『村上春樹 河合隼雄に会いにいく』 自己治療のための芸術表現
岩木山の雪解けも中腹まで進み 緑になってきました。
畑を通っていく風にあたって 間近に迫る山を見ていると
とても気持ちがよかったです。
ちまちまと ここで精神論を語っているのが
ある意味アホらしくなる瞬間がある。
時々 自然の中に身をおいて体を動かし
額に汗する ということが
とても自分に必要だと思います。
そんな頭でっかちの自分にピッタリのこの本には
一口で言い表せない面白さがある。
あまりにも自分のツボをついた内容で 書ききれない。
たとえば
「自己治療と小説」
「物語をつくる・物語を生きる」
「物語と身体」
「宗教と心理療法」
などなど。
そのなかでも 第二夜 無意識を掘る“からだ”と“こころ”
この中にある「物語と身体」では 次のようなやりとりがある。
村上春樹は 小説を書き始めるまでは 自分の体にそんなに興味を持っていなかった。しかし 小説を書いていると 身体的・生理的なものにものすごく興味を持つようになり 体を動かすようになる。すると 脈拍 筋肉 体形が変わり 同時に小説観や文体が変わっていく。
それにたいして河合隼雄は 身体の変化と 精神的なものの変化は 呼応して当然だという。たとえば 昔の文士たちは 言葉 精神の仕事をしているから 体は関係ないと 暴飲したりし 自分の体を無視したり軽蔑している。そういう意味で 身体性まで取り込んだ文体や作品ということまでは 昔の日本人の作家はあまり考えていなかったのではないか(P117-8参照)。
中学生の頃だったか
川端康成 芥川龍之介 三島由紀夫 太宰治が自殺したのを知って
なぜ作家たちは自害するんだろうな 不思議だな
と思ったことがあった。
河合先生の話は この問いに答えてくれるように思う。
人間は頭で考えた理想通りには行動できないし
生身の動物だから
腹もすいて眠くなるし 邪なことも考える。
そういう「悪い自分」に耐えられなくなるんじゃなかろうか。
堂々巡りから抜けられなくなるような。
そして この 「物語と身体」部分では
心理療法の一つ「箱庭療法」について こう語られる。
村上春樹が 箱庭療法について訊ねる。箱庭にも つくりばなし的なものと 身体が入っているストーリーとの違いはあるのか と。それに対して河合隼雄は 箱庭療法についてのエピソードを語る。講習会でものすごくきれいな花をいっぱい使ったような曼荼羅をつくった人がいた。でも それを見てもぜんぜん感動しない。その人は 箱庭療法というのは 曼荼羅をつくらねばならないものだと思ってつくっており その人の中から出てきていなかった。病のある人が箱庭をつくると 素人目にも なんとなくわかる。
ところが ふつうに暮らしている人がそれらしく置いたものは おもしろくない。いわゆる正常 健常といわれる人は 逸脱のないものを置く才能をもっている。朝起きて 会社へ行って 仕事して 帰ってくる それは ある種の才能であるのだという。
方や村上がまた訊く。人間は病んでれば だれにでも物語をつくる能力が 潜在的にはあるということなのか。
河合先生曰く 人間はある意味では全員病人であると言える。だが 病んでいる人もそれを表現する力がないと形にならない。疲れや恐ろしさが出るばかりで 物語にまでなかなかなってこない。
最後に二人は 芸術家などクリエートする人間はだれでも病んでおり 表現という形にする力=健常さを持ち合わせなくてはならない とし 以下のように結論づける。
河合 「芸術家の人は 時代の病とか 文化の病を引き受ける力を持っているということでしょう。ですから それは個人的に病みつつも 個人的な病をちょっと超えるということでしょう。個人的な病を超えた 時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで その人の表現が普遍性を持ってくるのです。」P121-7
ちょっと前にある方と
お互いジョニー・デップが好きだという話で盛り上がりました。
彼女のジョニー・デップ観は
「俳優をやっていなかったら ドラッグか何かで破滅してるような人だ」
というものでした。
色々な人間を演じられるのは 神経が繊細だからであって
傷ついたり辛い思いを敏感に感じ取れるからだ。
人間に興味があり 観察眼が育つから
俳優として優れている。
そういう 嫌な部分の自分を演じることが
人に認められて 「それでいいよ すばらしい」
と誉められるから 生きていられるのだ
そういうことも おっしゃっていました。
前にもここで ジョニー・デップのインタビューを取り上げて
語録をまとめたことがあったのですが
彼が長髪にしているのは 顔を隠すためであり
神経質で イライラした行動をよくとる
と 本人も言っていました。
こんなインタビューを受けるような時には
人前でタバコを吸わなければ身が持たないようで
しょっぱなから「いいですか?」と吸い始めた。
村上河合対談や ジョニー・デップの人となりを見るにつけ
「何が普通か」というのは 非常にあいまいな観念だ と思う。
会社勤めをするという 逸脱のないことをすること
それも一つの才能だし
人付き合いが苦手で 引っ込み思案だ
とか そういう否定的に受け取られがちな性質も
実は才能の一つなんだ
いつでも その時の自分というものを受け止めて
何とか生きていくことはできるんだな
自分を上手に活かすような 「アピールする方法」
そういうものが大切なんじゃないか
と 思いました。
この人の創造の世界には
上手とか下手とか そういうものを超えて
彼の内側から出てきた
表現せざるをえなかった真に迫る何かがあるのだ と思います。
彼の芸術性を「こうだ」と いまここで自分が語るより
興味のある方は ぜひご覧になり
ご自分で何かを感じ取ってみてください。
ブログをこうやって書くのも
書かなくては身が持たない現実があるから だな。
せば!
| 固定リンク
「心と体」カテゴリの記事
- 体に気持ちがついてくる(2008.05.15)
- 食欲の初夏(2008.05.12)
- 『村上春樹 河合隼雄に会いにいく』 自己治療のための芸術表現(2008.05.10)
- 第4回ヨガ体験(2008.03.24)
- 悪いものが溜まる臓器のお話(2008.02.22)
「本」カテゴリの記事
- 『村上春樹 河合隼雄に会いにいく』 自己治療のための芸術表現(2008.05.10)
- 『こころと人生』(2006.08.07)
- 『こころと人生』―子供はすばらしい―(2006.08.08)
- 『こころと人生』―子供は全体性を保っている―(2006.08.10)
- 『こころと人生』―子供は全体性を保っている 2―(2006.08.11)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113029/41117407
この記事へのトラックバック一覧です: 『村上春樹 河合隼雄に会いにいく』 自己治療のための芸術表現:







コメント