒っている上司は
やる仕事たくさんあるのに できなくなるのが怖い
と伝えた方が 部下は動く。P242
<泣きなさい 怒りなさい>
ロスは 臨終にあって 周囲の人に悪態をつき
今までの自分の 終末医療の研究も全部ムダだった
というようなことを言い 素直に怒りを表したそうだ。
この本の中でも
泣いて悲しみの感情をやりすごし
怒って怒りの感情をやりすごし
癒えるためにいろいろな感情を体験せよと説いている。
乳幼児がそのように正直であるように
臨終にある者も ストレートに「怖い」「いやだ」と言うことを思い出す。
「わたしたちもかれらのように正直に自分の怒りを表現することを学ばなければならない。怒りをためこまず やりすごす生きかたを身につけなければならない。それは可能である。」P249
今朝もちょうど息子殿が 自分が聞いたことに対して
「はあい?」
と 人を小ばかにしたような「はあ?」という調子の言い方をする。
こんにゃろ~ 学校でそうやって言われてるんだな~ッ
この場合 普通に「親にそういう口の聞き方はなんだ!」
で すむんでしょうが
自分でもおかしいと思うくらい腹がたった。
ときどき 怒りのスイッチが入り 我を失う。
「そういう言い方はよくない バカにされてるみたいに聞こえる」
(ここでは冷静に書いてますが かなり険悪な雰囲気になりつつ)
と小言を言うも
子どもは「ヤバイ」という顔をしながらも 知らんぷり。
ウーム敵もなかなか手ごわい。
だが たとえケンカをしても
一日の始まりはなるべく気持ちよく… く 苦しい
ウソでもいってらっしゃいと言うことに決めているので
「気をつけての」と送り出す。
言われて ムッとした自分の気持ちの背後にある「恐れ」を感じ
「怖い」「いやだ」と素直に伝えることを とても大切に思う。
そして このことを 自分の前の親の世代も
子ども時代を思い出しながら 自分と向き合っていかなければならない
と気がつくと 私たちはもっと解放される。なぜなら
私たちが怒られて育ってきた歴史は 実は自分たちだけのせいではなく
親たちが向き合うべき自分を 子どもに投影してきたからだ。
つまり 全員が自分を周りに投影しているに過ぎない。
でもそれは 彼らの問題であり
私たちがやることは もう周囲を責めることではない。
今 自分のこと。
どの人も「自分の中のヒットラー」を追い出さなければならない。